004
「ねえ、よければ魔物を見てきてもいいかしら」
思い立ったら即決だ。
そもそも魔物という存在もよくわからないし、一目見たいと思っていた。
さらにその肉を食べられるとなれば迷うことはない。
もちろん私が食べるわけではなく、ヘルダに食べさせるためにだけ。
「……魔物は危険な存在です。言葉も通じませんし、人の姿を見るとすぐに襲いかかってきます」
どうやら魔物は好戦的らしい。
そのあたり、やはり私の想像していた動物とは違うものなのだろう。
普通の動物は私に一切近寄らなかったから。
「そのへんはまあ大丈夫じゃないかしら。こんな見た目だけど力はそれなりにあるつもりなの」
「別に、止めはしませんけれど……」
ヘルダは私の身を案じているわけではないのだろう。
ただ私がエミリアに招かれた客人だから、どう扱ったらいいのか悩んでいるように感じられる。
「なら構わないわね。大丈夫、魔物が見つからなくてもすぐに戻ってくるわ」
当然だけどヘルダはついてこない。
エミリアの言いつけをしっかりと守り、なにか言われない限りはヘルダはこの小さな庭の外には出ないのだ。
エミリアとヘルダの関係も気になる。
ヘルダに聞いてもまだ信頼関係はできていないから答えてくれないだろう。
こっそりとエミリアに聞いておきたいものだ。
森の雰囲気というのはそう変わるものでも無いようだ。
微妙に見慣れない植物ばかりなのだが、大半は緑色と茶色だからやっぱり森の中というイメージに変わりわない。
それに匂いもいかにも自然の中だ。
人の姿、野菜の形、森の匂い。
慣れ親しんだものが多いからこそ、今の私は焦らずに済んでいる。
その森の中を一人で歩いていった。
服装は動きやすいものに替えてある。
いったいいつの間に格納したのか、私の中には動きやすい服装というものも収められていたのだった。
さらに、この手には古い剣も握られていたりもする。
古い鎧に古い剣がセットで収められていた。
鎧には果たして服なのかとか、セットで扱えば剣も収められたのかとか疑問はあるのだが、とりあえず便利だからそれ以上は考えない。
「……もう少し常識も聞いておくんだった」
森の中で、剣を握っている姿はなんだか不思議。
不思議というよりも違和感か。
魔物の肉は食べられるとヘルダは言っていたけれど、それが一般的なことなのかは聞いていなかった。
普通の人は何を食べているのだろうか。
実は魔物の肉は滅多に食べず、野菜を中心とした生活が当たり前の可能性もあった。
その場合、例え魔物を見つけて狩ったとしても、もしかしたらヘルダはその肉を食べないかもしれない。
……少々早まったかもしれないが、森に入ってしまったのだからしかたがない。
それに悩んでもいられない。
なにせ、目の前に大きな魔物が現れたのだから。
「ブルルルル…………」
魔物、で間違いないと思う。
見た目は大きな馬とかそのあたり。
でも私を見ても怯えるどころか好戦的になっている。
だから魔物で間違いないと思うのだ。
「あなたは魔物でいいのよね?」
とりあえず尋ねてみたけれど、当たり前のように返事はない。
当たり前か。
馬の見た目で喋りでもしたら驚いてしまう。
感じる雰囲気からは負けるとも思えないから、とりあえずは目の前の魔物を相手にしてみることにした。
「ブルルッ!」
地面を蹴り、足場の悪さをものともせずに向かってくる名の知らない魔物。
構えていた剣はすでに投げ出した。
持ってはいたが、どれほどの業物かは分からないから。
下手に剣に頼って折れでもしたらもともこもない。
剣はトドメを刺したあとに使うのだ。
「ふんっ!」
頭から突っ込んできた魔物の、その頭を両手で押さえつける。
両腕を伸ばし地面を掴む足に力を入れその場に踏みとどまると、もう押されることもない。
魔物は確かに私よりも巨大だが、その力は見た目通りのものだった。
私は魔物の突進を正面から迎え、そして完全に押さえ込むことができていた。
「格納……は、さすがに無理のようね」
魔物に触れた格好になったので早速格納を試してみたのだけれど、生き物を生きたままに格納できるほどの強化はされていないみたい。
さすがに私もそこまでは期待していない。
