いつの間にやら、私は『不遇の真ん中令嬢』から、ウィンクス侯爵家『唯一の令嬢』となっていました。
『バグ』と『原作準拠』から再度の『バグ』と、目まぐるしく入れ替わる。怒涛の展開についていけないわ。
頭の中でテンパっていたら、私の側には誰もいないじゃないの。
波乱ぶくみの『断罪劇』は、すでに幕を閉じている。紳士と淑女が一斉に、大広間から離れようとしていた。
たじろぐ私は、彼らの動きに乗じて扉の先を目指す。
「待たせたな。アナベル」
背後から聞こえた声に、私はのっそりと後ろを向いた。
「殿下」
真ん前に迫る『英雄殿下』のオーラに、私はめまいを起こしそうになる。
倒れてなるものかと、どうにかこらえた私の頭上で、
「行こう」
殿下が手を差し伸べて下さった。
目の前に差し出された掌に、私は戸惑いを隠し切れない。『不遇の真ん中令嬢』たる私が、殿方のエスコートを受けるなんて。世も末ではないかしら。
逡巡する間も惜しむように、私は手を殿下にゆだねた。
「両殿下に道を譲るのだ」
騎士の一声にみなは、壁際へと引き下がる。『人人人人』が左右に別れる狭間を、殿下の隣から見定めた。
炎の揺らめくシャンデリアをくぐって、私達はエントランスを通り過ぎる。背後のどよめきも遠ざかり、吹きすさぶ夜風に私は肩を震わせた。
「寒いのかい」
「あの」
見上げた先では殿下が微笑んでいるのに、私は気の利いた言葉一つ出てこない。
うつむき加減で歩き続ければ、
「もうすぐだ」
彼の低い声がさざ波のように響いた。
星々とガス灯の明かりの下、外では一台の馬車が待機している。
「殿下」
「アナベルを頼むぞ」
「御意」
彼らのやり取りを横目に、私は車の中に押し込められた。
「はっ」
一息ついて席に座した直後、
「妃殿下。そちらは、侍女の席にございますわよ」
聞き覚えのある声に、私はハッとする。
面を上げた私は声の主に向かい、
「トレーシー? どうしたの」
何も考えずに疑問をぶつけた。
扉に手をかけた彼女は、
「王女殿下の命にて、私が王太弟妃殿下の公式代筆人となりましたの」
ため息交じりでつぶやく。
見知った相手の答えに、
「そう」
疲れ切った私は、適当に受け流した。
「今夜だけよ。明日からはお向かいにお座りなさって。妃殿下」
「え」
困り顔のトレーシーが、無言のまま私の隣に座る。
うわわわーーーー。やっちゃったよ。
つい、数時間前まで私とトレーシーは、エヴァンジェリンさまの公式代筆人だった。つまり、同僚だったのね。
だけど今は、私が王太弟妃で彼女がその公式代筆人。
んんん?
そうなると、
「私はもう、エヴァさまの公式代筆人じゃないの」
とっさの質問を彼女に投げかける。
トレーシーは天を仰ぎ見て、
「あなた。殿下から婚約破棄されても知らないわよ」
ブラックジョークを吐露する。
そんなイケズなこと……グスっ。横を向いた途端、相手から放たれるジト目光線が。それを交わそうと、私は静かに首をすくめる。
ぼぼ同時に馬車は、ゆっくりと走り出した。