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公国の真紅の瞳  作者: ざっくん
第1章 公国に現れた紅き影
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022

 家族というものを私は知らない。

 これまでの人生の中で、私が人と一緒に暮らしたのはヘルダが初めてだから。

 その昔には同族と暮らしていたこともあるが、あれは効率よく食事を手に入れるためだけだったし。


 つまり、だ。

 この短絡的な衝動のあと、私は今までにないほどに後悔しているのだった。



 ああ、やってしまった……。

 目の前には気を失ったリタ姫の姿がある。

 リタ姫に何か変化が起きたわけではない。

 でもそれは表面上の話。

 内面は今まさに私に都合の良いものに作り変えられている真っ最中だ。


 私が私の血を私の意志で飲ませること。

 それがどういう意味なのか、私は十分に理解していたはずなのに。


 けれど後悔してもいられない。

 今思えば暗示で十分だったけれど、やってしまったものはもう戻らないのだ。

 ならばこれからのことを、リタ姫が目覚めてからのことを考えよう。



------



「うう……私、は……」


 それほど待たずにリタ姫は目覚めた。

 これ以上に時間がかかると下で待っているマイカとカルディアも痺れを切らしていたところだろうから助かった。


「おはよう。気分はどうかしら」


「あなたは……イルザさん。すみません、いつの間にか眠っていたみたいです」


「お姫様だものね。色々と忙しいのでしょう。特に今は来たるべき戦争に備えなければならないならないのだからね」


「ああ、そうでした……。眠っている時間はありません。今すぐに人を集めなければ……」


 目覚めてもリタ姫は意識がはっきりとしていない様子。

 それどころか内面の変化にも気づいていない。

 まあそれは当然か。

 そもそも気づく人はまずいない。

 もっともこれは聞いた話であって、実際に見るのは初めてなのだけれど。


 リタ姫の容姿は驚くほどに変わらない。

 見た瞬間、私はごまかすことに決めた。

 必要なのはヘルダに過度な干渉をしないことで、それ以上リタ姫をどうこうするつもりはなかった。


「気づいたのなら下に降りましょう。カルディアとマイカが痺れを切らしている頃よ」


「……そうですね……待たせてはいけませんから」


 ああ、そうだった。

 これだけは伝えておかなければならなかった。


「ねえ、リタ。ヘルダのことは私に任せるのよ」


「……はい。ヘルダさんのことはイルザさんにお任せします……」


 目の前のリタ姫の焦点がぼやけたことに、私は薄くほくそ笑む。



 一階に降りるとヘルダもカルディアもすでに目覚めていた。

 ヘルダはクラーラに抱きしめられながら、カルディアは前にマイカを立たせながらも睨み合っている。

 これ以上遅くなるとまたいがみ合いになっていたのかもしれない。


「カルディア、マイカ、帰ります」


「お嬢様。もうご用件はお済みですか」


「ええ。イルザさんとお話したことでお互いの誤解もとけました。カルディア、これ以上無礼な真似は許しませんよ」


「……はい」


 カルディアは私たちのことをもっと追求したいようだが、リタ姫に言われたら諦めるしかないだろう。

 

