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彩花荘の人々

 ガラッとドアが開くと、そこには顎先まである長い髪の、涼しげな眼の美青年が立っていた。年のころは私より少し上くらい、だろうか。その奥には、おばさんたちが話していたようなボサボサ髪で無精ひげを生やしたおじさんもいた。

「アンタ、だれ?」

 青年が無表情に言った。心の色はよく磨かれた石のようにキレイなグレーだが、全体にもやのようなものがかかっている。心を許していない証拠だ。

「あ、私、三島響子と申します。表の入居者募集の張り紙を見て……」

「おいおい、こんな女の子がうちに入居希望かよ! こりゃおじさん焦るぜ」

 後ろのおじさんが威勢のよい声をあげた。心の色は青空のような澄み渡った青。ただ、中心に悲しみを秘めているような深い紺色が見て取れた。

「とりあえず、蚊が入ってくるからあがってドア閉めて」

 青年が無愛想に言う。

「そ、そうですね! おじゃまします」

 私は敷居をまたぐと石造りの玄関にあがり、ドアを閉めた。玄関は結構広く、三人の人間が集まっても窮屈に感じることはない。

「それで、アンタ本気でここに入居希望なワケ? ここが周りでどう呼ばれてるか知ってる?」

 面倒臭そうな顔をした青年が聞いてくる。

「それは……ちょうど入り口の前におばさんが三人いて話しかけられたのでなんとなく……でも私、ここに入居させて欲しくて、というかほかに泊まる場所もなくて」

「確かにこの町はビジネスホテルとかそういうのねぇもんな! 彩花荘でも仕方ないってワケだ。がっはは!」

 可笑しそうに笑うおじさんとは対照的に、青年は冷ややかだ。

「ふうん……まぁアンタ、三島響子さんだっけ。響子をここの入居者にするかどうか決めるのはオレたちじゃなくて大家さんだから。オレから言えることは何もないけど」

「でもよぉ、もう大家さんも夕飯の支度とかしてんだろ。今日これから来れるかねぇ」

「そこをなんとか! 泊まる場所がなくって、ホントに困ってるんです!」

 おじさんはうーむとうなり、青年はスマートフォンを取り出した。

「オレ、ネトゲの途中なんだけどな。まあいいや、大家さんに聞いてみるよ。とりあえずそこに座って待ってて」

 ネトゲ? インターネットゲームか。それでおばさんたちは暗い男の子と呼んでいたのだろうか。私が玄関と廊下の段差に腰掛けると、青年が大家さんに電話したらしく、微かにコール音が聞こえた。

「あ、もしもし? どうも、木下です。あの、入居希望者っていう女の子がやってきてですね。はい、ほかに泊まる場所がないからどうしてもって……はい、はぁ……わかりました。そうしておきます」

 スマートフォンをしまった青年を、おじさんがせっついた。

「おう、蓮人。大家さんはなんだって?」

 青年はふぅ、とため息をついて答える。

「秀男さん、急かさないでくださいよ。一応オーケーみたいです」

 そう言って青年……蓮人くん? が私に向き直ると言った。

「とりあえず、今日は泊まっていくといいってさ。明日昼前に詳しい話を聞きに来るから、それまでは居て良いって。大家さんが良いひとで良かったな」

 蓮人と呼ばれた青年が無関心そうに頭をかいた。よく見ると長い髪は前髪はたらしているが、後ろの方は結んでいた。

「泊まっていいんですか! 良かったぁ!」

「おー、良かったな! っていうかお前、家出じゃないよな?」

 ギクリ。

 おじさんの言葉に私の心臓が跳ね上がった。

 私は明日になれば二十歳だが、今はまだ未成年……家出と言われると否定しきれない。

「えーっと、あの、ワケありでその……」

 しどろもどろになっていると、おじさんはまあいいか、と言って笑った。

「この町に来たってことはそりゃあワケありに決まってるよな! まぁ細かいことは明日聞くってことでいいか!」

「は、はぁ……」

(この町に来たってことは、ワケありに決まってる? どういう意味だろう?)

