068 残された者
ころころと環境が変わることにも慣れたもので、イルザさんがいなくなってからの一週間で寂しくなることはなくなった。
朝、わたしは一番に目が覚める。
討伐者たるもの、深い眠りは厳禁だ。
イルザさんは眠らなくてもいいそうだけど、朝はいっつも一番遅い。
夜に頑張りすぎているから、疲労は別なのだろう。
起きたらまずは井戸で水を汲んで、朝食の用意。
わたしとクラーラは甘いパンだけ。
栄養が必要なテアにはサラダもつけてあげる。
「おはようございます……」
「顔を洗ったら皿を並べてください。急がなくていいですから」
イルザさんにはテアの躾を頼まれたけれど、なにせ片腕がないものだから簡単に仕事を任せることもできない。
それにわたしには料理の才能があるみたいだし、わたし自身嫌いでもない。
テアもただの召使ではない。
夜になるとクラーラと一緒に鍛冶場で土の魔法の練習を続けている。
だからわたしより遅く起きても文句はない。
……夜は夜で疲れることをしているし。
簡単な食事が終わるとお店を開く準備をする。
と言っても簡単な掃除に武器が並んでいることを確かめるだけ。
この時間になるとようやくクラーラが起きてくる。
「もう準備はできた?」
「おはようございます。もう掃除も終わります」
「そっか、いつもありがとう。時間を見て開こうか」
食卓で食べずに、パンを頬張りながらお店までやってきた。
クラーラはわたし達が来る前まで一人で暮らしていたはずなのに結構ズボラだ。
お店を昼から開くなんてことも何度かあったみたいだし。
それとも一人暮らしなんてそんなものなのかもしれない。
お店を開いたら、わたしとテアは裏の家へ。
サーバ達と一緒に討伐者ギルドに向かうことが日課になっている。
テアとはここでお別れ。
クローデットから使用人についての心得を学ぶのだ。
「今日も早いじゃないか。少し待っていてくれ」
玄関から顔を出したサーバ。
いつもの通り服を着ておらず、鍛えられた身体を隠しもしない。
別に家の中では常に服を脱いでいるということじゃなくて、朝の準備運動をしているそうだ。
サーバ達は数日間家に戻らないこともあるから、一人家に残るクローデットと最後のあいさつをしているのだ。
「サーバは体力があるんだよねえ」
「あんまり楽しくないし」
サーバと同じパーティーでもあるトスカとジータは準備を終えて今は一緒に待っている。
サーバだけが長剣を使っているし、体力が違っているのかも。
そこまで待たなきゃいけないわけではないけれど、サーバが現れるまではもう少し時間がかかりそう。
暇なのかトスカは短剣を取り出してメンテをしてる。
「やっぱりヘルダぐらいが一番だよぉ」
問題はジータだ。
ジータがクローデットを相手にしても楽しくないというのは、つまり体型だけが問題なのだ。
ジータの趣味はもっと低くて、わたしやテアがやってくるとこうしてずっと構ってくる。
「暑苦しいです」
「そんなこと言わないでよお。触る以外のことはしないからさあ」
扉の前で立っているわたしの後ろに回って、私の顔を包み込むように腕を伸ばしてくる。
腕の先端はもちろん胸まで伸びてきて、さすがに触られたくないわたしはジータの腕を掴むしかなくなる。
それでもなんとか腕を伸ばそうとするジータだけど、最近はその扱いにも慣れたものだ。
指と指を絡めるようにギュッと握ってあげたら、それだけで満足しておとなしくなってくれる。
別に、触られるのがイヤだとかそんなことはない。
ただ誰に見られるか分からないという場所がダメなだけだ。
「あいつらも早いね」
ギルドにつくとサーバ達と分かれて片隅へ。
そこにはわたしと同じぐらいの歳の討伐者、アネルにグンタとシャーヤが待っている。
「遅いぞ!」
「アネルちゃん、怒っちゃだめだよ。わたし達だって来たばっかりじゃない」
わたしはいつも通りに仕事をしてきた。
