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公国の真紅の瞳  作者: ざっくん
第3章
63/70

061

 隣の無人の小舟に飛び移り、海面に現れた丸呑鯨(ウースルヴァル)の頭を貫けばそれでおしまいのはずだった。


「うそっ!?」


 目論見通りに丸呑鯨(ウースルヴァル)はその大きな頭ごと私がいなくなった無人の小舟へと噛み付いた。

 海中から出てしまえば自重で海中に戻るまでは無防備な姿をさらけ出すことになる。

 その瞬間を連接剣は貫くはずだったのだ。


 しかし連接剣が斬り裂いたのは丸呑鯨(ウースルヴァル)か沈んだあとの空間だけ。

 驚くことに、丸呑鯨(ウースルヴァル)は胸びれを器用に使って沈む速度を速めたのだった。

 尾びれで直進し、胸びれで後退をする。

 体が大きな分、考えることもできるようだった。


「はあ……でも困ったわ」


 想定していた倒し方が通用しなかった。

 もう一艇、ユーリアの小舟に乗り移ってもいいのだが、おそらく結果は変わらないだろう。

 また考えている時間もない。

 沈んでいった丸呑鯨(ウースルヴァル)は、再び私目掛けて海底から迫ろうとしているのだ。


「まあ、こうするしかなかったということね」


 ──瞬間、私の身体は丸呑鯨(ウースルヴァル)の口の中にあった。



 捕まえることが難しい丸呑鯨(ウースルヴァル)を倒すにはどうしたらいいのか。

 漁師なんだから網の一つでもあるのかと思っていたのに、そんなものは存在しなかった。

 簡単な網は噛み切るし、鋼鉄の網は作れないのが理由だった。


 だから私は一旦丸呑鯨(ウースルヴァル)に捕まることにしたのだ。

 そうしたら私が振るう連接剣から逃れられない。

 なにせ口の中に丸飲みされているのだから。


 前後左右から圧力がかかるが、もちろんそんなことで潰れる私の身体ではない。

 とはいえもたもたして海底まで運ばれると苦労することは明らかで、飲まれた瞬間には連接剣に魔力を流していた。


 足も手も動かせないけれど、魔力さえあれば連接剣は自由自在。

 丸呑鯨(ウースルヴァル)の口の中だろうと、連接剣の利便性が失われることはなかった。



 その様子を、ユーリアは特等席で見ることができた。

 万が一丸呑鯨(ウースルヴァル)に飲み込まれても心配することはない、イルザはそう言っていた。

 しかし今まで丸呑鯨(ウースルヴァル)に飲み込まれて無事だった漁師はいない。

 だからイルザが飲み込まれたときは、思わず小舟から身を乗り出して海中を見つめたのだ。


 沈んでいく丸呑鯨(ウースルヴァル)の体。

 閉じられた口を貫いて連接剣が突き出した。

 連接剣は傷口をどんどん斬り開いていく。

 海中は一面が真っ赤に染まる。

 海中の様子は真っ赤ですぐに見えなくなってしまった。

 それからほんの少しの間。

 イルザは汚れた衣服とともに海面へと現れたのだった。



「……倒したの?」


「もちろん倒したわ。さすがにここで死体は見せられないから、急いで組合へ向かいましょう」


 結局小舟は二艇が全損。

 ユーリアの小舟に乗せてもらい岸へと戻る。

 水を吸った服は重く、そして返り血で真っ赤に染まっている。

 洗っても取れないだろうし、捨てるしかなさそうだ。


「……大丈夫なの?」


「大丈夫よ。だってそれほど強くなかったもの。Aランクの討伐者なら余裕を持って倒せる相手よ」


 ただ海に潜んでいるのが面倒というだけなのだ。

 Aランクに到達し、魔力を蓄え身体も丈夫になっている討伐者ならば傷つけられることはない。

 私と同じように飲み込まれてから体内を斬り裂き、どちらかというと海面まで息が続くかどうかという問題だけだ。


「討伐者って、そんなに強くなれるんだ……」


 漁師だって魔物を倒しているのだし、それなりには強いはずだけれどね。



「イルザさん、お疲れ様でした」


 岸に戻ってシルヴィアからタオルを受け取る。

 着替えるのは組合に移動してからだろう。


「……シーラとパウラは?」


「シーラは組合に、パウラさんはアルベルトさんを呼びに走らせました。イルザさんが丸呑鯨(ウースルヴァル)を倒すことは分かりきっていましたから」


「そう。だったら私たちも組合に向かいましょうか。ユーリアもそれでいいのよね?」


「うん。荷物は何もないから」


 ユーリアはすでに逃げ出す用意も終わっている。

 家に戻ることもなく、日の出前には私たちと一緒に街の外だ。

 やはり漁業組合に搾取されていたのか、ユーリアに資産という資産は全くなかった。


 組合の裏手の搬入口。

 荷馬車をどかして強引に作ってもらったスペースに丸呑鯨(ウースルヴァル)を取り出した。


「おお、こんなにでかいのか……。海で見るよりもよほど大きいな」


 一応の人払いをお願いしていたので、この場にいる組合の関係者は組合長ゲルトだけ。

 アルベルトはまだやって来ていない。


「アルベルトが来るまでここに置かせてもらうわよ」


「あ、ああ……。それはいいんだが、見せたあとはどうするんだ?」


「さあ? 討伐しか依頼されていないもの。解体しろと言われても御免だわ」


「アルベルトはそんなこと言わないと思うがな。まあいいだろう。ところでこいつを持ってきたということは、俺に売ってくれるということでいいんだよな?」


「高く買い取ってくれるならね。アルベルトからも聞いていると思うけれど、傭兵を雇うのにお金が必要なのよ」


 最低限でも金貨100枚を今夜中に手に入れなければならない。

 手元には30枚あるから残りは70枚。

 素材から何から売り払うつもりではあるのだが、物珍しさを考慮しても届くかどうかは怪しいところだ。


「解体してみないとなんとも言えんなあ。まあそう悪くはないはずだ」


 でも解体だけです時間がかかりそうだし、そうなると今晩中に街を抜けることも難しい。

 いや、そもそも……


「このまま解体していいものなの? 誰からの依頼かは知らないけれど、死体を見せなきゃ討伐を認めないなんて言われないのかしら」


「それは大丈夫だ。この目で姿を見たからな。俺がきっちり証明してやろう。ただ確かに解体はしないほうがいいかもな。漁師にはこの姿のまま見せつけたほうが今後がやりやすそうだ」