「とりあえず、今日は一緒に過ごすってことは決定だな! んじゃあ自己紹介しないとな。オレは吾妻秀男あづまひでお!まぁ毎日気ままに暮らしてるオッサンだ、よろしく!」

 そう言っておじさんが大きな声で笑った。

 蓮人と呼ばれた青年はため息をつくと、私に向き直った。

「今後どうなるのかわかんないし、今自己紹介が必要なのか正直わかんないんだけど……まぁ、秀男さんが名乗ったし便乗ってことで。オレは木下蓮人きのしたれんと。普段は部屋でネトゲしてるから邪魔しないでね、よろしく」

「改めまして、三島響子みしまきょうこです! よろしくお願いいたします!」

 私がお辞儀すると蓮人くんが面倒くさそうに頷いて、よろしくと短く言うと踵を返して奥の部屋へ向かっていく。

「秀男さん、オレ、ネトゲの続きしたいんであとの説明お願いします」

「しゃーねーなぁ。ほんとお前はけったいなゲームばっかやりやがって。まあいいか。ほれ、とりあえずあがれよ響子さんとやら」

「は、はい!」

 蓮人くんが奥の部屋に去っていく中、秀男さんが私を家の中へと誘った。

 うーん、と一度うなると、秀男さんが数度頷いた。

「とりあえず一日でもここに住むんなら、家の間取りがわかんねぇと話にならないよな。そこんとこからいこう!」

「よろしくお願いします」

 玄関からあがってすぐの場所に洗面所が見えた。洗面所は共用なのか。

 板張りの廊下をあがると目の前にはすりガラスの木戸、左には廊下が続いている。

 秀男さんがその木戸を引いた。こぢんまりとした台所と、ちょっと離れたところに四人掛けのテーブルが見える。

「ここが台所と飯を食う場所だ。朝と夜は出来るだけ揃って食う。深い意味はねぇが、まぁ一遍に食べた方が手間が省けるからな」

「はぁ、なるほど……台所も共用なんですね」

「というか、ここはもともと大家さんが住んでいた一軒家だ。台所も風呂もトイレも共用だ。あ、風呂は一番に入らせてやるから、心配すんなよ! あっはは!」

 秀男さんが快活に笑う。……が。

(ええええええっ、洗面所と台所はともかく、お風呂とトイレも共用なのー!?)

 そうか、この家は大家さんが以前使っていたとのことだが、アパートにするにあたり何も改築がされていないんだ。つまり、普通のおうちのままなのだ……。

 うううっ、さすがに見ず知らずの男性ふたりとお風呂とトイレの共用は抵抗が……。

「とりあえずこっちの説明は終わり。廊下のほうは進んで行って向かって左側がさっきの男、蓮人の部屋だ。右側には大家さんの娘さんが使ってた空き部屋があるから、今日はお前はそこを使ってくれ。階段を昇って二階の部屋はオレが使ってる」

 内心動揺しまくっている私をよそに、秀男さんが説明を続ける。

 ええと、あそこが蓮人くんの部屋、あっちが空き部屋で私が使う……二階には秀男さんが居て……そして、そしてお風呂とトイレは共用……ううっ。

 悩める私に気付くことなく、秀男さんの説明は続いていく。

「廊下の突き当り、左側のドアがトイレだ。ここな」

 そういって二つ並んだドアの左側を開ける。洋式の便器が置かれた空間は、意外にも清潔感があった。

「蓮人のやつがきれい好きだから、結構マメに掃除しなきゃなんだよ。そうそう、掃除とかは当番制な。もしお前がずっとここに住むならお前も当番制に組み込むからよろしく!」

 清潔なトイレにちょっとだけ安心。秀男さんが右側のドアを開いた。そこは脱衣所になっているようで、小さな姿見も見えた。横にはガラスの引き戸。お風呂も綺麗に清掃が行き届いている。

 お風呂の形式は古かったが、おばあちゃんの家と同じタイプっぽい。なんとか自分ひとりで使えそうだ。

「これが風呂な。湯沸かし器が結構古いタイプのやつだけど、使い方わかるか?」

「はい。おばあちゃんの家がこの形だったので、多分だいじょうぶです!」

「そいつは良かった! それじゃあこれで説明終わり、夕飯は七時だ。何か質問は?」

 結構サクサクと説明されていったけれど、特に難しいことはなかった。さっきも感じたとおり、ようは普通の古い一軒家なのである。独特な決まりもなさそうだ。

「だいじょうぶです。夕飯はその、ご一緒して良いのでしょうか?」

「当ったり前だろ! 夜七時になったらさっきの台所のテーブルんとこ来い!」

 人懐っこい笑みを浮かべる秀男さんに安心感と優しさを感じて、私は頷いた。

「わかりました。ありがとうございます」

「おう、それまではさっき言った空き部屋で自由にしてていいから。布団もあったはずだけど、なんかわからないことがあったらオレか蓮人に聞け。じゃあ、今日はよろしくな!」

