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公国の真紅の瞳  作者: ざっくん
第3章
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052

 25日。

 たった二人、一台の馬車での移動と考えたら褒められるべき速度だったのだろう。

 二人の奴隷もハインドヴィシュ公国で処刑されたから、無駄な食事を持ち込むこともなかった。

 奴隷の移動は馬車に乗せるのか、それとも走らせるのかは知らないが、どちらにせよ馬の足が早まったのは確かなことだった。


 そしてこの馬。

 魔物でありながら、人に害する意識を持たない馬。

 名を炭付馬(ザームヘスト)と言い、体はほぼ黒く、ところどころに擦れたように白い箇所があるぐらい。

 ランク付けとしては森でよく狩る巨首馬(ディフヘスト)と同等か少し下程度、首が細い分だけ安くなったと思えばいいだろう。


 それにしてもよく慣れている。

 まるで動物なのではと思えるぐらいに、シーラや御者に慣れていない私のいうことも聞いたのだ。

 もちろん道中ではまったく食事をしなかったことから魔物であることに疑う余地はない。

 思いつきで渡した飢餓犬(アンリュード)の核を丸呑みした時は確かに魔物なのだろうと実感した。

 もっとも、魔力はかけらほどしか増えなかったし魔人のこともあるので核は一つしか与えなかったが。


 そんな炭付馬(ザームヘスト)の生態など吹き飛んでしまうぐらいの衝撃だった。

 レーゼル共和国の首都、スクラーデル。

 ハインドヴィシュ公国の首都ヴァルデンデの二倍はあろうかという高さの壁。

 入り口の門に連なる馬車の数。

 なるほど確かに商業の国というに相応しい光景だった。


「ハインドヴィシュもお金を持っているって聞いていたけれど、ここまで違うと怪しく思えてくるわね」


「スクラーデルはヴァルデンデとは違いますよ。守るためではなく、威光を示すための壁ですから。近くに森もないのに、ここまで大きな壁を作る理由はありません」


「……あるでしょうよ。威圧感のある壁は初めて訪れる人には畏怖を抱かせる。それは街の中で悪いことがしにくくなるということなのだから」


 それでも治安のためだけにこれほど大きな壁をつくるとは大したものだ。

 それともお金があるからか。

 アデライドがそうであるように、戦争を起こそうとする国が一つであるとは限らないのだから。


「治安、ですか。そうかもしれませんね。お金で傭兵は雇えても、人の流れを止めることは難しいですから」


 最悪は人の壁でもいいのだろうけれど、それではお金がかかりすぎる。


「……傭兵? 兵士ではなくて?」


「傭兵です。聞いたことはありませんか? 我らがレーゼル共和国は武力を持たない国なのです。その代わりに、サルデレン連邦から傭兵を貸し与えてもらっているのです」


「……それは、随分とお金の掛かりそうなことで」


「その代わり、万が一のときには責任を追求できますから」


 国を守るための戦力も責任も他国に委ねているわけだ。

 一番お金を持っている国だから、ただ自衛に努めているだけではだめなのだろう。

 その傭兵に裏切られたらどうするのだと思うけれど、きっと私には分からないところで対策はされているはずだ。


 まあ細かなことはどうでもいい。

 レーゼル共和国が噂に違わないお金持ちの国だとこの目で見ることができたのだから満足だった。



 門の前で待つこと30分余り。

 遅々として進まない列に辟易しながらも、ようやく街の中へと入れたときにはため息のひとつも出るものだった。

 圧巻だった。

 門の外からでも見えていたが、行き交う人々の数はヴァルデンデの比ではない。

 建物も一軒一軒が立派であり、それだけでもどれほど潤っているのかが見えるようだった。


「イルザさんにはすぐにでも母の元へ案内したいところですが、まずは組合に挨拶へと向かいます」


「組合?」


「……恐らくはハインドヴィシュにも似たような集まりがあるかと思われます。八百屋の組合、肉屋の組合。ただこの国ではもう少しばかり大きな組合になっています」


 確か……そう、クラーラから似たような話は聞いたはずだ。

 鉄一つを輸入するにしても、個人で仕入れるよりは何件かの店が合同で輸入したほうが安く付く、そういう集まりだったはず。


「それは、ハインドヴィシュから輸入している商人の組合ということかしら」


「いえ、それよりも大きな組合です。私のような商人、それに鍛冶屋に農家、様々な分野で一つの組合を作っています」


「……それで利益が出るの?」


 例えば鉄を仕入れたとして。

 儲けるためには鍛冶師にできる限り高値で売りたいと思うはず。

 違う分野の者たちが集まることは、不利益のほうが大きいのではないのだろうか。


「疑問はごもっともです。しかしこの国にはこの国の問題があるのですよ」


