046 光と影
訳も分からずに森の中を駆け抜けた。
先ほどまで通ったかどうかなんて関係ない。
ただ、あの場から一刻も早く離れたかったのだ。
「はあ、はあ、はあ……」
そうして森を抜け出して、アレインはやっと深く息をすることができた。
裸の女。
仲間を囮にすることで、なんとか逃げ切ることができたらしい。
(ったく、あんな奴が森の中にいるなんて聞いてねえぞ)
アレインは戦争をするために帝国に呼び出された。
呼び出されてから日も浅く、また不要な知識ということで魔物についてはほとんど何も聞いていない状態だった。
だから森で見てしまったあの女が何者なのか、その知識はアレインは持っていなかった。
「っつーかここはどこなんだ? 戦場はどこに行ったんだ?」
周囲を見渡してみてもそこには草原が広がるばかりで、村の一つも見当たらない。
もちろん背後の森は無視した。
振り返ることすら拒否したい気分なのだ。
まずはここがどこなのか、アデライドの戦線からどれだけ離れてしまったのか、調べる必要があった。
戦場は森からほど近い位置にあった。
ならば向かう方向は二つに一つ。
森を背にして、右か左か。
とりあえず歩きだそうとした時、ある一団が近づいてくる。
先頭を進むのは騎兵だろうか。
騎兵だけでもかなりの数だというのに、その後ろには多くの歩兵が連なっている。
間違いなく戦線へ向かう援軍だろう。
声をかけようとして、気づいた。
その集団が大きく掲げている旗。
それは現在アレインが与するアデライド帝国と戦っている、フルシャンティ王国のものだった。
「そこ行く男よ、何者だ」
一騎だけ近づいてきた騎兵がアレインに問う。
「そ、それが俺にも分かんねえんだ。ここは一体どこなんだ?」
「どことはどういう意味だ。男、怪しいな」
「そんなことはねえっすよ。森に入ったら迷っちまって……」
騎兵一人だけならば倒すこともできただろうが、なにせ相手は大軍だ。
当然とぼける。
「ふむ。その出で立ち、討伐者だろう。一人で森に入っていたのか?」
「いや、三人だ。なんでもないはずだったんだがな、いきなり化物が現れて散り散りに逃げることになった」
もちろん見捨てたことは伝えない。
この場で騎兵の反感を買うわけにはいかなかった。
ここにきて幸いだったのは、アレインの身につけていた鎧にアデライド帝国を示す紋章が入っていなかったことだろう。
先遣隊は一番に国境を超えるため、念のためとして各自が用意した鎧を身に着けていたのだ。
「ふん。大方自分の実力も知らずに深くまで進んだのだろう」
しかし、馬鹿にされては言い返さずにはいられないのがアレインだった。
「こう見えても俺は強いぜ? 少なくともあんたよりはな。でもあの化物はダメだ。大体どこのどいつが森の中に裸の女がいると思うんだ」
「情報を集めるのも討伐者として……待て、裸の女だと?」
「あ、ああ……。見た目は裸の女だな。でもあれは人じゃない。言葉も喋れない人間が一人で森の中を生きていける訳がない」
「他の特徴は」
「……肌が黒かったな。それに変な模様がついていた。皮膚の模様が光るってのは最近の流行りなのか?」
「その特徴……いいか、少し待っていろ」
アレインの話を聞いた騎兵は集団へと戻っていった。
またすぐにアレインのそばにやってくるとき、ただの騎兵とは思えないほど豪奢な鎧と美貌をまとった女を連れてきた。
「どうやらこの者が森で新たな魔人を見かけたそうです。おい、先ほどの話をもう一度説明するんだ」
再びの横柄な態度だが、今度はアレインも苛つくことはない。
なにせ連れてきた女に目を奪われていたのだから。
(コイツ……なんとか俺のものにしてえなあ)
目の前の女は今まで見たどの女とも違った。
男ほどもある身の丈に、鍛えられ引き締まったその身体。
なによりも目が違う。
安寧にあぐらをかいたわけでもなく、欲望に濁ったわけでもない。
