033
魔物が現れたと聞いて、テアはすぐに駆け出していった。
装備も持たず、おそらくは魔法で戦うのだろう。
しかしテアの魔力は残り少ない。
地の魔法を使えるのは一度か二度、その僅かな回数で魔物を倒し切ることはまず不可能だと思うのだ。
「お、お前たちも討伐者なら魔物を倒しにいけよ!」
「は? どうしてよ」
テアは魔物に向かっていったというのに、男はこの場に残っていた。
「なんでって、討伐者なんだろ!? 魔物を倒すのが討伐者じゃないか!」
「正確には依頼を受けて魔物を倒すのが討伐者よ。テアはお金を払えないから依頼も受けてない。私たちが魔物と戦う理由はないの」
否定はしたが、草原の魔物も気にはなる。
どんな場所にどんな魔物が出るのか、それを知ることは無駄ではない。
「お、お前ら……!」
男はワナワナ震えているが、逆上して襲ってくることもなかった。
ヘルダが目立つよう大剣に手を伸ばしたからだ。
身体付きは立派でもやはり農民なのか。
「イルザさん、ここは戦ってもいいのではないでしょうか」
「そうなの?」
「はい。このままでは村が全滅するかもしれません。それでは街にも影響が出ることでしょう。それに、このような緊急の場合には相場以上に吹っ掛けることも可能です」
救急車で運ばれた時のようなものか。
ここの村人が素直にお金を払うとも思えないけれど、大金を手にする可能性があるのなら魔物と戦うのもやぶさかではない。
「ヘルダはどうしたい?」
草原の魔物は緑醜鬼よりも素早いと聞いた。
ヘルダにとっては厳しい相手になるだろう。
もちろん私が守る以上、傷つくことはないけれど。
「わたしは戦ってみたいです。クラーラさんから小手を貰いましたから、今ならなんとかなる気がするんです」
……気づかなかった。
ヘルダの両手には手首を守るように小手が装備されている。
装備が高くて買えなかったと愚痴をこぼしたことをクラーラは覚えていたのだろう。
まったく、クラーラも大概お人好しなのだから。
「そうね、一度くらいは戦っておきましょうか。核も緑醜鬼よりは高価でしょうし」
現れた魔物が緑醜鬼でないことを願いつつ、私たちも魔物が現れた場所へと向かった。
戦場はすぐ近くだった。
立っているテア、倒れている農民、見たことのない魔物。
「やはり飢餓犬でしたね。動きが素速いので気をつけてください。それとギルド員が傷つくと評価にも響くことになりますので、申し訳ありませんが私のことも守っていただけると助かります」
「分かったわ。それではピーアは私のすぐそばに。ヘルダが前を行きなさい。私はヘルダの後ろにつくわ」
「分かりました」
さて、防具を手に入れたことでヘルダの動きは変わったのか。
それを確かめるためにも、まずはヘルダの好きにさせることにした。
飢餓犬は三匹。
そこまで大きな群れでもないらしい。
もともとは単独ばかりの魔物だから、群れてもそう多くはならないのかも。
ヘルダは大剣を構え、ゆっくりと歩いていく。
テアを助けるために無理をすることはなさそうだ。
そのテアは、足元に倒れている農民をかばうように三匹の飢餓犬と対峙している。
武器は持っていないが、手を向けるだけで飢餓犬は一歩離れるのだ。
魔法を警戒していることは明らかである。
群れることといい、自らを省みず突っ込んでこないことといい、普通の魔物とは違うようだ。
「緑醜鬼みたいに、ただ人を襲うだけの魔物じゃないようね」
「本質的には変わりません。けれどある程度の強さを持った魔物は、自らも傷つかないように動くそうです」
ふうん。
生存意欲があるのか。
生き残ったほうがより人を襲えるのだからある意味当然か。
しかしそもそも魔物の生まれ方からしても知恵ある生き物だとは思えないのだが、そう単純なものでもないらしい。
「ヘルダ、聞いたわね。緑醜鬼よりも強いみたいだから油断しないこと」
「はい」
こちらを振り返らずに返事をするヘルダ。
よく集中できているのだろう。
じりじりと飢餓犬に近づいていくと、向こうもこちらのことを警戒しはじめる。
テアを無視してまでこちらに突っかかってくることはない。
ただ、テアを中心に私たちと飢餓犬が睨み合うような形に変わっただけ。
逃げだすこともない。
倒れている人間は一人だけで、殺せたかどうかも分からない。
人を襲う魔物として、このままでは去れないのだ。
