簪の持ち主1
朝、眠たい目を擦りながらバスに乗り込んで、あたしのお気に入りの席へと座った。後ろから二番目の右側の座席。理由は朝のバスは後ろの方が空いているから。間抜け顔で寝ていたとしても、ほとんど見られないからね。
で、今日もそこへ座ると、ちくりとお尻に何かが刺さる感覚がした。
何だろうと漁ってみると、装飾は多くないのに小さくて繊細な細工が施された簪があった。昨日ここに座ってたのは……あたしが知っている限り……朱居さんかな。まじまじと簪を見つめてたら、やっぱり朱居さんが身につけていた気がしてきた。この簪を付けている朱居さんはますますほっこり系の可愛いおばあちゃんだ。
一応、壊れてないか確認しておく。……うん、大丈夫そう。
それにしても見事な細工だなー。粒々の小石をビーズみたいに連ねて花びらにしていて、大輪の菊花に見える。この小石、きらきら光っていて宝石みたい。みたいっていうか、本物の宝石だったらどうしよう。
この簪を目の保養、もとい観察していると、驚いたことにいつの間にやら通路に佐々君が立っていた。じっとこちらを見ているんだけど……。
何でこちらをガン見してくるの!? いつもならスルーして、自分の席だと言わんばかりに昨日と同じ席に座るのに。
その理由は次の一言でよく分かった。
「鈴倉。それ、朱居の」
やっぱり朱居さんの簪なのね。持ち主が分かったなら、後は渡すだけ。良かった良かった。
そしてもう一つ、簪の持ち主が分かった事と同じくらい嬉しい事が。なんと……
「佐々君、あたしの名前を覚えていてくれたのねっ」
感極まって思わず言葉にすれば、佐々君は渋い顔をして目を逸らす。
「……これだけ鬱陶しく付きまとわれれば覚える」
きゃほーい、佐々君が話しかけてくれましたよ!!? くぅ……、ついに努力が実ったようで嬉しいです。もう泣きそう。これであたしの密かな計画である、楽しくお喋り登下校が叶うんだね!
佐々君はそれだけじゃなく、まだ何か話したそうにしていたけれど、バスが発進しそうだったから、いつもの特等席に座った。えー、もうちょっとお話ししたかったのに。
でもまぁ、まずは一歩と言うことで。
◇◇◇
うん、世の中って結構とんとん拍子に進んでいくんだなって思ったけど、そうでもなかったよ。まさか佐々君本人ではない、外野からの障壁があるとは全くもって思っていなかった。
「鈴倉、話あるから」
「へ?」
だいぶ間抜けな顔してある自信ありますよ、あたし。だってお昼休みに友達とお弁当を食べていたら、いきなり佐々君から声をかけられたんだもん。この学校は学食が無いから、部活で運動場に出て行った野球部員以外はたいてい教室に残ってお弁当を食べるのだ。あたしももちろんお弁当。従兄弟達と一緒に叔母さんに作ってもらっているんだけど、彩り綺麗で手作り感溢れていて美味しいしありがたい。購買はあるから時々ふらりと姿を消して買いに行く人はいるけれど、今は教室の席がほぼ埋まっている。仲良しグループで固まってはいるけどね。
いったい何の用なのかな。昨日の今日で、あたしに話しかけるような用事なんてできるものなの?
