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公国の真紅の瞳  作者: ざっくん
第2章 揺らぐ異国の蜃気楼
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036

 いつものように窓から部屋へと侵入する。

 これまたいつもの通り、部屋の中にはリタとカルディアしかいない。

 これでマイカもいたら面倒なのだが、リタとカルディアだけならば問題ないだろう。


「──リタ」


「……イルザさん、ですか?」


 いきなり姿を現して驚かすのも悪いので、こうして一声かけるのが当たり前になっていた。

 週に一度、私はリタの部屋を訪れている。


「久しぶりね。元気にしていたかしら」


「ああ、イルザさん。ええ、私は元気ですよ」


「ふんっ」


 リタは歓迎してくれるけれど、カルディアが顔を歪めるのもいつものことだ。

 そこまで嫌われることをした記憶はないのに不思議だ。


「訪ねてくる日は今日ではなかったかと思うのですけれど」


「少し聞きたいことがあったの。それと、鏡を見せてもらってもいいかしら」


「ええ、あちらに……。何かあったのですか?」


「いえ、ちょっとね」


 別に大した理由はない。

 ただ、ヘルダの母親に見間違われる程に老けているのかと不安になっただけだ。

 この世界では高級品であろう綺麗な鏡に私の顔が映る。

 記憶通りの顔だ。

 それこそ十代と言い張れるぐらいには。

 それが確認できたら十分だった。


「そういえば、この前街の外の村まで出かけたのだけれど」


「はい」


「街の壁の中に畑がないのが不思議だったの。魔物が現れるのだから、街の中に作ったほうが安全なのではないの?」


 それと疑問も。

 昔から魔物はいたであろうに、どうして安全に作物を作らないのか不思議だったのだ。


「ふん、そんなの当たり前のことだ」


「よければ理由を教えてくれないかしら」


「昔から街の外に作るのが当たり前だからだ」


 ……。

 まあ、カルディアに答えられるとは思ってない。


「カルディア……。畑が壁の外にある理由ですね。それは場所の問題が大きいでしょう」


「それなら壁を広げればいいのではなくて?」


「ええと……畑はいつも同じ場所に作るわけにはいかないのです。同じ場所ばかりを耕していると実りが悪くなりますから。それに大きな街は人も増えます。そのたびに壁を広げることは難しいのです」


 ……初めて聞いた。

 同じ場所で畑を耕し続けると質が落ちるのか。

 でもそうなると、ずっと茂っている森はどうなのだろうか。

 作物ではないけれど同じ植物だ。

 やはりいつか枯れるのだろうか。

 それとも今まさに小さくなっている途中なのかもしれない。

 もしかしたら魔力のせいかも。


「まあいいわ。それよりもお願いがあるの。聞いてもらえるかしらね」


「ええと……そう難しいことでなければ」


 椅子に座りなおすリタ。

 私からお願いごとをするのは初めてのことだから、何を言われるのか不安なようだ。

 リタの立場上、そう難しくはないはずだけど。


「じつは討伐者ギルドで昇格試験を受けることになったの。その依頼なのだけれど、国の兵士を連れて行かなければならないみたいでね。よければ一人、兵士を貸してくれないかと思って」


