031 農村の依頼
「何してんの……なんて、聞かなくても分かるんだけどさあ……」
起きてきたクラーラは頭が痛そうにしている。
睡眠不足だろうか。
それとも無駄な睡眠に慣れていないからか。
「早いわね。どう? クラーラも一口。いつもと違った味わいよ」
「なんでそんなに普通かなあ。その子、ギルドの職員じゃない。……まあ、用意してくれたから食べるんだけどさあ……」
文句を言いながらも、倒れたままのピーアに身体を寄せるクラーラ。
そのままためらうことなく唇を奪うのだった。
昨夜、ピーアを連れ込んでそのまま朝まで楽しんだ。
体力のないピーアはすぐに気を失ってしまったけれどそんなことは関係ない。
たっぷり朝まで楽しんで、私はお腹いっぱいになれた。
身内で吸精しあうのも気持ちいいけれど、偏食ばかりもよくないというのが私の持論。
そもそも私たちだけだと魔力の質は高まるけれど、量はほとんど変わらないから。
「……ふう。確かにイルザとヘルダとは違う感じだね」
「でしょ。この子は結構美味しかったから、たまには遊びに来てもらうことにしましょう」
「……別にいいんだけどさあ」
何よりもギルドの職員という身分がいい。
ピーアにお願いしたら、コンラットの依頼者も探れるのではないだろうか。
……
…………
「ふうん。今日から三日間は戻ってこないんだ」
「場合によってはそれ以上ね。もしかして寂しかったりするのかしら」
「もうっ! ……寂しいっていうよりも、夜になると身体を持て余しそうなだけ」
最近は毎夜毎夜迫っていたから、クラーラ一人の夜をどう過ごそうか悩んでいるらしい。
どうせなら私のように誰かを連れこんだらいい。
「……ヘルダも連れて行くんでしょ? あれ、いいの?」
クラーラが視線を送るその先では、未だ目覚めないピーアの胸に吸い付いているヘルダの姿があった。
もちろん精力と魔力を吸い取っているのだが、見た目には母乳を吸っているようにしかみえない。
ピーアの胸は大きいから、幼いヘルダは胸から吸ったほうが自然だったのだろう。
確かに大きな胸からはなんでも出てきそうな気がするし。
そもそもヘルダが唇を許しているのは私だけだ。
「仲良くなれたようで一安心ね」
「仲良いって……起きてないじゃない」
「大丈夫よ。眠っていたって私の暗示下にあるのだから。ピーアにとってはこの家に来て私やクラーラに襲われるのも、ヘルダに胸を吸われるも自然なことになっているの」
「ふうん。それで、彼女は血族に迎え入れたりはしないの? そのほうが色々と便利そうじゃない」
「それもいいんだけどね。でも吸精した時の味が変わるかもしれないわ」
ピーアはこのままがいいだろう。
毎晩では疲れるだろうから、数日に一度この家を訪れて私たちに襲われる。
そんな距離間がいいと思うのだ。
「ヘルダ、そろそろ我慢しなさい。このままだとピーアは眠ったままよ」
「んっ……ごめんなさい。夢中になりました」
チュポンと音を立て、ヘルダの口がピーアから離れる。
しかし大きい。
普段は服に隠れているが、こうして見ると大きさが目立つ。
重力に潰れてもなお大きな胸は、間違いなく私よりもあるのだろう。
「ヘルダは私と一緒に出かける準備よ。必要なものは揃えてくれたら私が持つから。クラーラはピーアに服を着させておいて」
ピーアが目覚め次第、ギルドへ向かい依頼を受けることになる。
もっとも用意する荷物なんてほとんどない。
私たちにとっては、村に数泊することも森に日帰りで出かけることも変わらないのだ。
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初めて通る街の南の門から外に出て、街道をゆっくりと歩いていく。
森に比べると随分と歩きやすい。
