少女の過去
※注意書き※
前作読んでれば大丈夫だと思いますが、ちょっとエグいのでご注意くださいね。
ーーー400年程前の晩秋。
その日、僕は父親に言われて、食事を買いに出かけた。
別に優しい父親じゃなかった、むしろ酷いに含まれるんだろうね、今考えると。
5歳の頃に母が亡くなって、荒れていたのもあると思う。
酒を飲み、無くなれば僕に買いに行かせる。
それ以外の家事雑用、大きくなって...と言っても9歳ごろからだけど自分自身は仕事を辞めて、僕に仕事をいかせる様になった。
でも、それが普通の家庭だと思っていたんだ。
そんな生活が続いて、確か13歳になるかならないかの頃。
わずかばかりの貨幣を握りしめて、パンとスープ用の野菜を購入する為に歩いている時にそれは僕に向かって突撃してきた。
何があったのかはわからない、興奮した様子の馬の下顎が、意識を失う前に僕が最後に見たモノだった。
目が覚めた時、僕は汚い檻の中に閉じ込められていた。
何故か動かしているつもりの両手両足が動かないことに違和感を感じながらも、何が起こっているのか全くわからないまま、周りを見回していると、奇妙な出立ちの肥えた男が笑いながらやってきた。
今で言うなら白塗りをしていないピエロとでも言えばいいんだろうね。
その男が檻の中にオートミールの入った器を入れてきた。
僕は何が起こったのか確認したくて、男に声をかけた。
此処はどこか、僕がどうして此処にいるのか、お前は誰なのか。
矢継ぎ早にかけられた質問に、男は嫌悪感を催す様な歪んだ笑顔で、諭す様に、甘い声で僕に伝えた。
此処は見世物小屋『モンスターハウス』、お前は親に売られて此処にいる、俺は此処の座長のクリストファーだ、と。
情報が僕の頭の中で錯綜した、クリストファーを名乗る男から聞いた言葉を符合させていくなら父が僕を見世物小屋に売ったとしか聞き取れなかったからだ。
信じられなかった、僕を売るだなんて。
仮にも自分の遺伝子が宿った存在を、自分の子供を。
ベソをかきながら泣いてる僕を見てクリストファーは今度は怒鳴りつけた。
お前の父親には吹っかけられたから、その金額の100倍は稼いで貰う、当然食費は稼いだ金額から差っ引く、今日の分も差っ引く、明日から働いてもらう、お前の体じゃ雑用すらできないんだからな。
ってね。
そこで初めて気付いたんだ。
腕と脚が無くなっていることに。
僕は嗚咽混じりに泣いた。
それから地獄の様な数年間が始まった。
母に似て目鼻立ちが整っていた両手両脚がない僕を、クリストファーは『没落したトゥールの落胤』と言い売り出した。
日々やってくる男、女、老爺、老婆。
下卑た目で見る男、吐き捨てる様な表情で見てくる女、何故か崇める老爺、憐んでくる老婆。
でもまだこの時はマシだった。
柵が設けられていて、遠くから見られるだけだったからね。
毎日の食事と切断された両手両足の布の取り替えとなれない奇異の視線、偶にクリストファーに奥から棒で突かれてひっくり返される程度だったから。
傷口が瘡蓋とかで埋まって、皮膚が張ったのが大体1年経った頃だった。
その頃に柵が取っ払われて、客からのおさわりが解禁された。
客に棒を渡し、好きな方に転がされる様になった。
一日に数回、皮膚の張った切断面を見せる作業が増えた。
クリストファーが私の体を起こし、布に隠れた私の手と足を露出させる。