「ヘルダもこれ以上はやめなさい。詳しいことは後で教えてあげるから」


「分かりました」


 これにて一見落着だ。

 そもそもお互い勘違いから始まった小さな諍いに過ぎない。

 時間が経てばすぐにでも元通りになるのだ。



 リタ姫が去り、ヘルダも表面上は落ち着きを取り戻したけれど、ここには納得しない人が一人残っていた。


「ねえイルザ。リタ様とどういう関係なのか、詳しく教えてほしいんだけど」


「もちろんクラーラにも教えるわよ。でも今はお店を開いている時間でしょう?」


「今日はもう店じまいだよ。ていうかね、これから数日はお客なんてやってこないよ」


 なにやらリタ姫が直接街のお店を訪れることはとても珍しいのだとか。

 街に広がった噂が落ち着くまでの数日間は仕事にならないんだって。

 それじゃあしょうがないか。

 今まさに店じまいを始めたクラーラを眺めながら、これから話すべきことを整理していく。

 リタ姫と違い、クラーラには全部を話すつもりだ。

 その上で私たちを受け入れてくれるならば、これほど幸せなことはないだろう。

 ……もっとも、クラーラは必ず受け入れるのだけれど。



------



 ──お嬢様の様子がおかしい。


 それは城に戻ったあとのリタを見たカルディアとマイカ二人に共通する思いだった。

 リタの身体は決して丈夫ではない。

 もちろん運動が得意ではないという意味であり、身体は健康そのものだ。

 だから机に向かうのもいつものことだし、悩むのもいつものこと。

 ただ、休憩を必要としていないというだけだ。


「お嬢様、そろそろお茶にしませんか? もう日も暮れています」


「でもそれほど疲れてはいませんよ」


 普段ならばすでに二回はお茶を挟んでいる時間にも関わらず、リタは机に向かい続ける。

 その原因はやはり昼間の出来事なのだろう。

 別れたあと、ヘルダを預けてきたことを綺麗さっぱり忘れたように振る舞うその姿は、普段のリタとは違うものなのだ。


「お嬢様が良くてもですね、私が疲れてしまったんです」


「……そうですか。それではお茶にしましょうか」


 自らをだしに休憩に持ち込むことができ、カルディアはやっとその胸を撫で下ろす。

 もちろんカルディアは優れた兵士であることに間違いなく、たった数時間立ち続けたぐらいで疲れはしない。


「お嬢様、今日は一段とお仕事に熱を入られているみたいですが」


「そうですね。考えることはたくさんあります。特にお金の問題には困ったものですね」


 リタのもっぱらの悩みは私兵団を組むために必要な軍資金。

 そのことについてはカルディアもマイカも把握しているが、昼間のことについては一言も触れてこない。

 それがどうしても違和感となる。

 いつものリタならば、どうにかしてヘルダを連れてこようとするはずだ。

 たとえ無理だとしても、こうも簡単に忘れることができるとは思えなかった。


 マイカがお茶とお茶請けを用意する間、リタは何もせずに待っていた。

 これも普段とは違う態度だ。

 リタはいちいち銘柄を確認したはずなのに。


「本日はカノ王国よりの名産品となります」


「そうですか……」


 そして、用意されても手を出さない。

 お腹を減らしていなくともお菓子を食べたいカルディアとしては困るばかりだ。


「お嬢様? とても美味しそうですよ?」


「え、ええ、そうね。とても美味しそうですね」


 お茶もお茶請けも北西の大国、カノ王国の名産品だ。

 それは間違いなくリタが一番好んでいたもののはず。


「……カルディア」


「……お嬢様、少々失礼します」


 マイカと頷きあい、カルディアはリタの額へ手を伸ばす。

 けれど常温、リタは体調を崩しているわけではない。


「カルディア?」


「いえ、失礼いたしました。お嬢様の様子が普段とは違うようでしたので、熱でも出したのかと心配したのです」


「うふふ、そんなことはありませんよ。それところか、今日は眠らずに働けそうなぐらい調子がいいんです」


 ここにきて確信に至る。

 リタは明らかに異常だと。


「お嬢様。私は仕事があるのでこれで失礼いたします」


「本日もご苦労様でした。明日もお願いいたしますね」


「はい。それではおやすみなさいませ」


 まずはマイカが部屋を出る。

 部屋を出る直前にカルディアと小さな目配せ。

 間違いなくリタのことで話があるのだろうと気づいたカルディアも続いて部屋を出るのだった。



「お嬢様の様子がおかしい」


「ああ。それは気づいている。私はこれから料理長に話を聞くつもりだ」


「料理長に?」


「……この分では、夕飯も口にしていない可能性がある。ただの食べ過ぎだったらいいのだが」


「なるほど、食べ過ぎですか! それならお茶に手を付けないのも分かります」


 それはカルディアだけだと、気づかれぬようにため息をつくマイカ。


「とにかく、お嬢様の体調が優れないのは確かだろう。私は色々と調べてみるから、カルディアはお嬢様のお側を離れないようにしてください」


「分かってるぞ。ただお嬢様も年頃だからな。もしかしたら体重が気になっているのかもしれない」


「それも含めて私が調べるのです。それでは……」


 リタをカルディアに任せ、マイカは部屋から離れていく。

 なにせカルディアは女性でマイカは男性。

 リタの側にいるのはカルディアのほうが何かと問題も少ないのだ。


 マイカもまずは料理長の元へ。

 リタの食事の時にはさすがのカルディアとマイカも同席はしないため、料理長に確認しなければならないのだ。

 しかし、夕飯も口にしていないのだろうと思う。

 もうすぐ真夜中というこの時間、いくら夕飯を食べ過ぎたところで空腹になるのが当たり前の時間なのだ。

 恐らくは夕飯よりも前の時間に、リタの体調が変わった理由があるのだ。

 そして本日といえば、普段と違う目立った行動が一つだけあった。


「討伐者、イルザ……」


 確証はどこにもない。

 けれどもマイカは、夕方に出会ったイルザこそが原因ではないかと確信していた。



 マイカが去り、お茶の時間も終わるとリタは再び机に向かう。

 どのようにして自由なお金を手にするのか、リタはひたすらそのことで頭を悩ませている。

 その様子を、カルディアは先ほどよりも楽観的な姿勢で見守っていた。


(お嬢様も年頃だからな。そうか、体型を気にしていたのか)


