035 邂逅
クローデットは若くして城に使えることになった中級使用人である。
雇われてからすぐに王の顔を見られるわけもなく、数年間は城に入ることすら許されない。
大国としての威信を誇る巨大な城──のすぐ隣にある貴族たちの館。
中級使用人が使える場でもある。
そして現在、地方から集まった者たちが会談をするこの場にて、普段とはまったく違う会議が行われていた。
クローデットのもっぱらの仕事は、この館に滞在する貴族への奉仕である。
もちろん使用人としてであり、身体を差し出すようなことはない。
しかし誘われたら喜んでその身を差し出すことだろう。
大半の使用人は、貴族に囲われるために働いているのだから。
「失礼します。お茶をお持ちいたしました」
ここ数日、館には多くの貴族が訪れてくる。
普段は領地からなかなか離れない貴族であるから、それは大変に珍しく、そしてチャンスでもあった。
これだけ多くの貴族がいるならば、一人ぐらいはクローデットに目を止めるものも現れるかもしれないと期待してしまう。
このお茶を運ぶ仕事だって使用人の争いを勝ち抜いた結果なのだ。
逆に言えば、今日ここで声がかからなければ貴族に囲われることは無いと言えるだろう。
「うむ……。ああ、よければそのまま我々の会議を聞いていくといい」
「よろしいのですか?」
「我々としても、貴族以外の意見も聞いておきたいのだよ」
彼らが何を議題にするのかは分からない。
声がけでなかったことは残念だったが、それでもクローデットにとってはチャンスだった。
ここで望みの通りに動けたならば、将来は約束されたも同然だろう。
会議はすぐに始まった。
もちろんすべての地方の貴族が集まったわけではないが、総勢10名以上。
中にはクローデットの知っている程に有力な貴族の姿もある。
議題については聞かされていない。
それも含め、話は真面目に聞かなければならないだろう。
「つい先ほど、先行隊が首都を出発した」
最初の発言は首都に家を持つ老人貴族。
「本隊も数日後にはここを発つことになるだろう」
「それではついに始まるのか」
「移動には15日程度と思われる」
「先行したのは騎馬隊だ。今からでは止めることも不可能だろうよ」
ここ数日の街の異様な雰囲気については、クローデットも知っていた。
なにせ一歩外に出ると必ず逞しい身体の男を見かけるのだ。
それも大量に。
鎧を身に着けていなくとも、兵士だとすぐに分かった。
「開戦……か」
「止められませんでしたね」
「姫は一体何をお考えなのだ。まだ早すぎるのではないか」
姫というと、この国では一人しかいない。
ベルト=ベベット=アデライド姫。
誰よりも醜く、誰よりも欲深きこの国の王族。
ベルト姫に気に入られたならば莫大なお金を手に入れることができるだろう。
しかし一度目をつけられたならば、その生を諦めなければならない相手。
クローデットも出会いたくない相手だ。
だからこそ、このまま上級使用人になる前に貴族に目をかけてもらいたいのだ。
「しかしどうなのだ。ほれ……姫は秘儀をお使いになられたそうではないか」
「ああ、あの……」
「私は見てきましたよ。確かに強いと言えるでしょう。模擬戦では複数の兵士を相手取っていましたから」
「しかしフルシャンティが相手では分かるまい」
「ですな。アルマ姫の蛮勇はここまで届いておる。少々の力自慢で敵うものではあるまい」
フルシャンティ王国は、ここアデライド帝国の南部と隣接する大国だ。
なによりも規律を重んじる騎士の国。
その王は誰よりも強く、アデライドとは全く違う国の作りをしているらしい。
「……深くまで入り込まなければどうとでもなろう。アルマ姫もまさか国境までは現れまい」
「安心するのは姫の意向を聞いてからでしょう。果たして姫は、此度も領地を掠め取るだけで満足するのですか」
皆の視線が老人貴族に集まった。
ここにきてクローデットもやっと話の概要を理解しつつあった。
アデライド帝国が戦争を仕掛けるのはいつものことだ。
しかし本日の会議、それに城下の雰囲気。
それらを考えると、今までの紛争とは規模が違うのだ。
始めに喋って以来、口を開いていなかった老人貴族がベルト姫の意向を述べる。
「……フルシャンティ王国を落とすまで止まらないそうじゃ」
それから会議は白熱した。
戦争はいつものことであり、それ自体に文句はない。
しかし規模が大きければ話は別だ。
「無理だ! 我々に兵を差し出す余裕はない!」
ここに集まった貴族のうち、クローデットの知っている顔は数人だけ。
その数人は皆地方の、外国と領地を接している領主のはずだ。
アデライド帝国の国是として、領主には大きな権力が与えられる代わりに防衛も領主の責任となる。
