バザーで感じた異変。
護衛の確保の都合で、バザーは週末に向かうことになった。
『織物市』の指定日と被るなら、それくらいがちょうどいいかな。会計以外にも、語学を筆頭に課題は山積みだから。
そして、待ちに待った当日は、朝から雲一つない空模様だった。小鳥のさえずりも、心地よく聞こえる。
「どうして、貴女が私の侍女なのよ」
王宮から南へ向かう道すがら、トレーシーがため息混じりにつぶやく。私はスーザンと並んで、彼女の後に続いた。
だって、金髪碧眼の美女を主に見立てて、黒髪の地味な私を侍女にした方が安全でいいじゃない。
「護衛の方々の負担を減らすと思えば、苦になりませんわよ」
不満気なトレーシーに対して、私は慰めの言葉をかけた。
「気をつけ下さいませ」
スーザンの声の後、辻馬車がもの凄い速度で走り去る。ぼやっとしていて、辻馬車にひかれたら大変だわ。
それと、浮浪児のスリに目をつけられたら厄介よね。この国は近隣諸国と比べたら、平民達の暮らし向きは恵まれている。
それでも、貧者が全くいない訳ではないから、気を抜いてはいけないわ。
幸いにも柄の悪い輩に遭遇することなく、私達は目当ての場所に辿り着いた。
「この色合いって、植物由来だと難しくなくて」
「鉱物由来の染料にございますかしら」
絵画や写本で使う顔料は、主に鉱物由来が多い。その一方で、糸のほとんどは植物由の染料のはず。
「最近、鉱物由来の染料を量産する工場が増えているとか」
異世界でも、産業革命的な事象が起きている。チートだけじゃない営みが、この世界にも存在するのね。
種々の織物や鮮やかな色合いの刺繍糸に、飾りボタンの類も少なくない。やっぱりと言うべきか、売り子の大半は老若問わず女性が多い。
「あら」
露店を占拠する商品の中に、目当てのサテンが全く見当たらない。リネンの反物や絹の古着はあるけど、これって偶然だろうか?
悩める私の鼻先を、香ばしい匂いがかすめる。小腹が空いているせいか、どうしてもそっちに目が向いてしまう。
「トレーシー」
彼女がふり返ると同時に、私のお腹が自己主張する。ええ。分かっていますわよ。
沈黙の攻防を遮るように、スーザンがトレーシーに耳打ちする。
「どうしたの」
私達を差し置いて、スーザンが走り出した。
露店と露店の途切れ目で、彼女が立ち止まる。
「こちらへ」
隙間の小径を指差して、彼女は私達を誘った。
狭い道を抜けた先には、木々の合間に四阿が点在している。すでに先客であふれているけど、どうにか一つだけ誰もいない場所があった。
「あそこへ参りましょう」
健脚自慢のスーザンのおかげもあり、私達は最後の砦を確保した。
「さすがに、相席はいけませんよね」
「おっしゃる通りです」
周囲を見渡せば、親子連れや恋人同士が食事を楽しんでいる。私もいつか殿下と二人きりで、ここで過ごすことが出来たらいいな。
「そう言えば、スーザンはどうしたの」
「あら。あの子ったら」
「お待たせ致しました」
大き目の皿を持つ彼女が、こちらへとやって来る。肘にかけたバケットを、トレーシーが受け止めた。
「これは、フロワサールの郷土料理にございます」
スーザン曰く、フロワサールの内情を収集するため、この料理を求めたとか。グッジョブよ。
ソバのガレットに濃厚ポタージュ、素朴だけど味つけは悪くないわ。
食事を堪能しつつ、スーザンの仕入れた情報に耳を傾ける。どうやら、特産のサテンの生成に必要な『山繭』が、手に入らないとのこと。
「これは、捨て置けないわよね」
「左様ですわ」
前世で聴いたラジオドラマの原作小説で、山繭の名前を知った口だけど。お蚕さまと似たようなものだった記憶がある。
フロワサールは山繭の人工飼育に成功したから、サテン織物の中心地として繁栄していたはず。
それが手に入らないなら、殿下のお耳にも入れるべきよね。
うん。フロワサールへの訪問だけど、私は決断を下した。