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目指せ、太鼓の達人

 皆で盆踊りを楽しんだ日の翌日、朝ごはんのあとに玄関のチャイムが鳴らされた。

「呼び鈴? ご近所に最下層なんて呼ばれてる彩花荘にも来客があるんだ」

 めずらしいなという気持ちで私は玄関まで歩き「はーい!」と声をあげた。

「やぁやぁどうも、秀男さんはいるかな?」

 おじいちゃんの声だ。

「はい、秀男さんならいます。呼んできますからおあがりになって待っていてください」

 私がそう言って玄関を開けると、たれ目でしわくちゃな顔に笑みを浮かべた、いかにも好々爺というようなおじいさんが立っていた。

「ああ、こりゃあどうも。よっこらせっと」

 玄関から板の間に腰掛けたおじいさんに待っていてもらい、私は廊下を小走りにかけて二階に向けて声をあげた。

「秀男さーん! お客さんですよー!」

「あー!? オレに客ぅー?」

 秀男さんがタンクトップにトランクスの姿で部屋から出てくる。

(もう! 女の子の前なんだから、短パンくらいはいてよね!)

 心の中で抗議して、秀男さんとともに玄関に戻る。

「ああ、こりゃ町内会長さんじゃないっすか! 町内会費の集金は済ませましたよね?」

 このおじいさんは町内会長さんだったのか。

 だけど、町内会長さんがわざわざここまでやってきて用事ってなんだろう?

「いやいや秀男さん、集金じゃないよ。昨日、秀男さんが元気に踊ってるのを見てね」

「あっはは! 見られてました? いやぁ、久しぶりに踊ったら楽しくなっちゃって、おおはしゃぎしちゃいましたよ。それで、踊ってるのがどうかしたんすか?」

「実はのぉ……」

 声のトーンを落として、町内会長さんが続ける。

「昨日まで太鼓を叩いとったもんが、腰を悪くしてのぉ。医者に太鼓叩きはやめて三日ほど安静にしてろと言われたんじゃ」

「ありゃりゃ、そりゃあお気の毒に」

「それでのう、代わりに叩けるもんも今ちと仕事で手が離せないんだと。そこで相談なんじゃが、元気いっぱいのお前さんに太鼓叩きをやってもらえんか?」

「ええ!? オレが祭りの太鼓叩きを!? ぜんぜんやり方なんてわかんないっすよ!」

 秀男さんが大げさにぶんぶんと手を左右に振ると、町内会長さんが言った。

「太鼓叩きは、昨日まで叩いてたやつが指導する。座りながらひとに教えることなら出来ると言っとるんじゃ。だから、あとは叩き手さえ見つかればのう」

「だけど、午後にはお囃子は始まるでしょ。時間もないじゃないっすか!」

「なぁになに、あんなもんは単純な作業じゃ。今から教われば午後までに間に合う」

 町内会長さんがそう言うと、秀男さんがうーむと唸った。

「秀男さん、悩んでいるんならせっかくだからやってみたらいいじゃないですか」

 私が言うと、秀男さんが頬を少し赤らめて言った。

「だってよぉ、出舞台の上で皆の前で太鼓を叩くなんて、緊張するじゃねぇか」

 秀男さんの照れた顔に、思わず吹き出してしまう。

 普段豪快に振る舞っている秀男さんの口から緊張なんて言葉が出るのが可笑しかった。

「秀男さん、そんな恥ずかしがることないですよ。っていうか昨日充分目立ってましたから。今さらですよ」

「そうじゃそうじゃ、お嬢さんええこと言うなぁ」

 町内会長さんがひとしきり笑ったあと、秀男さんに真剣な顔を向けた。

「なぁ、秀男さん、町内会長として頼む。祭りの町の危機を救ってくれ!」

「うう、む。町内会長さんにそこまで言われちゃなぁ……そうだ!」

 秀男さんがポンと手を叩くと、私の方を向いた。

「響子! お前も一緒に太鼓叩きをしようぜ! オレひとりならメチャクチャ恥ずかしいが、ふたりならちょっと恥ずかしいくらいに緩和されるかもしれねぇ!」

「なんですかその理論は! 緩和されるワケないでしょう。それに私が太鼓なんて……」

「おお、秀男さんええ考えじゃ、女の子の太鼓叩きも華があってええのう。お嬢さん、お嬢さんもいっしょに太鼓叩きせんか?」

 えええ!? 町内会長さんもそこでのってくるのぉ!?