「今さら昇格ですか。私ならばとっくにAランクになっているところです」


 無視だ。


「兵士をですか……。そのような試験があるのですね」


 どうやらリタは知らなかったみたい。

 国がお金を出しているといっても、リタが直接ギルドの経営に関わっているわけではもないから当然か。


「ですが残念なことに、私には兵士を動かすことはできません」


「そうなの? 姫なのに?」


「この国では父が……王が権力を持っていますから。私が動かせる兵はカルディアとマイカの二人だけです」


 それは大変なことだと思う。

 いざという時、頼りになるのは多くの兵士だ。

 普段から兵士と関わり、信頼を掴んでこそ働いてくれるのだと思うのだ。

 リタは見た目はいいからそれでも兵士がついてきてくれるかもしれないが、その時にはもう手遅れになっているかもしれない。


 しかし困った。

 兵士のつてが無くなってしまった。


「……あの、カルディアを連れていきますか?」


「──お嬢様っ!」


「あら、いいの? 大切な護衛なのでしょう?」


「イルザさんがお困りのようでしたから。私の護衛にはマイカもいるので大丈夫でしょう」


「カルディアは嫌がっているみたいだけど?」


「言い聞かせます。今はイルザさんと結んだ縁を深くしなければならない時なのです。それはカルディアも承知していることです」


 それでもカルディアは不満そうだ。

 でもカルディアならば助かるところだ。

 正直なところ、見知らぬ男の兵よりも顔見知りの女の兵のほうが格段にマシだ。

 いくら性格が好みではないとしても。

 それに実力も確かだろう。

 足手まといにならないと分かっただけでも十分だ。


「助かるわ」


「いえ……それでは、明日の朝にカルディアを向かわせることでよろしいでしょうか」


「ええ、それで。それではまたね」


 これ以上リタの邪魔をするわけにもいかないのですぐに退散した。

 まあ、姫がどんな仕事をしているのかなんて知らないけれど。



------



 翌日。

 クラーラとテアは店に立ち、私とヘルダはカルディアが訪れるまで時間がある。

 カルディアが来るまでに、確認すべきことがあった。


「この魔物の核なのだけれど、どう見える?」


 テーブルの上には灰石象(グラファント)の核。

 今まで手に入れた魔物の核では最大だろう。

 飢餓犬(アンリュード)の核は売った。

 三匹で120ユルとまあまあの値段だった。


「なんだか不思議な感じです。他の核とは何か違う気がします」


 私と同じ意見だ。

 ヘルダもこの核が特別だと感じているなら、やはり灰石象(グラファント)の核は特別なのだ。

 倒した一匹だけが特別なのか、それとも灰石象(グラファント)全体が特別なのかは分からないが。


「私にはね、この核がとても美味しそうに見えるのよ」


 それが灰石象(グラファント)の核を売らなかった理由。

 売ったらお金になることは分かっていたのだが、それ以上に大切な何かがあると思えた。

 なにせ食事のいらない私が美味しそうに見えるのだから、そこには理由があるはずなのだ。


「……お腹を壊すと思います」


「美味しそうだからといって食べないわよ。そうじゃなくて、ヘルダも分かるでしょう。私たちの食事といえばひとつしかないわ」


 爪の先ほどしかない緑醜鬼(ゴブリン)の核よりは大きいけれど、それでも飲み込めないほどでもない。

 だからといってもちろん飲み込むわけもない。

 私たちは精を吸う生き物だ。

 そして今は魔力も糧とする。

 魔力の塊である核をどうするかなんて、私たちには決まりきったことなのだから。


「ヘルダも覚えておきなさい。その感覚が、魅力的な獲物を目の前にした時なのよ」


 例えば襲いたい人間を目の前にした時とか。

 場合によってはヘルダだけが興味を持つ精力を持った人間も現れることだろう。

 その時には喜んで協力したい。

 食事には妥協しないのだ。


「不思議な感覚です」


「直に慣れるわ。それよりも、この核をどうするかが先ね」


「……? 吸精と同じなら簡単ですよね?」


「そうなのだけれど……。魔物の魔力を取り入れていいものなのか、少しだけ心配なの」


 実際のところ、問題ないとは思うのだ。

 魔物を倒した時に吸収している僅かな魔力、それを少し多めに吸い取るだけのこと。

 それに私の推論を確実なものにするためにも、この核の魔力を取り込まなければならないのだった。


 しかし怖いものは怖い。

 今まで人からしか精を吸わなかった私にとって、核からという未知の体験は冒険に過ぎるのだ。

 姿形が変わるとは思わないけれど、いきなり多くの魔力を取りこんだら心がどうにかなってしまうのではないのか。


 一人の男を思い出す。

 ビダル。

 知る限りでは一番強く、おそらく一番多くの魔力を取りこんだ男。

 彼は好戦的だった。

 人の話を聞かなかった。

 あれは元からの性格なのか、それとも強くなった結果、あのような性格になったのか。

 取り込む魔力が多すぎると、私もあんな感じになってしまうのではないのか。


「どうしたんですか」


「……どうするべきか悩んでいるの。やっぱりこのまま売ったほうがいいのかもしれないわ」


「でも、強くなれるんですよね?」


