表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ヤマダヒフミ自選評論集

「キッズ・リターン」のラストを考える

 


 「マーちゃん、俺達もう終わっちゃったのかなあ?」

 「バカヤロー、まだ始まっちゃいねえよ」


                        (北野武「キッズ・リターン」より)


 「キッズ・リターン」という映画を最初に見た時、(ああ、この映画は一度見ればもう見なくて良い映画だなあ)と感じた。主人公は二人。落ちこぼれ高校生のマサルとシンジ。親友だったシンジとマサルは、学業をまともにやるつもりがなく、それぞれの夢を追い始める。シンジはボクシングの道を進み、マサルはヤクザの道を進む。だがどちらも道を進み続ける事できずに挫折し、後に再会する。人生に失敗した若者二人は、昔のように自転車を二人で乗りながら、学校の校庭を走り回る。その時に発したセリフが上記の引用となる。


 北野武の映像云々の事を置いておくと、ストーリーとかテーマなどは割合陳腐なものだ。他の監督でも取れるような映画だと言っても良いだろう。先に「ソナチネ」という傑作を見ていたから、なおさらその感が強かった。「これならば北野武でなくても撮れるな」 そういう印象で映画を見ていった。一度見れば十分な映画だと、そう感じていた。


 そのままの印象で映画が終わっていたら、僕はこの文章を書かなかっただろう。「一度見れば十分だ」と思っていた矢先に、有名なラストシーンが現れた。


 「俺達もう終わっちゃったのかなあ?」

 「バカヤロー、まだ始まっちゃいねえよ」


 このラストが現れた為に、ラストにたどり着く為だけに、それまでの映像を見返す事になった。僕の印象は破れた。ラストシーンが、それまでの映像に対する僕の印象を打ち破った。


                     ※


 先に、一般的な話をする。


 まず、社会における挫折という問題がある。実際の所、この問題を北野武はそれなりに陳腐にしか描けていない。というのも、「挫折」という問題においてはわかりやすい理解は、「成功」と「挫折」の二択だ。それは「一部の才能ある人(が努力すれば)成功するけれど、他の大半は挫折する」というものであり、これが普通にある見解と言って良いと思う。


 こういう普通の見解自体に僕は批判的なので、「キッズ・リターン」という映画がその見解からはみ出していない事に不満を覚えた。「一度見たら十分だ」と最初思ったのも、そういう理由がある。この見解の何に不満なのかはここで言うと長くなるので飛ばす。


 さて、シンジはボクシングに挫折し、マサルは極道に挫折する。二人は昔のように、高校生の時のように自転車に二人乗りして校庭を走り回る。彼らはもう終わった存在である。社会的にはチャンスがない。絶望しかない。だが、この絶望の中で「まだ始まっちゃいない」という、強がりにも聞こえるし、希望とも聞こえる言葉が発せられる。


 このラストは印象的だが、普通の「希望ある映画」ではこんな風な描き方は決してしない。普通の「希望ある映画」では、夢が叶ったり、いつまでも自分の幻想が続いたりする。「けいおん」のラストではあずにゃんが「先輩、卒業しないでください」と言う。これは僕ら(僕も入れてもらおう)アニオタの願いを代弁しているかのようだ。声優にいつまでも十七歳の少女であって欲しい、結婚しないで欲しいと願うかのようだ。だが、現実には幻想は続かない。


 本来的には、「キッズ・リターン」のラストはラストの絵にならないだろう。なにせ、シンジとマサルは二人共、失敗してどうしようもない状態にある。この二人が失敗を重ねながら成功していく様を描くのが、普通の映画だ。辛苦を重ねて、成功するのが僕らの幻想であるし、それはきっと叶いっこない現実だけど、叶って欲しい現実でもある。素敵な仲間はバラバラにならずいつまでも一緒でいてほしいし、映画内で失敗が一つ二つあっても、成功の為の足がかりだと信じられるからこそ、その「先」を見る事ができる。これが普通の人が映画を見る場合の精神的態度に思える。それは丁度、自分の子供にプロ野球選手になって欲しいと願う親に似ている。きっと無理だろうけど、でもなってくれたら、という夢。現実は厳しいかもしれないけれど、せめてフィクションでは夢を見させて欲しい、という欲望がある。