「あ、でも太鼓叩きは三日間なんですよね? 私アルバイトがある日もあるので……」

 なんとか言い逃れようとすると、廊下の向こうから声がした。

「都子さんには連絡すればいいじゃないか。お前も太鼓叩いて来いよ」

 そこには意地悪そうに笑った蓮人くんがいた。

 くそぉ、完全に面白がっているなアレは……!

「そうだよ! 響子、頼む! いっしょに太鼓叩きをやってくれ!」

「お嬢さん、どうかこの老人の頼みを聞いてくれんかのぉ」

「ほらほら響子、人生の大先輩たちがここまで頼んでいるんだぞ?」

 秀男さんに手をあわされ町内会長さんに頭を下げられ、蓮人くんにからかわれ――。

 これではもう、完全に逃げ道がないじゃないか。

「わ、わかりました! アルバイト先の許可が出たらの話ですが、太鼓、叩きます!」

「さすが響子、話がわかるぜ!」

「ありがとうなぁ、お嬢さん。響子さんというのか。感謝じゃあ」

「くくっ、まぁ、頑張れよ」

 私はさっそく部屋に戻ると、都子さんに連絡をした。

「……というワケで、三日間太鼓叩きを頼まれちゃったんですけど、二日目がアルバイトと重なってて……」

「ほぉー、秀男さんと響子ちゃんが祭りの太鼓を叩くんか。ええよええよ、バイトは気にせんと、頑張って太鼓をたたき。見に行けないのが残念だわぁ。動画撮っといてな」

「ありがとうございます……がんばります」

 太鼓叩き逃れの最後の口実は、あっさりと瓦解した。

 時間が惜しいということで、私と秀男さんは蓮人くんに見送られ、町内会長さんの案内のもと中央公園のすぐそばにある大きめの小屋に連れていかれた。祭りの道具は午前中、ここにしまわれているのだという。


 お祭りに使われている太鼓は、小屋の真ん中にあった。毎日使うものだから動かしやすい場所に置いてあるのか、今回の練習用かは判別がつかない。太鼓のすぐそばで、椅子に腰かけている温和そうなおじさんがいた。

「おお、このひとたちがワシの代わりに太鼓をやってくれるひとたちか。若い子もいるねぇ、こりゃあ出舞台が彩られていいねぇ!」

 嬉しそうに私たちを出迎えると、さぁさぁ、と手で太鼓のそばに私たちを呼んだ。

「歓迎どうも、おっさん! でもよぉ、オレたちは素人だから、あんまり期待しすぎないでくれよな」

 さすがの秀男さんも初めての太鼓に少々及び腰のようだ。私も自信のない弱弱しい笑みを浮かべて頷いた。けれど、おじさんはまったく気にした様子はない。

「いやいや、うちの祭りの太鼓なんて簡単だから。ほとんどが『トトン、トトン』のリズムで進行してるの。たまに、トン、トン、トンってなったりバチで太鼓のフチを叩いたりするから、そのへん教えていこうか」

「じゃあ、あとは若い人たちに任せますよ。今日のお祭りは楽しみにしてるからねー」

 そういって町内会長さんが去っていく。

 残された私たちは、おじさんに促されるままにそれぞれ太鼓の前に立って、バチを握らされた。

「それじゃあまずは音頭をカセットテープで流そうか。そこにトトン、トトンのリズムで太鼓を打ってみておくれ。違ったら言うから。拍子がズレる部分で、テープをいったん止めて指導していくからさ」

