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 さて、次なる問題はこの巨大な蟹の死骸をどう処理するかなのだが……

「海に戻すデンスよ」

 デンスが蟹の脚を引いて海に泳ぎだそうとするから、俺は大慌てでそれを止めた。

「待て待て待て、こんなに息のいい蟹をそのまま海に捨てるのか?」

「捨てるのではなく、戻してやるんデンスよ。死んだ生き物に対する敬意と、あとは、他の蟹たちに『こうなりたくなかったらうかつに海岸に近づくな』という警告を込めてるんデンス」

「もったいない、それはあまりにもったいないよ」

 蟹は大きさこそメートル級だが形のほうはズワイガニによく似ている。たっぷりの身入りを感じさせる形よい脚といい、いかにも味噌が詰まっていそうな丸みを帯びた三角形の頭部といい、どこをとっても食欲をそそる美麗なる逸品だ。

 俺はよだれを垂らしながら力説する。

「こちらの世界では食材に対する敬意というものはないのか? 食事というのはすべからく命をいただく行為、なればこそ自らの血肉とするために奪った命に対して両手を合わせ、高らかに感謝の言葉……『いただきます』を唱える、そうした奥ゆかしい文化はないのかっ!」

「いや、食事の時に『いただきます』はちゃんと言うデンスよ、でも……これはただの蟹デンスよ?」

「蟹は食材だ! しかもズワイといえば日本三大蟹の一角でもある高級食材、それがこれだけあるのに食べないなど、これこそ愚の骨頂!」

「食材デンスか、これが?」

 困り顔のデンスをかばうように、イケメンが前に出た。

「実はあなたがこの世界に呼ばれたのはそれが主なる目的、何しろこちらでは海の生物が恐ろしく強くて巨大であったために、これを食べるという文化が育たなかったのです。それゆえにこうした海の生物の食べ方をこちらの世界に広めてほしいと、そういうわけなのです」

 その後でイケメンは、ややため息交じりに肩をすくめて言った。

「本当はカニに対する戦力としても期待していたんですけどね、それはほら、まあ……」

「違う、あれはいきなりの戦闘で、しかも初陣で、いろいろと心の準備が……」

「ふん、心の準備なんか待ってくれないのが戦闘というものですよ。まあ、そちらは我々に任せて、せめて食文化の水先案内だけはしっかりと果たしてくださいよ」

「むう……」

 なるほど、返す言葉がないというのはこういうことを指すのであるかと痛感する。

 それでも俺は温厚で優秀で温情にあふれた優しい人間だ。イケメンへの怒りは胸の内に収めて蟹の脚を少し叩いてみる。

「なるほど、やはりこれだけ大きな蟹ともなると、殻もそれなりに厚いな」

 そんな俺の姿が珍しいのか、デンスがちょこちょこと後ろからついてくる。

「なになに、何が始まるデンスか?」

「料理だよ。とはいえ、これだけ大きな食材、茹でようにも鍋など見つからないだろうし……」

「鍋なら、鍛冶屋に頼んで作ってもらえばいいデンス」

「バカか、鍋が出来上がる前にカニが腐っちまうだろうが」

「あ、そうか、う~んデンス……」

「焼くか」

 ここで俺は、ここがファンタジー世界であるが故の素晴らしい可能性に気づく。

「あ、もしかしてこの世界には魔法があったりは?」

「あるデンスよ」

「それはいい、じゃあ、焼いてくれ」

 俺は意気揚々だったのだが、デンスのほうは、少し困ったように眉をハの字に下げた。

「残念だけどダーリン、私は魔法は使えないデンスよ」

「ん、ちょっと待て、いま俺のことをおかしな呼び方しなかったか?」

「魔法とは神の加護を受けたもののみに許された能力デンして、誰でもが使えるというわけじゃないんデンス」

「なあ、俺の呼び方!」

「ちなみに我が国の魔法の使い手は、うちの弟デンス!」

「そんなことより、俺のことを何と呼んだ!」

「『ダーリン』デンスね」

「やっぱり! お前それ、意味わかって言ってんのか!」

「わかってるに決まってるデンスじゃないデンスか~、うちのマミーはダディ―のことをダーリンと呼んでいたデンス。で、私もひそかに、好きな人ができたらこう呼ぶの、憧れていたんデンス」

 恥ずかしそうに顔を伏せて、デンスが囁く。

「だ、ダーリン♡」

 口調はかわいいが……どう頑張ってもモブ顔、しかも二十歳半ばの年増が言うには少々イタいセリフだ。

「勘弁しろよ~……」

 俺が頭を抱えてへたり込むと、デンスはうろたえたように体を揺すった。

「でもでも、名前、知らないデンスし……」

「蟹江クウ、クウってのは食べるほうの『食う』じゃないからな、空って書いてクウだからな」

「お空デンスか、なんだかスケールが大きくてかっこいい名前デンスね」

 突然、幼女王女がトテテテと走ってきて俺に飛びつく。

「あのね、ミーヤはミーヤ=シーサイダーなの、王女様なの」

 それに勢いを借りて、俺とデンスの間に割り込んでくるイケメン。

「俺はヤシ=スウェークス、この国の参謀であり、魔導士ですよ」

 それから彼はわずかに顔を伏せて、やたらとドスの利いた声で囁いた。

「お義兄さん」

「うっわ、こっわ、お前それ、嫌味で言ってるだろ」

「おや、姉婿になるかもしれない方に、なんで嫌味なんか言う必要があるんですか、お義兄さん」

「そもそも、なんでこのタイミングで自己紹介?」

「ああ、それは転生者を迎えるにあたっての、女神との誓約なんです。メインヒロインである姉よりも先に自己紹介をしてはいけないと」

「その女神、なんかおかしくないか?」

「いえ、確かに変わり者ですが、ふむ……」

 腕を組んでしばらく考え込んでいたイケメンは、やがて何に気が付いたか両手を打った。

「そういえば、耳慣れない呪文を言っていたような気がします」

「呪文だあ?」

「はい、少し含み笑いをしながら『タマニハノマカプモヨイ』と」

「それだ、それだよ! その女神、腐れてるんだろ?」

「はい、骨の髄まで腐れていますね」

主食ホモに飽きたから、たまには変わったものが食べたいってか。人の人生をなんだと思ってやがる!」

「この呪文の意味がわかるんですか?」

「ああ、わかる。が、あんたたちは知らないほうがいい」

 言いながら俺は、ちらりとデンスを見る。確かに女ではあるが、こんなモブ顔との恋愛を期待されては、せっかく転生などした意味がない。

「俺は、そんな腐れ女神の思い通りにはならない」

 決意を込めてこぶしを握る。デンスはきょとんとした顔で俺を見下ろすばかりだ。

 イケメンだけが肩をすくめて、ため息をついた。

「まあ、そんなことはどうでもいいんですけどね、この蟹を焼けばいいんですか」

 そういいながら掲げた彼の右手の指先には、すでに小さく火がともっている。


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