もしかして今朝の簪かな。それにしても急だ。いつでも話しかけてくる機会はあったはずなのに何故このタイミング。
あたしの思考とは裏腹に、佐々君があたしに声をかけた瞬間、がやがやと騒々しかった教室がしん……と静まった。そして次の瞬間には一斉にざわっと教室中がざわめく。
これにはあたしだけでなく佐々君もぎょっとした。なになに、何この反応。
「佐々が喋った……!」
「うそ、あの佐々君がっ!?」
「俺、小中と一緒だったけど、あいつが授業の指名以外で喋ったところ見た事ねぇよ!?」
そんなに佐々君のお喋りってレア物なの? わずかにとらえたクラスメートの言葉にちょっとびっくりする。
小学校の頃から無口って逆にすごいかもしれない。そしてあたしは察する。そこまで無口な佐々君はきっと、友達と呼べる親しげな人はたぶん持っていない。
その佐々君があたしに話しかけてきたって事は、これはすごい進歩なんじゃないかな。そして、そこまでしてあたしに話そうとした事が気になる。
「えっと、話って?」
尋ねてみると、注目されるのが恥ずかしいのか、佐々君は顔を真っ赤にしていて。口をパクパクとしていてなかなか話し出してくれない……というよりも話し出せないのかな、これは。
「佐々君、佐々君。はい、息吸ってー、はい、吐いてー」
取り敢えずだけど、佐々君に深呼吸するよう誘導してみました。だって一度落ち着いてくれないと話して貰えなさそうだったし。場所を変えるっていう手段もあるけど、今の佐々君の様子を見るとそんな余裕なさそうだからね。
耳まで真っ赤にさせちゃって、人に注目される事に慣れていないんだなってありありと感じさせてくれますね。クラスの皆さん、可哀想だからそんなに興味津々で意識をこっちへ向けないであげて。
ようやく呼吸を整えた佐々君が、回らない舌を必死に駆使して一言だけ呟いてくれる。
「……ば、バスで」
一拍の間。
「放課後、帰るときでいいの?」
何とか言葉足らずな佐々君の言葉を紐解いて確認を取ってみれば、ぶんぶんと首を縦に振ってうなずいてくれた。顔は相変わらず真っ赤で、それだけの反応を返して自分の席へと戻ってしまった。がこんっ! と、すごい音を机から発させるくらいに勢いを付けて机に突っ伏してる。あれはちょっと痛そうかも。
そしてそれよりも大変なのは。
「ちょっと茉里ちゃん、どうやってあの難攻不落な佐々君をオトしたの!? やっぱり転校前の学校で身につけた都会のモテテクがあるの!?」
「え、もててく? なにそれ」
「しらばっくれても無駄だよ、クラス一同全員この奇跡を目の当たりにしたんだからねっ!」
「ちょ、そんな事言われても」
「このこの、すごい大革命起こしちゃってくれてっ! ていうかぶっきらぼうな口調の佐々君、激カワ!!」
「「「ねーっ」」」
ねーっ、じゃないよ!?
何、人を勝手に珍獣みたく取り扱ってんのさ!
しかもあたしじゃなくて蚊帳の外にいる佐々君だしっ!
そう言ってやりたいのは山々なんだけれど、こっちの話をちっとも聞こうとしないから無駄だと悟った。なんだいなんだい、こういう時だけあたしを仲間外れにしちゃって。
「茉里ちゃん拗ねてんの~? かわいーね?」
そんなにやにや顔で言われても嬉しくないですよーだ。絶対にあたしで遊んでるでしょ。あたしはそんな軽い女じゃないんだからね。
「おーい、鈴倉ー。木野山が呼んでるぞー」
「木野山?」
不意に名前を呼ばれて教室の黒板側にある方の扉へと顔を向けた。木野山って、あたしの知り合いにいるのはあの小さいおばあちゃんだけなんだけど。
きょとんとしていると、またもやお弁当友達から注目を浴びた。心なしか、他の女子達も聞き耳立ててるみたいだし。
「えと……鈴倉はあたしだけど……?」
皆の視線が痛いので渋々立ち上がる。廊下に行くと、あらびっくり。
「すごいイケメンだわ」
「よく言われる~。あんたが鈴倉茉里? 俺、木野山葵っていうんだ。葵って呼んで。昨日はばあちゃんが世話になったみたいでありがとな」
思わず出た本音に葵君は軽く返答してくれた。これはあれですね、天然素材の思考を持った健やかな体育会系の部活少年ですね。おいしい役所ありがとうございます、そのイケメン拝見できて嬉しいです。