「そうね……」


 この依頼は丸呑鯨(ウースルヴァル)の討伐ではあるのだが、最終的には漁業組合の解体を目的としている。

 だから勝手に解体してはまずいのかと思ったのだがその通りだった。

 手間が省けたとも言えるのだが、その分安く買い叩かれないか不安になる。


 しばらくするとアルベルトがやってくる。

 パウラと、それともう一人知らない人を連れてきた。


「おおっ! マジで倒したのか」


 丸呑鯨(ウースルヴァル)の姿を見るなりはしゃぎだすが、どことなく演技臭い。

 だってアルベルト一人でも倒せる強さなのだ。

 傭兵と契約をするためにわざわざ依頼を回してくれた可能性もあるのだがおそらくは……


「こんな面倒くせえ魔物をよく倒したな。服もボロボロじゃねえか」


「……その代わりアルベルトは汚れなかったわよ」


「ははっ、悪かったな。あんたと同じ倒し方以外は思いつかなかったんだ」


 見てきたように言う。

 実際に見ていたとしてもおかしくはない。


「まあいいわよ。それよりも話をしましょう。これで雇われてくれるのでしょう?」


 私が丸呑鯨(ウースルヴァル)を討伐したのは傭兵団と契約するためなのだ。

 でなければこんなに汚れるわけもない。


「ああ、約束したからな。もちろんアデライドの連中には全く話をしていない。それで、俺たちを雇う金については目処がったのか?」


「それはアレの売値しだいね」


「……ゲルト」


「このままですと金貨10枚。解体次第では金貨15枚と言ったところでしょうか」


 ……足りない。

 全然足りなかった。

 それもそうだ、高値のつく核だってそのままなのだ。


「金貨100枚には届いたか?」


「このままじゃ無理ね」


「なんだ、諦めるのか?」


「まさか。絞り出させるわよ」


 とは言っても金貨を奪い取るわけにもいかない。

 ゲルト限定で、もう少しだけ私の力を見せつける必要があるようだ。


「ちなみに、丸呑鯨(ウースルヴァル)から核だけを取り出しても構わない?」


「絞り出すのは勘弁してほしいんだがね。それと、核を取り出すぐらいならば構わないだろう。まずは丸呑鯨(ウースルヴァル)の買取額の金貨10枚だ」


 解体しても売値を減らさないというあまり嬉しくもない心遣いを頂いた。


 まずは丸呑鯨(ウースルヴァル)の核を取り出そう。

 できる限り体には傷がつかないよう、魔力を見て核に一番近いところに連接剣を突き刺す。

 こういうときに連接剣は便利だった。

 最小の傷口で核を取り出すことができるのだから。


 そうして取り出した丸呑鯨(ウースルヴァル)の核は、今まで手に入れた核の中で一番大きかった灰石象(グラファント)よりもさらに一回り大きなものだった。

 それ以上に、今までで一番美味しそうだった。

 これはあれだ。

 つまり丸呑鯨(ウースルヴァル)も何らかの才能を持っていたのだろう。


 そして幸運でもあった。

 ヘルダがそうであったように、核から才能を奪えたならばそれは空っぽの核を手に入れることとなる。

 そこに魔力を込めることは以前からできた。

 さらに一度でも核から才能を抽出できたならば、今後はただの核からでも壊さずに魔力の抽出が可能となる。

 この土壇場で、大いなる金策を手に入れたのだ。


「どうした? 核が思ってたよりも小さかったか?」


「違うわ……。組合長、悪いけど以前の部屋に計測器を用意してもらえるかしら。それと大きめの核もいくつか用意してもらえるとお互いに嬉しいことになると思うわ」


「……それはつまり、お前さんが俺に売った物のような、か?」


「ええそうよ。ただね、あまり見られたくはないのよね」


「任せろ。こないだと同じ部屋に用意してやろう」


 意気揚々と組合館の中に戻っていくゲルト組合長。

 魔力の限界まで籠った核を手にする機会だから、その高揚は当然なのかもしれない。


「イルザさん、何をするつもりなのですか?」


