017
私に才能が増えていた。
ここにきてようやく、私がどうして火の魔法の才能を得たのかも理解してしまう。
火の魔法を覚えていたクラーラに、地の魔法を覚えていたヘルダ。
つまり原因は吸精なのだった。
吸精はその名の通りに精気を吸い取る、まあいわば技術である。
この世界に来たことで、同時に魔力も吸い取るように強化されていた。
しかしそれだけではなかったのだ。
どうやら相手の才能までをも吸い取っているみたいだった。
ただ安心できることに、ヘルダにも地の魔法はきちんと残っていた。
クラーラも昨夜火の魔法を使っていたから才能は残っているのだろう。
精気を吸い取り、魔力も吸い取り、才能は写し取る。
これが吸精の強化された姿だった。
「これは……とんでもないわね」
才能とは、生まれつき持っているものだけに限らない。
むしろ多くは長年の研鑽によって芽生えるものだ。
その才能を私に限っては吸精するだけで手に入れることができるとなれば、どれだけ有用なものだというか分かるだろう。
討伐者の多くは剣を使い、そして剣の才能を芽生えさせるという。
才能があるとないじゃ大違いで、何よりも理想的な動きを半自動的にしてくれるのだとか。
その才能を手にするということは、つまりは一足飛びで強者の仲間入りができるということとなる。
願ってもないことだった。
なにせ今の私は弱いのだ。
少なくとも到達者には手も足も出ない。
才能を楽に手にすることができるのならば、最大限有効活用するべきだろう。
「んん……」
「おはよう、ヘルダ」
「おはようございます……」
意外なことにヘルダの反応は普段と変わらなかった。
昨夜のことは特に気にしていないのだろうか。
「あれ……わたし、どうして……」
いや、寝ぼけていただけか。
遅れて自らの身体を見て、服を着ていないことに気づいて。
目の前で頬を染める様子は相応に可愛らしいものだった。
「わたし、昨日は……」
「ヘルダは分からないかもしれないけどね。私の中に、ちゃんとヘルダの魔力も混じっているわ」
「……そうですか」
それきり、昨夜の話を盛り返すこともなかった。
今はこれでいいだろう。
昨夜の出来事が通常どんな意味を為すのかは、ヘルダがもう少し大きくなってからでも遅くはないのだから。
「それよりも、早く身支度を整えましょう。今日は朝から魔物と戦うんだからね」
「そうでした……。はい、すぐに準備します」
ヘルダの目覚めもばっちり。
今日からは午前は討伐者として動くということを、ヘルダはしっかりと認識していた。
この時間、クラーラはまだ眠っているみたいだった。
むしろ私たちが早起きしすぎただろうか。
朝もお客のかきいれどきだと言っていたが、訪れる客は未だにいない。
この時間でも門が開いているのか少々不安だったが、まずは店を出て門へと向かった。
「ヘルダが魔物と戦うのは今日が初めてになるわね。できる限り私は手を出さないようにするから、ヘルダもそのつもりでね」
「怪我をしないように気をつけます」
「そうね。怪我したら魔物と戦うこともできなくなるから。さすがに大怪我をする前には助けるけれどね」
もちろん怪我をさせるつもりはない。
日々魔物を倒して生活の糧とする討伐者に怪我は禁物だ。
幸いなことに私たちには住む場所があるが、普通ならば一日稼ぎが途絶えるだけでも大打撃なのだ。
そもそも一泊の宿屋代だけでも緑醜鬼を何匹倒さなければならないというのだ。
それに借金もある。
クラーラは気にしていないが、ヘルダが気にする以上は早く返したいところだった。
門はすでに開いていた。
まばらに討伐者の姿も見える。
この時間から活動するということは、おそらくは遠出する討伐者なのだろう。
「今朝はまた随分と早いようだな」
「……ここを通る人の顔をいちいち覚えてるの?」
「全員ではないがな。顔を覚えておくと入門の際に手間がかからないだろう」
そういうものか。
確かに毎度毎度身分証を提示する必要があったら面倒だろう。
門番は門番でそれなりに大変そうだ。
「うん……? 討伐者になったんだよな?」
「ええ、そうよ。ほら」
討伐者証を取り出して掲げる。
