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 甲羅の周りを取り囲んでいるのは二十人ほどのごっつい兵士のおっちゃんたち……ただし、全員が片手の酒瓶を下げて明らかに宴会モードだ。

 彼らはちょうど蟹味噌をすくって食べていたのだが、俺の顔を見るなり酒瓶を掲げて口々に言った。

「おう、兄ちゃん、このカニミソっての、うまいんだけどさあ、つまみになんねえな」

「違うよ、酒が悪いんだよ、な、兄ちゃん、これに合う酒って、あるんだろ」

 なるほど、兵士たちの体からは安酒を飲んだ後に特有のアルコール臭い体臭が立ち上っている。

「うわ、いったいどんな酒を飲んでるんだよ」

 俺は兵士の一人から酒瓶を受け取り、その中身を一口呷った。

「ふむ、悪くはない」

 原料はブドウだろうか、渋みの強い酒だ。度数はかなり強いらしく、口に含めばアルコー鼻先に抜けるようなアルコールの香気が心地よい。

 しかし、蟹味噌との相性は最悪だ。試しに蟹味噌を一口含んで酒で飲み下せば、生臭さばかりが引き立つ。

「これはひどいな」

「だろ?」

「日本酒とか……せめてウィスキーはないのか?」

「ニホン、シュ?」

「ないのか。そういうところはやっぱり異世界だよなあ」

 日本酒はない、だから蟹に合いそうな淡麗で辛口の酒を他に探さねば……と、それでこの話はおしまいだと俺は思った。

 ところが相手はいかにも酒に命をかけていそうなおっさんたち、それで済むわけがない。

「なあ、そのニホンシュってのはどこに行けば手に入るんだ?」

「え、いやあ、俺のいた世界にしかないんじゃないかなあ」

「じゃあ、醸造所の連中に作り方を教えてやってくれよ」

「教えるったって、俺は杜氏じゃないし、詳しいことは教えられない。それに第一、この世界には米はあるのか?」

「こめ?」

「ああ、いい、いい、その反応でわかった。米もないんだな」

 しかし、酒飲みの情熱と純情がそのくらいで踏みとどまるはずもなく。

「なあに、なければ作りゃあいいだけさ」

「まてまて、米を作るには、普通の畑と違って水を張っった田んぼを作らなくちゃならないんだ」

「そりゃあ面倒くさそうだな、だが、手間をかければかけるほど、酒ってのは美味くなるもんだ」

「種は? 種もみはどうやって手に入れるんだよ!」

「そんなもんは、女神さまにお願いして、ちょいっとだな……」

「それこそ待て、おかしいだろ!」

 俺は叫んだが、それに同意してくれるものは誰もいなかった。

「おかしい? なんで?」

「女神とか神様ってのは、こう……一般人には縁遠い、空想スレスレみたいな触れられない存在じゃないのかよ。そんな具体的なお願い事を実現しちゃう神様って、どうなんだよ?」

 兵士の一人が俺の肩を叩いた。

「まあ、落ち着け、若いの」

「落ち着けるか!」

「それでも落ち着け。まあ、話せば長くなるんだが、この世がまだ混沌の中にあった太古……」

 長い話を始めるための前ふりを押しのけて、もう一人の兵士がすすっと前に出る。

「まあさ、兄ちゃん、あんたのいた世界ではどうだか知らないが、ここの女神さまはひどく気まぐれで俗物だ。時に俺らのお願いをひょいと聞いてくれたり、兄ちゃんの世界にちょっと遊びに行ったり、人智を超えた神様ライフってのを、満喫している方なのさ」

「ずいぶんと気楽な女神だな」

「まあ、この世界での女神様ってのはそうしたもんだ、ってことでさ。ほら、『郷に入っては郷に従え』っていうだろ?」

「ぐぬぬ、ま、まあ、わかったよ」

 ここで言い争いをしても仕方ない。俺は努めて冷静に――いかにも勇者の威厳を見せようと腕を組んで胸を張り、思慮深そうな低めの声を出す。

「なるほど、女神がそうした人柄なら、確かにこちらの世界に種もみを取り寄せることも可能だろう……しかし、それでいいのか!」

「いいんじゃねえの?」

 即答だった。

「俺らぁ難しいことはわかんないけどよ、女神さまのやることなんだし、いいんじゃね?」

「む……なんかそう言われると、どうでもいいような気がしてきた……」

「さしあたって、酒だ酒! こんなにうまい食い物なんだから、これに合う美味い酒でもあれば、これはもう、この国の名物料理になるぜ」

 兵士たちはわちゃわちゃと歓声を上げて俺の肩を叩く。

「頼むぜ兄ちゃん、この国は今まで交易の中継点として、まあ栄えたっちゃあ栄えたんだけどよ、これでうまい名物料理と安全な航海が約束されるとなったら、観光収入ってのも当て込めるじゃないか!」

