007
庭に佇む姫の前にヘルダが姿を現すと、その姫はすぐに破顔した。
随分と気を許しているみたい。
ヘルダは少しだけ固くなっただろうか。
こっそり伺う表情からは少しの緊張が顔を出している。
うん、その気持ちも分かるかな。
たとえ同性であろうとも、姫の微笑みには目を奪われてしまう。
明るい色の綺麗な長い髪に優しい笑顔。
間違いなく美人といえる。
……その姫に対して緊張するヘルダは、もしかして同性に興味があったりするのたまろうか。
だったら私に緊張しないのはどういうわけか。
私だって間違いなく美人なのに。
まあ、美人といっても種類は違うものだ。
私は妖艶、姫は無垢。
ヘルダも憧れているからこその緊張なのだろう。
「ヘルダさん、お久しぶりです。もしかして森の中に入っていたのでしょうか?」
「うん……」
「そうでしたか。でもいけませんよ。森の中には多くの魔物がいるのですから、ヘルダさん一人では危険です」
「その……お婆ちゃんがいいって言ったから」
「エミリアさんがですか? 彼女も森の危険さは十分ご承知かと思っていたのですけれども……」
ヘルダは私のことを秘密にしてくれた。
答えるときにギュッときつく抱きしめられたのは、きっと嘘をつくのが嫌だったから。
「あら? 随分と可愛らしい……魔物ですか?」
「……うん。捕まえた」
「……大人しいようですが、あぶなくはないのでしょうか」
「お婆ちゃんが大丈夫って言ってたから」
「そうですか。エミリアさんが……」
エミリアは随分と信用されているみたい。
これも何度もここを訪れている証だろう。
でもどうして?
エミリアは人目を避けていると言っていたのに、どうして姫のことは受け入れているのだろう。
「立ち話もなんですから、案内していただいてもよろしいですか? エミリアさんの具合も気になります」
「うん。わかった」
森の中を歩いていた時よりも幾分か背伸びしたように歩くヘルダ。
その後をついてくる姫に、二人の従者。
……私こそ姫に目を奪われていたのだろう。
話もしないものだから、今まで二人の従者に全く気づかなかった。
家の中に入ると、ヘルダはまっすぐエミリアへと駆け寄った。
落ち着くのはやっぱりお婆ちゃんの腕の中か。
「あら……リタ様ですか? ようこそいらっしゃいました」
「ええ。お久しぶりです、エミリアさん」
私はヘルダの腕を抜け出して、ポスンとエミリアのベッドの上に着地する。
すぐにエミリアの腕が伸びてきて私の身体を撫でていく。
私が姿を変えていることにはこれで気づいたはず。
恐らくは、その理由にも。
「お元気そうでなによりです。それに、どうやら新しい住人が増えたようですね」
「ええ。この子は森で迷っていたところを拾ったの。とても大人しいいい子ですよ」
「そうでしたか。それにしても、見たことのない魔物です。……あの、よろしければ私にも撫でさせていただいていいでしょうか」
「さすがに抱えると逃げてしまうかもしれませんけれど、撫でるぐらいならいくらでも」
恐る恐るといった感じでリタ姫の手が伸びてくる。
魔物に触れるのは初めてなのだろう。
私は大人しくしてあげた。
エミリアとリタ姫の関係もなんとなく見えてくる。
エミリアはリタのことを姫と呼んでいるのだから、そこにはやはり尊敬の念があるのだろう。
そもそもこの庭に入ることができるというだけで、エミリアが信頼している証だ。
リタ姫は、どうしてエミリアの元を訪れているのだろう。
立場を考えると息抜きとか?
