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その声に応えてはるか天上、雲の上から一条の光が降る。俺は迷うことなく光の中に片手を突っ込んだ。
「見よ、これが女神より授かりし転生の証!」
そのまま、手の平の中に感じる金属の感触を信じて掴みよせる。小さく火花を散らしながら光は霧散し、俺の手の内に残ったのは人の背丈ほどもある細身の大剣。
「蟹身粉砕の聖剣、エクスカニバー!」
……と、思いっきり格好つけて大剣を構えたが、俺の世界の人間がこの姿を見たならば失笑することだろう。
何しろこの剣、持ち手は特に細く繊細で、その先が小さく爪を立てたかのように二股に分かれている。逆に刀身のほうはやや幅広く、微妙な湾曲を描いて先は丸く……そう、大きさこそ違えど、形状はカニの身をほじくりだすアレに似ているのだ。
しかし、ここにはコレの本来の使い方を知る者はいない。俺は抜き身の刀身に映る己の顔の向かって不敵な笑いを浮かべて見せる。
「なるほど、相手が蟹ならばこれは最強の武器だろうよ」
おまけに女神の加護を受けた装備品だ、その潜在能力は計り知れない。
「さあ来い、蟹野郎!」
俺の声にいきり立ったか、やつは海中からいきなりせりあがり、その全身を現した。
「うっは、予想はしていたけど、デカっ!」
長い脚を広げて立つ姿、目玉までの高さは目算2メートル。
イケメンが俺の後ろで叫ぶ。
「これはまだ小さいほうです、しかし気が立っている、気をつけて……」
その言葉を最後まで待たず、蟹は左のハサミを俺に向かって振り下ろした。
「あっぶねえ!」
間一髪、大きく後ろに飛びのいた俺の鼻先をハサミの先がわずかに掠める。左頬に細く痛みが走り、つうと流れた僅かばかりの血液が海岸の砂に落ちる、その音までもが聞こえるような気がした。
一瞬遅れて聞こえる、砂にめり込む巨大なハサミの音と巻き上がる砂の衝撃、これをよけきれず、俺は大きく弾き飛ばされる。
「うわっ! マジかよ!」
叩きつけられた先も海岸であったのが不幸中の幸い、分厚い砂のクッションは俺の体を柔らかく受け止めてくれた。
「岩場だったら死んでんじゃんよ!」
大きな声を上げたのは無様な姿をさらしたことに対する照れ隠しと……恐怖だ。
俺は一度目の人生をトラックにはねられて終えた。その時の苦痛と恐怖は今も記憶に新しい。
自分の身長を超える大きな蟹の姿は、あの時の、俺に向かってくるトラックのフロントしか認識できなかった今わの際を思い起こさせるは十分な造詣をしている。
ふと、心のうちに素朴な疑問がわいた。
(もしもこっちの世界で死んだら、どうなるんだ?)
どうもならないに決まっている。転生なんて奇特な幸運が二回も起きるわけがない。
「死んで……たまるか!」
エクスカニバーを握りなおすが、そんな俺の背後でイケメンと幼女がわめき散らす。
「いくら勇者様とはいえ、いきなり戦いに出しちゃダメだったのよ!」
「いいえ、勇者なのですからこのくらい、試練と思って乗り切ってもらわねば!」
「助けてあげないと、勇者様が死んじゃう!」
「死んだらまた、新たな勇者を呼べばいいだけのこと」
俺はそんな二人を怒鳴りつける。
「うるせえ! 黙って戦わせろ!」
とはいえ、戦況は圧倒的に不利だ。
いくら女神の加護を受けている武器だといっても、何しろ俺は剣をふるうこと自体が初めてなのだから心もとない。最初の武者震いもどこへやら、俺は情けなくも本物の恐怖の戦慄に粟立つ肌を感じていた。
「死んで……死んでたまるかッつうの」
正直、一度も剣を握ったことのない者が正しい握りなどわかるわけがない。両手でぎゅっと握るが、妙に長い柄はつるりと滑って俺の手からこぼれ落ちそうになる。
それでも刀身を引き起こし、再びハサミを振り上げたカニをにらむ。
その時、妙に甲高い女の声が耳元で鳴った。
「助太刀するデンスよ!」
さあっと俺の横を駆け抜けたのは海風か……いや、一人の体格のいい女性だ。
彼女は海軍のお仕着せだろうか、モスグリーンの軍服をかっちりと着こんでいた。顔も確かめたかったのだが、なにぶん一瞬のこと、俺からは蟹に向かって疾走する鍛え上げられた広い背中しか見えない。
彼女が手にしているものは、一本の櫂……
「って、そんなもんじゃ危ないだろ!」
俺の叫びよりも早く、風を切って閃く櫂は電光、そして振り下ろされる切っ先すら見せぬ彼女の動きは石火……メキョっと派手な音を立てて、木製の頼りないはずの櫂が蟹の目の間を砕いた。
女は俺に背中を見せたまま、降りかかる甲羅の破片を浴びて片手を高く掲げる。
「ふっはー、私に勝とうなんて百万年早いデンス!」
言葉遣いは少々アレだが、その姿は絵画に書かれているかのように美しく、猛々しい。恋の予感に、俺の胸が高鳴った。