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公国の真紅の瞳  作者: ざっくん
第1章 公国に現れた紅き影
19/70

019 すれ違いと重なり合いと

 その日の晩から、私とヘルダの距離は少しだけ縮まった。

 一つのベッドに横になることはいつものことだが、その距離は肌と肌が触れ合うほどに近いものだった。

 いや、実際に触れていたのだ。

 横になったヘルダは真っ直ぐに私を見つめ、その手を絡ませてくるのだ。


「今夜は……昨日と同じことはしないんですか?」


 するわけがない。

 昨夜はヘルダの気持ちを考えて行為に及んだが、まだヘルダには早いものなのだ。

 それを昨日の今日でまたするわけにもいかなかった。

 ヘルダもまだ昨夜のことを覚えているからこそ、こうして私に寄り添ってくるのだろう。


 こうなると、私に残る手段は一つだけ。

 襲いたくないのならば、襲えない身体になってしまえばいい。


 私の身体は再び黒猫の姿へと変幻した。

 これでなにが起ころうとも、ヘルダに手を出す心配はなくなった。


「その姿も、可愛いから好きです」


 小さくなった身体をギュッと抱きしめられるがその程度は許容範囲。

 ヘルダが昨夜のことを忘れてしまうまで、夜はしばらく黒猫の姿で過ごそうと思う。



------



 翌日も多くの緑醜鬼(ゴブリン)と戦った。

 緑醜鬼(ゴブリン)だけではなく白腕猿(リラエフィン)とも戦った。

 白腕猿(リラエフィン)緑醜鬼(ゴブリン)よりも森の奥に生息しているようだった。

 それでも森の浅域であることに違いはないし、強さもそう変わらないからヘルダでも十分に倒せる程度。

 もちろん私のサポートも必須だけど、すぐにどうこうできるものでもないから気にしない。


 私のサポートの仕方は昨日と少しだけ変化した。

 もちろんヘルダが戦える間は補助に徹するのだが、立ち位置はヘルダよりも魔物に近づいたのだ。

 そして一度だけ直接手で魔物に触れる。

 昨日立てた仮説の証明をするためだ。

 ただ、今日戦った魔物は全てハズレだった。

 まあ滅多に出会えるものでもないだろうし、長い目で見たらみたらいいのだろう。


 午前中の狩りを終え、二人でギルドで換金する。

 今日の儲けは昨日よりも少しだけ多く35ユル。

 白腕猿(リラエフィン)はDランクでは美味しい魔物だ。


「ヘルダはこのまま店に戻りなさい。私は少しやることがあるから」


「……今日もわたし一人だけですか?」


「そんな顔をしないで。クラーラは怒ったりしないでしょう。ちゃんと戻るから、それまでしっかりと働くのよ」


「はい……」


 不満げなヘルダを店へと戻し、私は再びギルドの中へ。

 情報収集の始まりだ。



「ピーア。例の森を調べに行った討伐者はもう戻ったのかしら」


「まだですよ。でもそろそろ戻ってくることでしょう。ほら……」


 ギルドの中には昨日は見られなかった光景が広がっている。

 昼過ぎという時間にも関わらず、多くの討伐者がギルドの中にいるのだ。

 見た限りでは幼さを残している者も多い。

 警告に従い森に入ることを一時的に止めた低ランクの討伐者たちだ。


「彼らもそろそろ戻ってくるとかと考えたのでしょう。もっとも、既に森へと向かった方々もいるそうですが」


「どうせなら安全だと分かってからにしたらいいのに」


「……イルザさんのせいですよ。昨日今日と続けて森の浅域に行ったことを知った討伐者が、もう安全だと判断したのです」


 私のせいなのか。

 まあ間違いなく森は普段と変わらないだろうし、気にすることもないだろう。


「それにしてもこんなに子供の討伐者がいたのね。今朝はあまり見かけなかったのに」


「子供たちにも家がありますからね。早朝は家の仕事を手伝う方も多いんですよ。大体は朝早くから活動する討伐者が出立してからやってきます」


 なるほどね。

 私は朝早くから動くから、ギルドでは子供たちとすれ違わなかったということか。

 それに戻ってくるのも昼だし、その時間はまだ森の中なのだろう。


「ねえ、少しお願いがあるのだけれど……」


 そう本題を切り出そうとした時、ギルド内のざわめきが大きくなっていく。


「ほら、だから言ったじゃありませんか。私たちの報告を待っている人ばかりだって」


「おい待てよ。まだ勝負に負けたわけじゃねえぞ。ちゃんと人数を数えてからだ」


「ちっ、面倒くせえなあ。数はお前らで確認しとけよ。俺は報告するんだからな」


 大柄な男ばかりが四人入ってきた。

 見たら分かることだがいずれも実力者に違いない。

 周りの討伐者が彼らの言動に耳を傾けていることから、彼らが件の討伐者なのだろう。


「コンラットさん。お待ちしていました」


「おう、今戻ったぞ」


 ピーアとは違う受付嬢がすかさず声をかける。

 彼が四人のリーダーなのだろうか。


「イルザさん? お願いとはなんでしょうか」


「ああ……彼らが戻ってきた時に紹介してほしかったのだけれど、タイミング良く戻ってきたみたいだし忘れてくれて構わないわ」


「そうですか。彼らは高ランクですが面倒見もいい方たちですし、話をする分には問題ないでしょう」


 それはいちいち森の探査なんていう面倒な仕事を引き受けた時点で分かっていたことだ。

 それほどのお金にもならないだろう依頼をわざわざ受けるのだから、間違いなくお人好しなのだ。


「確かに聞いていた通りだったな。中域とは思えないぐらいに森が荒れてやがる」


「それでは魔物も……?」


「いや、魔物の姿はどこにも確認できなかった。それと報告程のもんでもなさそうだぞ。魔力の残滓もほとんど残っていなかったし、せいぜいでBランクの上位ってところだろう」


 隣で話している内容を聞いていくが、めぼしい話は特にない。

 唯一気にするといえば魔力の残滓という言葉。

 私はそんなものに気づいたことはない。


「ねえピーア。あの方たちのランクはいくつなのかしら」


「コンラットさん達は全員がA1ランクですよ。このギルドでも上位の実力者です」


 その実力者が言うのだから、魔力の残滓とやらは存在するのだろう。

 私の瞳でも分からない魔力か。

 この世界、まだまだ奥が深いらしい。


「それと犠牲者だがな……間違いなく一人は亡くなっているだろう。あの出血量で生きているはずもない」


「そうですか……。なにか身分を示すものは見つかりましたか?」


「いいや、何も。一日かけて探したんだが服の切れ端すら見つからなかった。俺たちの結論としては、もう魔物はいないんだろうな。死体がない理由も魔物が持ち帰ったのだとしたら納得いくことだ」