「ああもう、こうなったらやってやる! やるぞ、響子!」

「は、はい! 太鼓のバチってこんなに太くて硬かったんですね」

 初めて手にするバチはがっしりとしていて想像以上に重い。これを祭りの間中叩き続けられるだろうか。

 じゃあいくよ、というおじさんの言葉とともにカセットテープから聞きなれた音頭が流れる。私はうろ覚えの記憶で太鼓を叩いていく。

 トトン、トトン。

 音は出るが、貧弱で小さな音だ。これじゃあ音頭の音色に消されてしまう。

「ふたりとも、太鼓を叩く時はもっと腰を入れて。大きくバチを振りかぶって勢いよくね」

 さっそく指導が入る。私はバチをぎゅうっと握り込んで、再び流れ出した音頭に合わせ太鼓を叩いていった。出来るだけ中心目掛けて叩いたほうが良い音が響くことも発見した。

「そうそう、よくなってきた。女の子のほうも結構力あるね、その感じで行こう」

 まずは太鼓の叩き方を教わっていく。

 最初のレッスンを終えると、おじさんが再びテープを流し始める。

「じゃあ、ここから拍子が変わるところの練習をしていこう。音頭をよく聞いていれば、ここで変わるんだなっていうのはわかると思うから。まずは叩きながらしっかり聞いてね」

 トトン、トトン。太鼓を叩きながらも音頭に耳を傾ける。これがなかなか難しい。

「ここ! ここでリズムが一回変わるんだ。ここでトン、トン、トンのあとに太鼓のフチをカカン、カカン。それだけだよ」

 擬音ばっかりの指導だけど、言いたいことはなんとなく伝わってくる。

 私と秀男さんは何度も拍子が変わるところの練習をさせられた。

「ふへぇ、いっつも何気なく聞いてる太鼓の叩き方がこんなに難しいたぁなぁ」

「リズムが変わる場所はわかるんですが、なかなかすぐに反応出来ませんね」

「なぁに、慣れだよ慣れ。繰り返していけばすぐわかる。音頭は何種類かあるけど、やり方は基本的に一緒だから。どんどん行こう」

 私たちのレッスンは午後のお祭り開始のギリギリまで続いた。

 ようやく私たちの太鼓叩きも様になって来た気がするけれど……。

 さすがに疲れを覚えた、だけどこのあとに本番が控えているのだ。お祭りの町の運営も、簡単じゃあないんだな……と実感させられる。

「ようし、完璧とは言えないけど、いい感じになってきたね。もう時間だし、お昼ご飯を食べたらさっそく出舞台で太鼓の方を頼むよ。お昼はおごるからさ」

 練習に夢中で気が付かなかったけれど、いつの間にかお弁当が手配されていた。

 私と秀男さんは練習の疲れと空腹も相まって、お弁当を早々に平らげる。

 そして腰をあげるのもつらそうな指導役のおじさんとともに中央公園へ向かう。いよいよ本番だ。緊張する私とどこか開き直ったような秀男さんに、太鼓を叩く人が着る法被が手渡された。

