第九節 SIDE-ミリア-
アレクが飛び立ってから私たちは街道を少しそれた広場で馬車を中心に野営の準備に取り掛かりました。
もうすぐそこまで夜の闇が迫っており、このままでは夜間に移動することになっては危険だとネイアの判断によるものです。
闇は人類にとって必ずしも味方とはいきませんが、夜目の効く魔物たちにとっては楽園とも言える状況でしょう。
今夜は野営にて防衛線を張り、明朝出発。昼ごろにはジャミル村に到着する予定です。
日のある内に野営の準備を完了させた私たちは交代で睡眠を取り、明日に備えるよう務めました。
しかし、つい先ほどまであった憤りと興奮それに魔物の襲撃に対する怯えでとてもではありませんが、寝れるような状態ではありませんでした。
「おじょ…いえ、奥様。眠れませんか?」
「ネイア…私はいつも通りで構いませんよ?まだお父様の承諾を受けておりませんし、貴女も慣れないのでしょう?」
「いえ、宣言を受けていただいた以上、旦那様はアレク様。その奥方様であられますミリア様は奥様でございます」
ネイアは深く頭を垂れ私へ再びの宣言を行いました。
本当にこの子は堅いと言いますか、遊びがないと言いますか。
そんなところもこの子の良いところであるのは認めますが。
「よろしいでしょう。それでは私も今後そのように接します。よろしいですね?」
「もちろんでございます。ご理解いただき、お礼の申し上げようもございません」
「ネイア、これからの忠誠を期待します。」
「はっ、奥様。より一層の忠誠を今ここに誓い申し上げます」
片膝を付き宣言するネイアにメイド服を着用しているにも関わらず、思わず騎士を幻視してしまいました。
なぜかそのギャップが可笑しくて思わずふふっと笑い出してしまいました。
私の笑い声を受けて、ネイアも嬉しそうに微笑んでおります。
どうやらこの年下のメイドに私は相当の心配をかけていたようでした。
「さ、奥様。明日は朝早くから行動になります。少しでもお休みなられた方がよろしいかと」
「そうですね。それではメイド服の騎士様に守られてお休みさせていただこうかしら」
「お任せあれ」
今度はどちらということなく互いに微笑んだ。
その時、馬車の外からガンガンガンと警鐘が鳴らされる音が響きました。
「敵襲!ゾンビ!人九、犬四、鳥、熊ともになし!」
敵襲でした。
私たちは同時に剣を取り外へと飛び出しました。
馬車を中心にライトニングの魔法で照らされていた周囲では既に戦闘が始まっています。
規模は先ほどからすれば少ないですが、こちらの人数とほぼ同数。
訓練された護衛方の敵ではないとは言え、危険が無いわけではありません。
戦闘自体は割りとすぐに終了しましたが、野営中に襲われる恐怖を植え付けられる結果となりました。
それから数度の戦闘の後、ついには犠牲者が出てしまいました。
報告によれば人型と戦闘中に後ろから犬型に襲われたとのこと。
丁度、ライトニングの範囲ぎりぎりであった為、救出が遅れてしまったのも原因の一つと言えましょう。
「怪我自体はそこまで酷くは無かったんですが…」
「では私の治癒魔法で治せたのでは!?」
「いえ、ミリア様。ゾンビに怪我を負わされた場合、ほどなくしてやつらの仲間になっちまうんですわ」
「そんな!!」
護衛方のリーダーさんからの説明に私は驚愕を隠しきれませんでした。
ネイアを見ると小さく首を横に振るばかり。
「それじゃあ俺らは弔いをしてきますんで、これで」
「えっ、えぇ私も声をかけさせていただきます……」
「そいつぁ……あいつも喜びましょう」
私はリーダーさんに連れられて護衛方の人だかりへと向かいます。
そこには左腕に怪我を負い、首を飛ばされたご遺体が鎮座しておられました。
護衛方のすすり泣く声だけがその場を支配しております。
私はその方の横へ跪きお礼と労いの言葉をかけました。
そして、最後に全員で犠牲者のよりより旅路に願いをかけお祈りし、魔法の炎により火葬します。
敵陣でこのような行為を行うことにネイアは眉を顰めましたが、護衛方の気持ちを考えるととてもではございませんが、止める気持ちになれませんでした。
かなりの高温で焼かれた遺体は今は煤と少量の骨のみ。場が冷えるのを待って骨を集め皮袋へ収納し、兜とともに荷馬車へ収めます。
