お父さまったら……どう言う、風の吹き回しなのかしら。
お義母さまはトレーシーと話があるからと、ご自身の私室へと向かわれてしまった。
置いてけぼりを食らわされた私と言えば、
「ご本を読んでよ。お姉さま」
可愛い弟に手を引かれて長椅子に誘われた。
うん。お守り番をやるしかないか。
ため息をつくと同時に、私はメイドから子供の読み物を受け取った。
外はしとしとと、雨が降り続けている。暖炉の側にある長椅子に座り、私は何気なく窓の奥を見ていた。
王宮に続く大通りから少し外れた場所に、我が家が建っているためかしら。正面の門扉越しの通りを行き交う人も馬車も、ほとんどいやしなかった。
忘れていたけど、野ばらの咲く季節ね。隣に座るルイスの要望に答えて、次々と新作の絵本を読み聞かせた。
――ザザーッザザーッ。
静寂を切り裂く雨脚に、みなが窓縁に視線を送る。メイドの一人が帳を下ろそうと、いそいそと動き回る。暖炉の火が弾け飛ぶ音に驚きつつも、ルイスと穏やかな一時を楽しんだ。
最後の本も読み終えた頃、扉を叩く音に私は面を上げる。
「アナベルお嬢さま」
昔と同じ呼び方とともに、執事のハンスが姿を見せる。
扉を背に立つ彼に向けて、
「どうかしましたの」
私は反射的に問いただした。
何だか、悪い予感しかしないけど。気のせいよね絶対。
「旦那さまがお戻りになりまして、書斎にお越し頂きたいとのことです」
ううっ。やっぱりそうなるのね。
「お姉さま」
不安気な眼差しで、ルイスが私を見上げる。
「続きはまたね」
ルイスをなだめると同時に、絵本をメイドに手渡す。一人立ち上がり、私は執事の背中を追いかけた。
灯りの点るシャンデリアの真下を抜けて、大階段をゆっくりと上って行く。父の書斎へ足を運ぶ日が来るなんて。
別の意味で、私の鼓動が跳ね上がる。ハンスって年の割に、背筋が真っすぐよね。
のんきなことを思いながら、後を追う私の視界に色褪せた肖像画が映り込んだ。
この人? 一体、誰かしら。
父の書斎へ続くこの廊下まで、私は足を踏み入れたことは一度もない。薄暗い壁にかけられた肖像画に、思わず見とれてしまう。
でも、この人。何となくロクサーヌお姉さまに似ているわ。そうすると、まさかあの人なの? 脳裏を過る答えを、私は何度も否定する。
気づいたら私とハンス、かなり離れているじゃない。前を行く相手に後れを取るまいと、私はその場から遠ざかった。
「旦那さま」
「ああ」
「失礼致します」
ギギギィーと音を立てて、ウィンクス侯爵家の紋章をあつらえた扉が開く。
執事の脇を通り抜けて、私は未踏の地へと踏み出した。
ちらりと、目にする本の数々。背表紙から察するに、この国の法律書がほとんどだわ。
さすが、『トリスタニアの法の番人』と称されるだけあるわね。
「アナベル。久しぶりだ」
暗く低い声が、私の心に沈む。
「はい」
私は間を置くことなく、淑女の礼でもって父に応えた。