060
「ユーリア、いるか? 客を連れてきたんだが」
家の中でドタバタと動く音が聞こえる。
来客は珍しいのかも。
「おまたせ……珍しいね」
「商人さんからの紹介でな。漁師の心得を聞きたいそうだ」
「漁師に? わざわざ?」
「そのへんは直接聞いてやってくれ。俺はただ案内しただけだ」
それだけ伝えると、便利な漁師は私たちを放置して去っていった。
女と話したくない理由でもあるのだろうか。
「……あなた達は?」
「立ち話もなんだから、中に入れてもらえないかしら。きっと長くなることだから」
さっきの漁師に対してもそうだが、怪訝な様子を隠そうともしていない。
「……狭くてもよければ」
それでも招き入れてくれたのだから、脈はあるのだと思いたい。
狭い家のはずなのに、妙に広く感じるのは私物がほとんどないからだろう。
お金はあるはずだから、あえて貧乏な暮らしに甘んじているのには訳がある。
すなわち、理由があっているお金を貯めているのか、貧乏を演じる訳があるのか。
「それで、話を聞きたいとか」
「そうなんだけど、その前に自己紹介をさせてちょうだい」
商人のシーラ、その母親のシルヴィア。
傭兵のパウラ、そして討伐者の私。
特に傭兵と討伐者が一緒にいることにユーリアは驚きを隠せなかった。
「傭兵と討伐者は仲が悪いと思ってた」
「……ああ、傭兵が討伐者の仕事を奪っているから? 私には関係ないわ。傭兵には仕事を依頼しに来たんだもの」
「それなのに本人は漁師になるの?」
「ならないわ。実はあなたに聞きたいことがあってやってきたの」
さて、ユーリアはどんな反応をするだろうか。
「魚を取ってほしいんだったらお断り」
「違うわよ。ほしかったら勝手に買うわ」
「じゃあなに?」
「丸呑鯨について、話を聞きたかったの」
この街で丸呑鯨について詳しい人は誰だと聞かれたら、大半は目の前のユーリアだと答えるはずだ。
昨日だけで漁師20人中15人が亡くなっている。
ユーリア以外の生き残った者たちも、数度の祭りで死んでいく可能性が高いだろう。
間近で丸呑鯨を見たのはユーリアだけだと言っても決して言い過ぎではない。
「丸呑鯨の……?」
「ところで、私はどんな依頼を傭兵に頼もうとしているのか、そこから話そうと思うけれどいいかしら」
「それは丸呑鯨に関係あるの?」
「直接は。けれどもいきなり話をしてくれというのも失礼なことだし、私の背景を知ってもらいたいのよ」
警戒を解くとはいかないまでも、少しでも長く会話をしたほうがお互いの人となりも知れるというもの。
余計に警戒されるかもしれないがその時はその時だ。
……
…………
「……そっか、もうこの国に漁師はいらないんだ」
「いらないわけじゃないと思うわ。ただ一度は漁業組合を解体したいのでしょう。漁師はそれぞれの商人組合に入って、適切な値段で魚を買い取るべきよ」
国としては漁師はどうでもよくて、漁における補償をなくしたいだけのはず。
儲からなくなった漁師に人が集まるかどうかまでは知らない。
「うん、分かった。協力するよ」
「……いいの?」
「あなた達がどうして私に話を持ってきたのかは知らないけれど、私はずっと漁師を辞めたかった。だから、漁師がなくなるのなら協力するよ」
「漁師をやめたあとはどうするの?」
「どうしようかな。この国にはいられなくなるし、傭兵になるのもいいかもしれない」
シーラの予想は大当たりか。
でもちょっと疑問。
魚の値段からしてユーリアは相当な額を溜め込んでいるはずなのに。
「……その気になればいつでもこの国から逃げられたのでしょう? 魚を売ったお金は何にも使ってないように見えるわ」
「お金はお父さんとお母さんのお墓代」
「今までの? 全部?」
「うん、そう」
シーラを見ると迷わず首を横に振った。
当然だ。
墓なんて金貨で何十枚もするはずがない。
そもそもユーリアの両親も漁師だったそうだし、遺体の回収もできていないはず。
墓を立てることがおかしいとは言わないけれど、立派なものを立てるはずもないだろう。
つまりユーリアは騙されているのだ。
誰に?