 もちろんカルディアの予想は全くの見当違いである。

 しかしカルディアはダイエットであると確信し、そして一度確信したことは疑わない性分でもあった。


「……カルディアはまだ休まないのですか?」


「マイカのやつが心配していましたから、今日は夜もこちらにいさせてもらうつもりです」


「そうですか……」


 もちろん念のためという以上の理由はない。


(しかしどうしていきなり体型を気にしだしたのだろうか。誰か想い人でもできたのだろうか)


 カルディアの勘違いは暴走する。

 自らの体型を気にするということは、見られることを気にするということだ。

 つまりは見られる場合もあるということ。

 その相手とは、異性をおいて他にはいない。

 しかし、その相手が思い当たらないのも確かである。

 カルディアは常にリタの側にいるが、男の影は全くと言っていいほどに感じないのだ。

 それこそ父親である王と、カルディアと同じリタの側付きであるマイカだけだ。


(まさか……まさかマイカなのですか! いけない、それはいけません!)


 もしかしたら他の兵士の可能性もあるのだが、そこは顔でマイカしかいないだろうと判断した。

 なにせマイカの顔は整っている。

 普段は無愛想だがそれがいいという声を聞いたこともある。

 討伐者をしていた割には物腰も悪くはなく、見た目もどちらかといえば細身でリタの隣で目立たない。

 だからこそ、リタが惚れてしまうのも分かってしまう。


(しかし、お嬢様の相手には相応しくない)


 リタも姫であるからには、いつかは結婚するのだろう。

 だがその相手は限られる。

 万が一にも元討伐者という野蛮な者を好きになっては困るのだ。


「……ディア、カルディア」


「は、はいっ!?」


「本日はそろそろ休みます。あなたも自由にしてくださって結構ですよ」


「はい……あ、いえ、今夜はお嬢様のお側に控えさせていただきます」


「そうてすか? それでは着替えを手伝ってもらってもよろしいでしょうか」


 考え事をしていたため、リタに話しかけられ驚くカルディア。

 いつの間にやら時間も過ぎ去っており、普段の就寝時間を大幅に過ぎていた。


 普段は召使を呼んで着替えをするリタたが、この日はカルディアがずっと側にいるということでカルディアが着替えを手伝うことになった。

 リタは恥ずかしがらずに服を脱がされるがままだ。

 同性に見られることは慣れているのだ。


 リタは美しい。

 その裸を見た男性のほとんどはリタに惹かれることだろう。

 こうして堂々と素肌を見られることで、同性であろうとも優越感に浸ってしまうカルディア。

 それほどにリタは美しいのだ。

 亡き母親に似た容姿、おそらくこれ以上成長することはないであろうささやかな身体付き。

 公国の姫としては理想的な体型だった。


「……カルディア?」


「あ……こちらのお召し物でよろしいですか?」


「そうですね……。今夜は温かいので、もう少し薄着でもいいかもしれません」


「それでは、こちらはいかがでしょうか」


 リタはその立場上、多くの服を持っている。

 もちろん寝巻きであろうともだ。

 そんな中で今夜のリタが選んだ寝巻きは、一際薄く、一際扇情的なものだった。


「お嬢様、さすがにその服は……」


「あら、いいではありませんか。どうせここには私とカルディアしかいないのです。誰の目を気にするというのです」


 ここにきてさらなる違和感を覚えるカルディア。

 もちろん異性を意識するならば、寝巻きにこだわることも分かるのだ。

 しかしそれは見せる相手がいてこそであり、ここにはカルディアしかいないのだから。


(お嬢様は私に見せたいのか……? まさか、お嬢様の想い人は私なのか!?)


 カルディアの勘違いは加速する。

 そして、リタの次の行動がその勘違いを決定的なものへとしてしまうのだった。


「ねえカルディア。あなたも一晩銃立ち続けるのは疲れるでしょう。今夜は私と一緒に寝るのですよ」


「お、お嬢様……」


「ほら、服を脱いで……。ああ、鍛えられている身体のなんと魅力的なことでしょうか」


 カルディアはリタに逆らえない。

 リタが服を脱げと言えば脱がなければならないのだ。

 そうしてカルディアは一糸纏わぬ姿でベッドを共にする。

 もちろん何事も起こらないはずもなく……。


「ああ、とても美味しそう……」


 その晩、カルディアは新たな世界へと旅立った。


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