魔物は私よりも力が劣っていることを十分に理解したであろうに、押さえつけられてもなお私に向かってくることをやめなかった。
頭を押さえられ、それ以上前に進めないというのに一歩も引かないのだ。
これが力の拮抗した相手ならば攻撃こそが最大の防御という具合に有効に働くのだろう。
ただ、私にとっては好都合なだけの本能だった。
魔物の馬のような頭を押さえつけていた手を首の方に動かしていく。
もちろん力は込めているから相変わらず魔物は動けない。
そのまま──頭ごと両手を捻った。
──ゴキリ。
トドメはあっけないものだった。
魔物といえど、首の骨を折られたら絶命してしまうことに変わりはないみたい。
どうやら私の身体能力は、それほど変わってはいないようだ。
私が感じた限りでは、この魔物は動物の馬とそれほど変わらない力だ。
正面から突進しても木を折ることは難しい程度の力。
成人一人では敵わないが、数人で取り囲めばなんとでもなりそうな程度の魔物。
色々と考えるよりもまずは息絶え横たわる魔物の体に手を伸ばす。
触れると同時に、その体が消えていく。
「ふうん……魔物の死体は格納できるのね」
これは便利なことだった。
先ほど気づいたことだったが、私の体内に収められたものはその時間を止めることになる。
格納していたことを忘れるほどの古い服もその形を保っていたのだからまず間違いないだろう。
つまり、死体は新鮮なままに確保できるということだ。
動物を奇麗に解体することもできないのに、まさか魔物は取り分けられるということもない。
解体は後回しにして、今は魔物を狩れたことに満足して戻ることにした。
捕らえた魔物は巨大だった。
一トン程度はある感じ。
これだけでしばらくは食卓も素敵になることだろう。
しかし、ヘルダは解体方法を知っているのだろうか。
私だって常識ぐらいは知っている。
皮は剥いで、内臓は捨てるのだ。
そして残った肉を食べることになるのだが、そのやり方が分からない。
下手に斬りつけて血まみれになるのもゴメンだった。
まあ、最悪魔物の強さを確かめられただけでも良しとしておこう。
「……随分と早かったですね」
お出迎えの言葉は残念ながら聞けないみたい。
私が無事に戻っても、ヘルダが私の身を案じることはない。
さすがに少し寂しい。
「ええ。魔物とはすぐに出会えたの。ところで、ヘルダは魔物の解体はできるのかしら?」
「……それぐらいは誰でもできることだと思います。でも、魔物はどこにあるんですか?」
そういえば、まだヘルダには格納のことも伝えていなかった。
それどころか名前を教えただけで、会話らしい会話もほとんどしていない。
まいったな。
魔物のことよりも、今日はヘルダと仲良くなるべきだったのかも。
「この通りよ」
捕らえた魔物を取り出した。
ここで見せるのもどうかと思ったけれど、出血はしていないから問題ないはずだ。
「……驚きました」
「ごめんなさいね。実は私、色んなものを持ち運べる才能があるみたいなの」
「随分と便利な才能みたいです。それにこれ、一人で狩ったんですか?」
「この程度なら一人でも簡単よ。ところで、ここで解体するのかしら?」
「小さな魔物ならここでもいいんですけど……これだけ大きいと水辺まで行かないと……」
まあ、それも当然か。
体が大きな分だけ解体すると血も溢れる。
この小さな庭が血まみれになるのは私も望むところではない。
しかし……水辺といっても、この庭には小さな井戸があるだけだ。
「あの、イルザさんなら魔物が出ても大丈夫なんですよね?」
「ええ、それは間違いなく。こいつよりも強い魔物だろうと安心していいわ」
「そうですか。それでは川に向かいますから付いてきてください」
どうやら近場に川があるみたい。
近場といってももちろんそこは庭の外。
つまりは危険な場所のはず。
エミリアにいちいち許可を取ることなく川に向かおうと提案するあたり、意外と信用は得ているのだろうか。
解体用のナイフを持ってきたヘルダと一緒に森の中を進んでいくと、川にはすぐにたどり着いた。
川幅三メートルぐらいの浅く緩やかな流れの川だったが、水が流れている以上は問題ない。
庭から五分程度と距離も近い。
いや、恐らくは川に近い場所に家を建てたのだろう。
