006
翌日、私とヘルダの姿は森の中にあった。
私は武器を持たず、そしてヘルダはその身体には少しばかり大きな古びた剣を手にしている。
エミリアから話を聞く限りでは、才能には様々なものがあるらしい。
それこそ武器を用いずこの拳だけで戦っても格闘という才能を得られるらしいので、唯一の武器である剣はヘルダに与えたのだ。
ヘルダにとっては少し重いだろうが、これも身体を鍛えるためということで我慢してもらう。
それに、ヘルダ自身も文句は言わなかったから。
「ヘルダはこの森の魔物に詳しいのよね? 戦う魔物はこの前の巨首馬でいいのかしら」
「……一番弱い魔物は緑醜鬼です。私では巨首馬と戦えません」
「それなら緑醜鬼を探しましょう。この森にもいるのよね?」
「緑醜鬼はどこにでもいる魔物ですから」
ならば緑醜鬼を探してみよう。
確かに今まで戦ったことのないであろうヘルダに、巨体な巨首馬を相手にしろというのも酷な話だ。
私が押さえつけて戦わせることを考えていたが、弱い魔物がいるならばそちらと戦うべきなのだ。
緑醜鬼を探しながら、その詳しい特徴を聞いていく。
幸いなことに緑醜鬼はその弱さで有名らしく、ある意味では魔物の代表とも言えるためか誰でも知っていることだった。
まず、緑醜鬼は小さい。
それこそ子供と同じ程度の背丈しかないそうだ。
遠目に見る姿は人と同じ二足歩行。
ただし人語は解さずに肌は緑色。
見間違えることはないだろう。
「弱いといっても魔物なのだから、見つけたらまずは私が戦うわね」
「はい。でもそこまで心配しなくてもいいと思います。緑醜鬼は子供三人ぐらいで安全に戦える魔物ですし、討伐者になるなら一人で倒せないといけない魔物です」
子供だけで倒せる魔物なのか。
それならそこまで心配することもないのかも。
「……討伐者?」
「魔物と戦うことを仕事にしている人のことです。この森には魔物も多いから、討伐者になる人も多いんです」
どうやら討伐者なる職業があるらしい。
そういえば魔物の核がお金になるとエミリアも言っていた。
仕事になるぐらいなのだから、魔物の核というものはよほどの高価なものなのだろうか。
「詳しいのね」
「……お婆ちゃんに拾われる前は、討伐者を目指していたんです」
そして、ヘルダはエミリアとそれほど長く生活していたわけでもないみたい。
ヘルダの見た目は10歳程度だ。
いくら子供でも戦える緑醜鬼といったって、さすがに赤子では太刀打ちできないはず。
最大限見積もっても二年。
それが、ヘルダとエミリアが過ごした時間だった。
森の中、あまり庭から離れないように進んでいく。
今のところ魔物とは出会っていない。
私が巨首馬と出会えたのは運が良かったかららしい。
そこまで魔物が溢れているわけでもないようだ。
そうして、私たちは魔物を見つけた。
小さな背丈に緑色の肌。
間違いなく緑醜鬼だ。
「あれが緑醜鬼?」
「はい、間違いありません」
確かに聞いていたとおりの容姿だった。
でも、それだけじゃない。
体格だけを見るならば、確かに子供でも戦えそうな相手だろう。
しかし緑醜鬼は、その手に錆びた武器を持っていたのだった。
さすがに武器を持つ相手に一対一で戦うことは難しい。
もしも実力的が同等程度なら、その攻撃を完全に防ぐことは無理なのだ。
この戦い、少なくともヘルダ一人に任せるわけにはいかなかった。
「……魔物も武器を扱うのね」
「珍しいことですけど。多分、襲ってきた討伐者を返り討ちにして武器を拾ったのだと思います」
そのヘルダはあまり焦ってはいないみたい。
武器を持っていることも想像の範疇ということか。
「残念だけれど、ヘルダ一人に任せるわけにはいかないわ。まずは私が相手をするから、ヘルダは弱ったところを攻撃して」
「……わかりました」
少々不満げなのが気に食わないが、ここで食い下がることに意味はない。
今は緑醜鬼の相手をするのが優先だ。
緑醜鬼の前に躍り出ると、緑醜鬼もすぐに私に気づいた。
緑色の肌が特徴というが、他にも人と違う部分があった。
しわくちゃな顔を更に歪め、醜く獰猛な表情を浮かべ私に襲いかかってくるのだった。