サーバが出てくるまで少し待ったけれど、それでも遅くなったりなんてしていない。
きっと早く森に出たいアネルがみんなを急かして来たのだろう。
あとでおばさんに怒られるんだから、家の仕事はちゃんとやってきたほうがいいのに。
みんなで一応掲示板を眺める。
でも選ぶのは決まって緑醜鬼の討伐だ。
これはイルザさんに、そしてサーバ達にも言われたことだ。
わたし達はまだ幼く、力もそんなにない。
だから討伐者としてのランクが上がってもしばらくは緑醜鬼と戦いなさいって。
「なあなあ、さすがに緑醜鬼も飽きてきたよな?」
「ダメだよアネルちゃん。イルザさんが戻ってくるまでは緑醜鬼だけと戦うって決めたんだから」
「そうだけどよお……な、グンタも退屈だよな?」
「……まだ早いよ」
そう言ってわたしを見る。
正確には、わたしの武器を。
「……一人で、一撃で緑醜鬼を倒せるようになったら、誰も文句を言わないと思う」
そう、アネルもグンタもシャーヤもCランクに上がったけれど、未だに一人で緑醜鬼を倒すには時間がかかる。
強さじゃなく依頼の達成数でランクが上がるのだから、Cランクになれば誰でも強いというわけではないのだ。
それでも出会った時よりは強くなっているように思うし、多分少しは背も伸びている。
今はまだ焦らなくてもいいのに。
「もう、アネルちゃん!」
「な、なんだよ……。まだ何も言ってないぞ」
「またヘルダちゃんを傷つけたいの!?」
わたしの代わりに、というわけでもないのだろうけれどシャーヤが怒鳴る。
失礼なことを言おうとしたのは確かだし、その気持ちは素直にありがたい。
けれども気にしすぎだとも思う。
イルザさんが街を離れて、アネル達と一緒に行動しだしてすぐのことだ。
アネルがわたしの武器を見ながら、いい武器を持っているからそこまで強いんだと言った。
それどころか、クラーラと一緒に暮らしているからだって。
その言葉にわたしは無反応を貫いた……つもりだった。
けれどもその時、もしかしたらほんの少しだけ寂しい顔をしたのかもしれない。
これはもう見たら分かることだけれど、イルザさんはわたしの母親というには若すぎるのだ。
それはクラーラも同じこと。
そのことをアネルはまったく考えていなかったし、シャーヤは色々と考えすぎていた。
親がいないことをわたしはまったく気にしていなかったし、むしろイルザさんと出会えたことは運命だとすら思っている。
けれどもシャーヤは、わたしのことを親のいない可哀想な子だと思っていたのだ。
テアのこともある。
いきなり増えたテアが奴隷だから、わたしのことも奴隷だと思っているのかも。
色々と難しいことが多いから、あえて説明はしないけど。
「あのな、ヘルダ……」
「気にしてないからいい」
ほんとうに気にしていない。
失礼なことを言われたとも思っていないのに、謝られても困るだけ。
「それよりも早く行こう。お金を稼いだら武器も買えるんだから」
緑醜鬼の討伐料なんてたかが知れているけれど、それでもアネル達にとってはそれなりの額だから。
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「あの噂、やっぱり本当みたいだな」
「……あの噂って、アデライドのこと?」
「ああそうだ。やっぱり戦争になってるみたいだ。コンラットさんが色んな人に声をかけてるときに説明してるのを聞いたから間違いないぜ」
「……」
「関係ないよ。どうせ参加できないんだ」
「だからもっと強くなりたいんだろ!」
このところ、住人にも戦争の空気というものが満ちてきた。
コンラット、それにサーバが大々的に討伐者に声をかけ始めたのが原因だ。
もちろん今すぐにどうかするというわけでもなく、一月以上街を離れるような依頼は避けてくれと言っている程度。
声をかけられているのはCランク以上の討伐者だけれども、わたし達は誘われない。
子供はお呼びではないからだ。
それを指摘すると、アネルは当然反論してくる。