 出舞台の下で法被に袖を通して、舞台にあがる。

 そんなに高い舞台じゃないのに、少しでも高いところから見る中央公園の景色はまるで違うもののように見えた。

「お祭りは正午から夜まで続くからね。ふたりで話し合って片方ずつ休憩も取っていいから、無理しないでね。あとは練習通りにやるだけ。ファイト!」

 腰に手を当てておじさんがそう言い残して、出舞台から降りていく。

「なんだかあっという間に本番ですけど、頑張りましょうね秀男さん」

「おう! こうなったら腹をくくってオレらのリズムで祭りを盛り上げてやろうぜ!」

 秀男さんはやる気満々な様子だ。私も今更気負っても仕方ない、腹をくくって出舞台に設置された太鼓に向かい合う。

 すぐに公園に音頭が流れ始めた。よしっ! と気合いを入れてバチを思い切り握る。

 トトン、トトン。トン、トン、トン。でフチを数回叩いて……練習通りに太鼓を叩いていく。音頭は止まることなく流れていく。

 私は流れる汗を拭って全力で太鼓に向かった。

 こんなに精一杯何かに向かっていくのはいつぶりだろう。そんなことを頭の片隅で考えながら、太鼓に向かう。

 見下ろせばすでに何人かのひとたちが流れる音頭にあわせて踊っていた。

 彼らの踊りの邪魔にならないようにしなくちゃ――。

 必死の思いで時も忘れて太鼓を叩く。もう腕がズキズキと痛み出していた。

 曲の途切れ目で、秀男さんが私のほうを向いて言った。

「ここらへんで順番に休憩取ろうぜ! このまんまふたりで続けてても体力がもたねぇ」

 あのいつも元気な秀男さんも疲れているんだ。そう思うと私もどっと疲労を感じ始めた。

 私が先に休憩に、ということで何曲かは秀男さんに太鼓を任せることにして出舞台を降りる。

 すると、そこに蓮人くんと灯里さんがやってきた。

「蓮人くん、灯里さん! 来てくれたんですね」

「響子さん、太鼓上手ね。急に叩くことになったって詩人さんから聞いたけど、ぜんぜん違和感なかったよ」

「まぁ、思ったよりかたちになってるじゃん」

 ふたりが私にかき氷をおごってくれた。暑い中で夢中で太鼓を叩いていた私の身体に、甘くて冷たい氷が染み込んでいくようであった。

「蓮人くんはどうせネトゲがーって言って叩かないと思うけど、灯里さんは太鼓やってみませんか? 短い時間のレッスンで結構出来るものですよ。緊張しますけど」

 そういうと、灯里さんは力なく笑った。

「やってみたいけど……私ね、生まれつき心臓が弱いの。だからあんなハードなことは無理だな」

「えっ、心臓が?」

「うん、それで色々悲観しちゃって……ずっと入院してたんだ。それで、そんな日々もいやになってある日入院してた病院を抜け出したのね。そうしたらこの町にやってきたの」

「そうだったんですか……」

 灯里さん、確かに不健康そうな細い身体だけど、そんな理由が――。

 蓮人くんはただの趣味だろうが、灯里さんにはネットゲームばかりやるワケがあったのだ。

「すいません、知らなかったとはいえ無神経なこと言っちゃって!」

「いいのよ、それに太鼓を叩いている響子さんを見ているの、とっても楽しいよ」

「それなら、一生懸命叩きます! 無理のない範囲で見ててくださいね!」

「あとネトゲのイベントに差しさわりのない範囲でな」

 蓮人くんがボソッとそんなことを付け足す。

 かき氷というパワーも補充したし、灯里さんの事情を聞いて頑張ろうと思った私は再び出舞台に戻る。そして秀男さんと交代して太鼓に向かった。

 ここからはひとりで太鼓を叩くのだ、という緊張と灯里さんの分も思い切り叩こうという気合いで、私は太鼓叩きに熱中していった。

 そうして秀男さんと休憩を交えながら、夜の音頭が終わるまで太鼓を叩ききった。

 リズムも自然と身体が覚えていき、どんどん一心不乱に叩けるようになった。これなら、明日とあさっても頑張れそうだ。

 とはいえ疲労困憊。

 夜の太鼓叩きを終えた私たちのそばに、町内会長さんがやってきた。

「いやぁ、ふたりとも堂々とした叩きぶりだったねぇ。秀男さんを勧誘した私の目に狂いはなかった。響子ちゃんもよくやってくれたね。これ、少ないけど三日分の御手当を先に渡しておくよ。明日とあさってもよろしくね!」

