第64話 本音
気付けば神羅は泣いていた。両目から大きな涙が溢れている。
俺は込み上げる感情を気合いで眼窩の中に押し込んだ。
「だから俺は、もう他人を愛さないと決めたんだ。自分可愛さに、また同じ過ちを繰り返して、愛する人を失ってしまうのが怖かったから……」
真澄の死後、俺は自分を、他人を憎んだ。
誰とも接したくなくて、荒れた末に、自分の殻に籠もった。
俺も真澄の後を追おうとした。何度もそこへ行こうとした。
けれど、できなかった。
真澄の残した遺書に『人生を楽しんでほしい』と書かれていたから。
死ぬ程に俺を愛していた真澄のことだ。俺の今後の人生を想い、俺の負担にならない選択をしたのだろう。そんな彼女の気持ちを思うと、死ねなかった。
そして人生に意味を失った俺を、家族や薫をはじめとする沢山の人が支えてくれて……そんな皆をどうしても嫌いになれなくて……。
俺は、人が好きなんだと気付いた。
だから、決めたんだ。
俺は真澄の分も全力で人生を謳歌して生きていくと。
真澄のように俺の存在を必要としてくれる人と出会った時は、今度こそ力になり、必ず幸せにしてみせると。なのに――
「…………薫の言った通りだ。俺は、神羅に必要とされて嬉しかった。真澄を失って……空っぽになった自分が虚しくて……そこに神羅が現れて、生きる意味ができた気がした。誰かに依存して欲しくて、敢えて神羅を突き放したんだ。被害者面してたけど、他人と関われない日々を嫌がるふりをしてたけど、本当は俺自身がそうなってほしかったんだ」
神羅達と過ごす日々が楽しかった。
特別な存在になれて嬉しかった。
嫌がるふりをしていたけど、ずっとこのままでいたいと思えていたんだ。
義務として接していた?
束縛から解放してほしかった?
友達の体で神羅に付き合ってあげていた?
全部、大嘘だ。
あの日、初めて出会った日から俺は……お前のことが……。
「…………なのに、また大切な人を失うのが怖くて、自分に嘘をついて、本心と向き合わずに逃げたんだ。でも……俺は、神羅を愛している!! あれだけ毎日アホな美少女と一緒に過ごして、好きにならないわけないだろうが!! 友達として、異性として、俺は心からお前を大切に想ってる!! 自分のためじゃない、お前のために幸せになってほしいと思ってる!! だから、安心して【可能性】を解いていいんだ!!」
「で、でも…………」
戸惑いを見せる神羅へ、俺は声を張り上げて告げた。
「いいか神羅、俺だけじゃない、お前は皆に愛されているんだ!! 両親だってお前を愛していた。お前が大切だったから、恵まれた環境で育ててやりたくて仕事を頑張っていたんだ!! どうでもよかったからじゃない。きっと後悔しているはずだ、たった独りの愛する娘と離ればなれになって……本当は今すぐお前に会って、昔のことを謝って抱きしめたいはずだ!! 天使の母さんや京子さん達だってそうだ。ご機嫌取りなんかじゃない。お前みたいに不器用で一人じゃ何もできない美少女の世話をしてたら自然と甘やかしちゃうに決まってるだろ!? そんで天使は、幼馴染みとして、親友として、誰よりもお前を愛しているだろうが!! 今まで嫌々メイドとしてお前の傍に居たと思ってんのか!? そんなわけないだろ!! 天使はお前と対等な友達に戻りたくて、もう一度昔みたいに遊びたくて、ずっとウズウズしてんだよ!!」
感情のままに言葉を紡ぐ。
無表情な天使がぐっと唇を噤んでいる。目が潤んでいた。触れるだけで決壊してしまいそうな程に、紫色の瞳に涙が溜まっていた。
俺の本音を聞いた神羅も、思いの全てをぶつけるように大きな声を出した。
「でも……できないよ!! 皆、本当は私のことなんて嫌いに決まってるもん!! 愛されないくらいなら……またあんな思いをするくらいなら、嘘でも愛されていたほうがいいの!! 間違ってるって分かっていても、このままでいる方がいいの……!!」
神羅は号泣していた。
止めどなく涙が溢れていた。
俺はそんな神羅を正面から見つめ、全力で彼女の思いに応えた。
