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と、意気揚々でこの世界に足を下した俺は、さっそくのトラブルに頭を抱えていた。
言葉の壁? そんなものは女神の力によって細胞ごと異世界の人間として転化させられた時に解消されている。
俺が頭を抱えているのは、おそらくこれから始まる俺の華やかな冒険活劇のヒロインとなるであろう女性が幼女だということだ。
彼女は海洋王国メヒコの若き女王だということだが……背丈は俺の腰の辺りまでしかない。当然に体の発達も乏しく、女王然と見せようと張り切って仕立てたらしい過剰にドレープの聞いたドレスに体が埋もれてみっともないことこの上ない。
そう、例えるならば豪華なドレスに貧弱な手足をつけて、小さな童顔をのっけたような見てくれなのだ。
ところで、俺は思ったことは素直にいうことにしている。腹に言葉をためても満腹になるわけじゃなし、何か一物含むという行為はストレスがたまるばかりでなんの役にも立たないと知っているからだ。
だからこの時も、俺は身を折って血を吐くような声でうめいた。
「ま~じかよ~、ツルペタは性癖じゃねえよ!」
女王は戸惑ったようにあたりを見回し、隣に立っていた――おそらく大臣だろうか、ふんわりとウェーブのかかった金髪まぶしいイケメンに向かって囁いた。
「つ、ツルペタってなに?」
イケメンが曖昧な微笑みを浮かべたことを考えると、『ツルペタ』という単語の意味まで正確に伝わったということだろうか。
彼は優しく微笑んで女王に囁き返した。
「下々のものが使うスラングです。あなたが知る必要はありませんよ」
「知らなくて困らない?」
「はい、むしろ生涯知ることなくて構わない、戯言です」
俺はそんなイケメンに向かって叫ぶ。
「お前っ! 乳は男の哲学だろうが!」
イケメンはあからさまに顔をしかめ、女王の両耳を自分の手でふさいだ。
「さあ、これで心置きなく哲学が語れますね。何を隠そう、私も女王様のお胸のボリュームはないわ~と思っています」
「だろ、だろぉ!」
「しかし、それはあなたには関係のないことでは?」
「関係大アリっしょ! なにしろ、こういう話では女王様ってのは勇者ハーレムの筆頭じゃん?」
「つまり、女王様を娶ろうとお考えですか?」
「いやいやいや、娶るとか娶らないとか、俺が考えることじゃなくて運命! つまり、そういう流れになるのが普通じゃんよ」
「それは、あなたの世界でいう『異世界ものテンプレート』というやつですか」
この言葉に、俺はハッとして身を引いた。
「俺が異世界人だと知っている……いや、こことは異なる世界があるのだと理解している。貴様、何者だ!」
「何者って、この城で参謀をさせていただいているものですけどね。もしかしてあなた、転生の女神さまから何も聞いていないと?」
「聞くって、何を?」
彼は大きく舌を打ち鳴らした。
「あの女神、一番面倒なところを押し付けやがったな」
「あ、あの~」
「おっと、これは失礼。そうですね、きちんと説明させていただきますのでご心配なく」
「もしかして、俺の転生はお前たちによって仕組まれたものだったのか?」
「『仕組まれた』なんて人聞きの悪い。私たちは自分の信仰に従って女神に敬虔なる祈りをささげた、それが聞き届けられたという話ですよ」
「よくわからないが、難しい話か?」
「はい、この国の存亡がかかった、とても複雑な話なのです」
イケメンは女王の両耳を押さえていた手を放し、その傍らに静かに畏まった。
「詳しい話はぜひ、女王様からお聞きください」
「わ、わかった」
俺は自分がここへ転生『させられた』のだということの重大さにおびえながらも、胸を張る。
異界から戦士を呼び寄せようというぐらいなのだから、この国には何かの大事がある。果たして戦争か、異種族の侵略か……きっと熾烈な戦いの運命が俺を待っているに違いない。
「女王よ、なぜ俺を呼び出した」
俺が思いっきり戦士のイメージを絞り出して作った低めの声に、女王はおびえて体を震わせた。これにイケメンが抗議する。
「ちょっと、その声!」
「なんだよ、戦士ってこういうもんだろ」
「女王様は小さな女の子ですよ、そんな声出したら、怖がるに決まってるでしょ!」
「んだよ、これからまじめな話をしようっていうんだ、子供だとか子供じゃないとか、気遣ってる場合かよ!」
「いいから! これじゃ話が進まないでしょ!」
「わかったよ」
俺は怒りに脈打つこめかみを押さえて、とびっきりの猫なで声を出す。
「ん~、女王ちゃんは、俺になんのお願いがあるんでちゅか~?」
女王はわずかに顎を引いて、上目遣いで俺を見上げた。
「かに……」
「は、かに?」
「カニさんを退治してください!」
「蟹ぃ?」
これが、すべての冒険の始まりだった。