不遇の真ん中令嬢は、まだ、英雄殿下の秘密には気づいてはいません。
第二章です。
サウスミンスター邸は、王都にあるタウンハウスの中でも随一の規模を誇っている。元々は王家の御用邸の一つだから、当然と言えばそうだけど。
侍女やメイド達に身支度を任せても、どうにか気後れしなくなったわ。
でもね。どうしても、慣れないものがあるの。
「行くよ。アナベル」
「はい」
ええ。殿下のエスコート。そして、無駄にまぶしい笑顔。
二階の自室から大階段を経て、長い回廊を殿下と並んで歩く。多分、私の実家の二倍はあるのではないかしら。
柔らかな陽射しを受けて、床の大理石に虹がかかる。その上を私達は、ゆっくりと歩いた。
「こちらへ」
白い椅子に腰を据えてすぐに、銀のワゴンが運び込まれる。今日の朝食も、おいしそうだわ。
給仕役を除くと、このテラスには殿下と二人きり。晴れた日はこうして、朝食を頂く日課なの。
神への祈りを終えた私達は、ほぼ同時にバケットに手を伸ばした。
あら、いけないわ。これって、給仕役の仕事よね。どこからともなく、男性の咳払いがするじゃない。
気恥ずかしさから、手を引っ込める私に向けて、
「お茶会は一月後で構わないそうだ」
殿下が声をかける。
小皿によそわれたスコーンを前に、
「ありがとうございます」
私はか細い声で答えた。
お茶会の延期が決まって、私は少しだけ胸をなでおろす。婚家について何も知らないまま、お茶会を取り仕切る自信なんてないし。
そっと面を上げれば、殿下のさわやかな微笑みが目に留まる。
ああ、テライケメン。目の保養って大事よね。
私は性懲りもなく、勘違いしてしまいそうになる。目の前のお方が、私を思っていて下さると。
何だか不思議よね。ロクサーヌお姉さまを選ぶべきなのに。
例え、お姉さまの実父が平民であっても、そのまま婚約者に留めなかったのか。
うーん。よく分からないわ。
それに……。
「ベリーのジャムだけど、君の口に合うかな」
予想もしない殿下の前振りに、
「おいしゅうございますわ」
咄嗟に切り返す。
おっと、危なかった。私ったら、いつものクセで過去に埋没しちゃったわよ。
「そうか」
安堵したようなつぶやきに、心が少しだけ疼き出す。私が別世界から来た転生者だなんて、口が裂けても言えやしないし。
この一時だけは、殿下に愛されていると。錯覚してもバチは当たらないわよね。
あれこれ思い巡らせても、何も始まらないわ。気を取り直して、私はスープに口をつけた。
そんな余韻を打ち消さんとして、
「殿下」
執事が中に入り込む。
普段から冷静沈着な執事が、珍しくあわてふためいているわ。相手の耳打ちに、殿下の表情に険しさが増す。
「王宮から至急の呼び出しだ。食事を急ごう」
「はい」
ささやかな幸せなんて、呆気なく終わってしまうのね。そんな私の思いを表すのか、目の前から陽光が消え去った。