第十三節 SIDE-美和-
なぜか異様なまでの満面の笑みを浮かべたままバルトが気を失いました。
私は数回その頬を撫でてやると新たに現れた闖入者を迎え撃つ為、スクッと立ち上がる。
「扉の次は壁ごとですか。困ったお客さんですね」
「その度に貴方がこうして私の後ろに立っているわけですね。スケさん」
「えぇ出来ればこのようなことをしたくはないが、これもご老公の為とあらば致し方ない」
「へぇあの金髪碧眼のお嬢様が『ご老公』ですか。一度お医者様に行かれる事をおすすめしますよ」
私はそう言い切ると振り返り、スケさんと対峙する。
スケさんは一瞬理解に及ばなかったのかキョトンとした表情を浮かべると次の瞬間答えに行き着いたのか崩壊した壁へと視線を向け茶室の室内を改めた。
苦虫をダース単位で口の中で噛み潰したような苦い表情を作るとスッとこちらに振り向き、腰に佩いた刀へと手を伸ばす。
「そこまで知られてしまった以上、このまま帰すわけにはいかないな」
「そうですか?私としては別に口外するつもりもありませんが?」
「はっはっはっ、そのような戯言を信じるとでも?」
「普通はないでしょうね」
これ以上話をする必要がないと感じたのか、スケさんはスラリと抜刀すると切先を天に向け顔の横に握り手を持ってくる『八相の構え』を取る。
それに対して私は左足を前に出し半身になると左拳を前に右拳を顎の前に持ってくるボクシングスタイルで迎え撃つ。
恐らくスケさんの構えからでは上段からの『斬り下ろし』か右上段からの『袈裟斬り』のどちらかでしょう。
無手で速度勝負に出るであろう私に対して避けられる可能性の高い突きや初動が遅れる斬り上げは使わないと踏んで、死角になるスケさんの右脇へと一息に詰め寄る。
対するスケさんは右足を引くとその切先を後方に向け、刀が地面と水平になるように構えなおした。
不味い!『横薙ぎ』ですか!?
抜刀したことで『薙ぎ』は無いと捨てていた為、一瞬反応が遅れました。
前方へ向けていた重心を無理やり引き戻すと後方へバックステップを踏む。
しかし、スケさんの横薙ぎは反応が遅れた一瞬を捉えており、過ぎ去った切先によって私のドレスの腹部は大きく裂かれることになりました。
幸い、ボディには届いていなかったようで破損は感じられません。
無理な挙動で踏んだバックステップであった為、着地と同時に少しだけバランスを崩した私の隙をスケさんは見逃すことなく、振り抜いた刀の刃を返すとそのまま左下方からの斬り上げを放ちます。
体勢を崩していたとは言え、着地には成功していた私は上半身を折りこみまるでお辞儀をするかのようにその刃のアーチを掻い潜りました。
再び前方へ重心を得た私は勢いに逆らうこと無く、前転をするようにスケさんの右脇へ飛び込みました。
すれ違い様に左踵でわき腹への蹴りを放ちます。
俗に言う『胴廻し回転蹴り』っていうやつですね!
以前テレビで見た技でしたが見よう見真似でも何とかなるものです。
予想外の打撃を受けた所為か、背後に回ってしまった為その表情こそ確認できませんが、驚愕のあまりスケさんはわき腹を押さえて硬直しており完全に私を見失っているようでした。
「戦いの中で戦いを忘れるとは何事ですか!」
私は一度は言ってみたい語録の一つを披露しながら振り向き様に無防備な左わき腹へ後ろ回し蹴りを放ちました。
「ぐはっ!」という悲鳴を上げながら横へ吹き飛んで行くスケさん。
その衝撃にあわせて左手一本で握られていた刀は遥か彼方へ飛んで行き、この戦いの最中に再び手にすることは難しいことでしょう。
私は仰向けに寝転がるスケさんの腹部辺りに腰をおろし跨ると右拳を天高く掲げてから思い切り顔面へ叩き込みました。
「これは変態扱いされたアレク君の分!」
鼻の頂点に打ち当った拳は勢いを留めることなく顔面にめり込んでいきました。
それだけでは腹の虫が収まらない私は次に左拳を天高く掲げ、先ほどを同様に思い切り振り下ろしました。
「これは笑いすぎて腹筋が筋肉痛になったミリアさんの分!」
右拳と寸分違わず同じ位置に叩き込まれた左拳は先ほどよりも少しだけ多くめり込んだように感じました。
それから私は心行くまで右に左に叩き込み続けました。
「これは思わぬ笑いのツボにやられて足元がおぼつかなくなったネイアさんの分!これは遅れて来て周りの笑いについていけなくて寂しい表情を浮かべていたオグマさんの分!」
始めの数発は悲鳴を上げていたスケさんも次第にその声が小さくなってきてます。
それでも私は気にすることなく怒りに身を任せて拳を叩き込み続けます。
「これは自らも傷つきながらも私を助けようと必死に奮闘したバルトの分!そして最後に…壊れた扉と壁の分!!」
「それはそなた達がぁ!!」
なにやら反論が聞こえた気がしましたがお怒りモードの私には一切聞こえません。
えぇ聞こえませんとも。
真っ赤に染まり、一際大きく振りかぶられた私の右拳は今まで以上の速度を出しスケさんの顔面へと沈んでいきまいた。
