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公国の真紅の瞳  作者: ざっくん
第2章 揺らぐ異国の蜃気楼
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「遅いよ! 今日は早く帰ってきてって言ってたよね?」


 出迎えてくれたクラーラはお怒りのご様子。

 そういえば早く帰ってこいと言われてたか。

 色々とあったことですっかり夕方になってしまっている。


「ごめんなさいね。ちょっと面倒なことがあったのよ」


「……イルザ、なんだかご機嫌斜め?」


「あら、どうして? それよりもおみやげがあるの。使えないようだったら売ってくれて構わないわ。それと、今日はもう休ませてもらうわね」


 満面の笑みで答えて二階へ向かう。

 このままクラーラと話していたら、ヘルダとクラーラを連れて街を離れたくなってしまう。

 一刻も早く眠りたかった。

 眠って、今日のことは綺麗さっぱりと忘れたかった。



------



「私、イルザのこと怒らせちゃった?」


 一階に取り残されたクラーラは首をかしげる。

 遅く戻ってきたことを、さして怒ってもいないのに怒っているように見せてしまったことが原因なのだろうかと不安になる。


「イルザさんはクラーラさんには怒らないと思います」


「だよねえ。悪いこと何もしてないし。……帰ってくる前に何かあったの?」


「わたしもよく分からないんですけど……知らない討伐者に絡まれました」


「ふうん。絡まれたところで無視するだけだと思ってたけど、イルザも意外と人間だよね」


「……そうかもしれません」


 ヘルダと一緒に暮らすのももう慣れた。

 しかしヘルダは相変わらず口数は少ないままで、最低限のことしか喋らない。

 それでもイルザが連れてきたのだから大切な子には違いない。

 何よりも、今では家族といえる存在なのだから。


「それにしても、おみやげかあ。こんなものがあるんだったら早く帰ってこいなんて言わなかったのに」


 足元に散らばる灰石象(グラファント)の硬皮を触りながら、クラーラは先ほどの過ちについて反省する。

 イルザとヘルダに早く帰宅してほしかったのはプレゼントを用意していたからだ。

 しかし、目の前の素材を前にすると渡すことが恥ずかしくなる。


「用事があったんですよね?」


「うん……。一応渡しておくよ。ほら、これ。前に聞いた防具を作ってみたんだよね」


 ヘルダに渡したのは小手だ。

 金属を薄く伸ばし、ヘルダの手を守るための小手。

 大剣を扱うヘルダにとって最適と思われた防具だった。

 お金が無いから買うことを諦めた防具。


「これ……わたしにですか?」


「イルザに防具はいらないでしょ。でもおみやげのほうが薄くて硬いから、また作り直しかなあ」


 魔物の素材は優秀な防具になることが多い。

 大半の魔物は核しか有効活用できないが、だからこそ一部の魔物は金属以上に優秀な防具へと生まれ変わる。

 灰石象(グラファント)の硬皮もその一つ。

 灰石象(グラファント)の硬皮は防御のためではなく、むしろ重い体を支えるためのものだ。

 そのため、非常に硬い。

 さらにはスムーズな行動をするために薄くもあった。

 金属よりも軽く、ヘルダが身につける防具としては金属よりもよほど適したものだったのだ。


「クラーラさん、ありがとうございます。わたしはこれで十分です」


「ダメだよ。もっといいものがあるんだからちゃんと使わなきゃ。……まあ、すぐには用意できないんだけどさ」


 ヘルダに伝える必要はなかったが、この小手を作るだけでも大変な綱渡りなのだ。

 クラーラは武器屋であり、扱っていいものは武器のみに限る。

 本来ならば防具を作ることさえもいけないことなのだ。

 それが街で武器屋を営むということなのだから。


「使うのは構わないけどね。私が作ったことだけは秘密においてね」


「……分かりました」


 武器屋が防具を作ったことが露見した場合、最悪は免許剥奪となる。

 この街で武器屋を営むことができなくなるのだ。

 それでもクラーラはヘルダのためにと小手を作った。

 リスクを負っても構わないと思えるほどには、二人の距離も縮まっていた。



------



 早くに眠ったから、日が昇る前に目覚めることは当たり前だった。

 目覚めて周りを見渡すと真っ暗で、今が何時なのかも分からない。

 一日にたった四度だけ鳴る鐘の音を聞き逃すと、時間が分からなくなるのは不便極まり無いことだ。


「まあ、おかげで頭は冷えたけどね」


 昼間は私も熱くなりすぎた。

 魔物をあてられたことも、私でも簡単に倒せたのだから気にしすぎだったのだ。

 私の力を測られたことだって、私が絶対的に強い立場でもないのだから構わないのだ。

 むしろ、コンラットやハンスから見たら私もまだ弱いのかもしれない。


「ヘルダもクラーラも……さすがに寝てるのね」


 最近はいつも三人同じベットで眠っているが、今日ばかりは二人も遠慮したようだ。

 隣の部屋からは小さな吐息が二つ聞こえてくる。