ふと思ったんだけど、葵君といい昨日会ったお兄さんといい、顔の造りがとても整っている。田舎とは思えないくらいの高レベルなルックスで眼福だ。
あ、もしかしてそこか。女子が一同あたしの方をガン見してるのは。学校屈指のルックスの持ち主であろう葵君と転校してきたばかりのあたしに、どうやって接点ができてお近づきになったのかが知りたいのかもね。でも残念、あたしは葵君と会うのは初めてなのです。接点があるのはおばあちゃんの方。
「お世話になったっていうか、少しお喋りしただけだから。飴玉貰ったし、こっちがお世話になっちゃったくらいだよ」
「そっかそっか。ばあちゃん、結構お喋り好きだから、また話してあげてよ。……何か伝言とかある?」
「特にないけど」
「本当に? そのポケットとか」
言われてはたと思い出す。そういえばブレザーのポケットに朱居さんの簪を入れていた。でも、あたしは葵君に簪の事は話していないのに、何で知られているんだろう。ポケットが膨らんでいるわけでもないし。
「何で分かったの?」
「内緒だよ」
にっこり微笑まれる。内緒にされるとかえって気になってしまうじゃない、とか思っていると、佐々君がちょうど教室から出てきた。佐々君はあたしと葵君の間に立つように割り込んで来る。
葵君がちょっと驚いたような顔をした。
「珍しいな、教室から出てくるなんて。なになに俺に用があんの? それとも鈴倉さんに用?」
からかったような声音で葵君が言った後、佐々君はぎろりと……すごい恐い顔で葵君を睨んだ。睨まれた葵君はひくりと頬をひきつらせた後、観念したように肩をすぼめた。
「分かったよ、俺は手を出さない。ああ、でも一つだけ忠告な。もうお手つきかもしんないから。昨日“路外れ”にあったって先生から聞いたから気をつけておいて損は無いかも。後は俺知らねー。またね、鈴倉さん」
最後にはちょっと大げさに手を振って教室へと戻っていく葵君。あれあれ、今この二人の間で会話なんて成立していなかったよね? 一方的に葵君が話していただけだよね。ちょっと睨みつけただけで全てを瞬時に理解するなんて、葵君と佐々君の意志疎通レベルに感動です。言ってることさっぱりだったけど。
忠告って何のことだろう。文脈からすると、その後の“お手つき”と“路外れ”の事だろうけれど。何が“お手つき”なのかはやっぱり分からない。“路外れ”は昨日のお兄さんが言っていた事かな。あのプチ遭難。この二つに何らかの関係があるとみた。
昨日といい、今日といい、この町の人たちの間でしか通じない言葉がある事は分かったけれど、それの善し悪しまでは分からない。だってどれも不穏な余韻を持っているみたいだもの。それにあのプチ遭難は下手をしたら命に関わる。
葵君の今の忠告があたしに向けてじゃなくて佐々君に向けられた言葉だったから、きっと佐々君は何かを知っているに違いない。
「佐々君! 今の話って……」
教室に戻ろうとしていた佐々君を呼び止めるために腕を引いた。
佐々君はふっと振り返ってあたしの耳元に唇を寄せる。
「帰り」
たった三文字。でも伝わった。放課後には教えてくれるのね。
……いやいやいや、それよりも。佐々君の吐息の絡んだ言葉にあたしはノックアウトです。何あの接近、男子にあれだけ顔を寄せられたの初めてだからかな、温かく、ばくばくと、心臓が鼓動している。
あー、びっくりした。佐々君はきっと将来、天然の誑しになりそうで恐いなぁ……。
どぎまぎしたまま平常心を装って教室に戻ると、お弁当友達から好奇心に満ちた女子高生特有のきゃあっとしたあらぬ疑いを受けた。
「何これ三角関係!?」
「きゃー、修羅場だ!」
「え、ちょっと、違っ」
何を言っても聞きやしない。あれだよね、佐々君があたしを追うように廊下に出たから、皆興味津々なんだよね。
どうやって説明したら誤解を解いてくれるんだろう。とか言っても、あたしも説明のしようがないんだけどさ。葵君と朱居さんの事で話していたら、佐々君が無言で割り込んできて葵君が退散しちゃったし。とにかく三角関係も修羅場も何も、転校して一週間ちょっとのあたしにできるわけもなく。
結局、誤解を解くことができないままお昼休みが過ぎてしまった。