 そう言って秀男さんは空き部屋の前まで私を案内して、手を振って二階にあがっていった。言葉遣いはぶっきらぼうなところもあるけど、とても優しいひとだ。

 なにより、秀男さんも蓮人くんもキレイな心の色をしていたことが私を安心させた。

「ここが、私の部屋……」

 部屋の広さは六畳。私の家では自分の部屋は四畳半だったので、広く感じた。

 ものはほとんどなく、押し入れと思しき場所を開くと布団一式が折りたたまれていた。

「知らない町までやってきて、色々あったけど……とりあえず、今日の寝床は確保かぁ」

 ボストンバッグを降ろし、枕を出して横になる。

 ふぅ、とため息をついて見知らぬ天井をじっと見上げる。電灯から長いヒモが吊るされていた。これを引っ張ると上の蛍光灯がつくのか。これもおばあちゃんの家の電気とおんなじ雰囲気だ。

「眠っちゃっててわからないけど、終点って言ってたし……遠いとこまで来たんだな」

 慌ただしかった心に少しずつ平穏が戻ると、遠くに祭りのお囃子の音が聞こえてくる。

 気が抜けたことでどっと疲れを覚えた私は、身体を横たえたままその音色を聴いていた。

「これからどうなるんだろう。大家さんに許可がもらえたら、ここで夏休みは暮らすのかな。良いひとたちみたいだったし、それも悪くないのかな……。でもなんだろ、心の中に穴が開いちゃったみたいに空っぽなこの感じ……」

 旅の疲れか、あるいはお父さんの暴力へのショックか、今までの旅路から急に訪れた静寂への寂寥感か。

「お父さん……なんであんなことしたの? 私も急に出ていっちゃって、軽率だったかなぁ。でも、あんなことされたら……あんなこと……」

 心が悲鳴をあげている。

 殴られた瞬間を思い出して、頭の中が苦しくなる。

 このままじゃ、いけない。

(私は強い子、元気な子。私は強い子、元気な子……)

 心の中でいつものおまじないを唱える。そうして自分を持ちなおそうと深呼吸をした。

 

 夕飯の時間になったので台所のテーブルに行くと、すでにふたりは席についていた。

「お待たせしました!」

「いやいや、時間通りだろ。なんも気にするなよ!」

「まぁ、夕飯の内容を見てせいぜい気落ちしないようにな」

 秀男さんが笑い、蓮人くんは冷笑した。

「そんな! 夕飯をごちそうになるのに気落ちなんて……なん、て……」

 私はテーブルを見て言葉に詰まってしまった。

 そこに置かれていたのは箸と、お茶碗と、ナスときゅうりとしその浅漬け。

 それに申し訳程度のミニトマトだけ。

 これが……ここの夕飯?

 困惑しながら私は空いていた椅子に座る。

「まぁまぁ、うちは貧乏だからな! でも米はたくさんあるぞ! 大盛りでいいか!?」

「あ、いえ……その、そんなに食欲がないので、少な目で」

「遠慮すんなって! まぁ女の子はそんな食わないか! がっはっは!」

 大笑いする秀男さんをしり目に、動揺している私を見て蓮人くんが小さく噴き出した。

 いつも冷たくクールな表情だったが、蓮人くんも笑うと意外と可愛らしい顔になる。

 鋭い目つきも和らいで、整った鼻筋が微かに動く様は男性アイドルのようだ。

 秀男さんがお米をよそった茶碗を渡してくれて、準備は整ったみたい。

 ここからメインディッシュが出てくるとか……ないよね。

「じゃー、今日も夕飯と行きますか! いただきます!」

「いただきまーす」

「い、いただきます……」

 ふたりが食卓で手を合わせたので、私も手を合わせ復唱する。

 本当にオカズはこれだけのようだ。なるほど、彩花荘にして最下層。

 食事の内容を見ればこれは相当最下層なのかもしれない。

「うまい! うまい!」

 浅漬けをオカズに、秀男さんがすごい勢いでご飯を平らげていく。

 なんだか私も段々ヤケになってくる。私は強い子、元気な子。私だって……!

