扉の先に
初めましての方は初めまして。
そうでもない方ごきげんよう。
冬草です。
連続圧縮殺人事件の次のお話、Water hazardの前に箸休め的に用意しました。
まだ読んでない方は連続圧縮殺人事件をお先にどうぞ。
俺がこの扉を開け続け始めてからどれくらいの時が経ったのだろうか。
丸2日は経ったのではないだろうか。
多分3000枚は開けた計算だ。
扉を開けても開けても続く無限に思える部屋。
家具どころか窓すら無い。
あるのはただ、前後にある部屋の扉だけだ。
だが部屋の様相はーーと言っても壁紙だけだが変わっていっている。
それだけが、今の心の支えだ。
扉を開けながら考える。
ここに来る前、俺はシガレットとネルと共に外出していた。
飯と本の買い出しだ、貴重な休みに召使いでも無いのに呼びつけられて、送迎して食料品店に行き、買い物をして...本屋に行く直前に俺は意識を失い気がついたらこの部屋にいた。
今でこそこんな風に思い返しながら、扉を開ける仕事に従事しているが、最初は思い出したくも無い無様な醜態を晒していた。
シガレットが見ればあの獣のような歯を見せ、バカにしたように笑うであろうことは明白だ。
ただ、醜態を晒すのも無理はないと思いたい。
目を覚ませば窓すらない、裸電球が吊り下がった四方5メートル程の部屋。
目の前には開くかどうかも分からない扉。
空いたところで何が起こるか分からない。
そもそも、どこか分からず、攫われた覚えもない。
一緒にいた2人なら俺が連れ去られそうになったら止める。
多分...恐らく...自信は無くなってきたな。
どうやらそこまではまだ、信用できないらしい。
...仮に2日経ってるとして、2人はどうしてるだろうか。
目の前で消えた俺のことをどう思っているのだろう。
...案外笑って済ませているかもしれない。
恐らく懐いてくれているであろうネルのことは心配だ、何かやらかしていたりはしていないだろうか。
ーーいや、シガレットに「マジックじゃよ?驚いたじゃろ?じゃぁ帰るとしようか、ネル。」とでも言われて、そのまま「うん!」なんて言ってる様が脳裏に浮かばなくもない。
イヤイヤ、ダメだ。
こう言う考えが心を腐らせていく。
多分誰かに連絡くらいは入れてくれているだろう。
そもそも、アイツらがこの件に噛んでいたら?というのも考えたが、少なくとも1000枚以上の扉を開けた時点でその考えは消えた。
そして、枚数を数えるのもやめた。
その時点で一辺5メートルとして、ザッと5キロ。
連結しているだけの部屋なんて聞いたこともなければ、そんなことが出来る場所も考えられない。
昔見た映画に6箇所に扉がついている、罠が仕掛けられた立方体の部屋が密集している場所から抜け出す映画があったが、アレはビルの様に縦にも重なっていた。
だが、少なくとも俺は前にしか進めていない。
右手につけた腕時計はクォーツにも関わらず止まっている。
電池は1年ほど前に交換したばかりだからまず間違いなく、電池切れの線はない。
そして一番不思議な事はーーーいや、同着か?
