049 エピローグ
─アデライド帝国南端・フルシャンティ戦線─
「戻ってこん……か」
司令部テントの中で、もう何度目とも分からないため息をついた。
有力貴族より無関係な依頼が舞い込んできたのが六日前。
暇を持て余していたアレインがその依頼に飛びつくのは明白だった。
これ以上何もさせずにいて暴れられても適わぬと、三日を期日と定めアレインの手綱を握るための部下をつけ送り出した。
期日を過ぎて三日目の今日、さすがに何も報告をしないわけにはいかなくなっていた。
「将軍、これ以上は兵の損害も無視し得ないものとなりますが……」
「うむ……」
前線の停滞も痛かった。
フルシャンティの兵力が北部の要である城塞都市ヴィッテリーアに集められていることは把握していた。
今まで幾度となく苦渋を強いられてきた壁があるのだ。
だからこそ、先遣隊を囮としてフルシャンティの兵力を削るつもりだったのだ。
しかしフルシャンティはアデライドの先遣隊を放置、国境沿いの村は全て放棄しヴィッテリーアから兵を出さなかった。
その時点で、この戦が長引くことを覚悟するしかなかった。
「報告です! 南より、フルシャンティの援軍らしき集団が近づいてきているそうです」
「うむ。数は」
「騎兵約50、歩兵約200とのことです」
「そうか……いや、騎兵だと? 旗は? 戦闘に立つ鎧は目立っていたか?」
「はっ。旗は赤に縦の槍が二本、目立つ鎧の女が率いているようでした」
「……分かった。下がっていいぞ」
報告に来た兵を下がらせ、自らも椅子に深く腰をおろした。
報告を聞いただけで、どっと疲れが押し寄せてきたようである。
「マティアス将軍? 相手に心当たりがおありのようですが……」
「ああ……どうやら更に苦戦を強いられることになりそうだ……」
マティアスは長いことフルシャンティと争っている将軍である。
しかし将軍といっても、何も経験が多いというわけではない。
アデライドとフルシャンティ、これまで幾度となく行われた北と南の小競り合いで一番結果を出していたからこその出世であった。
せいぜいが百名程度の小競り合い。
全体に目が届くからこその連戦連勝。
村を攻め、フルシャンティの兵が来る前に略奪を終え撤退する。
この度将軍を任されるまでは中隊長止まりの男だったのだ。
兵の信頼は厚い。
負け知らずの将軍なのだから当然だ。
だが、ほとんどの兵は知らなかったのだ。
まだマティアスが小隊長だった時、十人の兵だけを率いてフルシャンティを攻めていたとき。
マティアスを除いて全滅した過去があるなど、ここにいる兵は誰も知らなかったのだ。
「フルシャンティの戦姫、ですか」
「一騎当千とはまさに彼女のためにある言葉なのだろう。時間をかけてヴィッテリーアを落とすつもりだったが、それも難しくなってきたな」
それでも開戦当初はうまく事が進んでいたのだ。
国境の村を制圧した。
フルシャンティの兵こそおびき出せなかったが、それでもこちらに被害はない。
その勢いのまま、後詰の本隊と合流し城塞都市ヴィッテリーアを攻め落とす。
ヴィッテリーアに駐在する兵の数は把握しており、たとえ防衛に徹したとしても落とせるだけの兵を用意したはずだった。
しかし、落とせない。
当初の予想を遥かに超える兵がヴィッテリーアに集まっており、未だに壁を乗り越えることができないでいたのだ。
更にはアレインの失踪。
この二点の失態を、もう報告しないわけにはいかなくなっていた。
(しかし……この兵力、我らが本気だと間違いなく分かっていたのだろう。間諜がいることは間違いない。あとは姫様が納得してくれるかどうか……)
アデライド帝国において、弱いことは罪である。
それは予定通りに戦を進めることができなかった場合にも適応される。
しかし、マティアスは素直に認めることができない。
どこから情報が漏れたのか、せめてその犯人を見つけたかった。
(それとアレインについてもだ。私は動くなと命じた。やつが勝手に動いたのだ。それと、依頼を持ってきた貴族も……)
例えば前線でアレインが討ち取られた。
ならばマティアスの責任だ。
しかし無関係の依頼によって行方不明となったのならば、それはマティアスの責任ではない。
全ては依頼をしてきた貴族の責任だ。