間違えるはずがないという自信に満ちた眼差しを、あらゆる手段で歪めてやりたかった
「ふむ。魔人を見たという話だが?」
その声もまた、アレインの脳裏に残るものだった。
しかし実力をも把握してしまう。
女は明らかにアレインよりも強く、この場で手を出すことはできなかった。
「あ、ああ……。いや、その魔人ってのはなんなんだ? 俺が見たのは裸の女だんだが?」
「なんだ、駆け出し討伐者か。魔人というのは魔物が進化した姿だ。元の姿に関わらず、魔人となると必ず人の姿を取る。覚えておいたほうが良いぞ」
「──魔人、な。だったら裸だったのも納得だ。しかし魔物が進化するとはね」
「姿形だけではない。ある程度時間が経てば人の言葉も解するようになるぞ。意味のない言葉を発していたようだから、生まれたばかりの魔人だったのだろう」
「魔物が人の言葉も喋るのかよ……。あの見た目じゃあ、それこそ人の振りもできるんじゃねえのか……?」
それは当然の疑問だった。
少なくとも森で見かけた女は、身体の刺青らしきものが光っていただけの浅黒い女だ。
服さえ着てしまえば人と見分けはつかないだろう。
「その魔人が人に興味があるのならばそうなるだろう。しかし王都には近づけないさ。結界はむしろ魔人を防ぐ意味合いのほうが強いのだ」
「結界……?」
「余計な話だったな。それよりも討伐者よ、迷っているようだがどこへ向かうのだ。方向ぐらいは教えてやれるぞ」
「あ、ああ……それよりもあんたらはどこに向かうんだ? 物々しい雰囲気だが。もしかして戦争か? これでも少しは自信があるんだ。よければ俺も連れて行ってくれ」
でかる限り自然に、いかにも力自慢という体をよそおう。
(つーか、この女とここで離れるのはありえねえだろ)
もちろんアデライドを裏切るつもりはない。
ただ、ここにも手に入れたいものがあっただけだ。
「緘口令が敷かれているわけでもないからな。……しかし、魔人から逃げ出す者ではな」
「おいおい。魔人は特別だろ。俺はそこの兵士よりも役に立つぜ」
「貴様──」
「待て」
激高しかかる騎兵を女が諌める。
「ついてくるのは構わぬが、扱いは歩兵となる。それと規律は絶対だ。守れるというなら好きにするがいい」
「本当か! 任せろ、必ず役に立ってやる」
「ふん、せいぜい頑張るがいい」
これよりアレインはフルシャンティ王国軍の歩兵となった。
アデライドとの戦線近くまで移動できたらいつでも合流することができるだろう。
その時に大きな手土産を持っていることを、アレインは疑っていなかった。
「これは幸いといえるだろうな」
「姫様」
「まあ待て。生まれたばかりの魔人は、その身体を安定させるために多くの人を襲うという。森の中をアデライドの連中が進むことは無理になったということだ」
「それはそうですが……しかしあの男、怪しくはないのですか」
アレインが加わった隊、その先頭で率いる女はフルシャンティ王国の第二王女、アルマ=アデリア=フルシャンティその人である。
規律を重んじるこの国では、もちろん強さも求められる。
アルマは女の身でありながらも、兵から一目置かれる存在でもあった。
「大丈夫さ。これでも人を見る目はついている」
「では……」
「あの男がどこのものかは知らないが、あれは国に尽くす男ではない。自らの欲望に忠実な男だよ」
「アデライドの間諜でしょうか」
「さあな。ただ少なくとも魔人については本当だろう。嘘だとしたらあまりにもお粗末だ」
討伐者が魔人についてまったく知らないということはありえないのだ。
だからあの男は討伐者ではない。
「間諜にしろそうでないにしろ、今すぐ何かをしようというわけでもあるまい。監視だけしていれば十分だ」
「はっ。そのように」
「少しでも怪しい動きをしたらすぐにでも首をはねろ。奴の立場によってはこの戦も早々に決着することだろう」