それを見る数多の眼、眼、眼。
足の断面の時は男達は足ではなく、私の股間に目を向けていたね、吐き気を催す程気持ち悪かった。
よく晩に細々と泣いていたよ。
そんなに女陰を見たいのであればそういう店に行けばいいのにね。
気が狂ってもおかしくない中、僕が正気を保っていられたのは、言葉の話せない友達が一人...一頭増えたからだった。
彼はエミールと呼ばれる老馬だった。
僕が売られてから2年ほど経ったある日、僕の横に連れてこられた彼はグラニと同じスレイプニルの息子という触れ込みだった。
脚が6本あるその老馬はいななきながら、落ち着かない様に大きな檻の中をクルクルと回っていた。
それを見て人々は僕と同じ様にエミールにも奇異の視線を投げかけていた。
その日の晩、僕が寝ようとした時に顔に生暖かい息がかかって目が覚めた。
檻が近く、首を伸ばせる作りになっていたその檻から首を伸ばしてエミールが僕の顔を見つめていた。
顔に頬をすり寄せると、エミールも僕の頰に顔を擦り寄せた。
それから、僕とエミールは友達になった。
言葉は当然通じなかったけど、二人でいたから辛くも苦しくもなかった。
それから2年経った頃、エミールは別の場所に連れてかれた。
その日の晩はエミールに頬擦りしながら寝たのを覚えてる。
朝起きると既にエミールは消えていた。
また、地獄が始まると思ったその日の昼、客が見ながら行われる僕の食卓に珍しく肉が出た。
その日の客は何れも一度は足を運んでいた客ぶれだったと思う。
でも大半が男だった。
クリストファーも含めて全員が此方をにこやかに笑って見ていた。
猛烈に嫌な予感がした。
毒が入ってるのか、それとももっと何かまずいものが入っているのか。
分からなかったけど嫌な予感だけはしたから、兎に角、拒否したんだ。
クリストファーは、無言で杖で殴ってきた。
食べると言うまで、何度も何度も何度も何度も。
出来ればその考えを曲げたくなかったが、よく考えれば死ねば解き放たれる。
僕は内出血だらけの背中の痛みを我慢しながら、その肉を食べた。
死ねれば良いと思いながらね。
次の瞬間に来る劇症を覚悟していたにも関わらず、犬の様に皿に置かれた肉を食べた僕の舌は美味しさを感じていた。
絶妙な加減の塩と胡椒のかかった、薄く刺しの入ったレア肉。
少し硬さと臭さがあったけど、今まで口に含んだ事のある、豚とも鶏とも違うどこかあっさりとした味だった。
食べ終えた頃に、舞台袖から布のかかった塊を乗せた台車が転がってきた。
そして、クリストファーはその布を捲った。
そこに載っていたのは見覚えのある顔だった。
舌をだらりと出したエミールの頭。
首から下がない頭だった。
僕は慟哭した。
怒りで目の前が真っ白になった。
下唇から血の味がした。
そして、自分の無力を呪った。
せめて腕があれば、地面を叩いて激情を吐き出せるだろうに。
せめて足があれば、その後どうなろうが、蹴ってこの感情をぶつけられるだろうに、ってね。
僕のその目をさぞ楽しそうに見ながら、クリストファーは半神と半身の肉が混ざった事を大声で宣言しながら、良くわからない口上を垂れ流していた。
怨みと怒りでキチンと何を言ってたかなんて覚えていないんだ。
でも、最後の一言は憶えている。
神の子の肉を味わえるのは今だけです!
お待たせしました、それではどうぞ!
