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そこで俺は、カニを取り囲む人垣を抜けて城へと足を向ける。
きっと誰か見ている者がいれば、浮かれて踊りだしそうな俺の足取りを笑っただろうか。いや、まずは俺自身が自分の浮かれた気持ちに戸惑い、これを腹の中で嘲笑っていた。
「落ち着けよ、俺、相手はモブ顔だっつうの」
自分に言い聞かせようとつぶやくが、それはかえって逆効果だった。俺の脳裏にデンスの笑顔が思い浮かぶ。
「うっ!」
甘い痛みに胸を刺されて、俺は立ち止まる。
「デンス……」
モブ顔だからって、地味なわけじゃない。年に見合わぬ無邪気な笑顔は、むしろ楚々と咲く野の花のように……
「って、何考えてんだ、俺は」
彼女はあくまでもヒロイン『候補』だ。せっかく命と引き換えに得た第二の人生、これからどんな出会いが待っているかわからないというのに、モブ顔一人に心を決めてしまうのはあまりにももったいないではないか。
しかし今だけは、そのモブ顔に会いたい……そんな思いを胸に、俺は城門をくぐる。入ってすぐ、あの特徴的なしゃべり方が鼓膜に響いた。
「言いたいことはわかったデンスよ」
彼女は城のエントランスへと続く前庭に居た。ここには植栽として形よく整えられた松が配され、足元にはハマボウフウがじゅうたんのように敷き詰められている。
緑を基調とした風景の中に立つ彼女はりりしく、少し胸が弾んだ。
だが、彼女の前にはイケメン弟が立っていて、どうやら二人は込み入った話をしているようだ。特にイケメン弟は少し怒っているような様子で、気楽に出て行きにくい。
俺は仕方なく――本当に仕方なく、植栽の影に座り込んで二人の会話に聞き耳を立てる。ヤシの声はきっぱりはっきりくっきりとあたりに響いた。
「いや、姉ちゃんはわかってない!」
「わかってるデンス!」
「わかってねえって、姉ちゃんはあんな男にはもったいないっつうの!」
「そんなこと言ったって、このままじゃ私、行き遅れちゃうデンスよ?」
「それでもあの男はやめておけ、だいたい、勇者だっつうから期待したのに、てんで弱っちいじゃねえか」
「それは鍛錬次第で何とでもなるデンス」
「それに、姉ちゃんのことババア扱いとか!」
「実際に私のほうが年上なんだし、仕方ないデンス」
「だからさあ、姉ちゃんのそういう控えめなところをいいように利用するに決まってんだよ、ああいう男はさ」
飛び出して行って「そんなことはない」と反論してやろうかと思った。利用するだけのつもりなら、もっと甘い言葉も囁くし、あんなふうに冷たくあしらったりはしない。
俺は本気も本気、心底真剣に、転生という人生大逆転的な主役の座を手にしてまで、周りから押し付けられたヒロイン候補が年上モブ顔だったことを嫌がっているのであり、別にデンスの好意を利用してやろうなどとは思っていないのだ。
そんな俺の耳に、デンスの寂しげな声が沁みた。
「利用されても、仕方ないデンス……」
少しかすれた声は、まるで泣いているようだ。声音も小さく、頼りなく、幾分震えて寂しい。
俺の胸の奥で、何かがキュンと音を立てた。例えば今、あのイケメンになんとののしられても構わない、すぐに飛び出して行って彼女を抱きしめてやらなくてはいけないという焦燥感に腰が浮く。
そんな俺の気持ちを押しとどめたのは、デンスが次に放った一言であった。
「利用しているのは私のほうデンス。自分が行き遅れたくないからって、ダーリンの運命を弄んでるの、わかってるデンス」
すうと全身の血が冷たくなってゆく。冷めきった頭の隅にデンスの無邪気な笑顔が浮かぶ。
「そうか、あれは……」
心からの笑顔ではなかったのだ。
デンスの言葉は続く。
「本当は、あの人を召喚する話があったときに、止めるべきだったデンス。だって、あっちの世界で幸せに暮らしているかもしれない人を殺して、無理やり転生させるとか、やっちゃいけないことデンス。そんなことわかっていたのに、強く出られなかったのは……私自身の身勝手だったデンス」
「だからって、あんな劣悪そうな男に義理を感じる必要はないだろ」
義理! そう、義理だったのだ。
デンスの優しさも、無邪気さも、俺を好きだといった言葉さえもが!
すべては俺の転生を止められなかったことに対する後ろめたさからくる、ニセの愛だったのだと!
二人はまだ何かを話している様子だったが、俺は気づかれないように植え込みの中を這ってその場を離れた。
「そうか……そういうことか」
くっと奥歯をかみしめるが、ボロボロと頬を伝う涙を止めるには至らない。
俺は声を押し殺して泣きながら、固く心に誓った。
(俺は、絶対にデンスを好きになったりしない。絶対に……デンスよりいい女を見つけて幸せになってやる!)
そう、俺の人生は俺自身のもの、誰にも弄ばれはしないし、誰にも憐れまれたりはしない。
「見てやがれ、デンス!」
カニのように地面に這いつくばった俺は、目玉だけをぎろりと天に向けて青い空をおにらみあげたのだった。




