オモイホタル
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
あまりについていないことが続くと、ふと心に浮かぶことがある。
「果たして自分は、何のためにこの世にいるんだろう?」と。
もちろん、これは主観的な考えに過ぎない。
実際、自分の存在が誰かの役に立っていたとしても、それを知る機会があるかは分からないからな。感謝の言葉であれ憎まれ口であれ、当人に知られない限りはこの世にないのも同然だ。
だから、なおのこと辛い。ただ味わっていないだけで、本当はあるのか。それともモノホンで、この世に存在しないのか、と。
親切に伝えてくれる環境ばかりじゃない。自分から動かなくちゃいけないこともあるだろうが、そうやって知ろうとする姿勢にやましさ、浅ましさを覚える人だっている。
飢えている人と満ちている人。互いの心を根っこから分かるのは、両方を骨の髄まで味わった人だけだろうさ。
僕も自分の存在意義を疑問に思った時期があってね。その時に少し不思議な体験をしたことがあったんだ。聞いてみないかい?
僕が小学校の高学年くらいのとき。
学校の成績が微妙に落ちたのをきっかけに、ゲームで遊ぶのを禁止されたことがあった。
僕の家庭だと、私立の中学校への進学を視野に入れていて、常時上位の成績が求められていたからね。高学年に上がると、否が応でも点数が気になってくるわけさ。
かねてより、親は僕のゲームをしている姿が面白くなかったようだ。そんなことにうつつを抜かしても、点数が上がるわけじゃない。もっと真剣に取り組みなさい、とね。
僕は内心で不満むんむんだ。
お父さんのゴルフ、お母さんの映画鑑賞が、僕のゲームより高尚だというのか? 同じ時間を潰す趣味であるのに、どうして上下をつける?
そのうえ、ひょんなことから僕の中学受験が、どうやら親のリベンジマッチでもある、ということを聞いた。かつて学生時代、自分が合格できなかった学校に、自分の子供を送り出したいのだと。
こうして大人になった今は、親の気持ちも少しは分かる。
自分の身体は一個しかない。その日、その時を味わえるのは一度しかなく、やり直しがきかないもの。それが時を超えて、叶える機会があるとしたら。
特に母親は、自分の腹をじかにいためることもあって、子供に強い思い入れを持つ人もいると聞くからな。どうにも自分の分身のような気さえすると。
ただ、押し付けられる側となる、当時の僕としてはいい迷惑。そのうえ、とてつもなく脱力した。
自分が道具扱いされている思いしか、感じることができなくてね。結局、僕のことなんかどうでもよく、結果が欲しいためだけに、ラジコン操縦しにかかっているのかと思えた。
「僕って、なんのためにいるんだろう」と、初めて感じたのがその時だ。
その夜中は全く寝付けず、途中で布団からもぞもぞと外へ這い出た。
次の日は休み。夜更かしをしてもかまわない気持ちの方が強い。そのまま寝間着に上着を引っかけ、ズボンを履いて外へ出る。
道路から離れた一軒家である我が家近辺は、この時間になると車通りがほとんどなく、風や虫の音ばかりが、耳へ飛び込んでくる。
僕は玄関をくぐったあたりから、にわかに体中が熱くなるのを感じていた。
確かに、春の入りにしてはやけに気温の高い夜だけど、これは暖房の効いた屋内にいるかのような、まとわりついて、こもろうとする暖気だった。
いつもの僕なら屋内に引き返していただろうけれど、家にいることの嫌悪感が頂点に達しようとしているタイミング。どこか涼しさを覚える場所を探そうと、僕は外をさまよい出していた。
けれど、どうしたことか。
夜の空気はいまだ冷えないまま、夜闇に浮かぶ影を頼りに、木や建物の影らしき場所に立っても、熱は取れずにそこにいた。むしろ、ますます身体が内から熱くなってくるばかり。
涼みを求める僕は、ほぼ本能的に家から数百メートル離れた、川の土手まで来ていた。