「なるほど、つまりこの国の発展は俺の双肩にかかっていると、いいだろう、やってやるぜ」

「おお、さすが勇者様、そうこなくっちゃな!」

 どうやら、この世界での俺の人生は忙しいものとなりそうだ。

「まずは日本酒の製法の確立、そのあと、それを蟹とともに楽しめる店を作ろう」

「店? 勇者様が店長になるのかい?」

「いいや、俺がなるのは『経営者』だ。店長など雇えばいい」

「ええ、自分の店なのに、店長にならないのかい?」

「チェーン展開をするつもりだからな、何店舗もある店すべての店長を兼任するわけにはいかないだろ」

「ちぇ?」

「ああ、なるほど、こちらではそういう経営形態そのものがないのか」

 となると、そうした経営に対する賛同者を募るところから始めなくてはならないだろう。

 店舗での安定した提供のためにカニの供給ルートを確立しなくてはならないし、それに伴う保存や、衛生面の配慮や……やるべきことはてんこ盛りだ。

 俺はふと、デンスのことを思い出した。

「そうだ、デンスに手伝ってもらえばいいのか」

 兵士たちが端から端までもれなく一人残らずニヤァと笑う。

「さっそく、初めての共同経営ってやつですか」

 俺は両手を振ってその言葉を否定ようとする。

「それを言うなら、共同作業だろうが……って、違う、共同作業ならすでに蟹を捌いて……って、これも違う、えっと、その、俺は別にデンスのことなんか……」

「照れなくていっすよ、俺らぁ、勇者様ならウチの隊長のこと、幸せにしてくれると信じてるっすから」

「信じられてもさあ、なんでお前ら、みんなして俺とデンスをくっつけようとするわけ?」

 兵士たちはきょとんとして顔を見合わせた。

「勇者様は、うちの隊長の婿として召喚されたんじゃないんすか?」

 おれはこの言葉に激高して地団太を踏む。

「だ~れ~が婿か! あんなモブ顔女、願い下げだっつうの!」

「勇者様、女は顔じゃないっすよ」

「顔じゃない……確かに……」

 俺は初めてデンスの背中を――戦いの女神像のように猛々しく、それでいてしなやかな美しさを思い出して声を落とす。

「いや、わかっちゃいるんだ、確かに……笑うとかわいい……」

「お?」

「いや、違うぞ、女ってのは笑えば誰でもかわいいもんだろ!」

「へえ~」

「そうやってニヤニヤ笑うなッつうの!」

 兵士の一人が親しげに俺の肩を叩く。

「まあまあ、あんまり気張んなくていいんで、うちの隊長のこと、よろしく頼んます」

「頼まれてもなあ」

「うちの隊長って、あの通り腕が立ちすぎるじゃないっすか。おまけに艦隊隊長なんてバリキャリすぎて、そこらの男じゃ敬遠して寄り付きもしない、で、婚期を逃しかけてるってわけっすよ」

「それはこの世界の男どもが腰抜けなだけでは?」

「まあ、そうともいうんすけどね。それは隊長にとっても、自分と肩を並べられる男がいなかったッつう不幸じゃないっすか。何しろ男といえば、自分より弱くて庇護するべき相手……弟みたいなもんっすからね」

「俺はあいつと肩を並べられると?」

「少なくとも、隊長はそう思ってるんじゃないっすかね」

「そうか……」

 言葉少なく答えたのは、ふいに胸を突き上げるようにして高まる鼓動を感じたからだ。

「不整脈か?」

 胸に手を当てれば、少し早い脈動と軽い熱感。そして唐突に訪れたのは、きゅんと音がしそうなほどに締め付ける疼痛。

「うぐっ!」

 俺は胸を押さえてうずくまった。

「どうしたね、勇者様」

「なんだか、胸の調子がおかしいようだ、おそらくは転生の興奮による寝不足に起因する一時的なものだと思うんだが、動悸が早くて、キュンとするんだ」

「恋っすか?」

「違う! 断じて違う! ちょっと不調なだけだ!」

 俺はよろよろと立ち上がる。

「あ、どこに行くんだね、勇者様」

「ちょっと、デンスを探しに……」

「なあんだ、やっぱり恋の……」

「だから、ぜえええええったいに違うっつうの!」

 口では拒否しながらも……なぜだろうか、彼女の顔を見ればこの胸の疼きの原因がわかるような気がしていた。

 というか、ぶっちゃけて言ってしまおう、ごちゃごちゃ言われるのが嫌でごまかしの言葉を口にはしたが、俺自身もこれが恋のときめきのような気がしていた、というのが正直なところだ。

 だから、一刻も早くデンスに会わねばと、俺は歩き出す。

 しかし彼女の姿は、カニを取り囲む兵士の中にはなかった。


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