間違いなく漁業組合に。
それほどまでに魚に捉えられないというユーリアの特性に頼っているのか。
酷い話、そしていい話だ。
少なくとも私は漁業組合を潰すことになんのためらいもなくなった。
ユーリアも漁師を辞めたがっていたので、その後の話はトントン拍子で進んでいった。
丸呑鯨の討伐は夜、人目につかない時間帯に行う。
倒したあとは私が一旦格納し、シーラの組合でこっそりと受け渡す。
この際私の才能が知られてしまうが格納ならば問題ない。
あとはできるだけ早く話をつけ、ユーリアを連れ出したらおしまいだ。
最後にユーリアと握手をして別れた。
決行は今夜。
それまではおとなしく眠って待つことになる。
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ユーリアの両親はともに漁師、そしてともに海で亡くなっている。
そもそも長生きするほうが珍しいのだから、むしろユーリアの家まで案内してくれた便利な漁師のほうがおかしいのだ。
ユーリアの両親は優秀な漁師だったらしい。
少なくとも子供を作れる程度には生き残っていたし、そして育てきる程度には生き残れると考えていたはずだ。
しかしユーリアが12歳の時に亡くなった。
原因は魚とされているが、その時をユーリアは見たわけではない。
ある晩に漁師仲間が亡くなったことを伝えてきたのだそうだ。
残された遺産で生活しつつ、15歳になるとユーリアも漁師となる。
漁師以外の道は誰も示さなかったし、親の背中を見ていたユーリアには漁師以外に選ぶこともなかった。
そして沈没。
丸呑鯨に襲われたのではなく、浅瀬での転覆らしい。
魚の群れが小舟に体当りしての転覆。
少なくとも昨日の祭りの最中、体当たりをする魚は一匹もいないけれど転覆なのだ。
海中に投げ出されたユーリアの運命は決まっていた。
魔物は例外なく人を海中襲うのだから、水中で身動きの取れないユーリアがどうなるのか、誰の目にも明らかだった。
でも、生き延びた。
誰もが諦め、夜になって漁師の姿も消えた頃。
ユーリアはなんとか岸までたどり着いたのだ。
真夜中。
穏やかな海の上、三艇の小舟が静かに岸から離れていく。
ユーリアが持つ三艇の小舟。
一艇にユーリア、もう一艇に私、残りの一艇はロープで繋げて海上へ。
さすがにシルヴィアを連れて行くにはまだ早く、パウラに頼るわけにもいかない。
そもそも私だけでも十分だろう。
「海に投げ出されないようにね」
「大丈夫よ」
なにせレーゼル共和国への移動は馬車だった。
暇だった私は荷台に立っていることも多かった。
もちろん馬車と小舟では揺れ方が違う。
馬車は硬い地面で跳ねるように揺れていたが、小舟は沈むように揺れる。
揺れ幅が大きいとでも言おうか。
海上へと繰り出した私たちだが、もちろん魚は私たちの事情なんて知る由もない。
歓迎は手荒なものだった。
「魚の群れがくるよ」
「思っていた通りね」
真夜中、珍しくも人の気配を感じた魚たち。
そこで襲わずにいられるのかというと、もちろんそんなことはあり得ない。
まずは小魚たちが嬉々として私の小舟へと押し寄せてきた。
小魚はその大きさからして、小舟を噛み砕くことはできない。
人の身体でいうならば、腕を噛み切るのがせいぜいの大きさ。
だから基本的には、海上へと飛び跳ねて小舟に乗っている人を襲うのだ。
これが漁師が多いのであれば、海面に現れたところを突けばいい。
でも今のターゲットは私だけ。
海面を見ているだけでは追いつかない。
「一匹目!」
海中に姿が見えた瞬間に連接剣を伸ばす。
狙い違わず黒い胴体を突き刺した。
手早く引き出して格納したら次の魚へ。
出だしは好調、ただ迫り来る魚は多すぎて、狙われているのは私だけだった。
次第に処理が追いつかなくなることは目に見えていた。
「このっ!」
二匹、三匹と処理をいていくが徐々に海面に近づく魚が増えてきた。
伸ばしていたはずの連接剣も、今は伸ばさずとも魚に届く。
それどころか、海面から顔を出す魚もいるほどだ。
そして、同時に水の跳ねる音。
「痛っ……たいわねこのっ!!」
前後同時に飛び跳ねてきたのはさすがに防げない。
正面の魚は斬り裂いたけれど、後方の魚には腕を噛まれた。
けれども決して千切れはしない。
こんな雑魚に私を傷つけることは不可能だ。
腕にぶら下がる魚の頭を握りつぶして格納する。
それにしてもこんなに多くの魚に襲われるだなんて想定外だ。
群れる魔物はもちろんいるけれど、ここまで群れるものなのか。
倒した数はゆうに20匹を超えている。
しかも、まだ浅瀬なのだ。
丸呑鯨が現れる地点まであと半分は残っている。
ということは、一旦は落ち着いた魚の群れをもう一度処理しなければならない、かもしれないというわけだ。
「次の群れが来てる。さっきよりも多い」
「ああもうっ!」
考えなければ良かったと後悔しても遅すぎる。
それよりも簡単に倒すことを考えた方がいい。
連接剣を振り回すか?
