第53話 夜駆け
気分が悪い……。全身が怠くて力が入らない。
まどろみの中、そう感じた。
まだ夢の中なのかとも思ったが、そうではないみたいだ。
腹部に違和感がある。
圧迫感。重い。何かに上に乗られているような感覚。
仰向けだった俺はそれを解消するために寝返りを打とうとして――体が動かなかった。
そこで漸く異常に気がついて、ゆっくりと目を開けた。
暗い自室。
俺の体の上に、ぼんやりとしたシルエットが映る。
ベッドの右にある窓から仄かに月明かりが差し込むと、その微かな光源でシルエットの正体が分かった。夜陰の中、紫色に輝く二つの宝石が俺を見下ろしていた。
「…………天使」
「こんばんは、結人さん」
紫水晶の虹彩を持つ矮小な体躯のツインテール美少女が、俺の腰の上に乗っていた。
それを認識すると急速に眠気が失せて覚醒していく。
目を見開いて状況を確認する。
掛け布団が剥がされ、天使に馬乗りにされていた。
天使は相も変わらぬ端整な無表情で、大きな瞳で俺を射抜いている。しかし、その服装は見慣れたメイド服ではなく私服だ。
黒いリボン付きの薄ピンク色のレースブラウスと、黒いプリーツミニスカート。メイド服と似ているが、よりフワフワとした印象で華やかさがある。
スカートが短いせいで、滑らかで張りのある太股が俺の手に当たっていた。
小さくも弾力のあるお尻が乗せられている腰へ視線を移すと、スカートが少しめくれて白いパンツがチラ見えしていた。天使のことだからわざとな気もする。しかし本能には抗えず、目に焼き付けてから天使の顔へ視線を戻した。
澄まし顔の天使の前髪が、甘い香りを運ぶ冷たい夜風に当てられ微かに揺れている。
だが、俺は眠る前に窓の鍵をかけてカーテンも閉めていたはずだ、多分。
戸締まりが勘違いだったのかとも思ったが、右の窓の方を向くとそうではないと分かった。
カーテンが半開きになっていて、その隙間から覗ける窓の鍵部分が小さな円形に刳り貫かれていた。レーザーでも使ったのか、罅一つない綺麗な真円だ。そこに収まっていたはずの丸いガラスは窓台に置かれ、その横にはご丁寧に裏返しにされた天使の靴もある。
「今度は窓から侵入か……。スパイ映画みたいなことをするな」
「映画の方が私の真似をしているんです。結人さんの部屋に忍び込むくらい朝飯前です」
「もう深夜だがな」
「三食基準では朝飯前です」
時刻は深夜二時半。ベッドに入ってからまだ三時間も経っていない。
時計を確認する際、思うように体が動かなかった。力が入らない。酷い脱力感だ。
それに、眠気とは種類の異なる、意識がぼんやりと霞がかる感じもしていた。
「…………何をした? 毒でも盛ったか?」
「毒ではありません。特製の筋弛緩剤と鎮静薬を投与させていただきました。意識が朦朧として筋肉への不活化効果が発生しているはずですが、数時間程まともに体を動かせなくなるだけなので安心してください」
そんな不穏なこと言われて安心できるわけねぇだろ。
「なんのために?」
「抵抗されないためです」
言われて上半身を起こそうとしたが、やはり無理だ。こんな強力な薬まで用意しているとは。いよいよ現代の忍者だな。
というより――暗殺者か。
「神羅を傷つけたから、俺を殺しに来たのか?」
刹那の躊躇いの後、天使は瞬きしながら首肯した。
「私服を見たいとのことでしたので最期に勝負服を着てきてあげました。結人さんはエッチな本は所持していなかったため、電子機器内の保存画像や日常生活によるアイトラッキングデータを収集して好みを判別しました。お気に召していただけましたか?」
淡々と身の毛がよだつ暴露をされた。俺でしか辿り着けないはずの隠しフォルダにある秘密のコレクションまで全てを見られてしまったのか……?
「ああ、よく似合ってる」
「これくらい朝飯前です。出血大サービスです」
「俺が出血させられそうな状況なんだが?」
「私のパンツを凝視していたわりには、鼻血は出ていませんが」
「やっぱりわざと見せてたのか」
「嫌でしたか?」
スカートを両手で掴み、パンツを隠す仕草を見せてきた。
「嫌じゃないです、嬉しかったです」
「では、冥土の土産に」
代わり映えのない口調でそう言った天使がスカートをめくり上げ、純白の下着が丸見えになった。普段は隙一つ見せない完全無欠な少女のパンツが、目の前で剥き出しにされている。
そう思うと、瞬きすることも忘れて食い入るように見つめてしまっていた。
黒いリボンのアクセントがついているだけのシンプルなデザインのショーツだが、程よく肌が透けるレースで面積も小さくて肉感的だ。月明かりの下、引き締まった腹部と小さなおへそまで見えているのが更に色気を増幅させていた。
特製薬を投薬されて体に力は入らないが、大事な部分には影響がないようで、気を抜けば固くなってしまいそうだ。下腹部には目の前で見えているパンツに隠されたお尻が乗せられているわけで、余計にお尻の柔らかい感触が気になってくる。
そこで天使がスカートを掴んでいた手を離して、ついに秘境が布の下に隠されてしまう。
視線を上げると、天使の右手に、漆黒色のサバイバルナイフが握りこまれていた。俺がパンツを見ている間に、またしても奇術で取り出したのだろう。
刃渡り十センチ程で波打つような形状をするナイフはブレードが特殊なコーティングをされているようで綺麗に艶めいていた。軽く触れただけで骨まで斬れてしまいそうだ。
天使は華麗な手捌きでナイフを回転させ、逆手持ちした。
「結人さんは神羅様を酷く傷つけ、悲しませましたね。言ったはずです。神羅様を愛する気が無い人物はこの世から消えてもらいますと」
ナイフを持つ右手を左手で包み、両腕を頭の上に持ち上げる。
微風が吹き込みカーテンが揺れて、ツインテールが靡く。ナイフのエッジが月光を浴びて仄暗い部屋で煌めいた。
風が止む。
「さようなら」
天使は俺の言葉を待たず、俺の左胸にナイフを突き刺した。