「討伐者証は首からぶら下げておいたほうがいいだろう。見えないところに持っていても一目で討伐者だと気づかれない。そうなると森で討伐者に襲われても文句は言えないぞ」
「そんなことがあるの?」
「滅多に現れるもんじゃないが、たまに盗賊なんかも現れるからな。討伐者証は大抵首に下げるものだ」
さすがに今すぐにはできないことだ。
戻ってからクラーラに相談することにしよう。
「ありがとう。それでは行ってくるわ」
「おう。そっちの嬢ちゃんも気をつけろよ」
「うん」
親しみの持てる門番と別れ、森の中へと入っていく。
ここからは油断できない場所だ。
どんな魔物が現れてもいいように、連接剣は抜いておく。
「ここからはヘルダが前に立つといいわ。私はヘルダの後ろをついていくから」
「はい」
ヘルダもすでにその身に余る大剣を抜いて構えている。
相変わらずバランスを保つだけでも大変そうだ。
私も油断してはならないだろう。
幸いなことに全ての魔物は魔力を持っているから、視界に入るだけでその存在に気づくことはできるのだ。
不意打ちを受けることはないだろう。
目当てとしていた緑醜鬼はすぐに見つけることができた。
さすが一番弱い魔物なだけのことはある。
森の中では緑醜鬼と出会わないほうが難しいぐらいだろう。
「ギギッ?」
緑醜鬼の魔力は以前に見た時と変わらない。
ヘルダと同等かそれ以下の魔力しか持っていない。
「さあ、ヘルダにとっては初めての魔物よ。決して油断はしないようにね」
「分かっています」
ヘルダも油断なく大剣を構えた。
その様子を見て緑醜鬼もジリジリと近づいてくる。
やはり逃げるようなことはない。
人数の不利もお構い無しなのが魔物なのだ。
最初に動いたのはヘルダだった。
いや、我慢ができなかったと言うべきか。
「やあっ!」
──早い。
気合を入れて振り下ろされたヘルダの大剣は、しかし緑醜鬼に当たることはない。
まだ十分に近づいていないのに振り下ろされた大剣は、当然のように空を切る。
タイミングが早すぎたのだ。
十分な距離を詰めなかったからこそ、緑醜鬼程度にも避けられるのだ。
ヘルダは大きな隙を見せた。
さすがに見逃す緑醜鬼でもなかった。
「ギギーッ!」
間髪入れずに緑醜鬼が突っ込んでくる。
武器を持っていないからこそ、ヘルダに隙が生まれるのを待っていたのか。
ただ緑醜鬼にしても、私の存在は想定外だった。
魔力を通じて連接剣が唸りを上げる。
ヘルダの真後ろに陣取っていた私だが、連接剣は伸び、そして曲がるのだ。
ヘルダの横を通過した連接剣は、見事に緑醜鬼の足止めに成功した。
「ヘルダ、もう一度」
「やああっ!」
今度は緑醜鬼を捉えた。
頭上から迫る大剣は、緑醜鬼の体を縦に両断する。
緑醜鬼の最後の抵抗は、飛び散る血でヘルダを汚すだけだった。
……まあ、初戦と考えると及第点だろう。
私のサポート込みとはいえ、緑醜鬼にはダメージを与えることができたのだ。
ヘルダもなんだか満足そう。
「イルザさんっ。見てくれましたか」
「ええ、頑張ったわね」
ただ、最初の拙い攻撃はいただけない。
緑醜鬼だからどうとでもなったが、これが素早い魔物だと致命傷にもなったのだ。
「攻撃は必ず当てるものと考えなさい。大剣は隙が大きいのだから、外したら次はないと考えるの」
「分かりました」
それでも以前に比べると進歩したのだから、これ以上とやかく言うつもりはない。
それよりも、今は多くの経験を積むべきだった。
それからヘルダは合計三匹の緑醜鬼を相手にした。
トドメはいずれも振り下ろしによる切断だ。
三匹を倒したところで体力の限界が訪れたこともまあいいだろう。
体力については時間をかけるしかないのたから。
問題は、三度の戦い全てにおいてに初撃を外したことにある。
私が注意したにも関わらず、ヘルダは初撃の振り下ろしのタイミングが早いままだったのだ。
「引き付けるまで待てないのはどうしてなのか分かってる?」
「……緑醜鬼が近づいてくるからです」
「どうして近づいてくると剣を早く振ってしまうのかしら」
「それは……怪我をしてはいけませんから」
ヘルダも自分の実力はしっかりと理解しているのだろう。
理解しているからこそか。
