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第25話 モーニングコール

 万象神羅に愛を強要され、放課後の勉強会を開始してから二週間が過ぎた。


 俺は神羅の命令により、世界中から存在を無視されていた。俺がどこで何をしていてもそれが当然と受け入れられ、居ない存在として扱われている。

 今でも俺の存在を認めてくれているのは神羅と天使の二人だけだった。


 今の俺は家族と一家団欒できず、外に出ても買い物できず、道を歩けば車に轢かれかけ、スクールバスに乗る際は身分確認を求められず、薫に挨拶しても無視され、授業に出席しても俺の前の席でプリントは切れ、神羅達と一緒でなければ学食で昼飯を購入することもできない。


 そもそも出欠確認もされないので登校する意味もなく、これじゃ卒業もできない。


 そして特に痛手なのが、映画をレンタルできない点だ。なんで駅前のレンタルショップは未だにセルフレジじゃないのか。

 ここまで自販機のありがたみを実感したことはない。


 透明人間ならまだ良かったかもしれない。

 相手に触れたりして存在を主張したところで何のリアクションも返ってこないのは、かなり精神的に堪えるものがある。


 だが多感な思春期の高校生男子には到底耐えがたい孤立した世界でも、生憎なことに俺はこれまでの経験から、悪意を向けられるよりは全然マシだと思えて発狂することはなかった。


 現状を甘んじて受け入れた俺は、神羅に愛を実感して満足してもらうという一点だけを行動の基準に絞ってひたすら彼女に優しく尽くしていた。


 なのに当の神羅は相変わらず朝が弱いようで、夜遅くまでコネクトをしている影響もあってか毎朝チャイムが鳴るギリギリの登校ばかりだし、遅刻してくる日も多々ある。改善するように注意しつつも、サボらない事を毎日褒めてあげているのが現状。


 しかし、常に神羅と一緒に行動し、憧れだった高校生活の全てを投げ打って彼女に振り回されているこちらの身としては、やはり納得できない。


 だから、俺だってたまには遅刻くらいしても罰は当たらないだろう。


 そんな思惑もあり、ベッド横のサイドチェスト上に置いたスマホの目覚ましアラームの音で朧気な意識を取り戻した俺は、瞼を開かなかった。


 半分だけ覚醒した意識で体を左向きに変え、音源を止めるべく右腕をもぞもぞ動かす。すると掌に、何やら柔らかくて温かい、とても好ましい感触が飛び込んできた。


「…………?」


 どこかで触ったことがあるような柔和な感触。こんな物はベッドにはないはず。得体の知れない物体だけど、触り心地が良くて揉みしだく手が止まらない。


 柔らかくも弾力があり、温もりに溢れ、コリコリした小さな突起もあるような……。


 そこで、


「んっ……」


 と、妙に艶めかしい声が耳朶に触れた。


 半分だけ瞼を開く。

 ぼんやりとした視界に映るのは、見慣れた金髪の少女の顔だった。目を瞑っているが、寝顔にしては顔が紅くてどこか表情が強張っているような気がする。


「…………なんだ……神羅か」


 呟き、目を閉じた。

 そして再び得体の知れない柔らかい感触を堪能しようと思ったところで、違和感を覚えた。神羅が俺の部屋に居るという事実を漸く理解した。


 一気に覚醒し目を見開いた俺は、神羅から離れるように飛び起きた。


「って、神羅!? な、なにやってんだ、お前!?」


 掛け布団を吹き飛ばし、追い詰められた悪党みたいに窓側の壁に張り付く。


 すると神羅がゆっくりと瞼を開いた。最初から起きていたのであろう神羅は、ベッド上でガーネット色の瞳よりも真っ赤に頬を染め、細めた眼で俺を睨みつけた。


「結人のエッチ……」


 乱れた制服のシャツを正して下に引っ張るような仕草を見せられ、俺がさっき夢中で揉んでいた物体の正体に気がついた。服の中に手を入れて直接触っていたのかもしれない。


 掌には生々しい感触が残っていて、神羅の顔から胸に視線が移ってしまう。


「ごめん、寝ぼけてて……。てか、なんで俺の部屋に居んだよ!」


 問うと、神羅がもぞもぞもと体を起こした。

 ベッドの上で女の子座りした神羅が答える。


「いつも私のこと早起きできないって馬鹿にするから、今日は起こしに来てあげたのよ。私だって早起きできるんだから、私を愛しなさい」

「無茶苦茶言うな! そもそも、どうやって入ってきたんだ……」


 両親も妹も既に家を出ている時間だが、家の鍵は掛けられているはず。


「天使が鍵を開けてくれたわ。それくらいあの子には朝飯前だし」


 やはり奴の仕業だったか。


「起こしに来たのは良いとして、なんでベッドに潜り込んでんだよ」

「だ、だって天使が、添い寝すれば男なんてイチコロですって言ってたんだもん……。どう? そろそろ私を愛する気になった?」


 あのメイド、性欲を煽るような何の根拠も無い進言ばかりしやがって。 


「俺は誰も愛する気はない。何度言えばいいんだ」

「ここまでしてあげてるのに、なんでよ!! 頭おかしいんじゃないの!!」


 お前が言うなと切実に思い、寝起きから早速疲れてふぅと溜め息を吐くと、神羅が観察するようにマジマジと俺の顔を覗き込んできた。


「な、なんだよ?」

「結人、起きると目つきが怖くなるのね。寝てる間は可愛い顔してたのに」

「褒められてるのか貶されてるのか分からなくて反応に困るな」


 恥ずかしくなり顔を逸らした俺はカーテンと窓を開け、新鮮な空気を部屋に入れた。


 二階の自室からふと玄関先を見下ろすと、簡素な住宅街には場違いな黒塗りの細長い高級車が一台、家の前に停車していた。車の横には見慣れたメイド服の天使が立っている。


「どうやって来たのかと思えば」 


 あれが神羅の自家用車らしい。傷一つでも付けたら人生破滅する金額なのを一目で察してしまうような高級車だ。輝き方とかフォルムとかエンブレムとか、全てが別格の存在だと主張している。


 まぁ、あれも店に無料で譲らせたんだろうけど。ほんと最低な女だ。

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