 今すぐに説明してくれるわけではないみたい。

 まあいいさ。

 それでシーラが儲かるのならば気にすることはない。


 向かった先はこのあたりで一番の店だった。

 店というよりはただの大きな建物、あえていうなら居酒屋が近いだろうか。

 裏手に馬車を止め、シーラと一緒に中に入るとさっそく手厚い歓迎を受けた。


「おお、おお? シーラか! またどうしてこんな時期に戻ってきたのか。商隊を動かすのはまだ先だっただろう」


「ゲルト組合長、お久しぶりです。色々とありまして、先に戻ることになったのです」


「そうかそうか、それにしても景気がよさそうだ」


 そう言う組合長の目は私に向いている。

 専属の護衛を雇ったと思ったのならいいが、奴隷を買ったのだと思われていそう。


「それで、オットーのやつはどうした? また荷物から目を話したくないと荷馬車の中で待ってるのか」


 何を考えているのか分からない表情は商人の得意技だ。


「いえ……父はもう二度と、故郷の土を踏めなくなってしまいました……」


「……そうか。まあ長くはないだろうも思っていたが、こんなに早いとはなあ」


 顔を見せなかったことが、演技と疑われない秘訣だろうか。

 シーラが頭を伏せている様はあたかも悲しんでいるようで、その実父を殺した犯人だと疑う者はいなかった。


「……それは無理して戻ってきたことにも関係しているのだろう。後ろのべっぴんにももしかしたら関係があるのかもしれない。だが今はいいだろう。良く無事に戻ってきてくれた」


「はい……」


 なんとなく、ただ人がいいだけではないのだろうなと思った。



 挨拶が終わるとシーラの家へと案内される。

 組合には本当に顔を見せるだけだったようだ。

 父親が死んだことを伝えたかったのかもしれない。

 あの組合長は、シーラの悲しむ姿を見せるだけで雑務をなんでも引き受けてくれそうではあった。


 それから向かったシーラの家は、商人にしては小さいものだった。

 家を大きくするぐらいなら、母の薬にお金を使ったからだろう。


「お母さん、ただいま」


「……シーラ?」


「仕事が落ち着いたから、私だけ戻ってきちゃった」


 もちろんこれも嘘。

 父親を殺したことは伝えるが、それは体調が戻ったあとだ。

 体力のない今伝えてショック死なんてことになったら目もあてられない。


「お仕事は順調なのね……それと、お客様かしら?」


「紹介します。こちらイルザさん。ハインドヴィシュの人なんですけれど、もしかしたらお母さんの病気を治せるかもしれないから連れてきたの」


「あら、お医者さまなのね……」


「初めまして、イルザと言うわ。それと医者じゃなくて討伐者。あなたの身体を治せることは間違いないでしょうけれど、それは医者としてじゃないの」


「……イルザさんはスクラーデルまでの護衛をしてくれました。ついでに病気も治せるかもと言っていますが……このように怪しい人ですから、お母さんが嫌だと言うなら追い返すつもりです」


 まったく失礼な話だった。

 殺人犯として捕まるところを助けたのは誰だと思っているのだろう。

 ……まあ、お金儲けのために犯罪者を仕立てるような奴だし、何よりも今は暗示にかかっていないのだから、怪しむのは当然だ。

 ただ、母親はそうは思わなかったみたい。


「シーラ、失礼でしょう。わざわざ遠いところからお越しいただいたのだから。それに、私はイルザさんが嘘をついているようには思えません」


「お母さん……」


「イルザさん、でしたね。娘が失礼なことを言いました。ところで今日の宿はお決まりですか? 決まっていないのなら、ぜひ我が家に泊まっていってくたさいな」


「ありがとう。あなたの治療にも時間がかかるから、あなたがそう言ってくれたことを嬉しく思うわ」


「まあそうでしたか。本来ならば私自らおもてなしするところなのですが……」


 もちろん病人に無理をさせるつもりもない。

 寝たきりでベッドから出られないのはむしろ好都合なのだから。


 振り返るとシーラは表情を歪めていた。

 母親が私を受け入れるとは思っていなかったようだった。


「ではシーラ、約束の通りよ」


「……お母さん、何かあったらすぐに叫んでね」


 まったく、ここまで信用されていないといっそ笑えてくるものだ。

 確かに犯罪者を仕立て上げたり、お金にがめつかったりと私の信用を高める行為はしていないのだけれども。

 それでも私の目的は伝えてあるのだから、少しぐらいは認めてくれてもいいのではないか。


 最後まで不安げな顔を隠さずに、シーラは寝室から離れていった。

 残るは私と母親だけだ。


「あの……どうしてシーラは出ていったのかしら?」


「約束していたのよ。私がこれから行う治療には時間がかかる。それに誰にも見られたくないの。あなたが私を信用してくれるようだったら、朝まで私とあなたの二人きりにしてくれると約束していたの」


