始祖との出会い
「やぁこんにちは、ティアちゃん。」
滲む視界のまま声のした方を見ると、見知らぬ女性がしゃがんで僕の顔を覗き込んでいた。
誰だろう、と考えた矢先に頰を指で触ってきた。
「ふふ、私はアルバ。
あまりにも可哀想だから君の望みを叶えに来たよ。」
アルバ......僕の望み……?
「エミールに会いたいんだろう?」
僕は大人しく頷いた。
アルバの言っていることは事実だからだ。
でも、ここから出ることも叶わないのにどうやって合わせるというのだろう。
「そこは、お楽しみだね。
まぁ、でもまずは、彼に会いにいく前に、今日だけの魔法をかけてあげよう。」
魔法...。
言われて見てみれば、その格好は噂に聞いた魔女そのもの。
黒のローブと黒の外套、真っ黒な帽子に竹箒。
大きな蜘蛛を肩に乗せ、不敵に笑うその顔。
お婆さんでないことを除けば、アルバの姿は魔女にしか見えない。
「時空よ、我が故郷よ、私と繋がれ。」
そう言った瞬間、アルバと名乗った女の人の体が薄く緑色に光った。
「人種喰の獅子神、カルネヴァルライオ・リーオライズの名において、鬣より現れいでよ、仮初の肉。」
何処からともなく現れた金色に輝く毛が、光り輝いたかと思うとぷよぷよとした白い塊になった。
「四肢を作り上げ、彼の者の一助となれ『獅子の祭典』」
白い塊が筋肉質な白い毛に覆われた腕と足に変わる。
「ーーー彫刻の王、励起、接続。
バルフェローの銘において、未だ命なきモノの形を、そのものの身に沿うように作り変えよ。
『在るべき物よあるべき姿に』」
そして、その筋肉質の腕と脚ががアルバの言葉とともに真っ白な腕と脚に変わる。
まるで、魔法のように。
「さて、これを左右間違えない様に付けないとね。」
そう言いながら、アルバが僕を抱いて床に腰を下ろした。
背中越しに伝わってくる人肌の温度。
「ぁ。」
ポロポロと目の端から涙が溢れてくる。
悲しくなんて無いはずなのに、痛みも感じていない筈なのに。
ママが生きていた時を思い出して、僕は泣いた。
ふわりと優しく、頭の上に温かい塊が乗って来てそのままゆっくり僕の頭を撫でてくれる。
「君は泣き虫だねぇ。」
そう言いながらアルバは僕が泣き止むまで待ってくれた。
「さて、落ち着いたみたいだし、ちょっと気持ち悪いけど我慢してね。」
うん、と言って僕は首を縦に振る。
こっちが右で、こっちが左と言いながらアルバは腕の形をした肉を見比べて、意を決したのか無くなった腕の先にそれをくっつけた。
ーーーーーッッ!?
くっついて来た瞬間に、肉が僕の腕をこじ開けて骨に絡みついて来た。
それにも関わらず、痛みは無い。
ただただ、残っている肩の骨に生温い肉の塊がくすぐる様な、弄る様な感覚が僕を支配する。
控えめに言って怖気が奔る。
身をよじれればいくらか楽なのだろうけど、もとより腕も足もない身ではよじることすらできない。
痛みがあった方がいくらかマシだったかもしれない。
「はい、左ね。」
「あっ、まっーー」
その言葉と共に左腕も同じ感覚が支配した。
一瞬息が詰まる。
背筋のゾワゾワが2倍になる。
異物が本来開かない場所を開いて、触れられるはずのない場所を触れてきている。
にも関わらず痛みがない。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
ふと、右側に違和感を感じた。
変わらない気持ち悪さが左側だけに集中して、右側は、骨のあるところからプチプチプチと何かが弾けてくっついていく様な感覚。
内側からゆっくりと、外側に向かってその感覚が広がっていく。
骨から筋肉を通って、皮膚をなぞる。
皮膚の外まで突き抜けて、気持ち悪い感覚も、弾けてくっつく感覚もなくなった。
相変わらず左側は気持ち悪いままだけど、と思った矢先に左側も右と同じような感覚に変わる。
その感覚が終わって、目を開ける。
「さ、動かしてみよっか。」
そう言いながらアルバが後ろから手を僕の目線の高さに伸ばしてくれた。
目先には無くなったはずの腕。
白く透明感のある、腕がそこにある。
肩から先を上げると腕がついてくる。
風を切る、指先の感覚。
曲がる肘の感触。
アルバの手に触れる指先の感覚。
