028
姿を見せた緑醜鬼は、瞬く間にその姿を塵へと変えた。
魔物的には戻ったと言うべきか。
肉体をまとわない、魔力だけの姿となってまた森の中を漂うのだ。
「やっぱりねえちゃんの魔法はすげー」
「ほんとに、すごい……」
アネルとグンタの二人は、緑醜鬼が燃え尽きるまで目を離さずにじっと見つめていた。
こうして魔法に惹かれていることこそが、才能を持っている何よりの証なのだと思うのだ。
「イルザさん、おめでとうございます。今日は核も無事みたいですよ」
ヘルダと違い、私は魔法の訓練も順調に実を結びつつあった。
初めは核まで燃やし尽くしていたこの魔法も、今ではシャーヤが回収したように核が無事なのだ。
ここ数日で学んだこと。
魔法に用いる摩力を強制的に断ち切ると、その威力も調節できるのだ。
こうして私は緑醜鬼の体だけを燃やし尽くすことができるようになっていた。
「はい、今日の魔法はこれまでね。あとはあなた達だけで魔物の相手をするのよ」
「まかせてくれよ。せっかく魔法を見せてもらったんだ、俺らも頑張るぜ」
順調とはいっても、私もヘルダと同じように地の魔法は未だに使えない。
毎晩土を触ってはいるのだが、どうにも操れる気がしないのだ。
ヘルダもここ最近は訓練に飽きてきているようだし、それは私も同じこと。
地の魔法は土に触れるだけでいいと聞いたが、そろそろ訓練の方法を見直さなければならないのかもしれない。
その後も狩りは順調に進んでいく。
基本は子供たちの自由にさせて、危ない時だけ連接剣を操って助けを入れる。
今日私が連接剣を振るったのはたったの一回。
ヘルダが魔物にトドメを指したのも一回だけ。
残りは全てシャーヤの魔法だった。
「アネル、そろそろ限界かも」
「そうか? だったら帰るか」
ある程度森の深くまで進むと、シャーヤの魔力が尽きてくる。
瞳で見る限りではまだシャーヤの魔力に余裕はありそうだが、帰り道に魔物と出会うことを想定しての提案だ。
こうして自分の魔力量を把握できることも、一人前の魔法使いには必要な技能なのだろう。
倒した魔物は緑醜鬼が六匹に白腕猿も六匹。
私やヘルダには少々物足りないが、アネル達にとっては十分な量だ。
そもそも彼らには帰る家があり待っている親もいる。
子供たちにとって討伐者は小遣い稼ぎであり、才能を確かめる場に過ぎないのだから。
もちろん才能があればそのまま討伐者を続けるのだが、それはまだ先のことだった。
森の奥まで進んだといっても子供の足だからここはまだ浅域から出ない位置。
だからこそ反応が遅れてしまう。
浅域には緑醜鬼と白腕猿しか存在しないはずだったのに。
「アネル、グンタ! 私の後ろに下がりなさい!」
連接剣を構え、子供たちの前に出る。
感じた気配は大きくて、とても子供たちの手に負えるものではない。
ドズドスと鳴り響く地響きは子供たちにも聞こえたことだろう。
私が身構えるその前で、大木が音を立てて倒れた。
「嘘だろ……」
「この魔物、中域の奥深くにいる……」
姿を現した魔物は、もう見た目からして大きかった。
体当たりで大木をへし折る巨体、灰色の肌、大きな頭。
それはつまり、象なのではないか。
「アネル、シャーヤ。知っているのならば特徴を教えて」
「灰石象だ! 深域に近い場所に住む魔物だ!」
「とても硬い体だと聞いてます! イルザさん、逃げましょう!」
その内在する魔力からもよく分かる。
緑醜鬼や白腕猿とは比べ物にならないほどに膨大だ。
大木をへし折ったことから力も相当なものだろう。
逃げ出したく思うのも無理はない。
「大丈夫よ。そこで安心して見ていなさい」
「ねえちゃん!」
私の言葉は彼らに安心を与えなかった。
それもそうだ。
子供たちの前ではちょっとした魔法と曲芸みたいな連接剣しか使っていないのだ。
私を信頼してくれるのは、この中にたった一人だけ。
「大丈夫です。イルザさんを信じてください」
その言葉は、共に前に出て戦っていたヘルダが発したからこそ信じられるものだったのだ。
今にも逃げ出そうとしていた子供たちも、ヘルダの落ち着きようを見てその場に留まることにした。
そうそう、それでいい。
子供たちを使った実験はまだ始まったばかりなのだから。
先制は私、離れた位置からも攻撃できる連接剣が猛威を奮う。
最大限まで伸び切ったその剣身が、地を這いながら灰石象の胴体へと突き進んでいく。
「……あら」