 そう言って私たちに茶封筒を手渡す。

 家に帰って中身を見てみると、なんと一万円札が二枚も入っていた。

 これは思わぬ臨時収入! 頭の中に嬉しいアドレナリンが出て、ほんの一瞬私は太鼓叩きの疲れを忘れたのであった。

 とはいえ、午前から動きっぱなしだった私の身体はやっぱりヘトヘト。

 お風呂を出て髪を乾かすと、私はすぐに横になった。

 疲れのせいか、眠気がすぐにやってくる。そこで私はふと気づいた。

 この裏御神楽町に来てからしばらくして、私は寝る前にあのおまじないをしなくても眠れるようになったのだ。

 私は強い子、元気な子。

 いつもいつも繰り返し念じながら眠っていたのに。

 今はただ静かに眠りの中に入っていける自分がいた。私の中で、なにかが変わり始めているのだろうか。もしも……本当に強い子、元気な子になれていたのならこんなに嬉しいことはないけど――。

 その日も、私はおまじないを唱えることなく深い眠りの中に落ちていった。


 私と秀男さんはお祭り二日目の太鼓もなんとかこなし、太鼓叩きも残すところあと一日となった。

 私が早めに中央公園で支度をしようと訪れると、ベンチに灯里さんの姿があった。

「灯里さん!」

「響子さん、こんにちは。今日で太鼓のお仕事も最終日だそうね」

「はい、なんとか無事終えることが出来そうです!」

 せっかくふたりになれたので、私は初日に聞いた灯里さんの心臓のことを聞いてみることにした。

「灯里さん、この間、心臓が弱くて入院していたって言ってましたけど、今はだいじょうぶなんですか?」

 私の問いかけに、灯里さんはにこりと微笑んだ。

「ええ、裏御神楽町の先生にいろいろお薬を出してもらって。毎日何種類も薬を飲まなきゃいけないけど、なんとか自宅で過ごせるようになったの」

「そうなんですね。それならよかった。病院から抜け出したって聞いて、気になってたので」

 私が安堵の笑みを浮かべると、灯里さんがほほをかいた。

「あの時は忙しいかなって思って中途半端にお話しちゃったかな。心配かけてごめんなさいね。私は秀男さんのように元気には出来ないけれど、日常生活には支障はないわ」

「秀男さんは元気すぎるだけです。とにかく、灯里さんがだいじょうぶで良かった」

 時間が来たので、私は灯里さんに別れを告げて出舞台に昇った。

 ここから公園を見晴らすのも今日が最後だ。お昼に見る公園は、いろいろな屋台が開店準備をしていてせわしない風景だった。だけど、これから宴が始まるんだ! って感じでワクワクする光景でもある。

「よっしゃあ! 最終日、びしっとしめるか響子!」

 秀男さんも出舞台にやってきてそういった。法被姿もすっかり馴染んでいる。

「はい! やりましょう秀男さん!」

 私が元気よく頷くと、やがて音頭が流れだす。私たちの思わぬアルバイトの最終日は、何事もなく太鼓叩きを進めていった。

 夜には太鼓を叩くのにもすっかり慣れて、私は太鼓の拍子を取りながら眼下のお祭りの景色を眺めた。

 出舞台から吊るされて下へと伸びていく、色とりどりの提灯が流れ星の連鎖のようだ。

 公園のお祭りに集まる人々が思い思いに屋台をめぐり、出舞台のまわりで踊り、笑顔を弾けさせている。

 その笑顔を、様々な色の提灯が幻想的に彩っていく。

(この景色、お父さんやお母さんにも見せたいな)

 自然とそんな気持ちになってくる。お父さんがこの景色を見たら、お酒を飲む手を止めて見惚れることであろう。夢のような光景が繰り広げられ、私はそこでリズムを奏でている。

