第10話 只野天使
「あのな、【絶対拒否】の俺は【可能性】の影響を受けないんだ。お前の【私乃世界】とやらも俺には効力がない。そんな風に指図しても意味がないんだ。言ってる意味、分かるか?」
手振りしながら、なるべく優しく分かり易く説明してあげた。
万象神羅は先天性の【私乃世界】によって全人類から愛されて生きてきた。
つまり愛の虜にならず自我を保って反抗してくる人物と出会うのは初めての体験なわけで、俺という人間が存在する事への理解が追いつかず、どのように接したら良いのか分からないのだろう。
と思ったが――
「そうじゃなくて……!! 【可能性】とか関係なく、私を愛しなさいって言ってんの!!」
叫んだ神羅は、脳内の回線が焼け切れたみたいに顔が真っ赤になっている。
受け取った言葉を咀嚼してみるが、何を言っているのか理解できなかった。
「意味が、よく分からないんだが」
「私を愛さない人間が居るなんて許せないの!! だから、あんたも私を愛しなさい!!」
「…………つまり、全人類から愛されていないと気が済まないから、俺にも自分を愛してほしいってこと?」
「そ、そういうことになるわね」
「しょーもな……アホかよ……」
「ア、アホォ!?」
何を言い出すかと思えば……。
生まれつき全人類から愛されて生きてきただけあって我が儘の度合いが振り切れている。想像を絶する自己中な姫君のようだ。
「私にとっては真面目な話なの!!」
「真面目にそんなこと言ってるのが尚更アホだって言ってんだよ!」
「ア、アホじゃないもんっ!! バーカバーカ!!」
「面倒くさっ! 小学生かよ!」
チッ。なんだこいつ? どうしろと?
取り敢えず言葉だけでも肯定しておけばいいか?
二度と他人を愛さないと決めた俺は「愛してる」なんて口に出すことを躊躇った。
「分かったよ。神羅様大好き。これでいいだろ」
「…………馬鹿にしてるでしょ?」
目を細めて問われた。
本気かどうか疑っているところが本物のアホって感じだ。
「いーや、してない。全力で好きだわ。こんくらい好きだわ」
背筋を伸ばし両腕を大きく広げて言ったら、神羅が余計にキッと睨み付けてきた。
「やっぱり馬鹿にしてるでしょ!! こっちは真面目な話をしてんのに!!」
バンッ!! と再び教卓が強い張り手を受けた。
壊れちゃうだろうが。
「じゃあどうしろって言うんだよ!! 愛しなさいとか言われたって困るだろうが!!」
「そ、それは……だから……」
ぐぬぬと口籠もった神羅。
この膠着状態をどんな意見で解決に導いてくれるのかと期待するが、神羅の口から出てきた答えは想定外のものだった。
「天使っ!!」
その呼び声の直後、神羅の真横に突如としてメイド服姿の少女が出現した。
瞬間移動してきたかと勘違いする程に俊敏で、まさに目にも留まらない早さだった。意識の裏をかかれたとでも言うべきか。移動する姿を上手く視認できず、気がついたら其処に居た。
つま先から黒ストッキングを通り、顔へと視線を上げていく。
移動の余波で漆黒のツインテールを左右に揺らしながら佇む小柄な少女は、神羅の肩ほどまでの低い背で、いかにも怜悧そうで聡明叡知という言葉がぴったりに思える無表情のクールビューティだった。
メイド服が非常に似合うその少女の虹彩は、アメジストのようなパープル色に輝いていている。顔立ちは日本人だが、その独特な色の瞳を見れば分かる。彼女も判明者だ。
天使と呼ばれる清純な少女は、紫色の目で俺を真っ直ぐ見据えてペコリと頭を下げた。
「初めまして、神羅様の専属従者である只野天使と申します。【可能性】は常動型の【完全完美】、あらゆることを完全に完璧に朝飯前にこなすことができます。お気軽に天使とお呼びください」
天使というのは渾名ではなく本名らしい。
天使が説明に合わせて、どこからともなく取り出したタブレットデバイスを弄ると、電子黒板に彼女のプロフィールが表示された。
俺達と同い年、誕生日は七月七日、血液型はAB型、身長145センチ、体重42キロ、スリーサイズは75/55/75、特技は全て、趣味は神羅様のお世話、好きな食べ物はバウムクーヘン、嫌いな食べ物は――って
「どんだけ詳細に書いてんだよ!! 文字が小さくて読みにくいんだよ!!」
スリーサイズまで晒しているというのに、天使は事もなげに表情を崩さない。
高飛車な神羅が一人で行動しているのは違和感があったが、このメイドを付き従えていたのか。神羅のスライド作成や演出などは全て天使がこなしていたのだろう。あのタブレットデバイスで学内にハッキングでもしているのかもしれない。
究極に器用とも言える【完全完美】なんてチート能力持ちが裏方をしていたと考えれば納得だ。
メイド持ちとは、神羅はいよいよ本当に外見通りのお嬢様のようだ。
神羅は隣に立つ天使の小さな頭をポンポンと叩いて、自慢気に笑顔を見せた。
「天使は私の幼馴染みでね、可愛いくて何でもできる最高のメイドなのよ」
「メイドくらい朝飯前です」
褒められた天使が一瞬だけ静かな表情を崩し、淡い微笑みを浮かべた。
それは俺の目には、とても純粋な感情に見えた。
幼馴染み――か。
きっと天使は【私乃世界】の影響を抜きにしても神羅を本当に愛し、自分の意志で仕えているのだろう。直感的にそれが分かる、そんな笑みだ。
「幼馴染みってことは、メイドは遊びの延長みたいな感じか」
「失敬な。天使にはちゃんとお給料も払っているし、正式に雇っている使用人よ」
「お好きな額頂けるとのことなので、月に七桁振り込ませていただいています」
「俺も雇ってくれ」
「なんでっ!?」
想定外の額に思わず本音が出てしまった。
まさかそこまでの億万長者だとは。
「神羅様は女性しか雇わないので不可能です」
そして天使に無表情で論理的に淡々と断られた。残念だ。
にしても、神羅の奇行に対しても従順な天使は健気で良い子みたいだ。
左目に泣きぼくろがあり幸が薄そうな顔立ちで、彼女こそ愛されるべき存在じゃないかと思える。
「ともかく、天使の意見を教えて」
「結人さんが神羅様を愛してくれないという問題についてですね?」
神羅が「そうよ」と頷くと、紫水晶の目に少しだけ力を込めた天使が俺を見た。
「神羅様を愛してください」
「そんなこと言われても、無理なものは無理だ」
即答した。
天使の表情は変わらないが、なんだか失望された気がする。瞳の奥に宿る神羅への忠義の念のようなものをひしひしと発して伝えてくる。
天使に目で訴えられた俺は、小さく息を吐いた後、持論を言葉にして紡ぐことにした。
「そもそも、お前は愛を何だと思っているんだ?」
「な、何って言われても……。本気で、す、好きになることでしょ……?」
曖昧な定義の意味を問う少し意地悪な質問に、神羅が照れ混じりの困り顔を見せる。
「違うな」
俺は愛だなんていうくだらない物の正体を、彼女に教えてあげることにした。