「それでは警告は解除しても?」


「いいだろう。少なくとも中域にはいないはずだ。……ところでだ、さっきから熱い視線を感じるんだが、俺に何か用なのか?」


 おっと。

 露骨に見ていたからか気づかれてしまった。

 でも向こうから話しかけてくれたのは助かるところ。


「はじめまして。よければ今の話をもう少し詳しく伺いたいの」


「ほう……。初めて見る顔だな。外から来たのか?」


「ええ。ちなみに討伐者にもなったばかり。あなた達は強いそうだから、ぜひ話を聞いてみたいのよ」


「新人か。断る理由もないんだが、新人と話したところでな……」


 これはダメだろうか。

 そう思ったところで頼もしい援護が入った。


「おいおい、せっかく美人に話しかけられたんだから断るなんてあり得ないだろ。それも俺たちの後輩だぜ? ここは面倒を見てやるのが先輩ってもんだろう」


「おい、ベンヤ」


「やあやあお嬢さん。俺たちはこれから近くで酒を飲むつもりだ。よかったら一緒にどうだろうか」


「ええと……いいのかしら」


「もちろん構わないさ。だって見ろよ。俺たち男四人だけで酒を飲んでもうまいはずがないだろう」


 ベンヤという青年は、コンラットよりも気さくな感じだった。

 軽薄と言うべきかもしれないけれど。

 そのベンヤの様子に早くもコンラットは諦めたようだった。


「しょうがねえな。どうせ賭けはお前の負けなんだ。そいつの分も払ってやれよ」


「当然。お前らだけに奢るのは嫌だったけどな、そこに一輪の花が増えるんだから喜んで払うさ」


 どうやら顔を繋ぐことには成功したみたい。

 ここはベンヤに感謝しておこう。



------



 居酒屋というのは昼間からでも開いているみたい。

 もちろん全てのお店がお酒を提供しているわけでもないだろうが、討伐者は朝起きて夜眠る人ばかりでもないそうだから。

 彼らのように数日かけて森の中に入る人もいるから、昼間から居酒屋を開いてもそれなりの客が見込めるのだとか。


「それで、お嬢さんのお名前は? ちなみに俺はベンヤ。見ての通りの斥候役だ」


「私はイルザよ……です。斥候役って?」


「ああ、新人なんだもんな。もしかしてソロなのか? それはいけない。今すぐ俺とパーティーを組むべきだ」


「おい、ベンヤ!」


「んだよ、コンラットは男にしか興味ないんだろ。あっちに行ってろよ」


「誰がいつそんなことを言ったよ、ったく。俺はコンラットだ。そしてこっちがギードとハンス。俺たち四人でパーティーを組んでいる」


 パーティーというのは、つまりは一緒に活動している討伐者のことだろう。

 私とヘルダみたいなものだ。


「斥候というのはパーティーの目だ。魔物を見つける役目だとでも思っておけばいいだろう」


 つまりは私か。

 軽薄そうベンヤと同じとは思いたくないがこれでも上位の討伐者。

 実力者には違いない。

 むしろ何でも話してくれそうなあたりは好印象と言えるかも。。


「おいおい、せっかくの俺の役目をそんな一言で済ませてもらっては困るぜ? なにせ俺はパーティーの要なんだからな」


「あら、そうなの?」


「そら当然よ。まあ俺から言っても説得力はないからな。おいハンス、説明して差し上げろ」


「まったく、ベンヤはしかたがありませんね……」


 ハンスはローブに身を包んだ魔法使いだった。

 口調も穏やかで聞きやすい。


「魔物を早く見つけると、それだけ私たちが有利になります。まずは不意打ちを防げますし、こちらが一方的に攻撃できるようになりますからね。特に距離があった場合は、私の魔法も役に立ちますから」


「近づかれても魔法は使えるでしょ?」