胴体に突き刺さる瞬間、ガキンという硬い音が響き渡り、連接剣は突き刺さることなく弾かれた。
硬いと聞いたがこれほどだとは。
私の魔力で動いているからか連接剣に傷はないが、灰石象もまた無傷。
「へえ、じゃあ魔法はどうかしら」
私が自分で編み出した火の魔法。
魔力を糧とし燃やし尽くすこの魔法。
強ければ強いほどに、威力を増す優れた魔法。
『苦しみを与えよう
爛れた皮膚は極度に縮み
動くこともままならない
それでも炎は止まらない
燃え尽きるまで止まらない
燃やせ
──炎塊』
灰石象も私に向かってくるがまだ距離はある。
私の手のひらから放たれた炎の塊は、余裕を持ってその胴体へとぶつかった。
「バオォォォォ……」
そして私の想像通りに、灰石象の巨体が炎に包まれた。
緑醜鬼なんか比較にならない、森全体が大きな燃えるのではというぐらいに視界いっぱいに炎が広がる。
しかしこれもまた私の想像を上回る。
炎に包まれてその動きを止めた灰石象だが、どうにも体積が減らないのだ。
燃え尽きてもおかしくないほどの火力に包まれているというのに。
──効いていない。
そう判断するしかなかった。
悩んでいる暇はなかった。
燃え盛りながらも灰石象は私に近づいてくるし、連接剣も魔法も効かない。
もう殴るしかないではないか。
連接剣をその場に落とし、袖をまくって腕を出す。
細くて白くて、とても殴るのには適さない腕。
でも見た目で判断してはいけないのだ。
同時に深く深呼吸。
魔物を相手には初めてのことだが、今までの練習を試す絶好の機会だった。
「せやあああああっ!!」
思い切り叫んだ。
できる限りの魔力を乗せて、灰石象を吹き飛ばすぐらいの勢いで。
もちろん風が吹いたわけではない。
けれど魔力の乗った声は、灰石象にまとわりついていた炎のすべてを吹き飛ばした。
「まあ、こんなものよね」
効果は期待したほどでもない。
灰石象の歩みは気持ち遅くなった程度。
炎は吹き飛んだけれど、表層の魔力を剥がす程度しかできなかった。
声に魔力を乗せるこの技術、到達者ビダルの領域に届くまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。
「さあ、あとは殴り合いよ」
適度に強い相手を前に、私の気分も高揚していた。
初手はやはり私、正面から飛びかかってその大きな顔を思いっきり殴りつけた。
まずはこれ以上近づかれないことが必要なのだ。
ガンという硬い衝撃に私の腕も少しだけ痺れる。
灰石象の歩みも止まるがそれほどのダメージはない様子に、高まりを抑えられなくなる。
「あはあ……なんて殴りがいのある魔物なのかしら。弱い魔物ばかり相手にしてたり、いきなり強い奴らに襲われたり……たまには私も楽しみたかったのよ!」
この世界で初めて戦った巨首馬も、緑醜鬼も白腕猿も弱い魔物だった。
どれもが一発殴るだけで、その命を散らしてしまうのだ。
だからといって、いきなり強者が現れるのはどうなのだ。
弱い魔物は弱いなりに楽しめてはいたのだ。
私個人というよりも、ヘルダの成長を含めてのことだったけれど。
今は違う。
この灰石象を前にして、戦えるのは私だけ。
私よりも魔力が少ないのは明らかで、しかしここにいる子供たちには手の出ない魔物。
子供たちに邪魔なんてさせない。
こんなに自由に力を振るえるのは初めてなのだから。
「あは、あはは! これが深域に近い魔物の強さなのね!」
どこを殴っても傷つくことのない体。
硬く大きな石を殴ってるようだが、壊れないところはさすがに魔物か。
それでもお構いなしに殴り続けた。
もちろん灰石象もただ殴られているだけではない。
時には大きな頭を振り、足で私を踏み潰そうとする。
ただ当たらない。
私の身体に対して灰石象は巨体すぎる。
動作もいちいち大きくて、それでは避けてくれといっているようなものなのだ。
「そんな見え見えの攻撃、当たるはずがないでしょう!」
声に魔力を乗せる技術、相手の動作を奪うこの技術も少しは役に立っているのか。
灰石象は現れた時に比べると、少しだけ動作も緩慢になっていた。
そうなればもう殴り放題。
たとえ見た目のダメージが見られなくとも、そんなの私には関係ない。
戦いは単調なものだったのだ。
小さな打撃を加えたところでろくなダメージにならないことは明白で、私は距離をとっては突っ込んでの繰り返し。
灰石象に限っては、一歩踏み出しては引いての繰り返しと攻撃すらろくにできない有様だ。
