そこ、押さないでっ。
ポツリポツリ、雨粒が窓ガラスを叩く。その音に気を取られつつも、私はおやつそっちのけで、手に取る書物を目に焼きつけた。
遥か先の黒雲を閃光が貫くたび、雷鳴が机をカタカタと揺れ動かす。根をつめるつもりはないのに、『ロングウッド伯爵家』の項目から目が離せなかった。
羊皮紙に滲んだ文字列をなぞると、ある出来事で手を止める。
『第二王子への暗殺未遂』
幼少のみぎりに殿下は、ロングウッド伯爵家の陰謀で凶事に見舞われたとある。私、全く知らなかったわ。
悪事が暴かれてすぐ、王家は素早く対応する。お家断絶に伴う直系男子の根絶、そして、一族の女子に対する修道院追放。
伯爵と長男以外は、この本に名前すら残っていない。当主との続柄と年齢の項目の中に、見てはいけないものを発見してしまう。
毒杯を賜った伯爵の孫って、当時の殿下と同い年なのね。
次の瞬間、私のこめかみが疼いて仕方ない。何だろう、今まで感じたことないわ。まさかのフラッシュバック?
脳裏を過ぎるランダム画像に、私は意識を保てなかった。
『アナベルさま。我が孫ジュリオを、お見知りおき下され』
――火傷を隠すために、顔半分が仮面で覆われているのね。不気味な方。
――でも、あの陰気な黒令嬢にはお似合いだわ。
誰からにも顧みてもらえず、周囲の嘲りに耐え続けた日々。
――もう、限界です。さようならジュリオさま。貴方さまの存在しない世界に生まれ変わって、誰も愛さないと誓います。だ……れも。
「アナベルさま」
机の上に突っ伏していた私の肩を、トレーシーがさすってくれて、何だかとても気持ちいいわね。
「誰か、『アロマポーション』を用意するのよ」
聞きなれない言葉に、私は首をもたげる。
「アロマ?」
リネン類と金だらい、全く見覚えすらない薬箱。
それらを抱えたメイド達が、右往左往している。
いつもの如く、トレーシーの叱責が飛び交う最中、私はいつの間にかベッドの方へといざなわれた。
白い湯気に混ざり合う、さわやかな柑橘系の香り。
『星ラス』は異世界が舞台の小説だったけど、チートをほうふつさせるような展開はなかったような。
これも、『バグ』の一つだろうか。
ああああ。でも、なんていい香りなのかしら。うん。ますます、ダメ人間になっちゃう。
「それでは妃殿下。お覚悟を決めて下さいませ」
「覚悟?」
年少のメイドが恐る恐る、ベッドでうつ伏せになる私の肩にリネンを置く。
その直後に……、
「うぎゃぎゃぎゃっ」
あられもない声が私の口から放たれた。
そんなに、押さない押さないのーーーーー。
「もう少しで、『アロマポーション』が効くはずよ」
トレーシーの冷ややかな台詞が、私の耳元でぞわりと波打つ。
「ヒヒヒヒ……」
「妃殿下。お静かになさいませ」
そんなこと言われても……。激痛にさらされるたびに、私はベッド上でのたうち回った。