「シルヴィア……そうね、あなたも手伝いなさい。私よりもあなたのほうが適しているはずよ」


 まだまだ魔力の少ないシルヴィア。

 この核は私よりも、むしろシルヴィアにこそふさわしい。

 どうせ丸呑鯨(ウースルヴァル)からはろくな才能は手に入らないだろう。

 少なくとも灰石象(グラファント)の才能は使いみちのないものだった。

 だったら今後も核の輸送でレーゼル共和国に赴くであろうシルヴィアにこそふさわしい技能だった。


「おいおい、ゲルトがあんなにはしゃいでるのは初めて見たぜ。俺たちには教えられないことなのか?」


「当然でしょう。誰も金策の手の内を喜んでさらけ出したりはしないわ」


「ほう……じゃあ追加で条件を出させてもらおうか。あんたが秘密にしたい金策をこの目に見せてくれるなら、まずはひと月の契約を結んでやる」


「あんた……!」


「そう睨むなよ。俺としても少々困ってたんだ。まったく、パウラに一体何をしやがったんだ」


 そういえばパウラが静かなままだ。

 水揚げされた丸呑鯨(ウースルヴァル)に興奮して騒ぎ出しそうなものなのに。


「団長! イルザは信頼できる! アデライドなんかよりもイルザと手を組むべきだ!」


「な? 困ったもんだろ」


 ……後押しをしてくれているつもりのようだが、せっかく話の纏まりそうな今に至ってはちょっと困った態度でもある。


「別に儲けを奪ったりはしないさ。ただな、団長としては金集めも苦労することの一つだからな。参考にしたいってだけだ」


「あいにくと参考になるものではないの。それにリスクが大きすぎるわ。自分たちでできないことだからって、私の仲間を攫われることになったら嫌だもの」


「そんなにか? 俺たちの仲間には魔法使いもいるが、そいつにもできないことなのか?」


 さて、どうするか。

 アルベルトはこんな態度だが容易には引き下がらないだろう。

 しかし見せるのは論外だ。

 シルヴィアはアルベルトに勝てないし、ハインドヴィシュに連れて行ったらヘルダのことも知られるだろう。

 いや、この段階においては隠すことすら怪しく見えるか……。


「……条件付きで、金策の方法を見せてあげてもいいわ。それどころか伝授してあげてもいい」


「そりゃ……随分とうまい話だ」


「それだけあなた達傭兵団のことを重く見ているの。……まず一つ目、今立ち会うのはパウラだけ。二つ目、この技術を伝授する相手は女の魔法使いに限ること。今強い魔法使いよりは、今後強くなってほしい魔法使いのほうが好ましいかしらね」


「パウラから聞き出すぞ?」


「それはもう諦めるわ。ただ、同じことをできるようにしてあげるのだから、私の仲間には手を出さないでちょうだい」


 もしも私以外も核の値段を高めるようなことができたとして、今後起こり得ることは一つしかない。

 つまりは核の買取価格の緩やかな下落。

 容易に質のいい核が手に入るようになれば、その分だけ既存の品質の劣る核は安くなる。

 ただ、伝える相手は一人だけだ。

 そう値段は変わらないのではと思う。


「そりゃ結構な話だな。もちろん俺の仲間に手段を教えてもらえるのならば野蛮なことをするはずがない。……ピエール! 見込みのありそうな魔法使いには誰がいた!」


「将来性のありそうな女となるとコロナが一番かと。しかし本当に受けるので? 怪しくはないのですか?」


「それだけの価値はある話と見た。すぐに連れてきてくれ」


 ピエールと呼ばれた男がすぐに出ていった。

 相談役、みたいなものだろうか。

 ていうか今すぐ連れてくるのか。


「それじゃパウラを少しのあいだ借りるわね。シルヴィアも一緒にいらっしゃい」


「おう。ピエールはすぐに戻ってくるからな」


 急げ、ということなのだろう。

 小さくため息をついてから、ゲルト組合長の待つ部屋へと向かった。


次回更新少々遅れます (9/9)

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