黒百合は風に揺れて。
突然の襲撃を受けたことで、到着予定が狂ってしまったわ。車の扉が開け放たれるとともに、まばゆい陽射しで、私の足元は覚束ないありさま。
「アナベル」
「殿下」
呼び声に応じる間もなく、私の体が宙を漂う。エエッ。まさかまさかのシチュエーション到来に、思考力が全くついていけないわ。
こそばゆい感覚にとらわれながらも、私は黙って殿下に身をゆだねた。
「お帰りなさいませ」
ピタリとそろう挨拶に、私はどう答えたらいいのか分からない。その上、出迎えの面々から浴びる視線が痛々しいばかり。
この年で、お姫さま抱っこされてしまうなんて。恥ずかしいったらありゃしない。
それでも殿下は、堂々とした足取りで前を歩き続けた。
定番の大階段を上り切ったところで、殿下がそっと私を床の上に下ろす。
「ありがとうございます」
うつむき加減でたじろいでいたら、トレーシーがわき目もふらずにすりぬけて行く。
私としたら、いけないじゃないの。
彼女を追いかけようと、殿下に礼を取る寸前で、
「今日は、ゆっくりと休みなさい」
殿下からのお達しが下された。
「あの……」
「君は何も見ていないだろうが、あちらの女性は衝撃を受けているだろうからね」
顎をしゃくる殿下の仕草に、私は遅ればせながらハッとする。
そうよね。トレーシーは襲撃者の末路を見ているかもしれない。私が無理を押し通せば、彼女の心身にも負担をしいてしまう。
「その通りにございますわ」
いつもいつも、気丈に振る舞う彼女だからこそ、主人たる私が気遣いを示さなくてはならない。殿下の優しさに報いるべく、私は淑女の礼でもって応えた。
殿下の気遣いに、応えようと試みたのだけど、自室に一歩踏み入れれば、トレーシーはすでに荷物の手入れをメイド達に指図している。
ははははは。お役に立てない、ご主人さまで申し訳ありません。
もうこうなったら、開き直るしかなくて。彼女達の働きを邪魔しないように、私は忍び足で窓際へと向かう。
側にある椅子に腰を据えた私は、ぼんやりと庭の花々を愛でた。
眼下の庭は、色とりどりの花々であふれている。特に、トリスタニアの『国花』たる青薔薇の枝ぶりは、随一の規模を誇るかもしれない。
隅から隅まで眺めていたその時、庭の一番端の一群に目を奪われる。他の花々に比べれば少ないながらも、黒百合が花を咲かせていた。
トレーシーの的確な指示によって、荷解きも無事に集結! 仕事をやり遂げて、安堵した様子のメイド達。彼女らは列をなして、そそくさと部屋を辞した。
彼女達を見送った直後、
「サウスミンスターは、黒百合と何か関わりあるのかご存知?」
沸き起こる疑問を、トレーシーにぶつけてみた。
「そのような伝承は、一切、聞いたことございません」
「そうなの」
関心すら薄いのか、トレーシーが視界から消え去る。博識を誇る彼女でも、分からないことがあるのね。
にわかに吹き抜けた風が、窓を強く叩きつける。そんなことに構いもせずに、私は揺れ動く黒い花弁から目を離すことが出来なかった。
第一章の本篇が終わりました。
幕間の後、第二章に続きます。