「がはっ!!」と大きな悲鳴を上げると意識を失ったのかスケさんの全身から力が抜けていくのを感じました。
私は抵抗が無い事を確認するとスクッと立ち上がり、脇に立ちスケさんを見下ろすと誰に語るわけでもなく一言呟きました。
「止めてくれる眼鏡君が居なかったことを恨む事ですね」
と。
それで満足した私はバルトの元まで駆け寄りました。
まだ意識を失ったままなのか戦闘前と変わらず満面な笑みのままです。
「さてとお次はっと」
私は目的の人物にあえて聞こえるように一人呟くと、グルリと首を動かし壊れた壁から茶室を覗き込みました。
茶室からは「ひっ!」と小さくともはっきりとした悲鳴が聞こえます。
そりゃ両手を紅に染めて、顔にも返り血が飛んでいるような幼女が迫ってくるように部屋を覗き込んでいるのですからさぞ恐怖を感じたことでしょう。
見た目お人形さんのように整った容姿であればなおのこと。
「さて、お嬢さん。トイレには行きましたか?神様へのお祈りは済みましたか?部屋の隅でがたがた震えて命乞いをする準備オッケーですか?」
どこぞの兄弟吸血鬼の弟のように私は恐怖心を煽る為、あえてゆっくりと部屋へと這い入りました。
その効果は抜群で、金髪碧眼で角の生えたお嬢さんは自らの身体を抱くように震えつつ少しでも距離を取ろうと反対側の壁へと座りながらも後ずさりをしています。
左右に振られている頭からは「嫌、来ないで。嫌。嫌」と呪詛のように何度も何度も声が聞こえてきます。
ちょっとやりすぎたかなと罪悪感を感じないでもないですが、気にすることなくスタスタと近づくとパンッとその頬を平手で張りました。
何が起こったのか理解が追いついていない様子のテレーゼさんは叩かれた頬と自らの手で押さえて呆然としております。
「自ら望んでやったのか唆されてやったのかは知りませんが、手を出した以上、最後まで責任を負いなさい」
叩かれた頬に手を宛がったまま、驚きの表情を浮かべこちらを見上げるテレーゼ。
次第にその瞳には涙がたまり始めて今にも泣き出しそうな…いえ、もう既に泣いているのでしょう。
最後に残ったプライドがダムとなり何とか流れ出さずに保っているのだと推測しました。
「それで、役者を雇ってまで私たちを襲わせたのはなぜですか?」
私もそのプライドが何なのか分からないでもないので、あえて見て見ぬ振りをして話を進めることにしました。
テレーゼは少し考えるとぽつりぽつりと語り始めました。
「わたーしは本物のほーじょーさんからお願いされてなんじょーさんと協力して世直しをお願いされまーした」
なんかイラッとするイントネーションですね。
「それで、なんじょーさんから貴女たーちが王国?から来た悪者だかーら取調べの為に屋敷へ呼ぶようにお願いされまーした」
駄目だ、イントネーションが気になって話に集中できない。
「話の途中でごめんなさい。その言葉遣いって素なんですか?」
「へ?何か間違ってまーすか?」
「えぇ。そのなんて言うか…下手糞な日本語を聞いているようで…」
「Oh。それはショックでーす」
がっくりと肩を落とすテレーゼ。
何がそんなにショックなのか分かりませんが、とにかく普通に話してもらうようにしましょう。
「貴女の母国語で話すことは出来ますか?」
「えぇ。勿論です。どのように聞き取れますか?」
うわっ、いきなり普通に聞こえましたよ。
これも異世界翻訳機の恩恵なのでしょうね。
「特に問題ありませんね。そのままでお願いします」
「分かりました。それでは説明を続けますね」
普通に話し始めたテレーゼからは色々と聞き出すことに成功しました。
少なくとも今回の件の黒幕は南条氏であること。
やはりテレーゼも転生者のようで、バルトと同じように世界を混沌に陥れろと命令されたと。
因みに日本人の祖母を持つ英国人でした。
ご老公に化けていたのは魔族だとバレたくない事と小娘では舐められると思い、祖母が好きだった時代劇から取り入れたからだそうで。
それと陰陽道とは全くの無縁でよく分からない魔法だとも。
「話は分かりました。貴女にこちらを害なすつもりが無かったことは理解しました。ただし次はありませんので覚悟してください」
「はい。申し訳ございませんでした」
テレーゼは話をするうちに落ち着いてきたのか私をはっきりと見据えて謝罪を口にする。
背後で身じろぐ気配を感じた私はバルトが目覚めたのだと当りを付け話を切り上げようとした。
「それではそろそろお暇しようかと思います」
私は大きく開いた穴から茶室を出るとバルトへ呼びかけました。
バルトは「うーん」と唸り声をあげつつも上半身を起き上がらせ頭を振って自ら覚醒を促しておりました。
四肢の傷は酷いですが、命に別状はないようで一安心です。
「さぁ、バルト。帰りましょうか」
「はい。畏まりました」
茶室から送られる寂しげにな視線を無視して私たちは歩き出しました。
ここ数日で随分と住み慣れてしまった宿に向かって。