「私は、あなたのことを信用したの?」


「……そう聞こえたけれど。シーラもそう感じたからこそ出ていったのでしょう」


「そう……」


 泊まっていってと言ったことは、そういう意味だと思うのだけれど。

 見た目以上に限界が近いのだろうか。


「ところで、あなたへのお礼はどうなっているのでしょうか」


「もちろんお金よ。でも無理なことは言うつもりはないの。あなたが完治した時には、私が持ちこんだものを高値で売り払ってもらう。もちろんシーラが損をしない程度に。治らなければ報酬もなし。シーラはあなたを治すためならなんでもするつもりのようだったから」


「そうでしたか……今までいくつもの高価な薬を持ってきてくれたんですよ……たとえ効果がなくとも、一度飲んでしまうとその値段を支払わなくてはいけなくて……」


「私はあなたをそんなことはしないわ。シーラには気持ちよく手伝ってほしいもの」


「ええ、ええ……。私は、あなたにお任せしようと思います。どんな治療でも受け入れましょう」


「……どうして、そこまで信用してくれるのかしら」


 母親にとっては、私はシーラ以上に怪しい存在だと思うのだ。

 今まで効かない薬を何度も飲んだ。

 効果が現れなかったから医者にも何度も見てもらったのだろう。

 そんな折、他国から現れた医者には見えないのに治療できるという人。

 詐欺だと疑ってしかるべきなのに。


「あなたは……イルザさんは、私を見ても何も感じていないようでしたから……」


 ベッドに横になる母親の姿。

 寝たきりだから筋肉は衰え、覗く手足は枯れ木のように細くなっている。

 頬もこけ、髪も手入れなんでされていない。

 食事も満足に取れなかったのだろう。


 でもそれだけでは私の目はごまかせない。

 たとえ死体だろうと、見慣れたら生前の姿は思い浮かぶようになるのだ。

 長い人生のおかげか、そういうものには見慣れていたから。

 母親の健康な姿を想像するのは簡単だったのだ。


「あの子でさえも、私のような姿を見るたびに悲しそうにしているの」


 その姿を見るたびに、母親は申しわけなくなるのだそうだ。

 夫と娘の人生を縛っている。

 かといって自殺しては二人の想いを無駄にする行為。

 それもまた私には分からない気持ちだった。


「私はシルヴィアと申します。イルザさん、よろしくお願いしますね」


「ええ、よろしく」



 治療はすぐにでも取り掛かることが可能ではあった。

 けれど途中で邪魔が入っては困るから、暗くなるまではシルヴィアのこれまでの話を聞いていた。


 どうやらシルヴィアは、オットーと娘の仲違いを知らないようだった。

 どちらもまだ一心に、シルヴィアの身体を張る治すためだけに働いていると思っているようだった。

 まあ商人だし、家の中でも演技はお手の物だったのだろう。


「これでも昔は料理程度はできたんですよ。でももう今は動くこともままならないの」


 シルヴィアの容態も聞いた。

 生まれたばかりの頃は周りの子供達と変わらなかった。

 身体が大きくなるにつれ、体調を崩すことが多くなっていった。

 外に出なくなったのが10歳の頃、ベッドから出られなくなったのがシーラが5歳の頃。

 もう先は長くないと思っているようだった。

 でも昔は動けたからこそ、今もまだ生きている気力になっているのかもしれない。


 シルヴィアは饒舌だった。

 普段会話をする相手がいないからこそ、私に対していろんなことを質問してきた。

 街の様子、外の様子、それに討伐者についても。

 魔物を一度も見たことがないシルヴィアには、人を襲う魔物も興味の対象だったのだ。


「シーラ……はあまり街にはいないかもしれないけれど、普段からまったく人が寄らないわけでもないのでしょう?」


「雇われている家政婦はいますよ。けれど……私とはあまり話してくれないんですよ」


 その家政婦はシルヴィアのために食事を作り、家の掃除も行っている。

 ただ、シルヴィアには最低限しか近づかない。

 私は一目見て感染るような病気では、そもそも病気ですらないと分かったのだけれど、その家政婦はシルヴィアから感染することを恐れているそうだ。


「怯えている姿を見せられると、私としても話しかけることはできませんから……」


「そうね。そんな様子では話しかけても逃げられてしまうもの」


 ただ、私は違う。


「まだまだ時間はあるわ。あなたの知りたい事、なんにでも答えてあげる」


「ありがとう。イルザさんはお優しいですね。お医者さまではないそうですが、まるで本物のお医者さまのよう」


「別に、ただ退屈なだけよ」


 それからもシルヴィアとは色々なことを話した。

 いつしか日も落ち、シーラが用意した夕飯を食べてからもまた話し、周りのほとんどが眠る時間。

 シルヴィアの治療の始まりだ。


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