(降格程度で済めばいいが……)
こららの理由が受け入れられなければ処刑、そうでなければ降格だろう。
どちらにせよ報告しなければ負けるのだ。
増援を求めるためにも、マティアスは重い筆を取るのだった。
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─フルシャンティ王国北端・ヴィッテリーア防衛線─
「どうやら……間に合ったみたいですな」
アルマの隣、馬にまたがる兵の一人が堅牢そのままの城壁を見て言った。
どうやらこの男、ヴィッテリーアがすでに落とされていると考えていたようである。
「……確かに双子様の予言は絶対ではないが、それでも遠見の力は本物だ。ならば間にあうのが当然というものだ」
当初はいつもの小競り合い、村を幾つか落として村人を奴隷として連れ帰るだけだと思われていたが、そこに双子様の予言があれば話は別だ。
後詰がいる、それも普段とは比べ物にならないぐらい大勢の。
その言葉だけで、此度の進行は本気であると判断したのだ。
だから村は放棄され、兵力はヴィッテリーアに集中させた。
その結果が目の前の状況であり、増援のアルマも間に合ったのだ。
「しかし、異界からの客人ですか。とうの昔に失われたと思っていましたが、アデライドには残っていたのですなあ」
「しかし早すぎたのだろう。力があるとはいっても呼ばれたばかりではその力も活かせまい。数年はおとなくしていればいいもの……その結果がこの膠着状態だ」
双子様からはアデライドの本隊と同時に、もう一つの忠告も受けていた。
異界の客人。
遥か昔、王族だけが使えたという禁忌の召喚魔法。
アルマも話だけは聞いていたが、特に興味はなかった。
むしろ国の規律を乱す存在になり得るとし、失われたと聞いて安心したものだ。
アデライドに召喚技術が残っていたのは想定外だが、フルシャンティでなければ構わないのだ。
むしろ、異界の客人は強いのだと聞けば戦いたくなるのがアルマだった。
「膠着状態とは言いましても、このままでは崩れそうですなあ」
「そのために我らが来たのだ。奴らは北で抑えつけなければ面倒だ」
開戦は北の城塞都市ヴィッテリーア。
しかしアデライドとフルシャンティの国境は広く接しているのだ。
戦が長引けば長引くほど、戦線は間延びし被害も大きくなっていく。
アデライドはどこからでも攻めることができ、フルシャンティは責められて初めて防衛行動に移る。
だからこそ、初戦のこの場は圧倒的勝利を求められていた。
「このままひと当てしてみるか」
「ヴィッテリーアには入らないので?」
「街に入って我らの機動力を損なうのもな。騎兵もいるのだ、壁の上よりも平地でこそ活かせよう」
「ふむ……そうですな。防衛してばかりでは勝てる戦も勝てませぬ」
「よし。……聞け! 我らはこれからアデライドに突撃をかける! 優先すべきは弓兵とハシゴだ! その他の雑兵は捨て置け! 遅れた者はその場で死ね!」
騎兵50と歩兵が200。
当然馬は歩兵に合わせてゆっくり走るなんてことはない。
戦闘の騎兵に遅れないよう、歩兵は常に全力疾走だ。
そうしなければ、たちまち敵に囲まれて殺されてしまうだろうから。
余計な荷物はその場に投げ捨て、歩兵は騎兵の後ろを駆け続ける。
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─カノ王国南東・魔の森入り口─
カノ王国の王都には大陸一の学校がある。
毎年王国中から、騎士になるため、または神官になるための生徒が押し寄せてくるのだ。
騎士といってもフルシャンティ王国の騎士とは趣が違う。
フルシャンティの騎士は規律を、そしてここカノでは自由な騎士を育てるのだ。
今日は二年生が初めての学外演習のため、魔の森の入り口へとやってきていた。
皆の装備は統一されておらず、剣を持つもの、弓を持つもの、はたまた魔法を使うものと様々だ。
しかし、誰もがここでは騎士見習いなのであった。
「それでは伝えていたとおり、一人一匹魔物を倒してくるように。また、森の奥はいきなり魔物が強くなるため決して進まないように。演習開始!」
指揮官の言葉に従い、生徒たちは小さな集団で森の中へと進んでいく。