討伐者として森の中に入るだけでも足腰は鍛えられるのだ。
「これから向かう村はここからまっすぐ南になります。道中の魔物の相手はお任せすることになります」
「特に急ぐ必要はないのよね?」
「ええ。このペースで歩いても日暮れには村にたどり着くでしょう」
目覚めた時はぼんやりとしていたピーアだが、街の外に出ると幾分かはっきりしてきたようだ。
街道では時折すれ違う人がいる。
その多くは馬車で、たくさんの荷物を街に運んでいるようだ。
「あれは何を運んでいるのかしら」
「大半は村々で収穫した作物でしょう。ヴァルデンデに畑はなく、周囲の村からの供給で成り立っています」
「そういえば畑は見なかったわね。それって普通なの?」
「どこの国でも普通だと思いますよ。作物は村、その他の生産は街とすることでバランスをとっているのです」
よくわからない。
食べ物といえば生きる上で非常に重要になるはずだ。
どうせなら安全な街壁の中で生産したほうがいいと思うのだが、ピーアに聞いても分からないだろう。
覚えていたらリタに聞いてみたい。
それにしても、一面見渡す限り草原ばかりだ。
田舎という言葉がとても似合う光景だろう。
こんな景色の中に魔物が現れるだなんて想像できない。
「こんな場所にも魔物は現れるのよね」
「滅多に現れるものではありませんけれどね。その魔物も馬車に乗っていたらほとんど無害ですし」
馬車の速さに追いつけないということか。
だったら討伐も簡単そうなものだが、そうでもないらしい。
そうそう、その馬車を引いている馬だけれどあれも魔物の範疇らしい。
なんでも度重なる調教の結果、人に害をなさない存在になったのだとか。
初めて聞いた時はありえないと思った。
でも確かに馬は人の言うことを聞いて馬車を引いているのだ。
魔物は人を襲う存在であり、それが全てだと思っていたけれどそうでもないのかもしれない。
自分でわざわざ調べることはしないけれど、誰かが魔物の研究をしているのなら一度ぐらいは話を聞いてみたいものだ。
「草原で生まれる魔物は森とは違います。もちろん緑醜鬼はどこにでもいるのですが、厄介なのは飢餓犬でしょうか。足が早く、群れて人を襲う魔物です」
飢餓犬は四足の魔物だ。
体はやせ細り、常に空腹であるかのよう。
もちろん痩せているのが通常の姿であり、太っていようと人を襲うことに違いはない。
群れる魔物か。
今まで戦った魔物は全て単独行動だったから、勝手にそういうものだと思っていたが群れることもあるようだ。
人を狩るには群れたほうが効率もいいだろうから不思議はない。
ただ、その日は魔物に襲われることなく村までたどり着いた。
どうせなら一度ぐらいは戦ってみたかったのだが、そううまくもいかないようだ。
村というよりも農村、それよりもさらに小さな規模の集落はなんと呼ぶべきなのだろう。
私たちが訪れることになった村は、一軒一軒がとても離れており、全部でも十軒程度の小さな集落だった。
距離が離れているのはそれぞれの家の周囲に畑があるからだ。
なんとなく嫌な雰囲気。
「依頼主はテアさん。この村の守り手の一家ですね」
「守り手?」
「このような村では、作物を作る者と魔物を討伐する者に別れているのです。そのほうが効率的ですからね」
守り手とは村専属の討伐者らしい。
効率的なのかそれとも非効率なのかいまいちわからない。
「あそこの家の方に聞いてみましょう」
ピーアを先頭に、私とヘルダは後ろをついていくだけだ。
なにせ初めての街の外での依頼だから段取りなんかも分からない。
たまには任せきりでもいいだろう。
ほぼ一日中歩き続けたことでヘルダは疲労困憊の様子。
むしろピーアが元気なのが不思議だった。
「テアの家はみっつ向こうだよ。畑のない家なんだから聞かないでも分かっておくれ」