「だってよお、せっかくの戦争なんだから参加したいじゃん。それに子供だからダメって言ったって、強くなったら別だろ? 緑醜鬼じゃなくて、それこそ灰石象なんて倒したら誰も文句なんて言えないだろ」
「それ、絶対に倒せないからやめてよ……」
こういうところ、アネルは凄いと思う。
わたし達は目の前で灰石象とイルザさんの戦いを見た。
わたし達も戦えるだなんて微塵も思わなかったし、そもそも目で追うことすら難しかった。
それなのにアネルはそんな灰石象と戦いたいと言っている。
もちろん誰も賛成しないし、浅域に再び現れるなんてことはないだろうけど。
「もう森の中なんだから……」
おしゃべりの止まらないアネルをグンタが制しようとした時、一歩遅く緑醜鬼が現れた。
「……アネルの声がでかいからだ」
「現れたんだからいいじゃねーかよっ!」
さらに大きな声。
たしかにわたし達は緑醜鬼を倒しに来たわけだけれど、今後も森の中で会話をされたら困るわけで。
イルザさんも言っていた。
まずは相手に気づかれずに、先にこっちが魔物を見つけることが大事だって。
アネルが叫んだことで、さすがの緑醜鬼もこっちを向いた。
「いいから、倒す」
「わかってるよっ!」
アネル達の戦い方は変わらない。
アネルとグンタが前に出て時間を作って、その間にシャーヤが魔法の準備をする。
でも今はシャーヤは呪文を唱えずに、ただ戦いを見守るだけだ。
「アネルちゃんとグンタちゃん、ちゃんと強くなってるのにね」
「自分だと気づかないってよく言うから」
魔物を倒したらその魔力をほんの少しだけ奪うことは、すべての人間に当てはまることだ。
少なくとも森で見かけた討伐者は全員そうだとイルザさんは言っていた。
さらには、魔力が増えるほどに強くなるとも。
身体の成長とは別に、身体の奥から強くなっていくのだそうだ。
わたしにはよく分からないし、イルザさんも説明は難しいって言っていた。
でも、こうして毎日緑醜鬼を倒しているのだからアネルやグンタが強くなるのは当然だと思う。
「……っ、こっちだっ!」
緑醜鬼の背後に回り込もうとするアネルのことに気づいたのか、緑醜鬼が後ろに剣を振るおうとする。
でもそこでグンタが叫びながら緑醜鬼に斬りかかる。
それで緑醜鬼はグンタを見るしかなくなって、アネルは視界から外れることができた。
こういう動きを、ふたりは打ち合わせすることなくできるようになっていた。
まだわたしにはできない動き。
わたしもイルザさんぐらいに強くなれたら、イルザさんと連携することができるのだろうか。
一匹の緑醜鬼に対してアネルとグンタ、戦いはすぐに優劣がつく。
そもそもその気になればアネルやグンタひとりだけでも安全に倒せるんだから、油断しなければ負けるはずもない。
だからわたしは今のうちに魔法を唱える。
『追いかけて 追いかけて
わたしを背負う大きくない背中
でもとても広く感じるんだ
背負われる人が増えていく
隣に立つ人も増えていく
このまま置いていかれても
誰にも文句は言えないだろう
だからわたしは駆け出した
あなたの前で、目に留まるよう
──今より速く』
アネルとグンタが緑醜鬼を倒した。
わたしがアネルとグンタに魔法を唱えた。
わたし達の周囲、複数の場所から物音がした。
それらは同時に起こったことだ。
近づいてくる魔物には気づいていた。
日々の魔法の練習で、魔力の流れをほんの少しは感じられるようになっていたから。
「次が来る!」
「アネルちゃんは後ろ、グンタちゃんはわたしの右!」
わたし達の指示でアネルとグンタが駆け出した。
現れたのは緑醜鬼、それに白腕猿。
不意打ちでもなければ負けることのない魔物。
さらに今はわたしの魔法で速く動けるようになっているのだから、もう負ける理由はどこにもない。
「後ろから来てんじゃねえっ!」
「……ふんっ」
ふたりに足りないのは筋力か、武器なのか。