でもわざわざ危ない森の中を通ってまですることでもない気がするのだ。
「そういえば、ヘルダさんが一人で森の中へと入っていたようですが……」
「ええ、私が許可しました。ヘルダには今後のことも考えて、魔物を倒せるようになってほしいのですよ」
「今後の……やはりエミリアさんは……」
「私に残された時間は極わずかです。もう動くことも難しくなっていますから。こんな私ではヘルダに何も残すことはできないと思っていたのですけれども、この子が現れてくれました」
「この魔物がですか?」
「ええ。この子はとても頭がいいの。きっと私たちの会話も理解しているでしょう」
「まさか……」
「それに魔物ですからね。一人で森を生き抜いていただけあって、このあたりの魔物には負けないようですから。ヘルダもこの子と一緒だったでしょう?」
「……ヘルダさん、そうなのですか?」
「うん。緑醜鬼を倒してくれた」
まあ、その時は違う姿だったけれど。
リタ姫はエミリアとヘルダのことをとても心配しているようだ。
お姫様なんだから、その気になれば何だってできそうなものだけど。
こんな不便な森の中から連れ出すことなんて簡単なはずだ。
それをしないのは、エミリアが断っているからなのかな。
エミリアの力は便利なものだから、また利用されるのを恐れているのかも。
「そうそう、よろしければヘルダを鍛えてはいただけないでしょうか。あいにくと今の私ではヘルダに教えることができないのです。もちろん今だけで構いません」
「……カルディア」
「承りました、お嬢様」
従者の一人が返事をして、ヘルダと一緒に外へと向かっていく。
拒否しないあたり、従者も頭が硬いわけではないみたい。
それにヘルダのやる気も本物だ。
私も外の様子が気になるから一緒に出ようとしたのだけれど、軽くエミリアに抱きしめられた。
──ここにいろってことなのね?
それは弱々しい、振り切るのも簡単な程度だったけれど、そのちょっとの力だけでエミリアの意思は理解した。
だったら私はここにいよう。
エミリアとリタ姫の会話にも興味はあったから。
「それではエミリアさん。この前の続きを聞かせていただけるかしら」
「わかりました。実は私も早くお話したかったのです」
だったらすぐに話せばいいと思うのだけれども。
もしかして、そのためにヘルダを遠ざけたのかもしれない。
「……先日、ついにアデライド帝国が召喚に成功いたしました」
「ああ……やはりアデライド帝国ですか」
「はい。それもその招かれた方は、隷属させられることなくベルト姫に同調しているとの噂です」
「大きな戦が起こるのですね……」
私の召喚に失敗した豚だったが、その後にきちんと成功したみたい。
しかし、あの豚に話が合うとか。
呼び出された方もやっぱり豚なのだろうか。
「想像になりますが、アデライド帝国はフルシャンティ王国に攻め入ることでしょう。大国ではフルシャンティ王国だけがアデライド帝国を明確に敵と定めていますから」
「国境が大きく変わるのでしょうね……」
「まずそうなることでしょう。国力ではどちらもひけをとりませんが、立地上いくつかの村はアデライド帝国に奪われることとなるのは間違いありません」
それぞれの位置について、簡単な話は聞いている。
この森を中心として、北東にアデライド帝国が、そして南東にフルシャンティ王国がある。
戦の起きる国境は森のちょうど東側。
ただ、森の中にまで戦火が及ぶことはまずありえない。
森に人は住んでいないのだから。
「エミリアさん。私は、これからどうするべきなのでしょう」
「あなたはあなたの国を守ることを考えたらいいのです。……少なくとも今は、二国間の成り行きを見守るしかないでしょう」
そしてリタ姫はまた別の国。
ハインドヴィシュ公国は森の南に位置する小国だ。
大国との戦争になったらすぐに負けてしまうような小国。
「……前回から一月ほどですか。あれから人は集まりましたか?」
「どうでしょうか。我が国には立地上、多くの討伐者がいます。しかし召喚者に対抗できるかといいますと……」
「やはり、そう簡単には見つかりませんか」
まだ戦争にもなっていないというのに、リタ姫は戦力を集めているらしい。
それほどまで豚が脅威ということか。
小さい国こそ早めに準備をしておかないと、抗うことすら許されないほどの戦力差。
アデライド帝国が全ての国に戦を起こすことを、エミリアもリタ姫も疑っていないようだった。
「……私がもう少し若ければ、リタ姫に協力することもできたのですけれどね」
「それはいけません。エミリアさんはこれまで苦労してきてと聞いています。こうしてお話を聞いていただけるだけで十分なのです」
「……リタ姫ならばそう言っていただけると思っていましたよ」
これ、かな。
エミリアはどうして訪れるリタ姫を受け入れているのか疑問だったけれど、今の会話だけでもなんとなく分かる。
リタ姫はどこまでも優しいのだ。
エミリアの力ならば、たとえ動けずとも相手の才能を見抜くことができる。