しかし、その歩みは決して早くない。
見た目通りに子供が駆ける程度の速度だ。
ならば力も相応に低いはずだろう。
「そんな攻撃じゃ当たらないわ」
緑醜鬼としても、武器の扱いに習熟しているわけではないようで、近づいて振り下ろされる剣の速さはあくびがでるほとだ。
避ける必要もない。
振り下ろされたことを確認してから動いても、まだ私には余裕があった。
緑醜鬼が剣を持つ右腕、その付け根に足で蹴り上げると、持っていた武器ごと右腕がちぎれて飛んでいく。
「ギギッ!?」
緑醜鬼には何が起きたのか分からない。
その隙をついて緑醜鬼を蹴り倒し、その体に足をのせる。
「トドメはヘルダが刺すのよ」
訳も分からず地面に縫い付けられた緑醜鬼は、私の足から逃れようと暴れるが逃げられるはずもない。
剣を構え近づいてくるヘルダの餌食となることは決まっているのだから。
「──いきます」
上段に構え、迷わず振り下ろされた剣は間違いなくその首筋に当たったのだった。
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緑醜鬼を倒したことで、さあすぐに次の獲物を、というわけにはいかなかった。
魔物を倒した時には、その核を回収することが習わしとなっている。
核を回収しなければ、満ちた魔力の中で魔物はすぐに復活するのだとか。
それでも緑醜鬼程度だからどうでもいいのだが、お金になるのだから回収しない手はない。
「ヘルダ、剣を貸してちょうだい」
受け取った剣で、動かない緑醜鬼の体を切り開いていく。
核は決まって体の中心にあるから迷いはしない。
ただ、立ち込める異臭は気持ちのいいものではない。
「……緑醜鬼の肉も食べるのかしら」
「いえ……さすがに緑醜鬼を食べる人はいないと思います」
それはなにより。
核は剣先でなんとか取り出せたのだが、格納するためには触れなければならないから。
この異臭を発する遺体に触れたくはなかった。
核は巨首馬のものよりも更に小さく、地面に落としたらそのまま見失ってしまいそうなサイズだった。
核の大きさがそのまま魔力の、ひいては魔物の強さを表すそうだから、小さいことに疑問はない。
ただ、これほどの小ささにいったいどれほどの価値があるのかははなはだ疑問だった。
その緑醜鬼の遺体だけれど。
切り開かれた胸、吹き飛んだ右腕。
そして落とされた首と言いたいところだが、実は体中に傷を負っていたりする。
ヘルダが剣をうまく扱うことができなかった為だ。
振り下ろされた最初の一撃は確かに首筋を捉えはしたのだ。
しかし、その首を落とすには至らなかった。
そこから何度も剣を振り下ろすのだが、緑醜鬼の体が硬いのか傷はすべてが浅いもので、疲労もするものだからどんどんと狙いもそれていった。
結果として緑醜鬼は全身に殴打の跡を負い、見守ることも面倒になった私の手で首を跳ね飛ばされたのだ。
魔物と戦う討伐者を目指していたというヘルダだが、彼女には足りないものが多すぎた。
「今日はもう戻りましょうか」
「……嫌です。わたしは討伐者になるんです」
その意志だけは立派だけれど、意志が強ければなんでもできるわけではないのだ。
ヘルダは緑醜鬼一匹にも敵わないほどに弱いのだから。
「いいから、戻るわよ」
なおも食い下がるヘルダから剣を取り上げ、身体を脇に抱えて来た道を戻っていく。
ヘルダが魔物と戦うにはまだ早い。
別に戦うなというわけではないのだ。
ただ、その前に身体を鍛えようというだけのことだ。
「ヘルダも分かっているでしょう。あなた一人だったら緑醜鬼に負けていたのよ」
「そんなこと、ありません……」
「負けるのよ。動けない緑醜鬼にトドメを刺すだけでもあんなに時間がかかっていたのよ。勝てるわけがないじゃない」
「……でも、わたしぐらいの子供なら魔物と戦うことが当然なんです」
私はヘルダのいう討伐者というものを見たことはない。
でも、ヘルダを見て思うのだ。
少なくともただの子供が武器を手にしたところで緑醜鬼には敵わない。
