いざ行かん……サウスミンスター公爵邸へ。
トレーシーの肩越しで車窓に映る景色は、なめらかに進んでいる。対岸を流れる辻馬車をやり過ごすのも、すっかり飽きてしまったけど……。
あれ? でも、おかしいわね。
「私たち、何処へ向かっているの」
無意識でもらした声に、トレーシーのジト目が突き刺さる。
「『サウスミンスター公爵』のお屋敷に決まっているでしょ」
そう言いながら、彼女はガクッと項垂れた。
あら、いけない。私ったら、自分の立場を忘れていたわ。
「そうよね」
「もう、おやめになって下さいませ。妃殿下」
トレーシーの嫌みに、私は肩をすくめた。
だって、本来ここにいるべき『ヒロイン』は、ロクサーヌお姉さまのはずなのよ。私ではないから、悪しからず。
断罪を仕掛けたあの二人は、近衛兵が『グランドバシリカ』へ連行したみたいね。
ロクサーヌお姉さま。ご無事だといいのだけど。
「ねえ。トレーシー」
「ロクサーヌさまの消息については、追々、殿下からお話があるので、私から申し上げることは出来ません」
「そんな」
出た出た出た。トレーシー必殺の塩対応。首をふるばかりの彼女から、聞き出すことは叶わないみたいね。
殿下はお姉さまを、どうなさるつもりなのかしら。
気分転換にと、反対側の車窓に顔を向ける。
ほんの一瞬だけど、
「お姉さま?」
一台の辻馬車が、すれ違いざまに去り行く。
そこに、見覚えのある銀髪が映った。
身を乗り出そうとしてすぐに、
「妃殿下」
トレーシーの声が響く。
己の立場を鑑みれば、こんなことをしてはいけない。
「お立場を」
「分かっているわ」
ほんの少し垣間見えた銀髪は、お姉さまのものだわ。
あれこれ一人で考え込む合間に、馬車は殿下のお屋敷に辿り着いた。
「妃殿下の到着にございます」
今まで私が王女殿下のために果たした役目を、トレーシーが滞りなく務めている。本当に彼女がついて来てくれてよかった。
レオナルドさまに感謝しきりよ。
「妃殿下。大丈夫でございますわ」
あっそうか。私が上位貴族でなければ、彼女こそ王女殿下の『筆頭公式代筆人』だったはずね。
ぬぼーっとしている場合ではない。身を引き締める思いで、私は席から離れた。
「足元に気をつけて下さいませ」
出迎えの老執事の手を借りて、私は車からそっと足を降ろす。石畳のはるか向こうには、メイドや他の使用人達の姿がある。
面を上げて、しっかりするのよ。私はもう、『不遇の真ん中令嬢』ではないのだから。
夜風に舞い上がりそうな裾を、私はしっかりと持ち上げた。
「夜露に気をつけて下さいませ」
「ありがとう」
トレーシーの微笑みに自信を得た私は、しっかりと前を見据える。
いざ、本丸へ参りますわよ。