「それはあくまでも想像よ。魔物を倒して魔力を奪うことも、核から直接魔力を吸い出すことも同じだとは思うの。でも大きすぎる力に耐えられないかもしれないわ」


「……では私がやります。イルザさんは見ていてください」


 ヘルダの行動は素早かった。

 私が止めることもできず、その胸の中に核を抱いた。

 魔力がヘルダの中へ流れていく。

 吸精にも随分と慣れたようだった。



「終わりました」


 抜け殻になった核を私に見せつける。

 さすがに売れないだろうから、後で処分しておこう。

 仮に売れるのだとしても、魔力がないとバレたら面倒ごとになりそうだ。


「そう。体調は?」


「いえ、特に」


 ヘルダの様子は変わらない。

 それは私の瞳で見ても同じだ。


「才能も見せてもらうわね」


 少し緊張した。

 身体に問題はないが、内面はどうなのだ。

 果たして私の予想は当たっていた。


 ヘルダの才能が増えていた。

 硬質。

 その名称は、確かに灰石象(グラファント)の硬皮を思い出す。

 しかしこうして触れているヘルダの肌は柔らかいままだ。


「ヘルダの才能が増えているわ。なにか変わったことに気づかない?」


「いえ、何も」


 そういえば、魔法の才能も芽生えただけでは気づかない。

 使って初めてその才能に気づくのだ。


「硬質、と言ってみて」


「硬質?」


 しかしヘルダの肌は変わらず柔らかいままだ。

 そもそも魔法だって理解が必要なのだから、ただ発するだけで使えるはずもないではないか。


「どんな才能が増えていたんですか。戦いに役立つものですか」


「恐らくはね。硬質という名前だから、肌を硬くするものだと思うのだけれど……」


 才能を得られたことは素直に喜ばしいことだ。

 魔物の魔力を吸収することで、その魔物の持つ才能を奪えるのではないかという私の推測も恐らく正解だろう。

 魔物の中には武器を扱うものもいると聞いた。

 緑醜鬼(ゴブリン)でさえ拾った武器を使う時もあった。

 今のところ才能を持つ緑醜鬼(ゴブリン)には出会えていないが、こうして才能を芽生えさせたのだから魔物にも才能はあるのだろうと思う。


 すぐに才能が芽生えたのは核から直接魔力を吸収したから。

 普通は倒した魔物からほんの少しだけ魔力を奪う。

 まあそれはいいとして、使い方の分からない才能は無用の長物だった。


「これに関しては見て覚えることもできないでしょうね。魔法と違って普通の人は覚えない才能のはずだから」


「肌が硬くなると、小手はもういらなくなりますか」


「どうかしら。そもそも灰石象(グラファント)みたいな硬い肌になるとも思えないの。まあ、魔物と戦っていたらいつかは使えるかもしれないという程度に留めておいたほうがいいでしょうね」


 万が一灰石象(グラファント)のような肌質になってしまったら困ってしまう。

 見た目からして人と言い張ることもできなくなるし、何よりも抱いた時に私が楽しめない。

 才能というのもなかなかどうして使い勝手が悪そうだ。


「では小手は付けたままにします」


「それがいいでしょう。私もヘルダも、まずは自分の武器の才能を芽生えさせるべきだと思うし」


 早ければDランクのうちから芽生えることもあるという武器の才能。

 残念ながら私たちには未だに芽生えていない。

 まあ私はそれほど連接剣に頼っていなかったし、ヘルダがまともに戦えるようになったのもつい最近だ。

 そちらについては焦ることもないだろう。


「イルザ、お客さん」


 そうこうしているうちにカルディアがやってきた。

 討伐者からすると随分とゆっくりした時間帯。

 カルディアは元討伐者ということでもないそうだし、こんなものかもしれない。


「ありがとう。すぐに行くから待たせておいて」


「はいはい。でも驚いたよ。まさかリタ様が近しい立場のカルディアをよこしてくるなんて」


「まあ、それだけ私のことが大切なんでしょう」


 そういえば、昨日は戦争の話は聞かなかった。

 大国同士が開戦したことまでは聞いているけれど、続報については何も伝わっていない。

 戦争が始まると情報を手に入れるのも難しいのだろう。

 まだ焦ることもない。

 今は討伐者としてのランクを上げることに専念していればいい。

 少なくとも、私の強さを対外的に知らしめるランクを上げなければ何をするにも苦労するだろうから。


 店頭に降りるとカルディアが突っ立っていた。

 明らかに邪魔なのだが、クラーラも文句を言いにくかったのだろう。


「そこに立たれると邪魔だと思うわよ」


「む……お前がすぐに来なかったのが悪いのだ」


「あら、つまりあなたは道のど真ん中で馬車の通行を邪魔したとしても、周りが遅いのがいけないと言い張るのね。さすがはお姫様の側付きね。いい立場だこと」


「くっ……いや、申し訳なかった。次はないから安心してほしい」


「そこまで邪魔じゃなかったし気にしなくていいんだけどね。ピークはもう過ぎてるんだし」


「心の広い店主に感謝するのよ? 普通なら追い出されているんだから」


 我慢できずにわめくカルディアは無視して、私とヘルダは店の外に出た。

 これから森の中域へと向かうのだ。

 恐らく一日では帰れない。

 多少なりとも緊張しているのかもしれない。


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