「確かにそうですね。でも近づかれると味方も巻き込んでしまうかもしれません。そうなると威力の高い魔法は使えませんよね」


 確かにその通りなのかも。

 私の火の魔法だってヘルダを巻き込む恐れがあるから使えないのだし。

 もちろん魔法そのものの問題もあるんだけれど。


「それよりも、何か聞きたいことがあるんじゃなかったか」


 そうそう、当初の目的を忘れてはならないだろう。

 しかし直接尋ねるわけにもいかないから、間接的にその話題に持ち込まなければならないのが難しいところだ。


「……魔力の残滓って何なのかしら。もしかしてコンラットは魔力を感じることができるの?」


「ふむ……」


 私とビダルの戦いの現場を見た彼らは、魔力の残滓がないことからBクラス程度の魔物だと判断を下していた。

 不満というわけではなく、どうしてその判断になったのかは不思議だったのだ。


「浅域だとまず見ないが、魔物の中には魔法を使うものもいる。いや、そうじゃないか。強い魔物というものは、得てして魔力の扱いに長けるのだ」


「それって強い魔物は魔法を使うってこと?」


「いや、魔法を使わない魔物も含めてだ。魔力を身にまとうようにしてな、全身の能力を強化するんだ」


「別に秘密じゃないから言っちゃうけどな。BランクとAランクの討伐者の違いっていうのが、つまり魔力をまとえるかどうかってことなのよ」


「……それってどれほどのものなのかしら。魔力をまとえるだけで強さが変わるものなの?」


 そもそも魔力をまとうということが分からない。

 この瞳で見る限りでは、だれしもが魔力をまとっているように見えるのだけれど。


「……ハンス」


「はいはい、私が説明するのが一番でしょうからね。……イルザさんにお聞きしますが、私を見てどう思いますか? 例えばコンラットの剣を、私が持つことをできると思いますか?」


「そりゃあ……持つぐらいならできるでしょう」


 コンラットの武器はヘルダのよりもさらに大きな大剣だ。

 それでも持ち上げるぐらいならばできるはず。


「そうですね、持ち上げるだけなら私にもできます。ただ、この剣で戦うのは難しいでしょう。でもそれも魔力をまとわなければの話です。魔力をまとえるならば相応に力も増しますから、私でもコンラットの剣を扱えるようになるのです。もっとも、私に剣を扱う才能はありませんけどね」


「へえ。ここで見せてはもらえないの?」


「見たところで魔力の動きは分かりませんよ。こればかりは長く討伐者を続けることでしか身につかないでしょう。魔力の残滓も似たようなものです。魔力をまとった状態で物を斬ると、その魔力の一部が斬った物に留まるんです。その残滓を感じるのにも経験が必要ですけれどね」


 残念。

 私の瞳は魔力の仔細な動きも捉えられるから、見ただけでそれなりの経験にはなったのに。

 それと彼らに私と同じような瞳はないらしい。

 それでも魔力を感じられるというのだから、さすがは上級の討伐者といったところ。


 しかし、そうなるとビダルは魔力をまとっていなかったということになる。

 まさか到達者が魔力をまとえないうこともないだろうから、つまりは手を抜かれていたと。

 どうやら私とビダルは思っていた以上に差があるのかも。


 そして私が一番聞きたかった話も聞けた。

 魔物にも魔法を扱うものがいるそうだ。

 つまりは、魔物にも才能があるということだ。


 私の推測の半分は当たっていたことになる。

 ただそれをさらに確かなものにするためには、さらに踏み込んだ質問になるだろう。

 はたして討伐者に成り立ての私が持っていい疑問なのかどうか、質問をする前に頭を悩ませることになった。


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