「美味しい! 美味しい!」

 秀男さんに負けじと、勢いをつけて浅漬けでごはんの山をほおばっていく。

 というか、勢いでもつけないとこのオカズだけでご飯を済ませられそうになかった。

「二倍うるさくなっただけか……」

 蓮人くんが小さくため息をついて、静かに食事を進めていく。

「うまい! うまい!」

「美味しい! 美味しい!」

 私たちの、会話にもならない叫びだけが続く食卓は賑やかかつ虚しく過ぎていくのであった。ここに住むことになったら、自腹でもいいから何かオカズを買い足そう。心の中でひそかにそう決心して――。


 食事の片付けは当番制で蓮人くんだから、という理由で私は食事の内容はともかく上げ膳据え膳で食事を済ませて自室に戻る。

 お母さんに連絡しないと――と思いスマートフォンを取り出し、メッセージアプリを起動させた。

『お母さん、実家のほうでうまくいってる? 私は今夜寝るとこも決まったし、もしかしたら夏休みの間滞在するところも見つかりそうだから。変なとこじゃないから、心配しないでね』

「ほんとは、結構変なとこだけど……」

 そう呟きながら送信ボタンを押した。ほどなく、お母さんより返信が来た。

『響子、泊まるところが見つかったなら良かった。私は実家でのんびりよ、だいじょうぶ。でも夏休みの間滞在するなんて、お金は平気? それに住むところの治安とか……。あんまり危ない場所には近寄っちゃダメよ。あと、出来るだけマメにお母さんに連絡すること。お父さんのこともあるから今は響子の好きにさせてるけれど、心配はさせないでね』

 マイペースなお母さんらしい返事だ。

 私はきちんと連絡するから、という事と明日大家さんと交渉することを話し、メッセージアプリを終えた。

「響子ー! 風呂わいたぞー! お前が最初に入れー!」

 部屋の向こうから秀男さんの元気の良い声が聞こえた。

 タオルは一応一枚持ってきているので、だいじょうぶ。ドライヤーはさっき見た感じではかなり古いから、長い髪を乾かすのにてこずるかもだけど……。

「ここに住むようになったら買い足す物、メモしとかないとな」

 スマートフォンのメモ機能を使い、とりあえず『オカズ タオル』と記し浴室に向かう。

 順番を待っているひとがいるんだから、早くしないとという気持ちもあった。

 湯船は、迷ったけれど浸かるのはやめてシャワーのみ。

 シャンプー類は意外に揃っている。そういえば蓮人くんは綺麗な髪をしていたな、と思いつつ、メンズとレディースの違いはあるだろうなぁと思うけど拝借することに。

 買い足すものが増えてきた予感。

 まぁ、まずは何よりも明日大家さんの許可を無事に得てからだ。

 お風呂から出て髪をかわかし洋服を着たあと、お風呂が空いたことを蓮人くんに言えば良いのか秀男さんに言えば良いのかわからなかった。なので、私はふたりの部屋の中間で「お風呂あがりましたー!」と声をあげた。

「おーう!」

「はいよー」

 上からも横からも返事が返ってきて、思わず私は笑ってしまった。

 食卓のオカズ問題は根強いけれど……ここでなら、私は楽しく暮らしていけるのではないだろうか。ふたりの揃った返事を聞きながら、私はそんな予感がした。

 部屋に戻ると、まだ時間は早かったけど、私は布団を敷いて横になった。

 今日一日色々なことがあって疲れも溜まっていたし、特にすることもなかったし。

 まだ見慣れぬ天井をぼぅっと見上げて、今日あったことを思い出す。

(お父さん、どうして……)

 どうしても、そのことに気持ちがいってしまう。おまじないもなかなか通用しない。

 だけど、私は今こうして新天地にやってきたんだ。

 泣きそうな目に力を入れて、口元をきゅっとむすんで。

(私は強い子! 元気な子!)

 へこたれてたまるか。

 折れそうな心をなんとか支えて、部屋の暑さに耐えながら布団の上でじっと天井を睨む。

 何かボクに恨みでもあるんですか? と言いたげに天井の景色が歪む。

 それが眠気だという事に気付いた時、私は眠りの淵へと落ちて行ったのであった。

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