「あ、ありがとうござ……」
バタンと閉じられる扉。
……なんだろうか。
「……もう日も暮れていますから、訪ねるには失礼な時間だったのかもしれません」
これはあれか。
村特有の排他的な扱いというやつだろうか。
「失礼な人です。ピーアさんはギルドの依頼でやってきたのに」
「依頼者は守り手の方ですからしかたがないのかもしれません。さあ、向かいましょうか」
薄暗い村の中を歩いていく。
そこいら中が馬車や馬で踏み固められているからか、はっきりとどこが道なのかは分からない。
それに灯りもないから気を抜けば畑の中に入ってしまいそうだ。
夜に魔物が現れた時は面倒そうだ。
そうしてたどり着いた依頼者の家。
確かに一目瞭然なのだろう。
庭に畑がないことはもちろんなのだが、一軒だけ明らかにみすぼらしいのだから。
「ここなの? 家というよりも小屋ね」
人が住むというよりも、家畜小屋といった言葉こそが正しい家だった。
壁は薄い板一枚だけで、隙間風の激しそうな作り。
今の季節はまだいいが寒くなるとさぞかし凍えることだろう。
「確認するので待っていてくださいね」
再びピーアが家の扉をノックする。
ここでも対応が酷いものだったら、依頼の放棄も考えたほうがよさそうだ。
村にとっては大変だろうが、私たちにとっては一つ依頼を失敗するだけなので痛くない。
「あの、どなたですか?」
「討伐者ギルドから依頼を受けてまいりました。あなたがテアさんですか?」
その小屋から現れたのは、ヘルダにほど近い年齢の少女だった。
「はい、わたしがテアです。あの、お話をしたいので中にどうぞ」
驚いたことに少女こそが依頼者だった。
てっきり依頼者の子供だろうと思っていたのに。
「イルザさん……」
「……そうね。ヘルダは料理をしてもいいわよ」
テアの姿を見てヘルダも思ったのだろう。
テアは明らかに痩せていて、ろくに食事も取っていない様子だった。
幸いなことに使いみちのない肉ばかり余っているから、少女に施す分はいくらでもあったのだ。
「ええと……あらためて確認しますが、あなたが魔物の討伐依頼を出したテアさんでよろしいのですね?」
「はい、そうです。この村を訪れた行商の方に依頼を出すようお願いしました」
ふうん。
ギルドへの依頼は当人が訪れなくとも可能なのか。
「この村の規模ですから守り手の家は一軒しかないのが普通だと思いますけれど、ご家族は?」
「いません。父も母も、この前魔物に殺されてしまいました。まず父が飢餓犬に噛み殺され、母も後を追うように噛み殺されました。残っているのはわたしだけです」
「それは……」
取り乱した様子が見られないのは、亡くなったのが随分前だからだろうか。
いや、そんなことはどうでもいいのだ。
問題は既に守り手として成り立たない状態にも関わらず、追加の人員がいないこと。
討伐者を呼んで一時的に魔物を倒すのではなく、テアの代わりにこの村に住む人こそを募集しなければならないのではないのか。
それともまさかこの痩せた少女が強かったりするのだろうか。
「その守り手というのは、どうやって決めているの?」
「ええと……基本的には各村に一任されているはずです。依頼として移住者をギルドに申し出ることもありますし、村人を守り手に仕立てあげることもあるでしょうか」
そしてこの村では、テア一人に任せられ続けている状態だと。
まったく、なんて酷い村だろうか。
魔物は昼夜を問わず現れるのだから、それなりに強いという程度では一人で対処できるはずもない。
テアの体調が悪そうに見えるのも、寝る間を惜しんで村を見回っていたからなのか。
私たちがやってこなければテアがどうなっていたのか、想像するまでもないことだ。
「はあ……私は外を見てくるわ。面倒な話はピーアに任せるから、必要なことは聞いておいて。ヘルダはこの子に食事を。今依頼者に倒られたら面倒だもの」