幅およそ20メートル。車も通れる大きさの橋が渡されているその川で、僕はあまり遊んだりしなかった。かなづちだったのが大きい。
ひと気のない橋の上から、下をのぞき込んでみる。
流れのせせらぎに、背中側の街灯の光が、絶えず歪みながら浮かんでいた。けれどその明かりは水の底までは届かず、どれほど深いかは分からない。
――このまま、飛び込んでしまおうか。
ふと、頭に浮かんだ願望。
涼みたい気持ちもあったが、ただ単に試したい気持ちが勝っていたと思う。
結果にも頓着がなかった。もし泳げないまま溺れても、助かっても構わない。ただ自分で選んで、後は流れに身を任せたい。そんな、ややもすると投げやりな気持ちでいっぱいだった。
「あら、こんばんは」
欄干にお腹を押し付けだしたとき、声をかけられた。
ふと見ると、同じクラスの女子のひとりが、手をあげながら近づいてくる。男子人気ベスト3に入る、可愛い系の女の子で、僕自身も少し気になっている子でもあった。
この子の前で、自殺まがいなみっともないことはできない。僕はそっと姿勢を正して、彼女に向き直る。
適当に涼みたいと告げる僕に対し、彼女は「オモイホタル」を見たいからここら辺を歩いていると話してくれた。
オモイホタル。それは名の通り、ホタルのように暗いところで発生する虫だが、その生態には妙なところがある。
彼らの生育に適した環境は、35〜37度の間。うまいこと調整すると、風呂の温度でも生まれることができるらしい。
適温に近いせいか、オモイホタルは人がそばにいると、近づいてきやすいのだとか。ホタルを身近に感じたい人にはうってつけの生き物で、軽やかに柔らかに浮遊するのでなく、人の身体に腰を下ろすかのような仕草から、「重いホタル」と呼ばれるのだとか。
「オモイホタルは季節に関係なく見られるの。その温度さえ満たせばね。いい具合に微熱を帯びたりしてると、なおグッドなんだけど……あれ君、少し顔赤かったりする?」
「う、うん。さっきからちょっと熱がこもっていて……」
「ふーん、どれどれ」
彼女はちょいっと間合いを詰めると、さっと僕の前髪をかき上げて、額に触れてくる。
ほんのわずか、冷たい感触の後で、ますます僕は自分の顔が熱くなるのを感じた。昼間の学校では、こうもスキンシップを取ってくるタイプじゃなかったから。
「ん……ちょうど良さそう。ほら、集まってきたよ」
彼女が手を離した後、僕は改めて、自分の身体を見やる。
ふわりと、身に着けた上着のあちらこちらから、緑色の光が浮き上がる。
タンポポの綿毛が夜にも見られたら、このような感じだろうか。彼らの光は衰えることなく、次から次へと湧いては、空の彼方をめがけて飛んでいく。
「君がここに来なければ、生まれなかった子たちだね。
オモイホタルが生まれるかどうかは、時間の勝負。卵が植わってすぐに適温を与えられるかどうか。
私が面倒をみる必要がなくなってよかった。ありがとね」
ぽんぽんと僕の肩を叩いて、彼女はそのまま通り過ぎて行ってしまう。
僕はしばしオモイホタルの群れを見送るも、やがて家へ足を向けた。熱は、ホタルたちが持っていったように冷え切っている。
何歩か進んで一度だけ振り返るも、彼女の姿はどこにもなかったよ。ただ、その去っていった方向に、壁と見まごうほどの大量のオモイホタルがいるだけで。
休み明けの学校。僕は彼女にそれとなく話を振ったものの、首をかしげるばかりか「オモイホタル」の件も、知らないような顔をされてしまった。とぼけているような様子でもない。
あの晩にあった彼女は何か。僕は子供であるホタルたちを産まれさせるために、僕の体温を整えた、オモイホタルたちの母親だったんじゃないかと思っている。
僕自身、こうして在るだけでも、誰かの命を支えている。冷たくなっていたら、きっと何もできなかった。
子供心に、それがありがたく思って、今日まで生き延びているんだ。