緑醜鬼を倒せる子供がいるのなら、その子供はきっと身体を鍛えた子供なのだ。
「別に戦うなというわけじゃないの。でもまずは、身体を鍛えましょうというだけなのよ」
ちょうどいいことに、この剣はそれなりに重くはある。
剣を振るだけでもそれなりの訓練にはなるはずだ。
あとは……そう、ヘルダにちょうどいい武器が必要だろう。
ヘルダの身体にこの剣は大きすぎるのだ。
振り下ろすことしかできない攻撃なんて、避けてくれと言っているようなもの。
ヘルダの身体から考えても、威力よりも切れ味を重視した武器を手に入れる必要があった。
こうして抱えて分かったのだが、ヘルダはその歳にしては軽いほうだ。
恐らくは今までの食生活が原因だろう。
武器のことは後回しにして、とりあえずはたくさん食べさせる必要がありそうだ。
そのためには調味料か。
味を濃くすることで、今まで以上に食べてもらうのが一番だろう。
……一度森を離れ、街へ出る必要もあるのかもしれない。
こうしてヘルダのために色々と頭を働かせることは、そう悪い気分ではなかった。
自分以外の、それも違う種族の少女に対してこれほどまで献身的になれるだなんて知らなかった。
おそらくだけど、ヘルダが相手だからかもしれない。
私に未だ懐かないからこそ、どうにかして振り向かせたいのだ。
満面の笑みを私に向けさせてみたいのだ。
この感情は一体なんだろう。
長く接するということは、それだけで相手のことが気になるものなのか。
今までの私にとって、人は単なる餌だった。
そこにだって趣向は入る。
触り心地の面で、私のもっぱらの相手はうら若き乙女だった。
餌として見るならば、ヘルダは少々若すぎる。
何よりも身体が貧相すぎた。
もしかして、ヘルダが成長してから襲いたいのだろうか。
少なくとも顔は整っているから、このまま育つと私好みの乙女になってくれるだろう。
しかし今の私はヘルダを襲うつもりはない。
餌としてか、それとも違う理由なのか。
ヘルダが成長するまでは分からないことなのだろう。
私が森の中での生活を始めて一週間程度だろうか。
それまで、エミリアとヘルダ以外の人を見かけたことはなかった。
だからだろう。
見知らぬ気配にいち早く気づくことができたのは。
「……誰かがこの先にいるようね」
あともう少しでたどり着くというあたりで、人の気配を感じたのだ。
エミリアは出歩けない身体だし、そもそもヘルダは私が抱えている。
間違いなく知らない人の気配だった。
「多分、お姫様だと思います」
「お姫様?」
「この森の南にある、ハインドヴィシュ公国のお姫様。たまにお婆ちゃんに会いにくるんです」
姫と聞いて真っ先に浮かぶのは豚の姿だ。
豚はアデライド帝国の姫という話だから、わざわざ会いに来たというハインドヴィシュの姫とは別人のはず。
しかし別人であろうとも、姫という言葉に対する私の印象は最悪なまま。
できたら会いたくはなかった。
「そのお姫様というのはどんな人なの? エミリアに会いに来るそうだけれど危なくはないの?」
「リタさまはそんな人じゃないと思います。それにお婆ちゃんも、いつでも会いに来ていいと言っています」
ならば危険はないのだろう。
それにエミリアも言っていたではないか。
たまに森の中を訪れる人がいるのだと。
「そう。……ただ私は会いたいとは思わないから、少しの間姿を変えることにするわ」
「……イルザさん?」
そういえば、まだヘルダには教えていなかったか。
私は自らの姿を変幻させることができる。
もちろん選んだのは猫の姿。
ヘルダが問題なく抱えられる大きさだから。
「私は姿を変えることもできるのよ。ほら、行きましょう。それと、その姫の前では私に話しかけないようにね」
わざわざ変幻したのに、話しかけられては意味がない。
いきなりのことに戸惑うヘルダだけどここは森の中。
少しは悩んだようだけれど、結局は私を胸に抱えて庭へと戻っていくのだった。
そうして私は出会った。
森の南に位置する小国ハインドヴィシュ公国、その姫リタ=ウラ=ハインドヴィシュ。
後になって思うのだ。
きっとこれが運命だったのだと。