「ねえちゃん、すげえ……」
「うん。こんなに強かったんだ……。魔法も使えるのに……」
一方的な殴り合いが続いていく。
効果が見えなくとも殴り続けるのには理由があった。
こうして体を動かしている以上、まさか中身までもが硬いということはないはずだ。
硬いのは皮膚だけ、そう信じて一部に攻撃を集中させていると、次第に様子も変わってきた。
──ピシリ。
今までと少しだけ違う手応え。
見ると右前足だけにヒビが入っている。
この殴り合いも終わりが見えてきた。
そこからはひたすら右前足に集中打。
足が痛むのか灰石象は右前足を動かせないでいる。
殴り続けるとヒビはさらに大きくなり、ついにはその硬皮が砕け散った。
「バオォォ……」
右前足から崩れ落ちる灰石象。
硬い皮膚がなくなり、筋肉だけではその重量を支えることができなかったのだ。
自重によって右前足が潰れ、肉汁やら血やらが周囲に飛び散るのが気持ち悪い。
「足の一本を失うだけで動けなくなってしまうのね……」
さすが魔物というのか、その姿はとてもアンバランスに見えたのだ。
足の一本を失うだけで見動きの取れなくなる灰石象。
私の高揚も一瞬にして消え去った。
「大きな魔物だろうと、頭を潰せば死ぬのよね」
確認というよりも独り言。
決して長くはない時間だったけれど、戦っている間はそう悪い気分でもなかった。
ただ終わり方が自爆に近いものだから、少しばかり不完全燃焼というだけのこと。
地面に伏せながらなおも暴れる灰石象の、その脳天に拳を振るう。
万全の状態で振るった拳は、その硬い頭皮すら貫いて絶命まで……おいやることはできなかった。
頭が大きいということは、脳やら何やらまでも距離があるということで。
拳一つを脳内に突っ込んだところで絶命には至らなかったのだ。
「まったく……ここは素直に死ぬべきでしょうに」
それから──。
頭蓋骨の半分くらいを壊したところで、やっと首を落としたほうが早いということに気がついた。
倒したあとは解体の時間だ。
なにせこれほど大きな魔物、もしも食べられるのなら何日分の食料になるのか分からない。
一人だと放置したかもしれないけれど、都合の良いことに人手だけはたくさんあった。
「あなた達、もう動かないから近くに……」
子供たちにも解体させようと振り向いたら、なぜだか全員がその場に倒れていた。
顔だけは私を向いているから大事ないことは分かるけれど、一体どうして寝転がっているのだろうか。
「……何してるの」
「ねえちゃんが戦ってる時から、立ってられなくなったんだよ……」
「イルザさんの魔力のせいだと思います」
灰石象に大した効果を見せなかった魔力を乗せた声だけれど、子供たちにはバッチリ有効だったみたい。
魔力量が原因だろうか。
灰石象に比べ、子供たちの魔力量は比べるべくもない。
魔物よりもむしろ子供たちの行動を奪っていたらしい。
まあ、しばらくすると動けるようになるだろう。
戦った気配を感じたのか、近づく魔物はいないようだしほうっておいても構わないはずだ。
胸の硬皮を剥がし取り、連接剣をブスリと刺す。
ここからは少しだけ慎重な作業。
この瞳に映る魔力の塊を抜き取らなければいいのにならないのだ。
連接剣を操って、慎重に奥へと沈めていく。
ただの肉は連接剣の妨げとはならず、少しずつ剣身が埋まっていく。
魔力の塊の近くまでたどり着いたら、あとは周囲の肉ごと引っ張り出すだけだ。
そうして肉塊ごと現れた灰石象の核は、その強さを証明するかのように大きなものだった。
「やっぱり大きいんですね」
「あらヘルダ。もう動けるようになったのね」
「わたしも少しは練習していましたし、イルザさんの魔力にも慣れていますから」
肉塊ごとヘルダに預ける。
核から肉片を削ぎ落とす作業はヘルダに任せたらいいだろう。
問題は、この残った肉塊だ。
さすがにこんな場所に放置するのは考えものだし、もしかしたら食料になるのかもしれないと思うなら持って帰るのが吉だろう。
ただ、ここで格納はできないのだ。
さすがに格納までをも子供たちに見せつけるわけにもいかない。
子供たちはまだ動けない。
ならばもう一つの集団に手伝ってもらうか。
見物料をとるのが当然の出来事なのだし。
「……そろそろ姿を見せたらどうなのかしら」
「……驚いたな。俺たちに気づいてたのか」
連接剣を向けた茂みの向こう。
隠れていた討伐者が姿を見せた。




