026 プロローグ
一面になだらかな大地が広がっていた。
これからこの大地で暮らしていくことには不安しかない。
地面は固く、開拓するためには多くの時間を要するだろう。
振り返るとそこには多くの人々がいた。
皆が皆、飢えから逃れ肥沃な大地を求めて移動してきたのだ。
しかし進めど進めど硬質な大地が広がるばかりで、これ以上あてのない旅を続けることはできなくなっていた。
だから彼らはその大地に根を下ろし、自らの手で開拓していくことになったのだ。
開拓は過酷だった。
残された食料はごく僅かで、大地を耕したところですぐに作物が実るでもない。
そもそも大人一人では一日かけても10mを掘り起こすのがやっとという硬さなのだ。
全員を賄える大地を耕すまでにどれほどの時が必要なのか、そのことを考えると皆手が止まってしまうのだった。
しかし絶望ばかりではない。
彼らの中には一人だけ希望となる少女がいたのだった。
その少女がひとたび腕を振ると、荒れた大地はまたたく間に整地された。
さらにひとたび腕を振ると、今度は丸々と育った作物が土の中から現れるのだ。
彼らの生活は安定した。
少女に頼ったのは最初の数年間だけで、それからは彼らだけでも大地を耕し作物を育てられる環境が整っていた。
さらには少女と同じように、腕を振るだけで大地を耕す者も幾人か現れていた。
「あなたはここを離れるのね」
「きっとここ以外にも困っている人たちは大勢いるから」
少女がいなくともこの集団は安定しているのだ。
ならばこそ、少女は他の飢えている集団の手助けをしてやりたかった。
そうして少女はこれまでお世話になった集団を離れ、一人で旅を続けていく。
飢えた集団を見つけては大地を耕し作物を実らせ、さらには大地を耕す力を授けていった。
少女の旅は終わらない。
今もまだ、植える大地に豊穣を届けている。
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本を読んだ。
珍しくもない、むしろ子供の頃に一度は聞かされるであろう話。
もちろんクラーラも知っていた。
この本の話には実際のモデルがいて、内容もほとんど脚色されていないそうだ。
豊穣のエフィーダ。
彼女が地の魔法を人々に届ける理由は単純だった。
エフィーダがこの大陸に移民してきたばかりの頃、どこを見ても手付かずの荒れ果てた大地だったのだ。
そんな中でエフィーダの存在というのはどれほどありがたかったのだろう。
エフィーダは苦しい時代を知っているからこそ、人々に豊穣を届けることを使命とした。
でも私とヘルダはそのエフィーダを討とうとしている。
それは果たしている正しい行いなのだろうか。
「それは昔の話です。今は魔法に頼らずとも畑に作物は実ります。地の魔法なんてもう必要ないんです」
「そうは言うけどさ、やっぱり魔法はありがたいよ。おかげで農作業なんで汚れる仕事に携わる人も少なくて済むんだからさ」
「そんなの……別にエフィーダに会わなくても、地の魔法を覚えることはできます」
「でも見なきゃ覚えないじゃない。それに地の魔法を使う人は首都にも住んでいないし、それで地の魔法を見ろっていうのも難しいよ。ヘルダだって未だに地の魔法を使えてないんでしょ」
「……」
ヘルダがクラーラのことを可愛らしく睨むけれど、クラーラにとっても可愛としか感じていないようだ。
「ほら、ヘルダ。クラーラは正しいことを言ってるのだから怒らないの」
そのヘルダを抱えあげて私の膝へと座らせる。
さらに頭を撫でてあげるとヘルダは目をつぶってその感触に身を委ねるのだ。
おとなしくしてあげるにはやっぱり触れてあげるのが一番なのだ。
「クラーラはエフィーダを討つことには反対なのね?」
「……ヘルダの言うことも正しいと思うよ。少なくともこの大陸に地の魔法を必要としている土地はもう無いからね。それに、エミリアさんの仇なんでしょ? だったら私が口を出すことじゃないと思うんだよね」
エフィーダが何を理由にわざわざヘルダに魔法を授けたのか。
その理由を探そうと思ってクラーラに話を聞いて、持ってきた本を読んで。
エフィーダがこの大陸の発展にどれほど重要だったのかを理解した。
でもこの話は少なくとも数百年は前のことなのだ。
到達者に寿命が無いと聞いてはいたが、まさか私と同じほどに永くを生きていたとは。
まあそれでもエフィーダを討つことに変わりはないのだ。
少なくとも私たちにとっては全くの影響がないのだから。
私たちに食事はいらない。
もちろん普通の食事もできるし、むしろ食事だけでも生きていくことはできる。