「……? どうやって倒したんですか?」
川のほとりで魔物を取り出し、見分していたヘルダから当然の疑問がでてくる。
確かに見ただけでは分からない。
切り傷はどこにもないし、首が折れていることも見ただけでは分からないのだ。
「こうやって首を掴んでね、グイッと曲げたのよ」
その時の状況を実際に見せてやると、ヘルダはなんだか引いたみたい。
ちょっと刺激が強すぎただろうか。
「……一人で巨首馬を倒したことも凄いですけど、やっぱり異世界の方なんですね。普通首を折ることはできません」
「ディフ……?」
「この魔物の名前です。巨首馬は首の力が強くて、体当たりが強烈です。普通はこっそり近づいて狩る魔物で、近づく前に見つかったら逃げるんだってお婆ちゃんから聞いたことがあります」
つまりは何度も突進してくるということか。
首の筋肉が発達しているから、何度ぶつかっても魔物自身にさしたるダメージはないと。
その首を私は腕力で折ってしまったのだから、ヘルダの驚きようも当然だ。
それよりも今は解体だ。
目の前でヘルダがそのナイフを巨首馬に突き立てていく。
しかしさすがの筋肉か、突き刺したナイフが動くことはなかった。
「……解体の仕方を指示します」
まあ、笑うまい。
ヘルダの知識は確かなものだった。
ヘルダの指示通りに解体を進めていくと、巨首馬の体はまたたく間にただの肉塊へと変わり果てる。
現時点に至り、まさか肉を食べないということもあるまい。
解体の仕方は誰でも知っていることだと言っていた。
もちろんただ切り分けて終わりということもないから、切り分けるということは食べるということ。
心なしか、ヘルダも切り分けられていく肉塊に興味を示しているようだった。
作業にはヘルダが持っていたナイフを借りて行った。
初めは剣を使ったのだが、その切れ味は酷いものだった。
切るというよりも、腕力で断面をすり潰していかなければならなかったのだ。
ヘルダが言うには当然のことだとか。
武器は武器、ナイフはナイフで別物なのだそうだ。
そうして解体は終わり、全ての肉塊は私の中に収められた。
それぞれが大きな塊だが、これ以上は料理の時に切り分けるそうだ。
「この解体の仕方もエミリアから教えてもらったの? エミリアは色んなことを知っているのね」
「いえ……お婆ちゃんは肉は食べません」
「あら? じゃあ誰に教えてもらったの?」
「……」
何気ない会話のつもりだったけれど、地雷を踏んでしまったみたい。
多分だけれど、ヘルダの過去に関係しているのだろう。
もしかしたらヘルダがエミリアと暮している理由なのかもしれない。
そもそもエミリアはどうしてヘルダと暮しているのだろうか。
エミリアは人を避けて森の中で暮していると言っていた。
エミリアの歳や庭の広さを考えると、最初は一人で暮らしていたのだと思う。
それがどうなれば幼いヘルダと暮らすことになるのだろうか。
エミリアはヘルダのこの後を心配していた。
エミリアが亡くなってからのことを心配していたのだ。
つまり、それなりに関係は深いはず。
私が知らなければならないことはたくさん残っているようだ。
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その後は無言で庭まで戻ることになった。
家の中に入り、エミリアが起きていた時には小さく安堵したものだ。
「お婆ちゃん、これ」
「あら……巨首馬の核ですね。一体どうやって手に入れたの?」
「イルザさんが取ってきた」
「さすがイルザさんですね。このあたりの魔物では相手になりませんか」
戻るとさっそくヘルダはエミリアに何かを見せていた。
たしか巨首馬の体内から出てきた、手のひらサイズの石だったと思う。
「それは?」
「これは魔物の核です。全ての魔物は体内に核を宿しています。大きさによってその魔物が宿していた魔力の大きさが分かるのですよ」
つまり、大きければ大きいほどに高い魔力を備えているわけか。
今回の核は手で握り込める程度に小さい。
やっぱり巨首馬はそれほどの魔物でもなかったようだ。
ちなみに、核は売れるそうだ。
魔力を保持する機能があるらしく、色んなことに役立てるのだとか。
……私の中にも核はあるのだろうか。