魔物が一時的に離れたことでテアも余裕を取り戻したのか、足元に倒れたままの農民に目を向ける。
目を向けてしまった。
その行動は明らかな間違いだった。
人を狙う魔物からは一瞬たりとも目を逸らしてはならないのだ。
その一瞬の隙を、魔物はずっと狙っているのだから。
「──危ないっ!」
今ここで断言しよう。
テアには魔物と戦う才能がなかった。
誰かの叫び声を聞いたテアが面を上げるがもう遅い。
一息で目の前に迫った飢餓犬は、テアの腕を噛みちぎった。
「──あ、ああああああっっ!!」
悲痛な悲鳴が周囲に響き渡る。
その叫び声も一瞬だけで、テアは目の前で崩れ落ちた。
痛みに耐えきれずに気絶してしまったのだ。
しかし、ヘルダにとっては大きなチャンスだ。
倒れたテアに群がろうとする飢餓犬は、私たちにとっては大きな隙だった。
弱いテアが隙を見せたように、飢餓犬も群れたところで所詮は弱い魔物ということなのだろう。
ヘルダが一気に駆け出した。
飢餓犬のうちの一匹、テアを仕留めることに夢中になりすぎて背を向けた愚かな魔物に大剣を振り払った。
遠心力を乗せて、ぐるりと半回転。
四足歩行の上半身と下半身がお別れするという珍しい光景を目にした。
「……ふう」
目の前で仲間がいきなり真っ二つに引き裂かれたものだから、飢餓犬もテアにトドメを刺すことはできなかった。
いきなり現れたヘルダから距離を取るために離れていく。
「ヘルダ、よくできたわね。あとは私が相手をするわ」
「……まだ、やれます」
やる気があるのは結構なことだが、なにせヘルダと飢餓犬は相性が良くない。
小さくて身のこなしも素早い飢餓犬に大剣を当てることは、先のように完全に油断していなきゃ無理だろう。
それに、確かめたいことは十分確認できた。
ためらわずに一歩を踏み出すことができていた。
ヘルダは傷つくことを恐れずに、飢餓犬の間合いに踏み込むことができたのだ。
小手を用意してくれたクラーラにも感謝しなければならないだろう。
「たまには私にも運動させてよ。それに、私も一度ぐらいは飢餓犬と戦ってみたいじゃない」
「……わかりました」
今ならばヘルダにピーアのことを任せても安心できる。
もっとも、飢餓犬が近寄れるはずもないのだけど。
連接剣を抜くと同時に地面を思い切り蹴ると、私の目の前に飢餓犬が現れる。
素早いといっても低級の魔物に違いはなく、私の速さにはついてこれない。
連接剣を伸ばすまでもなく、残った二匹は首を飛ばすこととなった。
飢餓犬の体を切り開いて取り出した核は緑醜鬼よりも白腕猿よりも大きく、少しは売値にも期待できそうなサイズだった。
そういえば灰石象の核もまだ持ったままだ。
こちらのほうが売値は期待できるのだが、今のところ売るつもりはない。
「二人の様子は?」
「農民の方は手遅れでした。テアさんについても厳しい状況でしょう。血が止まってくれたら死ぬことはないと思うのですが……」
テアは左肩から先を噛みつかれ引きちぎられている。
ちぎれたのが肘から先だったりしたら安心なんだろうけれど、心臓に近い肩からは出血も激しいのだった。
『内からの流れをせき止めよう
──撫でる炎』
呪文は勝手に浮かんできた。
なくなった左腕の付け根に手を添えて一言唱えると、すぐに火傷ができあがってその血を止めた。
火力が高すぎたのか、一瞬だけ赤い煙が立ち昇る。
傷口もジュクジュク焼けただれ、なんだかより重症になったようにも見える。
……気絶していてくれて助かった。
「助けるんですか?」
「あら、おかしい?」
「イルザさんのことですから、放っておくと思ってました」
……そこまで他人に厳しかっただろうか。
ヘルダの目の前で子供たちの面倒も見ていたのに。
これはもう、できる限り急いで教育の修正を行わなければならないだろう。
「多分だけれど、テアを生かしておかないと面倒なことになると思うの」
むしろ私の希望通りに動かすためと言えるけど。
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遠巻きに見ていた農民たちは無視して、テアを家まで運んでやっと一息つくことができた。
特に疲れたというわけでもないのだが、農民の視線にいつまでも晒され続けるのは居心地が悪い。
「今日はもう帰れないわね。まあ初めから一泊はすると思っていたけれど」
