第54話 夜這い
強い衝撃が全身に響く。
ナイフの刃が完全に姿を消し、俺の胸の中へ入り込む。
――が、痛みはなかった。
「…………」
俺がなんとも言えない表情をして無言で見つめると、天使がゆっくりとナイフを引き抜いた。カチャッと音がして、ハンドル部分に引っ込んでいた刃が出現する。
びっくりナイフだ。
天使は無表情のまま小さく腕を上下に動かして俺の胸に何度もナイフをグサグサと押し当ててきた。その度にカチャカチャと音が鳴り、刃が出ては引っ込んでを繰り返す。可愛い奴め。
「楽しそうでなによりだ」
「はい。楽しいです」
六回ほど俺を刺殺して満足した様子の天使はナイフを後ろへポイッと投げ捨てた。くるくると飛んでいったナイフが勉強机に座っているクマ君の手元に収まる。なんだか狂気を覚える絵面が完成したぞ。
「怯えて命乞いしてくる惨めな姿を期待していたので、少し残念です」
「ドエスめ……。本気で殺す気なら毒殺しているはずだから、その時点で殺意がないのは明らかだろ。なにより、そんな事をする人間じゃないって分かっているしな」
しかし深夜に不法侵入してくるだけでなく、剰え投薬してくるなど悪戯のレベルではないのも事実だ。
「それで、本当は何が目的なんだ?」
問うと、天使は押し黙った。
何を聞いても平然と受け答えをする彼女らしくない沈黙が続く。
するとやがて天使は俺の目を見つめ、夜闇の中でも分かる程に顔を紅潮させて言った。
「私は……夜這いをしにきました」
「はぁっ!?」
思わず深夜だということも忘れて大声を出してしまった。
家の反対側で眠る家族を起こしてしまったかもと思い耳を澄ませるが、その気配はない。どちらにしろ俺には無干渉なので起きたとしてもこちらには来ないか。
「な、何言ってんだ? 意味分かって言ってんのか?」
「本気です。私を……抱いてもらいます」
恥じらいながら言われた。
目が本気だ。決然たる菫色の瞳は真剣そのもので、決してからかっているわけではないらしい。
「なんでだよ! 意味分からねぇよ!」
「結人さんが神羅様を愛することに明確なメリットを付与することにしました。神羅様を愛して恋仲になっていただければ、私をさしあげます。結人さんが神羅様との交際に踏み切れない理由の一つには私の存在もあると判断しましたので」
「ど、どういう意味だ……?」
困惑しながら問うと、天使は少し言いにくそうに答えた。
「結人さんは私に気がありますよね?」
「は!? ねぇけど!?」
「私と出会って以降、『ロリ』『メイド』『ツインテール』『無表情』『ご奉仕』といった私を連想できる単語で卑猥な動画像を検索する頻度が非常に高くなっていますし、それを見て私の名前を呟きながら自分を慰め――」
「ごめんなさい! 言わないでください!」
なんで秘密が全部筒抜けなんだ?
この部屋に監視カメラでも仕掛けてあるのか?
「それに私は神羅様に比べれば胸も小さく抱き心地は優れないかもしれませんが、容姿は悪くありません。私はお化粧をせずとも容姿偏差値七十三とデータで証明されています」
確かに可愛いのは認めるが、無駄に数値が高い気がする。盛ってるだろ。
「そのため結人さんは私との性交を望んでいるはずです。私も結人さんのことは嫌いではありません。なので私を抱く代わりに、神羅様を愛していただきます」
「どんな理屈だ!! そんなの断るに決まってんだろ!!」
「拒否されるのが分かっていたので抵抗できないようにしました。既成事実を作れば、優しい結人さんは罪悪感から神羅様のことを愛してくれるはずです」
何をふざけたことを。
だが起き上がろうとしても、上手く力が入らなかった。
ど、どうすれば……?