領土を奪われたらそのまま貴族としての身分も失うことになるのだ。
そのためむしろ地方にこそ多くの兵士がいる。
それらの兵士を動かさずして、果たしてフルシャンティ王国を占領することができるのか。
「我々は姫から徴兵を受けていない。本当に姫はフルシャンティを落とすつもりなのか」
「……来月にも兵を差し出せと言われるだろう」
先行部隊が国境の村を制圧し、続く中央で集められた本体が国境の大きな街を占領する。
その後、地方の兵も集めてフルシャンティ王国になだれ込もうというのだ。
確かにそこまで兵を動員できるのならばフルシャンティ王国だろうと占領することはできるだろう。
しかしそうなれば、西の大国はどう動くのか。
南のフルシャンティ王国に全兵力を持って攻め入るならば、西の大国カノ王国が黙ってみているはずがない。
「姫を止めなければ……」
「もはや止まらぬであろう。姫が一度決めたことを変えられるはずもない」
「しかしそれでは我らの領地は……」
「姫は嘆いておられるのだ。最近は小競り合いばかりで領土が広がることもなかった。姫としてもこれ以上指を咥えて待ち続けることはできなんだろう」
欲深きベルト姫。
大国の姫という身分では飽き足らず、大陸の姫になろうというのだった。
「皆の意見であるが、戦争には反対ということでよろしいか」
「……しかしベルト姫をお諌めすることは不可能でしょう」
「うむ。しかし兵を止めることは可能だろう」
「まさか……」
ここで初めてクローデットに意見を求められる。
「お主はどう思う。フルシャンティ王国とカノ王国、それぞれどう動くと思われる」
つまり、もうすぐ開かれる戦争がどう展開していくのかということだ。
もちろんクローデットに分かるはずもない。
クローデットの生まれは城下であり、街の外に出たこともない。
兵士が戦う姿も見たことがないというのに、どうして想像できるというのか。
「……フルシャンティ王国は規律の国と聞いたことがあります。大きな鉱山も持っていると聞いたことがあります。ですから、戦は激しいものとなるでしょう」
「うむ。カノ王国についてはどうか」
「カノ王国は……今の王は楽しいことが好きだと聞きました。私には戦争が楽しいことだとは思えませんが……」
「つまり、カノ王国は攻めてこないと考えるのか?」
「いえ……すみません……」
答えは分からない、だ。
そもそもベルト姫がどうして領土を拡大したいのかも理解できないのだ。
周囲の国がどのような国なのかも知らないのだ。
戦争が始まり各国がどう動くのか、クローデットが想像できるはずもなかった。
「少々意地汚い質問じゃったかの。では……我らは戦争をしたくないと考えておる。しかし姫に戦争をするなと言っても聞き入れることはあるまい。それでも戦争をしたくない場合、どうするべきじゃと思うのだ」
「それは……」
ベルト姫を説得しても無意味だろうということは分かる。
集まった貴族の懸念も分かる。
いくら領主に力があろうと、王族の命令には逆らえない。
それでも戦争をしたくない場合、徴兵の命令そのものをなかったことにするしかない。
つまりはベルト姫が命令を出せない状態になればいい。
そのためにはベルト姫を……。
「それは……ベルト姫を……」
排せばいい。
ベルト姫が王族でなくなってしまえばいい。
その存在をなかったことにしてしまえばいい。
しかしその言葉をクローデットは言えるはずもない。
仕える主を殺したらいいだなんて、言えるはずもない。
「うむ。どうしたらいいのかは理解できたと思う」
クローデットの逡巡を気にもせず、老人貴族は話を続ける。
「お主に依頼じゃ。報酬は我らのうち、好きなものに仕えることができるよう取り計らってやろう。依頼内容は……言わずとも理解したな?」
「は、はい……」
最悪だ。
貴族に囲われるとか、そんな妄想をしている場合ではなかった。
ここに集まった貴族は姫を排するために動いていたのだ。
この話をベルト姫に伝えることは簡単だ。
しかしそうなると、今度はクローデットの身が危うくなるだろう。
ここに集まった全員の名を知っているわけでもないのだ。
姫に裏切りを伝えた瞬間、貴族の剣はクローデットに向かうことだろう。
ではベルト姫を排するのか。
それも不可能なのだ。
そもそも今の身分では城の中に入ることすらできないのだ。
ここに集まった貴族たちは、使用人の身分なんて知らなかったのだ。
中級使用人であるクローデットは城の中に入れないと、城に入るためには上級使用人にならねばならぬと知らないのだ。
老人貴族がテーブルに袋を置いた。
明らかに初めから用意していたものだった。