空腹と渇きを感じない。
2日と言わずとも動き続けて8時間も経てば喉も渇けば腹も減るはずだ。
夢とも考えたが、残念ながら歩く事によって起きる足の痛みと睡眠欲は健在だ。
頬をつねりもしたし、硬い床で寝もした。
それでも目が覚めないから扉をおっかなびっくり開け始めたのだから。
と、すれば。
何かに巻き込まれてしまった、と言うのが正解なのだろう。
この世の物とは思えぬこの状況から鑑みるにーー恐らくは『魔女』の陰謀に。
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更に1000枚ほど開けた地点。
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何故開けているのかなどという問答等を自身でしながら凡そ3時間ほど経っただろうか。
開始地点から三回ほど眠った所為で今どれくらい時間が経過したかは分からないが。
足がいい加減疲れてきたので、一旦休むことにする。
タバコの箱を開けて、悲しくなった。
前に見た時に4本だったのだから当然だが、箱の中には僅か3本ほどのタバコしか残っていない。
この耳が痛くなるような静寂に包まれた空間で、たった一つの楽しみすら消えようとしている。
待て…そういえばライターがある。
と言うことは火をつけられるーー……。
ーーー正常な判断を、俺は、今、欠こうとしていた。
此処が仮に地上であったとしても、地下であったとしても、そしてこの建造物が木材だったとしても。
まず最初に死ぬのは俺だ。
出口があれば話は別なのかもしれないが、その出口を探すために俺は今彷徨っているのだから。
…まっすぐ進むだけを『彷徨う』などと言っていいのかは分からないが。
腹もすかない、喉も渇かない、小用も大も出ないし、寝れば体力は回復するし、足の痛みも取れる。
あまり触ったことはないがーーフレッチャーの家で見せてもらったテレビゲームのようだ。
いや、ゲームの中に足の痛みはないだろうが。
扉を開けさせ続けることで此処を作ったやつにどのような利得があるのかは一切わからないが、それがお望みなら、開け続けてやればいい。
心がいつ折れるかを楽しみにしているのならーー俺の心を折るにはこの程度の絶望では生ぬるい。
仇、そして魔女から託された願い。
この二つを終わらせるまで、俺の心が折れることはないだろう。
ーーー多分。
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全部で8000枚程開けた地点。
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ーー自分の叫び声と同時に目が覚めた。
この前から見る様になった悪夢。
俺の事を責める、最期の姿のままの子供達と先生達。
どうして生きてる、何故生きてる、忘れてる。
そう言いながら責め立てる声。
最後には各々が各々の方法で俺を殺しにやってくる。
刺殺、轢殺、焼殺、殴殺、絞殺、斬殺、射殺、焚殺、毒殺、撲殺、縊殺、格殺、喰殺、噛殺、捻殺、礫殺、圧殺ーーそして、絶望の中俺は自ら首を括って自殺する。
普段は汗ぐっしょりで目を覚ます所だが、幸か不幸か、この空間では冷や汗も寝汗も掻かないらしい。
そういえば、寝た回数で考えれば既に4日ほど経っているはずだが、シャワーも浴びてないのに体臭は気にならない。
生理現象が起きていない...のか...?
良く考えればトイレにも行っていない。
髭も...伸びてはいない。
ある意味便利ではあるが、そんな事を出来る魔女となると何の魔女になるのだろうか。
シガレットがいればいとも簡単に答えを教えてくれた気がするが。
いや、そろそろ想像とか妄想のネタも尽きて来た所だ。
この先に待ち構えているのであれば、何の魔女なのか出会い頭に伝えて驚かせるのも面白い。
予想が外れていなければ、だが。
体をゆっくりと起こして立ち上がり伸びをして...今日も扉を開けていく作業が始まる。
そもそも魔女なのか?と言う疑問も頭を掠める。
だが、例えば何かの番組だとしても、ただの一警官の俺をこんな訳のわからないところに閉じ込めても面白くないだろう。
寝て、叫んで起きる所は面白いのかもしれないが。
ーーーまぁ、さっき考えてた通り生理現象が起きない理由にはならない。
「と、なると、まぁ間違いなく魔女の仕業じゃて。」
そんな声が聞こえた気がして、辺りを見渡す。
ーーー居るわけがないシガレットの声。
クラリスを追いかけた時に警察署内で聞いた台詞だ。
...どうやら随分精神的にまいってしまっているらしい。
4日、誰とも会わずに、誰とも話さず、扉を開け続けているだけなのを考えると、精神が崩壊してもおかしくないかも知れない。
唯一変化を起こせた、頼みの綱のタバコも随分前に切れて久しい。
どこまで開けても同じ大きさ、同じ裸電球の何もない壁紙の柄が違う部屋。
何度か同じものも見た気がするが順番に規則性はなかった気がする。
今日10枚目の扉を開ける。
どこかで見覚えのある壁紙。
...まぁ、考えても仕方ない。
大切なのは前に進んでいる事だ、何度も頭を掠めはしていたがループは恐らくしていない。
そして、俺を殺す罠がある訳でもない。
仮定として俺を捕らえたのが魔女だとして。
何故、俺を捕らえた?
弱らせるつもりでもない、殺すつもりもない、精神を潰す目的かと思ったが、それなら最初から出口の無い箱の中に閉じ込めて、電気を消して仕舞えばいい。
扉を開ける反復作業を与えながらいつ壊れるのか確認している...?