 特にすることはなく、しかし再び眠ることも難しいので二人の寝顔でも眺めようとクラーラの部屋に移動した。

 そこで見て、気づいてしまった。

 眠るためにはもちろん着替えるし、身につけていたアクセサリーも普通は外す。

 クラーラの部屋にある小さなテーブルの上。

 ヘルダが外した討伐者証を見てしまったのだ。


「……今日、まだ報告してなかったわ」


 私も討伐者証は持っているし、クラーラが用意してくれた鎖のおかげでいつも首からぶら下げている。

 眠る前に気づくべきだった。

 討伐者のランクを上げるためには、街から出る前と戻ったあと、討伐者ギルドに顔を出す必要があった。

 依頼によっては数日間の猶予があるのだが、Dランクが受けられる依頼のほとんどはその日のうちに報告しなければ失敗扱いとなってしまう。

 そして、もちろん今日は報告していなかった。


「ギルドはまだ開いてるのかしらね」


 とにかく、ここで悩んだところで解決するわけでもない。

 置かれていたヘルダの討伐者証を手に、私は一人ギルドへ向かった。



 どうやらまだ深夜とは言えないみたいだ。

 店の一部には明かりが灯り、僅かな騒ぎ声も聞こえてくる。

 そんな薄暗い通りを一人、ギルドに向かって歩いていく。


 間に合ったと喜ぶべきか、間に合わなかったと嘆くべきか。

 ギルドにたどり着いた時、タイミングよく受付嬢のピーアが最後の戸締まりの確認をしていたのだった。


「待って。最後の仕事が残っているわ」


「……イルザさん。本日の業務はだいぶ前に終わっているのですけれども」


 ピーア以外の姿が見えないことから分かっていた。

 けれど引き下がれない理由があるのだ。


「明日に出直してはいかがでしょうか」


「そうもいかないの。明日になったら依頼も失敗になるのでしょう? 今日でクラスも上がるというのに、ここで引き下がる理由はないの」


「そう言われましても……。ダメなものはダメなのです。ギルドの閉める時間を明確にしておかなければ、他の方からは不公平となってしまいます」


 ……ダメか。

 こうして話している間も、ピーアの動きは止まらない。

 ならば私も堂々とピーアを説得するしかない。

 ちょうどいいことに、人通りも少ないのだし。


「ねえ、お願いよ。あなたに迷惑はかけないから」


 私を見つめるピーアの瞳が不意に揺らいだ。



 薄暗いギルドの中、二人きりの空間でピーアは差し出した討伐者証を受け取った。


「……これでイルザさんも本日からDランク3クラスとなります。おめでとうございます」


「ありがとう。そういえば確認なのだけれど、今朝伝えようとした依頼はどんなものだったのかしら」


「明日受けるものですね。魔物の討伐には変わりませんが、向かう先は森ではなく村になります」


「そういえば、魔物はどこにだろうと現れるのだったわね」


「その通りです。その村にも強い方はいるのですがどうやら怪我をしてしまったそうで、討伐者の派遣を要請しているのです」


 確か……森は魔力が濃いから生まれる魔物も強く、他の場所に生まれる魔物は例外なく弱いのだったか。

 それでも村人に対処できない以上、Dランクが適しているとは思えない。

 緑醜鬼(ゴブリン)なんて、怪我した大人でも対処できるはずなのだ。


「それはDランクで受けてもいい依頼なのかしら。私は違うと思うのだけれど」


 Dランクで討伐して評価される魔物は緑醜鬼(ゴブリン)白腕猿(リラエフィン)だけのはず。

 そもそもどうして私たちにこの依頼を提案してきたのか。

 昼間の出来事も踏まえると、無関係ではないのかと思えてくる。


「ねえピーア。正直に答えるのよ。この依頼はあなたが見つけて私に受けてほしいだけ? それとも、私にこの依頼を受けさせるよう誰かに言われたの?」


「わ、私は……」


 強く見つめると、ピーアがガクガクと震えだす。

 喋りたくないのだ。

 勝手に口が開くことに抗おうとしているのだ。

 もちろんそんなことは無意味だ。

 私の人見を見た相手は、そう簡単には逃げられない。


 ピーアが口を開くまでに、今日のことを考える。

 コンラット達は誰かに依頼されて私のことを探っていた。

 その誰かとは、コンラットの知り合いもしくは街の有力者。

 そのへんの知らない人の依頼を受けるとも思えないからだ。


 そしてピーアの依頼。

 コンラットの依頼と同一人物ならば、その誰かはギルドに顔が利くということとなる。

 いろんな国にある討伐者ギルドだが、その資本の半分は各国が持っている。

 国の有力者が携わっているのか。

 リタ……はあり得ないとしても、リタの周囲にいる者ならばどうだろう。

 カルディア、それにマイカ。

 リタの側にいる二人なら、私のことを調べたとしても不思議はない。


「私は……」


「私は、何なの? この依頼にあなたはどう関わっているの?」


 ピーアは未だに喋らない。

 更に強く、私はピーアを見つめた。


「この依頼は、イルザさんに受けてほしかったのです」


「どうして私なの?」


「それは……イルザさんが女性だから……」


 ……おや?