その中に少しだけ周りよりも背の高い、弓を持った少女がいた。
彼女もまた、騎士になるために学校にやってきた者の一人である。
今までは小さな農村で両親と一緒に狩人をしていた。
しかし両親は魔物に殺され、一人残された娘には少しの財産だけが残された。
数年は困らない額であったが、このまま一人狩人として生きていくにはない考えさせられる額である。
だからこそ、安定した職を求めて騎士を目指したのだ。
周囲の半分は貴族であり、彼女は農村の出であった。
更には入学が遅かったために周りよりも数年は歳を取っており、初めの一年はくらすに馴染むのにも苦労した。
こうして数人の集団を作れるようになったのもここ最近のことである。
「ここらは緑醜鬼しか出ないんだよな?」
「ああ、緑醜鬼ならあたしが見つけられるから安心してくれ」
「……実力は認めてるから、もう少し口調をなんとかしろよ。騎士になってから苦労するぞ」
「む、済まない。私に任せてくれたら問題ないぞ」
最近仲良くなった四人のグループで森の中を進んでいく。
彼女以外の三人は貴族の三男であったり次女であったりと今まで狩りをした経験はなく、初めての森の中に少々緊張しているようだった。
それが彼女には微笑ましい。
授業では教えられてばかりだが、実戦ではこうして頼りにされるのだ。
彼女が初めて森に入ったときも、両親に微笑ましく思われていたことだろう。
心配はしていない。
一年で訓練は存分に積んだのだ。
緑醜鬼程度、油断しなければ敵ではないことは彼女藻仲間も分かっていたことだ。
しかしここは魔の森である。
例外と出会うのはすぐそこだった。
「──逃げろ! すぐに指揮官の元に逃げるんだ! あたしができる限り時間を稼ぐ!」
初めの違和感は彼女たちとは違うグループの悲鳴を聞いたこと。
初めての緑醜鬼との戦いで遅れを取ったのかと思ったのだ。
しかし助けに向かったとき、そこにいたのは緑醜鬼ではなかった。
さして仲良くもないクラスメイトの四つの死体。
立っていたのは浅黒い肌、奇妙に光る裸の女。
見た瞬間、両親の言葉を思い出した。
──魔の森には人に化ける魔物が大勢いる。
──この森なら気にしなくていい、だけど魔の森では気をつけなければいけないよ。
「で、でもっ」
「いいから逃げる! あれは魔人だ! あたし達では敵わない!」
魔人のことは学校でもよく聞いた。
上位の討伐者が束になってなんとか倒せる相手。
ここに集まる騎士見習いでは逆立ちしても敵わない。
そして、彼女のグループは彼女以外は皆貴族。
ならば彼女が囮になるのが当然だったのだ。
──ああ……最後ぐらいは立派にできたかな……。
こちらを振り返る魔人を目の前に、彼女は今までを振り返っていた。
その魔人はとても腹が減っていた。
森の奥で二人の人間を食べた。
生まれたばかりでいきなり襲われたが、そんなことは魔人にとってはどうでもいいことだ。
二人を食べて少しだけ空腹が紛れたあとは、森の魔物を食べながらさまよい続けた。
さらに先程四人を食べて、やっと腹の具合も落ち着いた頃。
魔人は人の言葉を解するようになっていた。
「おまエ……どうシて逃げナかった……?」
生まれてより数日、たどたどしくも会話ができるようになっていた。
「喋れるのか? 仲間を逃がすのは当然のことだ」
「仲間……?」
魔人は群れない。
元々は群れる魔物であった場合でも、魔人に至れば別の存在だ。
だからこそ、その魔人にとって身を呈してまで仲間を逃がす行為が理解できなかった。
理解できなかったのだ。
ただ、それを羨ましいと感じた。
仲間がほしいと感じた。
もしかしたら、その魔人も元々は群れる魔物だったのかもしれない。
魔物であった頃に、群れる人間と何度も戦ったからかもしれない。
もしくは……。
「おまエ、逃げナいのか?」
「あたしが逃げたら仲間が襲われる。あたしを襲ってもいい、だからさっき逃げた仲間は襲わないでほしい」
魔人は思ったのだ。
空腹はもう感じない、魔力も十分に回復した。
ならば、次はペットを飼うべきだと。
「おまエ気に入ッた。名前は……?」
クローデットの追手を殺し、魔物を殺し、カノ王国の近くまで現れた魔人。
その魔人の手によって、彼女の運命は大きく変わる。




