登下校の追跡者2
そして案の定、迷子になりました。
「うきゃー、帰れなくなっちゃった……!」
取りあえず佐々君を探してみよう、とうろうろしたのがいけなかった。あたしはまだこの土地に不慣れだというのに、恐れを知らずに歩き出したのもいけなかった。おかしいな、確か一本道のはずだったのに、気付いたら林の中に分け入ってたんだもの。
気付いた時点で絶亡感。だって佐々君探しに夢中になっちゃって、知らない内に林の中に入っちゃってるんだもん。自分がどこから来たのかなんて、全く分かんないよ。バスが通る車道の脇を歩いていたはずなんだよ、本当。
でもどうしてか、林の中に入ってた。
これじゃあ、家どころかバス停にまで戻れない。プチ遭難だとは思うけど、あたしの方向感覚の無さは折り紙付きだからなー。前の学校で友達にお前とはキャンプに行けない、絶対遭難しそうだから、と言われたくらいだからね。ふふん、……泣きたくなってきた。
辺りはまだ明るい。スマホの煌々とした画面はまだ十七時を差していた。救助を呼ぶために電話をかけようにも圏外だから無理。何このド田舎っぷり。こんな所で発揮されても非常に困るんですけど。太陽の向きで方角を調べる古典的な手段も思いついたけれど、思ったよりも深い林のせいで太陽の位置が特定できないでいるし。
「あうー……。神様ー、もうストーカー何てしないから許してー」
きっとこれは、あたしが佐々君をストーカーもどきの行為をして迷惑をかけたために起きた天罰なんだね。しょうもないけど、この苦行を乗り越えなければいけなくて、この状況に甘んじる訳には行かないのだ。というか、甘んじていたらあたしは遭難死する。
渋々とあてもなく再び歩き出す。肩に掛けたスクールバッグの教科書の重みにあたしの肩が悲鳴を上げ始めている。かなりの時間を歩いた証拠だ。律義に全ての教科書を持って帰らずに、置き勉しておけば良かったと後悔。手に持ったままのリュックがちょっと重いから、腕も怠くなってきた。
そのままさまよっていると、不意に背後から何かの気配を感じた。
ぱきっ、ぱきっ……、と小枝や落ち葉や雑草を踏む音が。あたしのものと、もう一つ違うものの音。気のせいかと思って立ち止まってみると、気のせいなんかじゃなくて。
え、うそ。心臓がばくばくと早鐘を打つ。恐い。こんな時間にこんな林にいるとか、どうせろくな人ではなさそう……お化けとかだったらどうしよう。そういうのって信じてはいないけれど、いないとも断言できないから苦手なのに。
ものの見方によっては、助けを求められるとも思ったんだけど、何故かそんな事より恐怖の方が勝ってた。どうして? 分かんない。でも自分の中の恐怖の思いが救いを求める声よりも大きい事だけは分かる。虫の報せみたいなものかな、何だか居心地が悪い。
足音が近づいてくる。
あたしは立ち止まって、音を立てまいと呼吸するのにさえも細心の注意を払っているのに、正確に足音は近づいてきていた。ふと、この足音が佐々君だったらいいのにと僅かな希望を見いだす。でもそんなことはないんだと、きっぱり自分で否定した。これもどうしてかは分かんない。本能的に感じている事だから説明のしようがないんだもの。
呼吸をはかって、こっちに来ないでと身を固くして。足音へと意識を集中させる。どくどくと自分の心臓の音の方が大きく聞こえるように感じて、どうかこの音が相手に届きませんようにとも願う。
そうやってじっと身を潜めていると、不意に後ろから誰かに両肩を引かれてあたしはバランスを崩した。後ろに倒れる! って思ったけど、そのままぽすっと誰かが受け止めてくれた。
あたしは口をぱくぱくさせるだけで声が出ない。だってだって、思っていた場所と全然違う場所から突如として人が現れたんだよ。これが恐くないなんて言えるわけがないよ。
その、あたしを驚かした張本人を見上げる。え、何で貴方も驚いてるんですか。
あたしを驚かしたのは、さっぱりとした短髪の黒髪に美白の麗人だった。歌舞伎よりは派手じゃない、妖しく艶めかしい濃いめの口紅のような赤色で目元に隈取りっぽいのをしている。そして柄入りの羽織を、着崩しているシンプルな深草色の浴衣っぽい着物の上から羽織っている。すっごく色っぽいお兄さんだ。下の着物の色は、どこか佐々君のスカーフと雰囲気が似ている気がした。
まじまじと見つめていると、あたしを驚かした人は唇をわずかにゆるめて笑った。その化粧の雰囲気からきついイメージがあったけど、そうでもないかも。全然きつくない、柔和な微笑だ。あたしは害は無さそうだと、安全になったと判断した。そして言われる。
「こんな所で迷子になってる子がいると思って来てみれば。その服はフミと同じ学校の子やね。ひとりぼっちで此処にいるのは寂しかったやらぁ? 外まで連れて行ってあげようね」
呆然。
え、え? この人が迷子なあたしを助けてくれるの? 危険は去った?