それほど足りないものが多いようには思えない。
だってわたしの魔法でちょっと強化してあげるだけで、ふたりとも一撃で魔物を斬り伏せることができるのだから。
「ヘルダちゃんの魔法はいつ見ても不思議だよね。きっとヘルダちゃんしか使えないよ」
「うん。でも誰にも言わないでね?」
「もちろん言わないよ。そんなことになったらもうヘルダちゃんはわたしたちとパーティーを組んでくれないから。ね、アネルちゃん、グンタちゃん」
イルザさんが出かけてからのこと。
魔法の練習をしていたら、なんとなく使えるようになったこの魔法。
自分の動きを速くすることもできるし、周りの人にかけることもできる魔法。
クラーラに聞いても地の魔法っぽくないよねって言っていた。
じゃあこの魔法はなんなのだろう。
さらに才能が芽生えたとは思えないし、そうだとしてもどんな魔法の才能なのか分からない。
イルザさんは褒めてくれるだろうか。
それだけが大事なことだった。
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今日の狩りも無事に終わって家に戻ると、最近はいつものようにリタ様がやってきていたりする。
「ああヘルダさん、おかえりなさい。今日も怪我はありませんでしたか」
「……大丈夫です」
以前ほどではないけれど、やっぱりリタ様のことも好き。
でもイルザさんほどじゃない。
まだクラーラはお店に出ているけれど、リタ様は二階で休んでいた。
一緒にいるのはカルディアだけだ。
話をしにきているわけじゃなく、こうしてゆっくり休める場所がここしかないらしい。
そんな気の抜けたリタ様の横顔を眺めていると不意に目があった。
「ヘルダさん、どうかなされましたか?」
「……ううん」
首を振って目をそらし、テーブルの上のお茶を飲む。
けれどもやっぱり視線はリタ様を追うようになる。
イルザさんが言っていた。
美人になりたければ、その顔をじっと見続けるといいって。
だからわたしはリタ姫を眺めるのだ。
一番の理想はイルザさんだけど、なにもイルザさんになりたいわけじゃない。
わたしはイルザさんと一緒に、イルザさんの隣に立ちたいんだ。
だからイルザさんの隣に立つにふさわしい女になりたくて、こうしてリタ様を見続ける。
そのリタ様は、いつもと様子が違って見えた。
ここに来るときはだいたい疲れているときだけど、今日は特に疲れているようにみえる。
なによりもため息が多い。
カルディアは何も言わない。
ちらりとわたしを見てはまたため息。
……これでは美人になれそうもない。
「……リタ様、疲れてる?」
「ああ、分かりますか? そうなんですよ。お父様が大変なのです」
そこからはひたすらリタ様の愚痴を聞くことになった。
よく分からないけれど、リタ様の仕事を王様に邪魔されるのだそうだ。
お姫様なのに。
お父様は暴走している、周りを見ることができないでいる。
このままじゃいけない、早く止めなければならない。
わたしに相談したいわけじゃない。
悩みを口に出さずにはいられないのだ。
こんなとき、イルザさんだったらなんて言うだろうか。
「……リタ様の思うがままに行動したらいいと思います」
「でもそれでもしも失敗したら、この国がどうなってしまうのか分かりません。イルザさんにもご迷惑がかかることでしょう」
「……イルザさんなら怒らないと思います。……どうしようもなくなったら、助けてくれると思います」
きっと今の私はイヤな子だ。
イルザさんがリタ様を助けると分かりきっているのに、いざ口に出すとイヤな顔をしていまう。
「ふふっ、そうですね。でも私を助けるのはついでですよ。私を助けなければヘルダさんの教育に悪いからと私を助けるだけですよ」
そう言って私を包み込んだ。
リタ様の鼓動が聞こえる。
子供のように扱われているかもしれないけれど、こうやって抱きしめられることは嫌いじゃない。
ご飯を食べるのと同じだから。