「……そのような者には見えませんでしたが」
「なに、魔人のことを知らないというところに少々思い当たることがあってな……」
これでよし。
アレインが何者にせよ、この隊の裏をかくことなどできはしないのだ。
せいぜい踊るがいいとアルマはほくそ笑む。
「それよりも戦線についてだろう。わずか数日で北の要塞が囲まれるとは思ってもみなかったぞ」
「どうやら此度のアデライドは本気のようですね」
「これまでは村を襲い、僅かな財産を奪うだけであったからな。此度はよほどの自信があると見える」
「それでは例の……」
「双子様が見たとおりなのだろう。異界からの召喚……アデライドは強者を手に入れたのだ」
それは失われた技術であるはずだった。
長い歴史の中で王の血は混ざり合い、今ではどこの王族であろうと異界からの召喚はできないであろうと。
しかし、アデライドだけは違ったのだ。
唯一血を保った王族であり、そして召喚にも成功した。
だからこそアルマ姫も早々に北の城塞都市へ向かうこととなったのだ。
「なに、案ずることはない。双子様がいうには召喚されたばかりの人間は我らと力も変わらない。ベルト姫はよほど我慢ができないと見える」
そう、力を持っているのはアデライドだけではないのだ。
むしろその力はフルシャンティのほうが優っていると考えている。
異界からの召喚者?
それがなんだというのだ。
そんな得体の知れない者よりも、もっと強い存在がフルシャンティを助けているのだから。
「行くぞ。これを機にアデライドを壊滅させるのだ。そうしてフルシャンティこそがこの大陸の覇者となる」
一軍は北へと進んでいく。
戦線まではあと数日だった。
騎兵50、歩兵200、補給隊の荷馬車が20。
それがこの隊の全てである。
それと、隊に含めないが騎兵が囲む形で豪華な馬車が一台。
アルマ姫が休むための馬車ではない。
その中には、フルシャンティ王国の二つの頭脳が乗っていた。
遠見のレクイア。
断絶のラクシア。
フルシャンティ王国の客人である。
「ねえレクイア。面白いものは見えたかしら」
「ええラクシア。すぐ近くで起きたみたいよ」
遠見のレクイアは近くのことも遠くのことも、興味のあることならなんでも見渡すことができた。
今見たものはすぐ近く、アルマに近づく男の姿だ。
「この姿、ラクシアも覚えているでしょう?」
「この姿、豚姫のお気に入りで間違いないわ」
異世界からの客人は、二人が常に注目している存在だ。
特にアレインは、すでに色々と動いているので見ているだけでも暇つぶしになる。
「ここまでとても長かったわ」
「とってもとっても長かった」
「レクイアが遠見の力で王族の血を見つけ」
「ラクシアが断絶の力で血を途絶えさせる」
「誰も私たちの仕業だと気づかない」
「誰にも私たちの姿は見られてない」
「滑稽ね」
「滑稽よ」
「やっと戦争が始まったわ」
「目論見通りに始まったわ」
「誰も私たちの仕業だとは思わない」
「誰も私たちの仕業だとは疑わない」
レクイアとラクシア。
到達者にして唯一の双子でもあった。
「豚姫は自分だけが選ばれたものだと思ってる」
「戦姫は自分だけに協力してくれると思ってる」
「そんなわけないのに」
「そんなことないのに」
「異界の客人は三人なのに」
「これで強さは同じくらい」
「どっちが勝つかしら」
「どっちも勝てないの」
全ては二人が描く通り。
レクイアが見た限りでは、三人の召喚された者とアルマ姫の実力は互角。
早期の決着なんてありえない。
「どちらも限界まで戦って」
「最後に勝つはアデライド」
「息苦しい国なんて嫌だもの」
「自由な国を求めているもの」
「でもリタ王国は動かない」
「自国で完結しているから」
馬車の中、双子は静かに微笑み合う。
アルマは双子の思惑に気づいていない。
アレインはその存在にすら気づいていない。
戦況は未だに膠着していた。




