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公国の真紅の瞳  作者: ざっくん
第3章
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053

 誰にも聞こえない小さな吐息、シーラが眠ったことを確認してからが本題だった。


「まずはシルヴィアの体質について、分かったことを説明するわ」


「……分かったのでしょうか」


「もちろん。見ただけで分かる明白なことだったわ」


 シルヴィアの身体が弱い理由、どんな薬でも治らない理由は普通の医者では見つけられないものだったのだ。


「その前に確認するけれど、シルヴィアは魔力についてどの程度知っているのかしら」


「魔力ですか? 私は見たことがありませんが、魔法を使うときに必要なのが魔力だと聞いています」


「そうね。その認識は間違いではないわ。でも全部でもない。魔力はもっと色んな物に関わっているの」


 ちらりと様子をうかがうが、シルヴィアはまだなんとも思っていない。


「例えば魔物だけれど、体を持っていてもそのほとんどは魔力によるものなのよ。魔力だけで体を作っているのね」


「……それは、人も同じだということでしょうか」


「いいえ。魔物が魔力でできているのはその体内に核を持っているからよ。これは人にはないものだから、魔物と同列には語れない」


 でも無関係でもない。


「魔力はね、どこにでもあるの。もちろん空気にだって混ざっているわ。私たちは呼吸をするたびに、そのわずかな魔力を取り込んでいるのよ」


「……それは、人もいつか魔物になるということでしょうか」


「そうじゃないわ。魔物は先に核があって、その後で体ができるの。先に身体がある人は魔物にはならないわ」


 人が魔物になるのだったら、今ごろハインドヴィシュは魔物の楽園だ。


「本題はね、たとえ魔法を使えない人だろうと、その身体には魔力がこもっているということなの」


「それは私の身体にもでしょうか?」


「ええそうよ。生まれつき魔力は持っているし、成長とともにほんの少しずつ増えていくものなの。ただ本当にごく僅かだから気づく人はいないわね」


 多分だけれど、吸収する器官がないからなのだろう。

 あとは密度が薄いから。

 私の瞳でも、未だに空気中の魔力は捉えられていない。

 ……だから憶測になるけれど、間違ってはいないはずだ。


「……どうして、その話を?」


「まだ私の話は終わっていないわ。そらに、あなたにも関係のある話だから。……私の才能にね、見えない魔力を見る瞳があるの」


「魔力を……」


「ええ。だから分かるのよ。人はどれだけ魔力を持っているのか、魔法使いの魔力も、子供の魔力も。そしてあなたの持つ魔力も」


 だから一目見たときから気づいていたのだ。

 これは決して病気なのではないことを。


「ねえシルヴィア。あなた今とても苦しいのではなくて?」


 変化は劇的だった。

 シルヴィアは会話に飢えていた。

 楽しいことをしている間というのは、それこそ疲れていることも忘れてしまうほど。

 子供みたいなことだけれども、シルヴィアは確かに忘れていたのだ。


「っ──ごほっ……」


 布団に顔を伏せて咳き込むシルヴィア。

 先程よりもさらに痩せ衰えたように見えるのは決して見間違いではない。


「あなたは一言喋るだけでも相当疲れていたはずよ。そして私は見ていたの。あなたが喋るたびに、あなたの中から魔力がどんどん抜けていったのを」


 おぼつかない瞳は私を捉えているのだろうか。


「無理して喋らないで。……普通の人は、喋るだけで魔力が飛んでいくことはない。けれどあなたは違ったの。喋ると魔力も同時に出ていってるの。息を吐くだけでも魔力が逃げていく。身体が弱いのは当然だわ。あなたの今の魔力は、産まれたばかりの赤子よりも少ないんだもの」


 ある意味ではきれいな光景だった。

 シルヴィアが息を吐き出すたびに、光の粒子が空気中に霧散していくのだから。


「あなたは特殊な体質なの。決して病気なんかじゃない。むしろ誇るべき才能なのよ。普通の人は、喋るだけで魔力を放出することなんてできないのだから」


 枯れ木の腕を取り、褒めるようにぎゅっと握った。

 シルヴィアは小さく微笑んだけれど、何も安心させるために手を取ったわけじゃない。

 ──魔力放出。

 魔法と武器以外にも才能があることは分かっていたけれど、まさかこんな才能があるなんて。


 気づけばシルヴィアは不安げな顔を私に向けていた。

 ちょっと焦らしすぎただろうか。


「結論だけれどね、あなたの足りない魔力をどうにかしたら体調も元通りになるはずよ」


 足りない魔力は増やしたらいい。

 もしくは減らさなければいいのだ。


「魔力を増やすだなんて……」


「そうね、それはとても難しいことだわ。手っ取り早いのは討伐者になることだけど、弱った身体では難しいわ。でも安心なさい、そのために私がいるのだから。私にかかれば、あなたは自分で魔力を増やすことができるようになれるのよ」