緑醜鬼とヘルダの身体能力に大差はない。
違うといえばヘルダが大剣を持っているということだけ。
その特性上、必要以上に近づかれると緑醜鬼が有利になることもまた事実。
怪我しないことを意識するあまり、どうしても攻撃を急いてしまうのだろう。
怪我を負わないようにと意識させすぎたのだろうか。
しかし怪我をしてはならないことは事実である。
そうなると取れる手段は……。
「ヘルダにはまだ足りないものがあったみたいね」
「足りないものですか?」
「ええ。大剣の隙が大きくなることはもうしかたのないことよ。私も大剣をつかったことはなかったから、見るまで気づかなかったんだけどね」
ヘルダの根底にあるのは恐怖心だ。
近寄られたら怪我をするから、近づかれる前に攻撃してしまう。
だったら近づかれても、攻撃されても大丈夫になるしかない。
傷つけて痛みへの耐性をつける案もあるけれど、そんなこと私はしたくない。
「緑醜鬼の攻撃を受けても大丈夫なように、防具も揃えるべきでしょうね」
「防具ですか……」
とはいっても大剣に適する防具がなんなのかは思いもつかない。
クラーラに相談したら答えも出るだろうか。
もしくは討伐者に相談するか。
どちらもクラーラのお店で働いていたら達成は容易いことだろう。
本日の狩りは三匹では終わらない。
もちろんヘルダは限界だから、これからは私の時間だ。
昨日覚えた魔法の実践が待っていたのだ。
「ヘルダは私の後ろから出ないように」
私の魔法がイメージ通りにできているのなら危険はない。
ただ、初めて使う魔法であるから念には念を入れるべきだろう。
見つけた緑醜鬼が未だ私たちに気づいていないことも幸運だった。
『苦しみを与えよう
爛れた皮膚は極度に縮み
動くこともままならない
それでも炎は止まらない
燃え尽きるまで止まらない
燃やせ
──炎塊』
手のひらに炎が生まれる。
昨夜と変わらない大きさだ。
こんなに近くで魔法を使っても気づかないということは、少なくとも緑醜鬼は魔力に疎いのだろう。
手のひらを緑醜鬼に向けると、炎が勢いよく飛び出していく。
そして命中したその瞬間に、炎は広がり緑醜鬼の全身を包み込んだ。
──大成功。
笑みが深くなるのはもうしょうがないだろう。
初めての魔法がこれほどうまくいったのだから。
「すごい……」
ヘルダも呆気に取られている様子だ。
手のひらに収まる小さな炎があれほどの威力を持つとは思っていなかったのだろう。
「魔法は思っていた以上に強力なようね」
「すごい……イルザさん、すごいです! あんなに小さかった火が緑醜鬼を燃やすなんて思いませんでした!」
その緑醜鬼は、炎に包まれて身動き一つ取れずに全身を焼き尽くされた。
文字通りに血肉の一欠片すら残っていない。
ここまでイメー通りだとむしろ私が驚いてしまうくらい。
「あの、イルザさんの魔法はどんな魔法だったんですか?」
「ヘルダも気になるわよね。この魔法はね、相手の魔力を燃やす魔法なの。こうして手のひらにある間は私の僅かな魔力を燃やしているだけ。でも私以外の魔力にぶつかったらご覧の通り」
この魔法は魔物だけに限らない。
人だって魔力を持っているから、もちろん人に投げつけたら一瞬で燃えることだろう。
「だからヘルダもこの炎を触ってはダメよ。ヘルダも魔力を持っているんだから」
「イルザさんなら大丈夫です。イルザさんがそんな失敗をするはずがありません」
これも信頼の証なのだろうか。
私は未だにヘルダから心を開かれていないと思っていたけれど、もしかしたらいつの間にか仲良くなれていたのかも。
ただ相手の数が増えた時にはどうなるか分からないから、やっぱりヘルダにもしっかりと注意しておいてほしい。
緑醜鬼を倒したあとは当然核の回収をする。
端金でもお金には違いない。
これも討伐者のランクを上げるまでの我慢だ。
「……でも、核も消えてしまいました」
本当に残念なことだった。
魔力を燃やすという特性のせいか、魔力を持つ核までもを燃やし尽くしてしまったみたい。
魔法の確認をしたかっただけだから、この結果は真摯に受け止めよう。
……ただ、しばらく魔法は使わなくてもいいかも。