水の抵抗が大きすぎて、きっと何匹も倒せない。
何よりもこれ以上海につけると錆びてしまいそうだ。
だったら魔法?
火の魔法が海中にまで影響を及ぼすとは思えない。
せいぜい海面を温める程度。
地の魔法はもっとダメ。
結局は、今までと同じにするしかない。
連接剣は振り回す。
水中がダメならば、空中で振り回せばいいだけのこと。
「……どうしたの?」
私が連接剣を構えたままのことに不思議そうだが、ユーリアは襲われないのだからただ見ていたらいい。
魚は見ずに、ただ海面に迫る魔力に集中する。
一匹、二匹。
簡単に襲ってこないのは、さっきの群れが全滅したからか。
数でもって私を海へと引きずり込もうというのだろう。
小舟の周りを旋回している中で、私はじっとその時を待つ。
魚の数が増える時を、そして襲ってくるときを。
旋回する魚が八匹を超えたとき、一度に海上へと飛び上がってきた。
「そこおっ!!」
誰かが指揮を取ってたのかというぐらいに、見事なタイミングで飛び上がってきた魚の群れ。
一糸乱れぬ動きだからこそ、連接剣の餌食となった。
魚たちが私に噛み付こうかという寸前、連接剣は周囲の魚を剣身を伸ばし一突きにした。
ズブズブズブっと一本の連接剣に頭を貫かれた魚が八匹連なっている。
豪快に焼き上げてしまいたいところだが、今は格納するに留めよう。
まだまだ魚は多くいるのだ。
「すごい」
「ありがとう。でもまだ狩りは終わっていないわ」
今現れている魚は前哨戦に過ぎないのだから。
私たちの本命である丸呑鯨が現れるまで、手間取ってなんかいられない。
沖へ沖へと進みながら、都合三度の魚の群れを全滅させたタイミング、奴は唐突に現れた。
「来た。真下」
この大きな魔力、間違いなく丸呑鯨だ。
海底から私の小舟が目掛けて一直線にせり上がってくる。
丸呑鯨の効率的な狩り方、結局案は出なかった。
そもそも頭を使うのは苦手なのだ。
力押しでどうにかなると分かっている以上、妙案が浮かぶはずもなかったのだ。
まずはギリギリまで引きつける。
丸呑鯨にだって、私がどの小舟に乗っているのかは伝わっているのだろう。
祭りの間も、丸呑鯨は無駄に身を晒すことなんて一度もなかった。
この身を囮としてしか丸呑鯨を誘い出すことはできないのだ。
まだ早い、まだ早い。
水中における魚の身のこなしは、きっと私の想像を上回る。
それこそ噛みつかれるぐらいまで引き付ける必要があるのだ。
そうして待ち続け、僅かに海面が盛り上がった次の瞬間。
ロープで繋いでいた無人の小舟へと飛び移り、姿を見せた丸呑鯨に対して連接剣を振るった。