 シルヴィアに対してできること。

 簡単なのは、魔物の核を壊してもらうことだ。

 でもその手段は教えない。

 せっかくの才能を、ここで逃す手はないだろう。


「あなたには新たな才能を授けましょう。人から魔力を奪う力を。安心なさい。それはあなたが望んだことじゃない。周りが勝手に魔力を奪ってくれと言い寄ってくるだけのことだから……」


 ここまで夫と娘に依存しながら生き長らえてきたのだ。

 今さら何を戸惑うことがあるだろう。

 これからは依存する範囲を広げるだけのこと。

 今までと何も変わらないのだから。


 動けないシルヴィアのベッドにのしかかる。

 弱々しくも押し返されるが、もちろんそんな力は抵抗にすらならなかった。

 大丈夫、受け入れてほしい。

 これもシルヴィアのこれからに必要な経験なのだから。


 ……

 …………


 本能というやつは侮れない。

 会話以外の積極性が見られなかったシルヴィアも、私と血の交換を行った次の瞬間には私の唇を奪っていた。

 もちろんそれだけじゃなく、私の身体からは魔力がどんどん抜けていった。

 シルヴィアはずっと飢えていたのだ。

 わたしも拒むことはなく、望むままに魔力を渡してあげた。

 これでシルヴィアも大丈夫。

 血族を通り越して眷属としてしまったのは少々張り切りすぎたが、それもまた問題はないだろう。

 どちらにせよシルヴィアは連れ帰るつもりだったのだから。


 なけなしの体力すらも失って、死んだように眠るシルヴィアへと語りかける。


「これであなたは生まれ変わったわ。目が覚めたら元気になっているはずよ。シルヴィアにはシーラの手伝いをしてもらおうと考えているの。だからまずはシーラを襲いなさい。その時になれば魔力の奪い方も分かるはずだから……」