その言葉と共に僕の体に男達が群がった。
その時に、この後起こる悍ましい状況を想像して、怒りや怨みとは全く違う途轍もなく暗い感情が僕を支配した。
瞬間頭の中に色々な映像が飛び込んできた。
針がメチャクチャに回る時計、砂時計、その時は存在すら知らなかった水時計、地平線に浮き沈みする太陽、人間が幼児から老人になるまでの過程とその早戻し。
強烈に頭の中に刻み込まれていくその情報達は、まだ若かった僕の頭の中で時間に関係のあるものだと分かった。
ボーン、ボーンと、大きな時計が鳴る音と、カチリと言う長針と短針が重なる音が頭の中に響いてその濁流のような映像は止まった。
そして、その後流れ込んで来たのは見たことも無い争乱の記憶。
人と良くわからない力ーーー、今でこそ異能と分かるこの力を使う者との争乱の歴史、そして魔女僕が魔女だと思っていた存在の映像が、男達の指が僕を掴んで、腰に、脇に、胸に、足の付け根に指が触れてくる数秒の間に僕の脳味噌の中に雪崩れ込んできた。
その歴史の再生が終わる頃には、僕は自身が魔女になっている事を理解していた。
大量の情報を叩き込まれたからか分からないけど、鼻血が出ていたのだけは何となく憶えてるかな。
混乱している僕の目の前に脂ぎった舌舐めずりする顔が見えて、僕の顔に唇を近づけて来た。
その気持ち悪さに怖気を背筋に奔らせながら、僕は敵意を持って脂ぎった男を睨みつけたんだ。
次の瞬間、僕の顔の上に真っ白になった髪の毛が落ちてきて、男が僕の上に乗っかったままぐらりと倒れた。
よく見ればその男は加齢によって一瞬で皺くちゃの老人になっていった。
一瞬、狂乱から醒めて静まり返ったその場。
次の瞬間、良く分からないままに僕に襲いかかる人達と、この場から逃げようとする人達に別れた。
嬌声と怒声と鳴声が当たりを包んで居た。
混乱している僕の上に覆い重なってきた二人目が首を絞めてきた。
その男は頭の上半分を蹄で切り飛ばされた。
横を見ると殺されたはずのエミールがいなないていた。
興奮した様子のエミールは僕を助けた後、クリストファーに襲いかかった。
クリストファーは何かを喚き散らしながら杖を振るっていたけど、あっという間に腹部を踏み抜かれて、地面にくっついた状態で、頭を踏み抜かれて死んだ。
そこで一旦僕の記憶は途切れて、気付いたらエミールの背に揺られて夕焼けの見知らぬ、道を運ばれていた。
そこから暫くはエミールと二人で過ごしていた。
森やら川で、果物食べたり、エミールが魚を取ってくれたりね。
私に何が必要かわかっているかのように、彼は動いてくれた。
そんな日々が過ぎて10ヶ月くらい経ったある日。
僕がいつもの様にエミールと一緒に眠って、朝起きたら此処にいた。
エミールは居なかった。
最初は何が起きたか分からなくて、エミールを探し回った。
そして、窓から外を見て、青い球体と良く見ていた月が巨大になっているのが目の中に入って、初めて此処が夜の暗い空なのだと知覚した。
その後はずっとエミールがどうなったのかを心配し続けた。
きっと彼は僕を探している。
でも、彼が万里を駆けたところで出会うことは絶対に無い。
そう思った時、僕の頭の中はエミールに会いたいで埋まった。
だから、無理矢理、僕はエミールに会いに行こうとした。
最初はこの空間の時を捻じ曲げようとした。
それが叶わないことが分かって、自分の周りの空間を捻じ曲げる事にした。
でも、それも叶わなかった。
頭を悩ませに悩ませて、自分自身の時間を戻してみた。
でも結局元の時空間に戻ることは出来なかった。
そう、どうする事も出来なかったんだ。
暫くは、自身の無力感に苛まれた。
叫んだり、ただ泣いたり、床に頭をぶつけたり、唇を思いっきり噛んで、噛み切ってみたり。
何日も何日もそれを繰り返していた。
...ふふ、どうしたの? そんな辛そうな顔をして。
...うん、............ありがとう、シス君。
君は本当に優しいんだね。
もう終わった話なんだから気にしなくていいのに。
え?胸を貸してくれるのかい?
見た目と口調はこんなんだけど400歳以上のお婆ちゃんだよ、僕は。
でも、そうだね、折角だしこの話が終わったらちょっと借りようかな。
え?うん、まだもう少しだけ続くよ。
この後一人目の訪問者が来たんだ。
僕自身が呼んでいない本当の訪問者がね。