けれど私たちにはより簡単に食事のできる吸精があるのだから、作物の生産性が落ちたところで影響は皆無なのだ。
さらに現状も踏まえて考えるならば、むしろ早めに討っておきたい存在ですらある。
アデライド帝国とフルシャンティ王国が戦争に入ったことをリタから聞かされた。
しばらくは国境付近での争いが続くそうで、そうすぐに影響が出るわけではない。
その戦争に対して、エフィーダの影響というのはとりわけ大きなものだ。
地の魔法を極めた者ならば、ものの数分で作物を実らせることができるのだとか。
首都から遠く離れた戦場では、食べ物の存在が武器以上に必要なものとなるから。
エフィーダを討てば、その生産性を間接的にだが落とすことができる。
つまりは食べ物を失わせ、これ以上戦争をできないようにしてしまえということだった。
まあ普通に考えて、エフィーダが死んだところで生産性が落ちるはずもなく、戦争も当然のように続くのだけれど。
それに人は飢えるほどに戦争に力を入れるとも聞く。
だからこれは、リタをものにするためには遠回りとなるのだろう。
それはそれで、恨みがましい目で見つめられるのも悪くはないのではないだろうか。
「エフィーダというのは、常に大陸をさまよっているのね」
「そう。一人で村から村へ、街から街へと渡り歩いては地の魔法に才能のある人を探しているの。つい先日まではここにいたらしいけど、さすがに今は離れているだろうね」
あの庭で私が目覚めた時、エフィーダの姿もビダルの姿もどこにもなかった。
到達者はいったいどこに消えたのか。
リタは到達者の住処を知っていると言っていた。
でもクラーラから聞いた話では、エフィーダは常に大陸を歩き回っている。
その二つは矛盾しているのではないだろうか。
もちろん、リタがあの状況で嘘を言うとは思えない。
ならば到達者という特別な立場において、エフィーダはさらに特殊なのだろう。
それではそのエフィーダの所在をどうやって探せばいいのか。
そんな話になったとき、ヘルダの頭が私の胸に埋まってくる。
「……どうやら眠っちゃったみたいだね。もういい時間だしまだ子供なんだもんね」
お伽話はヘルダにとって退屈だったようで、私の膝で眠ってしまっていた。
気づけば外も真っ暗になっている。
明日も朝から討伐者としての仕事が待っているのだから、もう休んだほうがいいのだった。
「眠りましょうか」
ヘルダが眠ってしまった以上、私たちだけが起きていてもしかたがない。
眠ったヘルダを抱えあげて、そのまま寝室へと運ぶ。
もちろんクラーラも一緒にだ。
ヘルダとクラーラが私の血族となって以来、いつでも三人一緒に眠ることになっていた。
「ええと……今夜もするのかな?」
「当然でしょう。私たちには必要なことなのだから。クラーラもそろそろ慣れなさい」
慣れろとは言うけれど、初々しいままのクラーラもそれはそれでいいものだ。
なにせヘルダは数日で恥ずかしがることもなくなってしまったから。
やはり子供は適応力も高いのだろう。
「ん……」
ちゅっとわざとらしく音を立てて唇を塞ぐ。
まずは眠ってしまったヘルダに、次に顔を真っ赤にしているクラーラに。
程よい魔力の交換が、お互いの身体を火照らせていく。
同じタイミングでお城の方向からも魔力が流れ込んできた。
どうやら今夜もリタは精力的なようだ。
魔力の感じからして今夜も相手はカルディアみたい。
リタはカルディア以外に手は出していないようだった。
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真夜中。
ヘルダとクラーラが力尽きて眠ってしまったあと、一人静かに夜空を見上げることが日課になっていた。
睡眠も必要としていない身体だし、そもそも私という種族は夜にこそ力を増す。
それは世界を移動したとしても変わらない。
こうして夜空を見上げると、ここが異世界なのだとより強く認識できるのだ。
なにせ空には月が二つある。
濃い紫色の月に、淡い紫色の月。
星はほとんど見えないけれど、だからこそ二つの月がより映える。
二つの月は決して近づくことはなく、いつも遠く離れていた。
もちろん近づいたらお互いの重力に囚われてしまうから、離れているのがな当たり前なのだけれど。
決して交わることのない二つの月。
まるで私たちのようではないか。
血族となってもなお、リダもヘルダもクラーラも人であり、そして私は人ではない。
そのことを残念だと思うことはないけれど、少しだけ寂しい気持ちが私の中にあるのもまた確かなことだった。