 「キッズ・リターン」はそういう終わり方はしていない。現実には敗北した。良い事は一つもない。希望はこれっぽっちもない。何もない。しかし、だからこそ、上記のセリフが輝く。この場合、輝くのは単に言葉のみである。物質的に、社会的に、客観的には完全に終わっている。いい所は一つもない。しかしだからこそ、単なる言葉が…つまり、ただの空っぽの精神が光る。精神は現実に敗北してやっと光る。キリスト教の根っこにある精神などはそれであると思う。現実に差別され、石を投げられる。徹底的に打ちのめされるからこそ、内心の精神は怪しく光りだす。自分達の現実が地獄であるからこそ、天国に行けると信じられる。ここには倒錯があるが、これは人間の強みとも弱みとも言える。


 劇というのは何だろうか。ソポクレスの「アンティゴネー」という作品は傑作だと思うが、女主人公は王の決めた掟に反しても、自分の意志に従って行動する。彼女は予定通り、王に幽閉され、最後は自死する。


 現代の劇はまるで逆となっている。人が意志を持って行動するのは、世の中に認められ、成功する為だ。だから、現実に沿ったそんな劇が多数輩出される。ほとんどがそんな劇だと言って良い。見かけがそうでない場合も、観客や同業者の顔色を窺っている作品は全てそういう作品だと言って良い。


 人間の意志とか精神は、現実に逆行しても、尚も存続し続ける、自分が死ぬ時まで走り続ける、という所に怖ろしい部分がある。精神は絶えず現実に敗北する。だから、最初から敗北した人は勝利したように見える。そんな大人を沢山見かける。最初から戦わずに屈した人はそれなりにうまくやる。彼らは戦わないから、勝利する。しかし、戦う事を決めた人間は必ず敗北する。


 戦う事を決めた人間も、社会的に成功して、勝利する場合もあると人は言うかもしれない。ここに最初に言わなかった「キッズ・リターン」全体への不満もあるのだが、結局の所、社会的に成功しようがどうなろうが、精神は必ず現実に敗北する。何故そう思うかはこれまた長くなるので、書かない。


 精神は現実に負け、地に塗れるが、それでも不屈であるという所に痛ましい美しさがある。ここにドラマが成立する。人間は現実に敗北するが、それでも敗北を笑い飛ばす事ができる。強がる事ができる。強がりはただの強がりだと人は見るかもしれない。しかし、強がる事もせず、現実に屈した人の笑顔をどう見ればいいか。彼らは負けた事がない。何故なら、最初に己に負けたからだ。


 「キッズ・リターン」の二人は絶望の状態にある。にも関わらず、二人は笑う。二人の笑いは虚しいかもしれない。だが、この笑いがなければ、人間はいつも環境とか現実に従属する存在となってしまう。二人の笑いを虚しいと笑い飛ばすのは大人の態度だ。だが、大人のその態度を子供が笑い飛ばしては何故いけないのか、という転調で映画は終わる。


 「キッズ・リターン」という映画は、最後の場面で昇華されたように思う。ラストがなければ、本当に「一回見れば十分」の映画だっただろう。ラストの場面が感動的なのは、僕らが希望とか幻想とかいう形で持っているものを廃棄しても尚も、まだその底に何かがあるからだった。多くの人は「キッズ・リターン」を見た、感動したといっても現実に帰ると、やはり希望とか幻想を手に持つだろう。だが、「本当に」それを捨てなければ芸術は始まらないというのは一体どんな言葉で語ればいいのかと自分はいつも思案している。多分、それはこんな風に中途半端な言葉でしか語る事ができないのだろう。僕は一度、あのヘンリー・ダーガーに対してさえ、人生を「うまくやった」(結果として有名になったから)と評している言説に出会った事がある。このように、平俗化の運動はいつでもどこにでもある。そうした運動は絶えず、現実の過酷さから目を逸らすか、現実の過酷さに屈するかのどちらかだ。敗北した精神は外観上、勝利した微笑みを見せ、勝利した精神は外見的には敗北の姿を見る。どちらが良い人生かと言う事はできない。ただここは、大きな分岐点ではあると思う。「キッズ・リターン」はこの分岐点で独特の曲がり方をしたのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言]  はじめまして。大変興味深かい感想でした。  北野監督の作品は座頭市以外ノーチェックだったので、今度時間がとれた時にでも是非に観賞したくなりました。  という訳でキッズ・リターンは未見な…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