「こんな所で迷うなんて、お嬢はここらにあんま明るくないやろ。初歩的な“路外れ(みちはずれ)”だから良いものの、もう二度と変にうろついてはいけないよ。お嬢みたいな若いのは怖いのに喰われやすいからね」
「は、はい……」
みちはずれ?
くわれやすい?
何だか不穏な単語が聞こえたけど、突っ込んじゃいけない気がしたからしないでおく。きっとあたしなんかのキャパシティには収まらない壮大な思考の持ち主なんだろう。いい歳したスピリチュアルなお人なんですよね、服装と言動で分かります。
こっちやよ、と誘われて数十歩。すぐにアスファルトの敷かれた道路へと直面した。え、そんなすぐ近くに感じられる程度の林の深さでは無かったよね?
確かに木々はまばらに生えていて、しかも入り組むように生えているから遠くまで見通せる状況ではなかったけど、こんなに道路が近くにあると思えるような程度ではなかった。こんなに道路が近いなら、車のエンジン音とか絶対するはずだもの。いったいどうなってるの、この林。
次々と不思議な事が起きるから、あたしの頭はパンク寸前だ。でも色々生まれる疑問はさて置いて、先にお礼を言わなくちゃ。うん、ちゃんと礼儀を考えられる余裕があるなら大丈夫かも。平常心、平常心。
あたしは着物のお兄さんに向き合った。お兄さんはどこからか取り出した古風な煙管でぷかぷかと一服している。さまになってるなぁ。今時煙管使う人なんて本当に珍しいけど。
「あの、ありがとうございました。おかげでプチ遭難しないで済みました」
「気にしないでええよ。ここらは時々、迷いやすい仕組みになってるからね。わしはよく散歩していて、出来る限り困った人を見かけたら助けたげてるんよ」
煙管の灰を落としつつ、お兄さんは笑った。うーん、様になっていて惚れ惚れしちゃうなー。
そしてお兄さんはふと思い出したようにしてあたしを見た。
「そういえばフミを見なかったかい。そろそろ来るはずやと思って迎えに来たんやけど、なかなか会えなくてね。バス停で見かけなかったかい?」
「ふみ……。あ、佐々文孝君ですか?」
「そうそう。ああ、その制服で見当は付いていたけど、やっぱりフミと同じ学校の子なんやね。その子がフミやよ」
どうやらこのお兄さんは佐々君の知り合いみたい。佐々君の無表情から想像できないくらい人懐こそうな人だ。なんとなく、顔の造形が似ている気もする。親戚なのかな。
「あたしも佐々君を探してたんです。ちょっと好奇心で佐々君追いかけ回してたら、このバス停でまかれちゃって」
「おっかけ? フミにもとうとうモテ期到来したかー」
呵々、と笑われた。うーん、別に惚れた腫れたとかいう恋愛感情は無かったんだけどな。いつもバスが同じなのに、無言で揺られて運ばれて行くだけとかつまんないもの。どうせなら、仲良くなってお喋りしたい。そんな下心バリバリなんだけども。
でもすぐに大真面目な顔をしてお兄さんは言う。
「でもいただけないな。この時間帯にここらに不慣れな子を置いてけぼりにするなんて、こんな危険な事やらないように後でお説教しなくては」
「いや、佐々君は悪くないですよ。あたしが佐々君が嫌がっているのにぐいぐい押し掛けてきたのが悪かったんです」
正直に思ったことを言えば、お兄さんはすごく優しそうに笑った。良い子やなー、と言うように頭を撫で撫でされる。何故?
不意の頭撫で撫でに戸惑っているとお兄さんはそれをすぐにやめて、煙管の灰を全て落としてから袖元にしまった。
「もうお帰り。このバスを乗り逃したら帰れなくなるよ」
お兄さんの声に誘われるかのように、バスのライトが見えた。スマホの画面を確認すれば、いつもあたしが乗るバスの時間で。もうこんな時間だったのかと、ちょっと驚いた。
あたしはお兄さんにぺこりとお辞儀をしてもう一度お礼を言うと、バスに乗り込んだ。行きと同じ場所に座る。そうすればお兄さんの姿が見えるから、小さく手を振った。お兄さんも気付いて手を振ってくれる。あ、名前聞くの忘れたや。まあまた会えるでしょう。佐々君を追いかけ回……すのはもう止めるから、もしかしたら町中とかで会えるかもしれない。名前は次の機会に聞こう。
バスが発車して気付いた。バス停からちょっと行った所に佐々君がいて、こちらの様子をじっと見つめていた。何か口をもぐもぐとさせている。じっと目を凝らして読み取ってると……なになに『ごめん』?
あら、佐々君があたしに謝ってくれたですと? この場合、おっかけしたあたしの方が悪い気がするんだけどなあ。
思ったけど、もう随分離れてしまって伝わらないだろうから、その事は明日言うことにする。
完全に佐々君の姿が見えなくなる手前に、お兄さんが佐々君の頭を思いっきり叩いていたように見えたのは気のせいかな?