それは、国力を高める上では非常に有用なのだ。
自らの才能に気づかない者に道を示し、効率よく戦力を整えることができるのに。
しかし、リタ姫はそうしない。
初めは利用するためにエミリアを訪ねたのかもしれないけれど、少なくとも今はただの相談役なのだ。
「でも、その話は別としても、街に越してくるつもりはないのでしょうか。やはり森の中は危険でしょうし、ヘルダさんのこともあります」
「それを言われると弱ります……。でも私はここから離れないでしょう。長く一人で過ごしてきたので、今さら普通の生活へは戻れません。それにヘルダも、まだまだ人には慣れないでしょう」
「……ヘルダさん、大きくなりましたよね」
「そうね。出会った時はまだ小さかったのに。このところは特に身体も大きくなっているみたい。森の中で拾った時からは考えられないわ」
「ご両親に捨てられて、ですか……。どうして今ごろになって討伐者を目指しているのでしょう。エミリアさんが保護してからは二年になりますよね」
「リタ姫には伝えていなかったでしょうか。あの子は最初から討伐者になるつもりだったのですよ。ただ、私が起き上がれなくなったから離れなくなっただけ。優しくて強い娘なのです」
リタ姫の相談というか、悩みも打ち明け終わると次の話題はヘルダのことだった。
ヘルダは捨て子だったみたい。
魔物もいるし戦争もある時代なのだからそう珍しいことではないのかも。
ヘルダが私にいまいち懐かない理由もそれか。
私の見た目はリタ姫よりもヘルダの両親に近いから、なんとなく距離を置いているんだろう。
人に慣れないというよりも、大人に気を許さない感じ。
エミリアほど歳が離れていたら大丈夫みたいだし、リタ姫は私よりもまだヘルダに近い歳だからそれほどの壁もない。
やっぱり時間をかけるしかないみたいだ。
ヘルダを訓練することで、その距離は縮まるのだろうか。
そうでなくては困る。
エミリアには色々とお世話になっているのだ。
その恩はヘルダをしっかりと育てることで返せるのだ。
それがエミリアの望みなのだから。
その後、リタ姫は二人の従者と共にこの場を離れていった。
なんとなく、離れていく背中を追っていた。
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「魔物が人に懐くこともあるのですね」
森の中、従者であるカルディアとマイカは各々の武器を構えている。
森は魔物の現れる危険な場所だ。
戦う力を持たないリタにとって、二人の従者の存在なくてはこの森を歩くことなどできない。
「一部の魔物は家畜としても飼われております。ただ、あの魔物は違うでしょう。家畜になる魔物は何代も人に飼われ続けた結果、人に慣れていくものです」
答えたのはマイカだった。
マイカは男性にしては若干細見な身体付き。
しかしその強さは元討伐者だけあって、ハインドヴィシュ公国の兵士の中でもトップクラスを誇る。
「人の言葉が理解できるなんてまるで魔人ですね」
カルディアは女性にしては分厚い身体だった。
そして、脳まで筋肉でできているのではないかというぐらいに考えることを苦手としていた。
リタがエミリアと話すとき、カルディアは決まってヘルダのお世話を任されるのだった。
しかし、この時の指摘は無視できるものではなかった。
「魔人ですか……。マイカは戦ったことがあるのでしたか?」
「はい。魔人は恐ろしい魔物です。人の姿を真似、その魔力は莫大なもの。魔人一匹を倒すためには、熟練の討伐者が10は必要になります」
「人の姿をですか? ならばあの魔物は魔人ではないのでしょうね」
「どうでしょうか。中には姿を変える魔人も存在すると聞きます。ただ、エミリア様が警戒していないのならばそこは信用していいものかと」
「そう、ですよね。なんだかあの魔物にずっと見られている気がして気になっていたのてす」
「……魔物なりに人の世の戦の行方が気になったのでしょう。森の中で生きる魔物といえど、人に襲われることに違いはありませんから」
本当にそうなのかとリタは頭を悩ませる。
リタを見つめていた魔物の瞳は、話を聞くというよりもリタの内面を伺っている気がしたのだ。
それはとても居心地の悪いものだった。
「それよりも、これからどうするのですか? 討伐者は街を離れないそうですから、戦争になれば協力してくれます。でも、まだ数は足りないんですよね?」
「そうですね……」
リタにとっての目下の悩みはアデライド帝国の今後の出方について。
先ほどの魔物についてはそれきりとなる。
「……二人には、ある人物を探していただこうと思います」
これは、エミリアにも話していないことだ。
その人物は強大な力を抜く持っている。
そしてまず俗世には関わらない人物でもある。
その人物の協力を得られることができるならば、戦争への憂いもなくなるのだ。
「到達者が、いま街にいるのだと噂を聞きました」
到達者──この世界で並ぶもののいないとされる強者だった。