「ここに支度金を用意してある。やり方はお主に任せよう。今まで城下に暮らしていたのだから、それなりの店の一つや二つは知っておろう」
その金でもってベルト姫を殺せということだ。
討伐者に依頼してもいいし、毒やなにかを購入するのもいいだろう。
「期限はここより七日とする。それまでに結果が出ることを祈っておるよ」
もはやクローデットに逃げ道はなかった。
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「国の兵士と一緒に魔物を倒し、その核を持ってきてください」
「それが試験?」
「ええそうです。Cランクに上がるための試験は、国の兵士と一緒に魔物を倒すことと決まっています。ああ、該当する魔物は中域以深に出てくるものに限ります」
ランクアップのための試験を受けるため、私とヘルダはギルドにやってきている。
聞く限りではそう難しくはなさそうだ。
中域の魔物というと、つい先日倒した飢餓犬相当だろう。
「ヘルダはなにか確認することは?」
「……一緒に行動する兵士は誰ですか」
うん、良い質問だ。
前回の反省をきちんと活かせたのではないだろうか。
「同行する兵士はあなた達が見つけるのです。これはそういう試験になりますから」
Dランクでは討伐は一日で済まさなければならなかった。
しかしこの昇格試験の期限は一週間。
Cランクの依頼といえば森の中域に入ることがほとんどなので、無理のない余裕が考えられているのだろう。
「イルザさん、どうしますか?」
「そうねえ。兵士に知り合いなんていないものねえ」
ランクが上がるということは、今までよりも強い魔物を相手にするということになる。
それでどうして兵士を同行させることになるのかは分からないが、大方試験官の代わりを務めさせるのだろう。
つまりだ。
兵士は討伐者に誘われることを知っているはずだ。
顔見知りの兵士と言えば北の門番しかいない。
早速話しかけてみることにした。
「ついにランクアップか。しかし残念だな。俺たちには仕事があるから討伐者に同行することは無理なのだ」
「別に今日でなくても構わないのよ。休みの日だったら問題ないでしょう?」
「それも無理だな。俺たちは三日門番をし一日休むことになっている。一日だけで中域を往復するのはちょっとな」
街の門番とは毎日のように顔を合わせていたし、討伐者にも詳しいだろうから断られるとは想定外。
「それじゃあ門についている兵士は誘えないわね。二日続けて休みがある兵士はいないのかしら?」
「いないな」
……ではこの試験は無理ではないか。
無理したら一日で中域を往復することも可能だが、仕事のある兵士が無理をするとは思えない。
「あの、本当に無理なんですか。試験は決まって兵士と同行すると言っていました」
「うむ……悪いがこれ以上伝えることはできない。これは討伐者ギルドとの取り決めで決まっていることなんだ。私から伝えられることは、間違いなく兵士を中域まで連れて行かなければならないということだけだ」
「そうですか……」
ヘルダの下手なお願いでも門番が頷くことはなかった。
しかしヒントも貰えた。
口振りから察するに、兵士は間違いなく討伐者に同行しているのだ。
そして休日が一日だけの兵士は討伐者に同行しない。
つまりは仕事中にも関わらず討伐者に同行する兵士を探さなければならないのだろう。
果たしてそのような兵士はいるのだろうか。
仕事を放り出してまで討伐者に同行し、魔物を討伐する兵士なんて……。
「……とりあえず一度戻りましょうか。クラーラに相談したほうがよさそうね」
私もヘルダもこの街にはまだ詳しくない。
そもそも門番以外の兵士の仕事も知らないのだ。
長くこの街に暮らしているクラーラならば、何かヒントは貰えるかもしれないと期待した。
「……簡単じゃない。それこそイルザにしか誘えない兵士がいるじゃない」
「……そうだったかしら?」
クラーラに相談したところ、何を悩んでいるのだという感じで言われてしまう。
兵士の知り合いはいなかったはずだが、気づかぬうちに誰かと知り合っていただろうか。
「お姫様に相談したら好きなだけ貸してくれるでしょ」
「──あ」
そうだった。
リタはこの国の姫なのだから、兵士に命令することも簡単だろう。
仕事として、私に同行するよう命じてもらえばそれでおしまいだ。
何を悩んでいたのだろうと恥ずかしくなってしまう。
「ありがとう、早速話してくるわ。さすがに連れていけないからヘルダはクラーラと店番をしててちょうだい」
「分かりました」
「気をつけてね」
「何度も行ってるのだから大丈夫よ」
まだ日の差すこの時間、さすがにヘルダを連れては行けなかった。