違和感なく、感触がある僕の腕。
「どうだい?」
熱いものが、胸の奥から込み上げる。
それはやっぱり、涙になって、僕の目から、零れ落ちた。
「嬉しいよね、まぁでもあと二つ分我慢してね。」
そう言いながらアルバが足を2本持ち上げ、2本同時に皮の張った切断面にくっつけられた。
残っている太腿の中に生暖かい肉の塊が無理矢理押し込まれ、先ほどと同じ様に残っている骨の部分を弄られ、今度は、そのままその感触が這い上り、背骨にまで侵食する。
痛みがないのは変わらない。
本来触れられるはずのない場所を触れられる気持ちの悪さ。
人の一生をかけても本来感じることなんてできない感触。
痛みのない、感触だけが余計にその気持ち悪さを引き立てている気がする。
僕の骨を品定めするように。
中は見えなくても肉の塊が僕の骨を舐め上げていく感覚。
そして、その感覚は唐突に終わって、するすると切断面の方へと降りていくとさっきと一緒の何かが弾けてくっつく感覚へと変わった。
骨から、筋肉を通って、真皮へと抜けていく。
「さぁ、足も動かしてみよっか。」
無くなったはずの太腿から上が、動く。
膝を曲げる感触、足首、脚の指を動かす感覚。
お皿の様な真っ白な腕と脚。
しっかりと馴染んでいる、昔から私の一部だったかの様に。
足を曲げて、手をついて、立ち上がる。
二度と、自分の足で立ち上がることなんて出来ないと思っていた。
二度と、自分の腕でモノを掴むことなんて出来ないと思っていた。
目の前が、また霞む。
「うん、嬉しいよね。
でも、これは今日だけの魔法だから、ずっとじゃないんだよ。
ごめんね、ティアちゃん。」
それでも良い。
本当は一生来ないはずの奇跡が起こったのだから。
出口も入口もないこの場に現れて、手や脚を生み出すことの出来る、この人は魔女じゃなくて神様?
「残念、私は魔女だよ。
神様、なんて傲慢で愚かな存在になんてなりたくも無い。」
そう言いながらアルバが笑った。
私も釣られて笑う。
「さて、後23時間と54分しかないからね、次は君の愛しい人に会いに行こうか。」
そう言いながら立ち上がる
「時空よ、我が故郷よ、私と繋がれ。」
「ーーー自己魔力隠蔽、閉塞、偽装、魔界十八貴族に接続。
ザフリッツ・クルティナス・オーラガ、そしてアルディアルーナ・セグラニシアよ、汝が信奉者に力を与えよ。
世を粉砕する、概念すらも叩き壊すその暴虐を我に貸し与えたまえ。
世を喰らい尽くす、概念すらも喰らい尽くすその暴食を我に貸し与えたまえ。
この場にありし、時と空間の拘束を食い破り粉砕せよ!『フィリアルドメセト』!」
窓の外に何かが現れた。
外の黒さよりもなお黒い真っ黒な巨大な球体と、血管の浮いた巨大な黒い槍としか言えない何か。
それが、外に浮かんで、こちらに向かい飛んでくる。
でも、何かにぶつかったかの様に、音もなく消えていった。
「......割とガチなやつじゃん、仕方ない、本気出すかぁ。」
そう言って、アルバが肩をぐるぐると回した。
何か意味はあるのだろうか?
「時空よ、魔界に繋がれ。
ーーー自己魔力、自己意識、完全隠蔽。
魔界六王に接続、情報変化開始。」
先ほどまでと違う、黒と赤の光がアルバの体を覆っていく。
禍々しいとしか形容できないその光景。
心なしか目つきも悪くなっている気がする。
「5、4、3、2、1、書き換え完了。
魔界側魔力の確保容器用意……完了、時刻設定、14秒。
空間軸固定魔法起動、声帯変更、意識入力ーー。」
カクンッとアルバの頭がしな垂れた。
その状況から2秒、唐突に頭が前を向く。
赤色だった瞳が燃えるような青色に変わっていた。
「我、ザフリッツ・クルティナス・オーラガの名において。
我が目の前にある物よ!我が眼前から消え失せろ!
『世界破壊』!」
アルバの喉奥から搾り出された、聞き覚えのない宙を震わすような低い男の声。
世界が、ひび割れた、気がした。
とても綺麗な澄んだ音があたりに響く。
カシャーンというかパキーンというか。
天を覆うくらいの巨大なガラスが一斉に割れてしまったかのような。
そんな音が鳴り響いた。
気付けばアルバは頭をしな垂れて、ゆっくりもう一度顔を上げると瞳の色は元の赤に戻っていた。
「おし、いったっぽいかな?