 それだけ伝えている私も横になった。

 久々の運動で浅い眠気が襲ってきたのだ。

 朝には商談も控えていることだから、今は眠ることにしたのだった。


 けれど、それは間違いだったのかもしれない。



------



 窓から差す光に目を覚ます。

 裸でうつ伏せになっていたことで、昨夜の出来事を思い出した。

 隣でまだ眠っているであろうシルヴィアの様子を覗おうとしたが、その姿はどこにもなかった。


「……シルヴィア?」


 名前を呼んでも当然返事はない。

 なんとなく嫌な予感がして、脱ぎ散らかした服を着てリビングへ。

 ソファーには毛布が一枚たたまれていたがシーラの姿も見当たらない。


「……バカなこと」


 逃げたのだ。

 シーラは体調の治ったシルヴィアを連れ出して逃げたのだ。

 意味がわからなかった。

 私は約束を守ったし、シーラに無理なお願いをしていたわけでもない。

 シーラも納得していると思ったのに。


「私はお金が欲しかった。けれど、シーラにはもう必要ないということかしらね……」


 シーラがお金を貯めていたのは、母親の病気を治すためだけだった。

 治った以上はもうお金を集める必要もなく、商人であることも捨てるつもりなのだろう。

 本当にバカなことだった。

 シルヴィアがどうなったかも知らないくせに。


 シーラはほうっておいてもいいだろう。

 いずれ私の元へと戻ってくるはずだから。

 昨日組合長とやらに会わせてもらえたし、私一人でも商売はできそうだった。


 ジーラの家を出て、昨日の組合の建物へと向かって歩く。

 朝から活発な街だった。

 朝に一番働くというのはどこの国でも同じなのかもしれない。

 道行く人の姿はハインドヴィシュ公国とは違い、討伐者の数は少ないようだった。


 組合に入ると、組合長は昨日と同じように出入りする人を見守るようなのに場所に立っていた。

 早朝からご苦労なことだ。


「ん……あんたは昨日シーラと一緒に来たやつだったな。言伝でも頼まれたか」


 シーラが逃げ出したこと、どうやら組合長にも知られてないみたい。


「……逃げられたから、報酬を受け取りに来たのよ。こういうときは組合が立て替えてくれると思ったの」


 都合の悪いことは他人には聞かれたくないものだ。

 私の言葉に組合の中にいた何人かの視線が集まり、それを察した組合長は奥の個室へと案内する。

 私の話がどうであれ、人前で話すことではなかった。


 ──落ち着いて話すことが必要だ。

 そう言って、自己紹介だけをしたあとはお茶が出るまで待つことになる。

 もちろん私は冷静だけれども、特に急ぐ理由もなかったので言われるがままにおとなしくしていた。


「それでだ、シーラが逃げただって?」


「ええ。朝起きたらどこにもいなかったのよ。……ああ、昨日はシーラの家に泊めてもらったの」


「珍しいな。シルヴィアさんがいるから客人は泊めないと思っていたが」


「そのシルヴィアに泊まっていったらいいと言われたの。それなのに朝起きたらもぬけの殻だったものね」


「……そりゃちょっと出かけただけじゃないのか? 置き手紙があったんじゃないのか?」


「そう思うのも当然かもしれないけれど、シーラは逃げたのよ。だってシルヴィアの姿もなかったんだもの」


 わざわざ二人で買い物になんて……あり得るか。

 やっと母親が動けるようになったのだから、そりゃあ一緒になるお出かけでもしたくなるというものだ。

 ただ、組合長にとってはシルヴィアがいないことが逃げたことへの信憑性を高めることになったらしい。


「なるほどな。シルヴィアさんもいないとなれば確かに逃げ出した可能性が高いだろう。しかし分からんな。護衛の料金なんて決まりっているはずだがどうして逃げ出した?」


 その誤解は解いておいたほうがいいだろう。


「確かに私は護衛ではあるのだけれどね、それだけではなかったの。シーラからの依頼には、シルヴィアの病気を治すことも入っていたのよ。そしてシルヴィアの病気は昨日の夜には完治していたの」


「……治せたのか? あの病気を?」


「ええ。だからシーラがシルヴィアを連れ出すのはそれほど難しいことでもなかったでしょうね」


「そうか……。調べねばいけないが、シルヴィアさんもいないのならば逃げ出した可能性は高いか……。おい、誰かいないか!」


 組合長ともなると悩んでいる暇はないのだろう。

 部屋の中で叫ぶとすぐに人が現れて、シーラの家を確認するように言いつけられる。

 シーラが言えにいたら何もなかった話なのに面倒なことだ。


 使いはすぐに戻ってきた。

 やはりシーラもシルヴィアもいないそうだ。

 これでやっと話ができる。


「済まなかったな。組合員が逃げたとなればすべての責任はこちらにある」


「あら、疑わないの? もしかしたらもう報酬は受け取っているかもしれないわ」


「だったらシーラが身を隠す必要もないだろう。治療費が莫大なことになるのは分かりきっていたからな、最初から逃げるつもりだったのか……」


 報酬の話もきちんとしていたんだけれどね。


「報酬はそう難しいものじゃないわ。そりゃあ多少は無理を言うつもりだったけれど、シーラにとっても儲かる話だったはずなのよ」


「ほう……金だったら今すぐに払うつもりだったが儲け話か。それは俺が聞いてもいいものなのか?」


「むしろ好都合でしょうよ。あなたは組合長なのだから、あなたよりも適した人はいないと思うの、もちろんあなたにとっても儲かる話のはずよ」


 ゲルト組合長の瞳が怪しく光る。

 やはり商人なのだ。


「これをできる限りの高値で買い取ってもらいたいの」


 さっそく魔物の核を取り出した。

 リタに見せたときは、マイカだけがこの不思議な核に気がついた。

 はたして商人であるゲルト組合長はこの核の価値に気づくだろうか。


「……なんだ、緑醜鬼(ゴブリン)の核か。大方ギルドを通さなければ高値になると踏んだのだろうが、残念ながら緑醜鬼(ゴブリン)の核程度ではな」


 緑醜鬼(ゴブリン)の核はすべての魔物の核の中で一番小さい。

 だからギルドを通さなくとも、マージンを取られなくとも安物は安物のまま。

 ゲルト組合長には討伐者の経験はなく、魔法の才能もないようだった。


「確かに見た目は緑醜鬼(ゴブリン)の核だけれどね、それはギルドに売ることはできない核なのよ。売らない、じゃなく売れない核よ」


「ほう……ただの核ではないと言うのだな」


「わざわざレーゼルに持ち込んだのは、ここでは魔物の核の魔力を調べることができると聞いたからよ。この核の魔力を測定してもらえたら、きっと高値がつくと思うわ」


「そうかそうか、まあ俺たちにとっては持ち込まれた核を買い取るだけだ。たとえ安値だろうとギルドを通していなければ儲かることには違いはない。測定器を持ってくるから少し待つんだな」


 席を立つゲルト組合長はとても面倒くさそうで、この核の価値を全く信じていなかった。

 だからこそ私は楽しみでしかたがなかったのだ。

 この核の価値に気づいたとき、どれほど驚くのか。

 人を騙したときほど楽しいことはないのだから。


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