 そんな美しい空間でのお仕事も、終わりを迎えようとしていた。

「いやー! おつかれさま。秀男さんに響子ちゃん、よくやってくれたね。本当に助かったよ!」

「いやいや、これならオレがいつ腰を痛めても安心だなぁ、頼もしい」

 町内会長さんと腰を痛めていた太鼓叩きのおじさんが、出舞台の下で役目を終えた私たちを出迎えた。

「いやぁ、やってみるとこれがなかなか楽しいものですよ! またいつでも! なぁ響子」

「急なお誘いではありましたが、貴重な体験ができました。こちらこそ、どうもありがとうございました!」

 私は深々とお辞儀をする。その頭を秀男さんが撫でた。

「やぁ、響子も最後の方は完璧だったでしょ!? 褒めてあげてください!」

「そんな、秀男さん、褒めるだなんて……」

「いや、本当にふたりとも良かったよ。どうもありがとう」

 私と秀男さんは順番におじさんと握手して、仕事を終えた。おじさんの腰もすっかり良さような様子だった。

 ふと、私は公園の隅っこにまた輪投げ屋さんを見つけた。あの屋台だけは、毎日あるわけではなく、出店していたり出ていなかったりする。

 せっかくの機会だ。私はまた輪投げに挑戦することにした。

 相変わらず帽子を目深に被ったおじさんがのんびりと店番をしている。

「すいません、輪投げ一回よろしくお願いします!」

「はいはい、いいよ。一回ね。はい、五十円たしかに」

「今日こそは真ん中の棒に……えい!」

 真ん中の棒を目指して投げた私の輪は、惜しくも隣の棒へと引っ掛かってしまった。

「惜しかったね、はい。残念賞のキャンディーだ」

「今度こそがんばりますね……ありがとうございます」

 懐かしい味のするキャンディーをほおばって、私は公園を見渡した。

 まだ営業している屋台に集まるひと、踊りを終えて帰っていくひと、私のように公園の景色を眺めているひとと様々だ。

「急なことでびっくりしたけど、三日間、良い体験が出来たな」

 なんだか今までよりこの町――裏御神楽町のことが知れたようで嬉しい。

 八月も中盤になる。私はいったいいつまでこの素敵な町にいられるだろう。

 出来ることならばずっと居たいという気持ちもある。逆に、家族をこのままにしていてはいけないのではないか、という気持ちも生まれてきた。それは秀男さんや蓮人くんだったり、都子さんや灯里さんだったり、ひととのつながりで芽生えた思いである。

「どうすることが正解なのかな――」

 私は、新しい家族のような存在が出来たからこそ、元の家族のことへ思いを馳せることもあるのだと知った。

 ちょっとだけセンチメンタルな気持ちで秀男さんとともに彩花荘に帰る。

 蓮人くんがめずらしく玄関まで出迎えてくれた。

「ご苦労さん、夕飯は?」

「ああ、屋台で済ませてきたぜ! なぁ響子!」

 私たちはお互いの休憩時間のうちに夕飯を済ませていたのだが……もしかして蓮人くんは夕飯を待っていてくれたのだろうか。

「うん、ごめん。夕飯は食べて来ちゃった」

「ああ、そう。まぁそんなこともあると思ってたよ。お前が謝るな」

 そう言って蓮人くんは台所に消えた。

「へへっ、蓮人のやつ可愛いとこもあるじゃねえか、悪いことしたな」

「そうですね。蓮人くんに申し訳ないです」

 お互いに苦笑いを浮かべた私たちがそれぞれの部屋に戻ったとき、メッセージアプリにメッセージが入った。蓮人くんからだ。写真が添付されている。

「あ、これ……いつの間に……」

 そこには、出舞台で一生懸命太鼓を叩く私たちの姿があった。

 蓮人くん、わざわざ私たちの写真を撮りに来てくれてたんだ……。

 暖かい気持ちになる。そして、大切な夏の思い出の写真がもうひとつ増えた。

 アルバムを開けば浴衣を着て皆で撮った写真のよこに、私たちの太鼓の写真。

「私、今すっごく幸せじゃん……」

 かみしめるように呟くと、胸の中が熱くなった。

 彩花荘は、最下層なんかじゃない。私の、最上級の居場所だ。

『お母さん、元気に過ごしてる? 私は一緒に住んでいるひとや町のひとたちと楽しい毎日を送ってるよ。すっごく充実した夏休み。楽しんでいるから、心配しないでね』

 お母さんにメッセージを送りシャワーで汗を流したあと、私は口元をほころばせながら二枚の写真をながめて夜を過ごしたのであった。


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