「できる!! 言っただろうが、ありのままの神羅でいいんだよ!! それに、もし【可能性】を解いた神羅が本当に誰からも愛されなかったとしても、俺だけは愛してやる!! 隣に居てやる!! 恋人になって、結婚して、死ぬまで本当の愛に満ちた人生にしてやる!! お前が死ぬ時は俺も一緒に死んでやる!! 世界一可愛い神羅と一生一緒に居られるなんて、これ以上の幸せはないからな!! それか、神羅みたいな最高の女を愛してくれない世界なんて、ぶっ壊してやればいい!! こんな愛のない世界滅ぼして、二人だけの国を作って生きていけばいい!! そん時は【私達乃世界】に変えてもらうけどな!!」
「…………結人」
神羅の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「だから【可能性】を解いて楽になれ、神羅」
それでも彼女は屈託のない笑顔を向けて、頷いた。
「…………うん」
その瞳が、色相を変えていく。
瞳孔の内側から外へと赤色が溶けて消え、透き通る輝きを持つ、ラピスラズリのような高貴なロイヤルブルーの双眸が現れた。
その瞬間、天使が神羅に全力で抱きついた。
傘を投げ捨て、両腕を神羅の腰に回して飛び込んだ。
尻餅をついて驚く神羅の胸に顔を埋めた天使が、大声で泣き叫ぶ。
「神羅ちゃんのバカっ!! バカっ!! バカああああああああああああああああ!!!!」
これまで抑圧されていた感情を全て吐き出していた。
愛を以て、泣き叫び続けた。
何にも憚ることなく声を上げて泣く天使を、神羅は嗚咽を漏らしながらも笑顔で強く抱きしめ返し、優しく頭を撫でた。
「ごめんね……天使……。ずっと……ごめんね……」
「バカ……神羅ちゃんのバカ……」
二人に一条の陽光が射した。
いつの間にか、気がつけば雨は既に止んでいた。霧散していく雲の狭間から射す陽光が次第に広がり、辺り一面を照らしていく。
空を見上げれば、眩い太陽が見えた。
「…………遅ぇよ」
ここへ来る途中、匿名のボクナラを利用して晴らし屋の金城に「再度連絡するまで今すぐその場で晴らしてください」と依頼を出していたのだが、ここまで効果が遅いとは予想外だ。
結局、ずっと雨に打たれてずぶ濡れだ。
だがまぁ、学校から此処までは遠いし雨の量も凄かったから、今に至るまでずっと豪雨の中を吊されていたであろう彼に免じて許してやることにしよう。
青空を見ると急に全身から力が抜け、その場に崩れた。
――が、倒れる直前に京子さんが脇を支えてくれて、なんとか体勢を立て直す。
「すみません、ありがとうございます」
礼を言うも、京子さんは【私乃世界】解除前と何も変わらず平静を貫いていた。やはり元から感情表現が乏しいタイプの女性なのだろう。
「間に合って良かったですね。申し訳ありませんでした、怪我をさせてしまって」
「いえ……いいんです。神羅の命令でしたし」
「マゾなんですか?」
「違うみたいです。全然気持ち良くなかったです」
「では、私に襲われたいというのは何の話ですか? エッチな話ですか?」
「それは……なんでもないです……」
「そうですか。今日の貴方は頑張っていたので、襲ってあげても良かったのですが」
「本当ですか!?」
「冗談です」
がっくりと肩を落とした。
その後、俺は治療してあげるという京子さんの申し出を断り、その場を去った。積もる話があるであろう神羅と天使を二人きりにしてあげたかったから。
青空を仰ぎながらノンビリと歩いて帰ることにする。
学校に戻れば今なら出席を取ってくれるだろうが、今日はもうサボろう。今まで理不尽に怒ったり無視し続けてくれたんだし、今更教師からの心証や出席日数なんて知ったことか。
教室内に置いてきた私物はどうなっているかな。無くなったら買い直せばいいか。
ハゲの金城は、まだ吊されていることだろう。傘で刺されたお腹が痛いし、八つ当たりでもう少しだけ吊しておいてやる。その分、報酬は多めに払ってやるさ。
こうして歩いていれば途中で駅が見つかるはずだ。
電車に乗って、座って帰ろう。
――いや。帰る前にお墓参りに行こう。
一昨日ぶりだから「またか」って言うかも知れないけれど、別にいいだろ? どうしても、真澄に伝えたいことができたんだよ。
それで帰ったら風呂に入ってゆっくり寝よう。
今日は、良く眠れそうだ。