とは言ったものの、もって12分くらいか。
急ぐしかないね。」
アルバの持っていた箒が輪を描く様にねじ曲がる。
「四大賢者に接続。
時間、空間を見つけ出せし大賢者、フェルティナ・リース・リーライトの名において。
此の者の思い描く存在、此の者の思い浮かべる状況、此の者の想いを叶える為、今一度、空間の扉を開く。
北に障壁があればその障壁を、東に山があればその山を、南に海があればその海を、西に障害があればその障害を、悉く打ち砕き、通り抜け、無視し、討ち破る。
全ての状況をものともせず、この触媒を通し、此の場と彼の場を一足の距離に縮めたまえ。
さあ、開け扉よ!『貴方の元へ』!」
その言葉が終わった瞬間。
円形に曲がった箒の向こう側に見覚えの、ある、顔が、映っ、た。
だめ、何も、考えられな。
気付けば、頬に濡れる感覚。
生臭いいつもの息の香り。
エミールが、曲がった箒の向こうから顔を出して此方をみている。
エミールの頬に、指で触れる。
頬を擦り寄せるエミール。
箒の向こうに手を出して、首筋の毛を撫でる。
頭を上にあげて、嬉しそうにエミールが嘶いた。
「ほら、外にでて最後の友好を深めておいで。」
そう言いながら、僕の脇の下に手を入れて、アルバは僕を箒の外に追い出した。
アルバも這い出てくると、指を弾いて穴を消した。
「…アルバ。」
「なんだい?」
「ありがとう。」
「……お礼を言われることなんてしてないよ、コレは私の贖罪のようなものだからね。」
ショクザイ…何か悪い事をしたという事だった気がする。
「それに、23時間経つ頃には君は先の部屋に戻ることになるし、エミールとも離れ離れになる。
永遠に一緒にいることは出来ないんだ。」
「それでも、エミールに会えた、エミールに最後の別れを言えるチャンスをもらえた。
だから、ありがとう。」
一瞬アルバが酷く悲しそうな顔をした。
気のせいだったのかもしれない、もう一度見た時には笑顔に戻っていたから。
その後、エミールとアルバにつけてもらった手と足で目一杯遊んだ。
きちんと背中に乗って、エミールの好きそうな果物をエミールの背中に乗って取ってあげて、アルバが用意してくれていたよく分からないスープとパンらしき何かを食べて。
川でエミールを洗ってあげて。
そのまま、エミールと語りながら、泣きながら。
エミールにお別れの言葉を言って、最後の日の様に眠った。
目を覚ますと、腕と脚は消えていて、前の部屋に戻っていた。
目の前には、アルバが座って此方をみていた。
「おはようティアちゃん。
私もそろそろ時間が来たみたいでね、ここから去らなきゃいけないみたいだ。」
アルバはそう切り出した。
でも、なんで、どうしてとは聞かない。
アルバ自身が奇跡を起こしてくれたから。
だから、僕はアルバに伝えた。
「ありがとう。」
その言葉を聞いたアルバはまた、悲しそうな顔をした。
ショクザイと言っていた何かと関係があるのかもしれない。
「……私は去るけど、せめてコレをあげようかな。」
そう言いながら箒を持ち上げて、また丸く曲げる。
そしてその中に手を突っ込んで、水晶玉を取り出した。
「この世の知恵と智慧を込めた、水晶玉だよ。
君が知りたいと思った内容を調べることができる。
例えば、ティアちゃん自身の力でここから一時的にでも出る方法とか、ね。」
え? 出る方法が「あるの!?」
アルバはこっちを向いて頷いた。
「今回は私の魔法と魔術と魔界の力、そして、星の配列もあって無理やり繋げられた。
君の考える奇跡のようなものだ。
乱発は当然できないし、私がいないとできない。」
そう言いながら、アルバが目を瞑って頭を振る。
「でも、『外に出たい』と思いながらその水晶玉を見れば、どういう条件下で、どのようにティアちゃんの力を使えば外に出れるのかを教えてくれる。
それはきっと、非常に厳しい条件の中で、非常に厳しい状況をクリアして初めて極めて短時間だけ出られる程度の、そういった難度の物だと思う。」
優しい笑顔で、アルバが笑いかけてくる。
「本当は君を助け出せれば良かったんだけどね。」
そう言って、やっぱり悲しそうな顔をする。
ショクザイのせいなのか、なんなのかわからないけれど。
きっと、それで苦しんでいる。
だから、改めて、僕がどれだけ感謝しているか伝えることにした。
「アルバ、僕は本当に感謝してるんだ。」
アルバにして貰ったことに、僕は報いることはできない。
「僕だけだったら、エミールにもう一度会うことはできなかった。」
アルバにして貰ったことに、僕は言葉を重ねることしかできない。
「僕だけだったら、ここから出ることすらできなかった。」
僕の力だけでは、できない事を叶えてもらえた。
「そんな僕の望みを叶えてくれて、そんな僕にお土産までくれた。」
僕が貰ったものは、僕が生きる意味を持つために必要なものなのだろう。
「僕にはコレしか言える言葉がなくてごめんなさい。」
お金も、物も、腕と足すらも無い、僕ができる精一杯、僕ができるせめてものこと。
「ーーーーありがとう。」
唯一動かせることの出来るこの口で感謝の言葉を伝えることしかできない。
「有難う、ティアちゃん。」
僕の言葉を聞いて、アルバは薄らと笑ってそう言った。
「もし次、君と会うことがあるのならーー」
その言葉と共に頭からスゥッとアルバは消えていった。