依頼の内容は村人を襲う魔物の討伐。
ならば私は魔物の相手をしたらいい。
他のことはピーアに任せたらいいだろう。
暗い村の中をゆっくりと歩いていく。
今のところ魔物の気配は感じないが、村全域をカバーできているのかは分からない。
そもそも一人や二人で受ける依頼でもなかった。
村の四方に四人を配置、さらには予備も必要だ。
六人以上で受けるべき依頼ではないのか。
「まあ、とりあえずは真面目にやるけどね」
テアもテアだ。
両親が亡くなったのなら、守り手としてやっていけないことは分かるだろうに。
それともこの村を離れられない理由でもあるのか。
こんな居心地の悪い村なんて見捨ててしまえばいいのに。
一通り歩き回っても魔物の気配はどこにもなかった。
この村に近づいていないのか、もしかしたら違う村でも襲っているのかも。
そういえば、魔物が見つからなかった場合はどうなるのだろうか。
通りすがりの討伐者が魔物を倒していた場合でも、私が依頼を達成したことになるのだろうか。
このあたりもピーアに確認しておくべきだ。
テアの暮らす家以外は、それぞれがかなり大きいものだった。
農家は意外と儲かるものらしい。
それでどうしてテアの家だけはみすぼらしいのだろうか。
守り手が村の存続に関わることは間違いないのだから、優遇しそうなものなのに。
「……ヘルダ。テアはもうよかったの?」
村を歩き、ぼんやりと月を見上げていたらヘルダがやってきた。
「はい。テアは少しご飯を食べたあとで眠ってしまいました。今はピーアさんが様子を見ています」
「そう……。今夜は魔物も現れないようだから、ヘルダも早めに休みなさい。疲れているのでしょう」
「そうですけど……」
まあ、死人のベッドを借りるのも難しいか。
客間なんてなかったし、あの家で眠ることは外で野宿することとほとんど変わらない。
「そういえば……ヘルダはどんな街に住んでいたの? やっぱり小さな村だった?」
「いえ……どちらかといえば、ヴァルデンデの街のほうが近かったと思います」
なんとなく思うところがあって、ヘルダに過去の話をふる。
もしかしたらヘルダもテアのようだったのかと思ったけど、どうやらそうでもないらしい。
「わたしは、アネルやシャーヤの家と同じだと思います。普通の人家に生まれて、大きくなったらまずは討伐者になっていたはずです」
「それでどうしてエミリアのところに?」
「……」
黙ってしまった。
まだ昔の話は聞けないか。
もしかしたら忘れているのかもしれない。
「あの……依頼が終わったあと、テアはどうなるんでしょう」
「さあ。私たちには関係ないことよ」
想像するまでもないことだ。
テア一人では魔物の群れに抗えないのだから、殺される道しか残っていない。
「イルザさん、何を見てるんですか?」
「月よ。珍しいからついつい見てしまうの。私のいた世界に月は一つしかなかったから」
「見ないでください」
「──えっ?」
思わずヘルダを振り返る。
「見ないでください。あれはどちらも悪いものです。夜空を見上げたら悪いものに取り憑かれてしまいます」
ヘルダは真面目な顔だ。
とても冗談を言っている様子ではない。
「……それってお伽話?」
「違います。夜空を見上げたらダメだって、おばあちゃんも言ってました」
「エミリアが……」
そんな記憶はないけれど、ヘルダが言うなら本当のことなのだろう。
それにしても不思議だった。
夜空に浮かぶ薄紫の月と濃紫の月、どちらも幻想的で美しいのに。
「……分かったわ。じゃあ家の中に戻りましょうか」
今夜は魔物も現れそうにない。
そもそも魔物は作物ではなく人を襲うのだ。
家の中に引きこもっている限り、安全は保証されているのかもしれない。