 これはちょっと予想外。

 依頼者か、もしくはギルドの重鎮なんかの名前が聞けると思ってたのに。


「私が女であることと、依頼を受けることにはどんな関係があるのかしら」


「それは……この依頼が村から出されているから……」


 詳しく話を聞くと、確かに納得できるものだった。


「村からの依頼ということは、間違いなくその村に宿泊することになります。その時に討伐者が男性だったらどうなるでしょう。外を知らない村娘は、簡単に討伐者になびいてしまうことでしょう」


 そこまで軽い人も少ないと思うけど。


「そうでなくとも、迫られたら断われないのです。身体を開かなければ依頼をこなさないと言われたら、拒否できるはずもありません」


 それはあり得そうだ。

 少なくとも、村にとっては魔物の被害は一刻も早く解決してほしいのだし。


「ここ数日のイルザさんを見ていましたが、大変に面倒見の良い方だと思いました。何人もの子供の面倒を見ておられますし、報酬もきちんと分けています。それどころか子供たちの取り分のほうが多いくらいでした。あなたは信用できる討伐者なのです」


 討伐者のランクを上げるためには、一匹倒せばよかったからだ。

 報酬の高い魔物だったらそう簡単に譲りはしない。


「確かにランクは適正ではありません。けれども、あなた以外に信用のできる討伐者もいませんでした」


「……女性だけパーティーを組んだ討伐者も見かけたけど?」


「彼女たちは……例外なく同性が趣味となっていますから。それでは男性の討伐者となにも変わりません」


 あー……自衛のための女性パーティーが、いつの間にやら身体の関係を持つようになるだったか。

 そこは私も変わらないのだが、アネル達の面倒を見てたからそうは見られなかったらしい。


 なんだ、私の早とちりか。

 ピーアの理由は納得のいくものだったし、冷静に考えて微妙な依頼で私の実力を測れるのかという話だ。

 そもそも今日その依頼を受けていたら、コンラット達とも出会わなかった。

 無関係だということは初めから決まっていたではないか。


「そうだったのね。よく分かったわ」


「では……」


「ええ。その依頼を受けてあげる。最初から受けるつもりだったけどね」


 そういえば、この街以外の場所を訪れるのは初めてになる。

 村というからにはこの街よりも小さいのだろうし、見て何があるわけでもないが一度くらいは街から離れるのもいいだろう。


「……日帰りは無理なのよね?」


「馬車を使えばあるいは。村というのは、一日かけて歩いた距離にあるのが通常ですから」


 村々の歴史はそう長くない。

 そもそも住民も少ないので、その気になれば移住だってできるのだ。

 例えば行商だったり旅人だったり討伐者だったり。

 そんな人たちを泊められる場所として、気づけば村から村までの距離は歩いて一日の距離にできあがるようになっていたとか。


「だったら明日は朝から移動しなければいけないのね」


「そうなります。明日からよろしくお願いします」


「……ピーアも一緒なの?」


「依頼が依頼ですから。確認のためにギルトの職員が同行することになっています。もちろん私にかかる経費は無視して構いません」


 森で魔物を討伐するだけなら、核がその証となる。

 商人の護衛だったりも商人が証人になる。

 村からの依頼の場合、村人を街まで連れ帰るわけにもいかないので、ギルドの職員が同行して依頼の達成を確認するそうだ。


 ……面倒なことだ。

 行きに一日、討伐に一日、帰りに一日。

 少なくとも三日は私、ヘルダ、ピーアの三人で過ごすということになる。

 食事が不要だったり、格納があるから荷物は持たなくてよかったりと、あまり知られたくないこともある。

 ここは……ピーアにも秘密を共有してもらうべきだった。


「私たちが数日間を共にする必要があるのなら、いまから仲良くなっておいたほうがいいと思うのよ」


 それに、ここ最近はヘルダとクラーラばかりを相手にしていたから。

 たまには違う食事もとりたくなるのだ。


「気遣いは不要ですが?」


「ふふ、そう遠慮しないで。遠出は初めてだから、何を用意したらいいのか聞きたいだけ。せっかく依頼を受けるのだから、少しぐらい話を聞いてくれてもいいでしょう?」


 逡巡を見せたピーアだが、結局は頷いてくれた。

 ピーアを連れて家へと帰る。

 もちろん、お話だけで終わるはずもなかった。


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