一連の作業が終わることには東の空から太陽が昇り始めておりました。
その後、私たちは一時の休憩を経てジャミル村へと出立しました。
距離にして半日程度、昼過ぎには到着する予定ではありました。
途中2回ほど襲撃がありましたが何とか犠牲者を出すことなく撃退しました。
ですが、私たちの疲労はピークに差し掛かっておりました。
「このままでは全滅の恐れがあります。時間を掛けてでも大休憩を取る事を進言します」
「ネイアの穣ちゃん。そうは言うが、このままではまたすぐに夜だ。今夜もまた襲撃が続いたらそれこそ全滅じゃねぇか?」
ジャミル村を視界に捉え始めた頃、私とネイア、リーダーさんの三人で今後の方針について再度話し合いの場が設けられました。
両者の言い分はどちらも理解できるもので、私では判断の付きようがございません。
休息か襲撃か。どちらも必要で、どちらも必須でございました。
どうしたものかと思考の渦に捉われ、結論が出ることなく時間だけが過ぎていきました。
互いに膝を付け合せながら議論していると、外からけたたましいほどの警鐘が鳴り響きました。
また襲撃か…と、重たい空気が馬車内に流れます。ですが、どうもいつもと様子が違います。
私が馬車の外へ出ようとすると一番最初に降りたリーダーさんが叫びました。
「いけねぇ!ミリア様!中へお戻りくだせぇ!」
叫ぶや否や走り出し、指揮を執りにいったようです。
リーダーさんの肩越しに外をみたネイアがその目を見開き、直後跳ねるように走りだしました。
私が何事かと呆けていると外から伝令の声が聞こえてまいります。
「敵襲!ゾンビ!人百!以外なし!!」
人…百……?百!?
人型のゾンビが百体もの数で襲撃してきたことに他なりません。
もしかしたら九十かもしれませんし百十かもしれません。
ですが、そのようなことは些細な違いであり、現状が絶望的な状況であることに変わりはございません。
あまりのことに私が固まっていると、急に馬車が動き出しました。
私はきゃあと小さく悲鳴をあげ、座席へと斃れ込みました。
「奥様!申し訳ございません!!お怪我はございませんか!?」
従者席からネイアの声が響きました。
私が思っていた以上に悲鳴の声が大きかったようです。
「私は大丈夫です!外の状況を報告して!」
「はっ!ジャミル村より人型ゾンビ百体の群れが急接近!護衛は二手に別れ馬車に乗車、我々の後方にて逃走しながら迎撃の構え!」
「そんな………」
やはり聞き間違いではございませんでした。
ゾンビ百体による襲撃。どう考えても絶望的状況でございます。
私も戦わねば。
そう思い、馬車の屋根から外へと続く窓を開け放ち、外へ這い出ようとしました。
襲撃に備えドレスから鎧へ着替えておいて正解でした。
何とか屋根の上まで這い上がると後方へ視界を移しました。
私たちの馬車のすぐ後方に荷馬車が二台。護衛方が弓や槍でゾンビと応戦しておりました。
それでも恐怖を具現化したようなゾンビの群れは恐れを知らず私たちへ襲いかかってまいります。
あまりの光景に私は言葉を発することすらも出来ませんでした。
「奥様!危のうございます!中へお戻りください!!」
従者席からネイアの叫び声が聞こえる。
私はその声にハッと気が付き何かせねばと今一度ゾンビの群れを視界に収めました。
その時です。大きな音とともに二台の馬車のうち一台が横転しました。
乗っていた護衛方は宙へ投げ出され、次の瞬間ゾンビの群れへと消えていきました。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
私はその光景を目の当たりにし叫び、恐慌状態に陥ってしまいました。
「奥様!!奥様!!!」
どこか遠くでネイアの声が響きます。
「ミリア様!中へお戻りくだせぇ!」
もう一台の馬車で手綱を握っていたリーダーさんがこちらに向かって叫んでいます。
私は目に溢れんばかりの涙を溜め、ただただ座り込み途方にくれるしかありませんでした。
そんな最中に伝令の声が響き渡りました。
「上空に敵影あり!あれは………ま、魔族です!!その数五!!」
どうやら最悪だと思われた悪夢はまだまだその姿を深く黒くどこまでも沈みゆくように変えつつあるようでございました。