結果的に飢餓犬と戦えたことは僥倖だろう。
ヘルダの成長も見ることができたし、魔物の強さも確認できた。
Cランクに上がってもヘルダはやっていけるだろう。
「それで……ええと、依頼の確認をしておくべきね。通常の場合、今日のような依頼はいくらぐらいで受けるものなのかしら」
「そうですね……。倒した魔物は飢餓犬が三匹、既に村にも被害が出ていたので緊急性も高く、何よりも守り手のいない村ですから、500から1,000ユル程度でしょうか」
おお、結構いい値段だ。
100ユルあれば三食付きでそれなりの宿に泊まれるのだから高額といっていい値段だろう。
クラーラにしている借金の10,000ユルにはまだまだ届かないが、普段の一日の稼ぎよりも断然多い。
更にはここから吹っかけていいのだから、できる限り搾り取りたい。
「今日のような場合は、相場の何倍ぐらいを提示するのが普通なの?」
「3倍から5倍程度ですね。中には通常のままの値段を請求する討伐者もいますが、イルザさんもヘルダさんもまだDランクです。ここは5倍を要求してもおかしくはないかと」
それだけリスクを背負ったということだ。
ここは切り良く銀板2枚、4,000ユルを要求してみるか。
まあ、素直に応じるとも思えないけれど。
「イルザさん。わたしは上手くやれましたか?」
「ええ。とてもよかったわ。これからは一人でも緑醜鬼を倒せるはずよ」
「そうですか……」
明日には街に戻り、明後日には昇格試験。
緑醜鬼よりも強い魔物と戦うことになるから変わらずヘルダの心配はしなければいけないが、森の中域に向かうまでの道中に現れる緑醜鬼や白腕猿はヘルダに任せきりでも大丈夫だろう。
ただ、せっかく仲良くなった子供たちとは一緒に動けなくなる。
ヘルダの教育に丁度よかったのだけに残念だ。
その日の夜、万が一魔物が現れないとも限らないので村の外を見回る。
基本的に夜に魔物は現れないそうだ。
夜行性に見える魔物だが、人を襲う魔物は人が出歩かない時間には現れない。
例外は夜に騒いでいた時だけ。
ピーアが男にこの依頼を受けてほしくなかった理由もここにある。
女を連れ込んで夜に騒がれたりでもしたら、討伐者が魔物を呼び寄せることになるからだ。
こういう村では男女の営みも昼間に行う。
もちろん周りの住人に見られることになる。
暮らしているのが壁に覆われた街でよかった。
こんな村で暮らしていたらヘルダの教育に悪すぎる。
「イルザさん。あまり夜空を見上げないほうがいいですよ」
「……参ったわね。ピーアもヘルダと同じことを言うの?」
昨夜よりも遅い時間、今夜はピーアが外に出てきた。
ヘルダはなんだかんだで疲れたのかすぐに眠ってしまったから、朝まで起きることはないだろう。
「夜月を見てはいけないだなんて、子供に夜ふかしさせないための方便なのでしょう」
「それは違いますよ。夜空は本当に悪いものなのです」
「……そうなの?」
「そうですよ。文献にも残っています。時が満ちた時、空から無数の悪魔が降ってきて大陸を滅ぼすのです」
「……悪魔? 魔物ではなくて?」
「ええ、悪魔です。悪魔が降ってきたのはもう何百年も前ですが、その時には到達者が一丸となって悪魔を追い返したそうですよ」
これで到達者という言葉も違うものだったら創作だと笑い飛ばせただろう。
しかし創作だったのなら、追い返したという表現は不出来だろう。
絶対的な力を持つ到達者でも滅ぼせなかった悪魔。
創作にしろ実話にしろ、面白いではないか。
「時が満ちたらっていつのことなのかしらね」
「さあ……」
結局はピーアも半信半疑なのだろう。
悪魔なんて聞いたことのない存在を恐れることは難しい。
これが魔物だったり魔人だったりしたら少しは信憑性もあるけれど、どちらも群れることはない。
「二つの月が重なった時かしら……」
もしくは太陽と重なる時か。
昼間でも夜のように暗くなることを悪魔の仕業だと言ったのかもしれない。
到達者はなんとなく登場させただけとか。
気づいたら太陽と月の重なりも解けていたから、誰かが解決してくれたのだと、ならば到達者しかいないだろうと時の人は思ったのではないだろうか。
まあ、気にすることはないだろう。
よくある昔話に過ぎない。
この時の私は気付かなかった。
昨夜とは明らかに違う時間帯、それなのに二つの月の位置はまったく変わっていなかった。




