おっと、秒速で里帰り……。
言い表せない不安を抱えたまま、あっという間に三日が過ぎた。殿下が王宮へ伺候されるにあたり、私はウィンクス侯爵家邸に移ることになったの。
『不慣れなここで過ごすよりも、実家の方が何かと都合もいいだろ』
この提案に驚いたけど、よくよく考えたらその方が理にかなっている。思い立ったが吉日と、私は準備に取りかかったわ。
「本当によろしいのですか」
後ろから続くトレーシーの耳打ちに、私は黙ってうなずく。察しの利く彼女は、それっきり何も言わず、メイド達への指示に徹してくれた。
私は殿下のお気遣いに甘える形で、トレーシーとともに馬車へと乗り込む。
やがて、馬車はのっそりと動き出した。
朝から降り出した雨に濡れた石畳の上を、私達を乗せた馬車が走り続けている。殿下のお屋敷を発った時より雨脚が強いせいもあって、馬車は何度も停まってばかりだ。
車窓の縁に腕を預けて、流れの緩い景色をただながめている。
「はっー」
暇を持て余すようなため息をつくたび、
「ごほっ」
向かい側から咳がこぼれた。
ええ。分かっていますわ。今の私の態度、はしたないくらい。
ああ、『都合のいい女』の扱いならば、一層のこと『白い結婚』をつらぬこうかしら。
ため息と咳払いが、幾度となく交差する。それでも馬車は歩みがのろいなりにも、目的地に到着した。
記憶と寸分違わない、ウィンクス侯爵家邸にね。
「お待ちしておりました。妃殿下」
髪の白さを増した執事が、私に首を垂れて挨拶する。みんな年を経たけど、昔なじみの面々が私達を出迎えてくれた。
後のことはトレーシーに任せるとして、懐かしい我が家に向かって歩き出す。
エントランスから大階段、絨毯の模様に至るまで、私の記憶と寸分たりとも違わない。
感慨にふけて周囲を見渡す私の耳に、
「お帰りなさい。お姉さま」
元気にあふれた声が届いた。
「ルイス? 大きくなったわね」
駆け寄る弟を抱き寄せて、クセのある黒髪を撫でてあげる。
近づく足音に前を向けば、
「よく、御戻りになりましたわね。アナベル」
育ての母が佇んでいた。
「お義母さま。お久しぶりにございますわ」
ありきたりな挨拶を交わして、私達は回廊を歩き出した。
今回の里帰りは一応、『弟へのお見舞い』を名分としている。私にまとわりつく、このやんちゃ坊主が寝つくなんて滅多にないけど。
そこは、方便ってことでいいわよね。
私の意図を理解して下さるのか、義母は何も言わずに受け入れてくれた。
「お父さまは王宮よね」
「ええ。でも、晩餐の前までには戻られる予定よ」
血のつながりなんて、本当にあるのかなと。こっちが疑いたくなるほど、親子の触れ合いがない。
そんな父への苦手意識が、ちくりと疼き出す。私は不安をふり払おうと、弟の肩を抱き寄せた。