そうなると、どこからか見てる筈だ。
だが、魔女の力は一人一種類。
シガレットが嘘をついていなければ、だが。
考え方を変えよう。
そもそも、一辺5メートルだと思っていたのが5cmだとしたら?
縮小の魔女なんてのはいるかも知れない。
そう考えれば、今仮に6000枚程度扉を開けたとしても30m程だ。
もし、縮小の魔女が居たとして、俺を縮めていたら、俺を監視する方法はあるはずが無い。
そして生理現象を抑える謎の力。
これも何かしらの魔女の力だと考えると...そうなると最低でも3人は居るのか...?
仮に3人もの魔女が関わっているとして、俺を捉える理由とは何なのだろう。
ーーー魔女に関わりがある人間が珍しいとかか?
いや、関わっているという内容だけの話をするのであればシガレットのタバコの卸先、寄ったスーパー、本屋、そしてシガレットの煙草を買いに来ている人間…いくらでもいるはずだ。
それに、何かあるのなら直接聞くこともできる。
捉えてからでも、拷問をしながらでも。
となれば、やはり愉快犯の線が濃厚だろうか。
だが、そうなると矢張りシガレットが絡んでいると考えるのが自然な気がする。
もし、シガレットの思慮の範囲外なのならば。
願いの件もある、恐らく助けに来てくれるはずだ。
にも関わらず助けにすら来ないということは、一枚噛んでいると見るのがある意味当然ではないだろうか。
…だめだ、考えが纏まらない。
結局、とっ散らかってしまっている。
纏めてみても、結局、誰が、何の目的で、俺を選んで、此処に閉じ込めたのか。
全部想定ができない。
結局はこの目の前の扉を開け続けるしかないということだ。
果てがあるのなら、そいつはいるのだろう。
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更に一度眠り、4000枚。計12000枚程開けた地点
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今日で恐らく5日目になるのだろう。
9000回位は開けたのではないだろうか。
刃の魔女、オチカタが孫に話していた内容が頭を掠める。
サイノカワラとかいう川縁の話だ。
親より先に死んだ子供はそこに送られ石を積む。
そして積み上がる直前に『鬼』と呼ばれる怪物に石を崩される。
崩れた石をまた、積み上げる。
そんな東国の地獄の話らしい。
もしかして、俺はこっちの地獄に落ちて同じようなことをさせられているのではないだろうか。
俺は自分の本当の親を知らない。
気付けば孤児院に居た。
そして孤児院の皆は殺されて、自称叔母と自称叔父に引き取られた。
その親が生きていたのであれば理解出来ない話でもない。
俺は親より先に死んだ可能性は否定しきれない。
ギィ、バタン、ギィ、バタンと無機質に繰り返される音。
フィラメントを焼く裸電球の悲鳴。
それ以外に聞こえるものは何もない。
確かに、此処はどんな地獄よりも地獄なのかもしれない。
痛みもない、辛さもない。
やることはあっても、やらなくてもーーーー
ーー部屋の様相がーー変わった?
部屋の高さこそ変わらないものの、左に折れ曲がり、更にその先を右に曲がる設計の通路。
電灯も電球ではなく、蛍光灯に切り替わっている。
相変わらず窓は無いが。
…恐る恐る、足を一歩踏み出す。
先ほどと比べてどこか寒く感じるが、何も問題はないように感じる。
そのまま、開いたドアの向こう側を見るが、壁しかなかった。
一歩一歩、地面を確かめつつ歩く。
初心を思い出しながら。
もしかしたら、床に穴が開くかもしれない。
もしかしたら、上から天井が降ってくるかもしれな「いいから早くおいでよ、そこに罠なんてないから。」
突如、どこからか声が聞こえた。
聞き覚えのない声が。
「…誰だ!どうして俺を捕まえた!?」
「なんか喋ってるみたいだけど、聞こえない。
そこに罠がないのは保証するよ、曲がってすぐの扉を開けたら居るから。」
そういうと、ブツンッと音が切れた。
天井の隅をよく見ればスピーカーがある。
よく考えなくても答えは決まっている。
死ぬときは死ぬ、そもそも此処まで俺を殺さなかった奴がいきなり牙を向くとも思えない。
息を整えて、俺は角を曲がる。
目の前に、ごく普通のアパートのような扉があった。
恐る恐る、手をかけると自然と俺の喉が鳴った。
開けた先にいるのは、鬼か蛇かーー。