『騎士道』とは何ぞや。
本日のミッション、無事に終了。
もう一仕事、まだ残されているけど。後片付けに追われる使用人達を横目に、私は頭上をちらっと見上げた。
エントランスホールのシャンデリアが、光とともにかすかに揺れ動く。無意識に裾を持ち上げた私は、自室に戻るべく大階段を駆け上がった。
ふんわりと沈む絨毯の上に、私はそっと足を伸ばす。メイド達が到着するまで、私は鏡台の前で一人きりの時間を堪能する。
「失礼致します」
やって来た彼女らの手を借りて、重苦しいコルセットを外してもらう。ゆっくり息を吐く合間に、はらりとこぼれた黒髪は丁寧に梳かされた。
うん。この美容院式マッサージ最高だわ。
ドツボにハマる入る私の元に、
「妃殿下」
満面、『塩対応』のトレーシーがやって来た。
「書類の決済にございますわ」
平坦な声のする側から、ドサッと鈍い音がする。鏡越しに映る若いメイドも、いつものことに緊張感を漂わせていた。
せっかく美人なのだから、もう少し愛嬌がよくてもいいのに。こんなことを口に出せば、お小言が止まないから仕方ないけど。
「ゴホ……」
まさかとは思うけど、トレーシーって読心術なんて持ち合わせていないよね。メイドから渡されたチュニックワンピースをまとい、ショールを肩にかけたいでたちで机のある方へと向かう。
『兵どもが夢の後……ベベン』
って感じな気分で、私は最後の大仕事に取りついた。
「年々、茶葉の高騰が著しいわね」
「収穫前の嵐に見舞われることが、少なくないからでしょうか」
トレーシーも、そこは気にかけているみたい。
野菜や果物も、季節と産地によって値つけが違う分、気候変動に左右されやすい地域だとなおさらよね。
さらに、家名に恥じない体裁も必要だから、予算の節約に苦慮する家は少なくない。何とか手立てを、講じなければならないかな。
秒針だけが響く窓の外は、すっかり日が暮れている。白い星が煌めく夜空も、何だかロマンチックよね。ああ、帳を降ろすなんてもったいない。もう少しだけ、眺めていたかったのに。
「妃殿下。お手を進めなさいませ」
「分かっていますわよ」
全ての書類にサインを添えた後、トレーシーがメイド達を下がらせる。
ぼーっと視線をさまよわせる私の目の前に、
「はい。ご所望の本よ」
分厚い物が差し出された。
あら、仕事が早いのね。
「ありがとう」
喉まで出かかった言葉に変えて、私は礼だけを述べる。トレーシーは全てお見通しとばかりに、悠然と淑女の礼を示した。
扉が閉じてしまえば、切なさがこみあげる。それをふり切るように、私は『騎士道物語』の表紙を開いた。